<遊去の話>

「遊去の部屋」「遊来遊去の雑記帳」に掲載した記事と過去の出来事についての話です。「遊去のブログ」は現在進行形で記します。

ヒガンバナ

2023-04-20 18:38:40 | 「遊来遊去の雑記帳」
ヒガンバナ  <書いた時期は2004年の9月頃だと思いますが、投稿したかどうかは不明です。>

 今、あちこちでヒガンバナが咲いています。これには別に曼珠沙華(マンジュシャゲ)という名前がありますが、秋の彼岸の頃に咲くからヒガンバナとなったのでしょう。以前からこの花の咲く時期がずっと気になっていました。あまりにもうまく彼岸の時期に合っているからです。夏が暑くても寒くても、雨が多くても少なくてもいつも彼岸の頃になると咲き出します。去年はいつもと天候がずいぶん違うように思ったのでヒガンバナの咲く時期がずれないだろうかと注意していましたが、いつもと全く変わりはありませんでした。昼間の時間の長さで咲く時期を決めているのなら確かに時期が狂うことはなさそうですが、ヒガンバナはいきなり土の中から茎が出てくるのです。薄緑色をした棒のような茎が何本も地面からにょきにょきと出てきて、その先に花が咲き、それが枯れた後で、今度は濃い緑色の葉だけが株のようになって出て来ます。だから昼間の長さを知るにしても土の中で感じなければならないからあまりいい方法ではなさそうです。
 ところが今年は9月5日にヒガンバナが咲いているのを見ました。そこは山間の地だったので日照時間が短いためかなと思ったのですが、それから2,3日したらこの辺でも咲き出したのです。間違いなく例年とは違います。といってもそれで何か分かるわけでもありませんが、まあ、こじつけるなら、今年は台風がたくさん来たこと、梅雨が早く明けたこと、それから浅間山が噴火し、この辺だけですが、地震が立て続けに5,6回もやって来たこと。

 ヒガンバナにはヒガンバナなりの事情があったのでしょう。いずれにせよ、『そろそろ彼岸か』という気分してくれるのですが、実は、私、ずっとこの花が嫌いでした。あの毒々しい赤い色も、盆の飾りつけのようなおしべの反り返った花も、何となく異界の風情がしたのです。
 子供のときからヒガンバナを取ってはいけないと云われていたので折ったりしたことはありませんでしたが、感覚的には、触るどころか近寄ることすら嫌でした。その後、ヒガンバナは稲といっしょに日本にやってきた植物で、飢饉のときには救荒食になるのでずっと大切にされて来たのだという話も聞きました。しかし、「この人はいい人だ」といわれても嫌なものは嫌です。それなのに時々ヒガンバナを見て「きれい」という人がいるのです。私はそれを聞いた瞬間に、その人から何かぞっとするようなものを感じ、少し距離を取らないではいられない気持ちになりました。
 ところが、この数年、どういうものかヒガンバナが美しく見えるようになってきたのです。「この世のものでない」という感覚は同じですが、その「不確かさ」に何か親しみを覚えるようになってきました。だんだん近づいてきたのかなあと思っています。それにしても自分が「確かだ」と思っている感覚さえも時を経ると変わってくるものだという事実は新鮮な驚きでした。もうしばらくは色々なことやろうとすると思いますが、物事に「執着して」ではなく「楽しみ」ながらやりたいものだと思います。

★コメント
 今、「9月5日に咲いているのを見た」という地域に暮らしています。前の家からここまで自転車で40分くらいかかります。よくこんな遠い所まで自転車で遊びに来ていたものだと思いますが、50歳くらいの時にはまだ体力があったのかも知れません。川で泳いで、気功をして…、帰りはさすがに疲れたのではないかと思いますが…。

 今の家を見つけたのは全くの偶然です。この辺りで探したわけではありません。もっと遙かに広い範囲で家を捜していたのですが、その中にたまたま今の家がありました。不動産屋で場所を聞いて捜しに来たのですが見つけられず、全く期待していなかったので「もういい」と放っておきました。ところが、3日くらいすると気になりだし、電話で、不動産屋に見つけられなかった旨の報告をするとファックスは「ありますか」と言われ、その手があったことに気付きました。それでようやく見つけたのですが、ファックスが実質的に役に立ったのはこの時くらいでした。

 今年は4月13日に藤の花が咲きかけているのを見ました。それで少し取り、天ぷらにして食べました。季節の味の一つにしているのですが、藤の花が咲くのは、以前は5月の連休の頃だったのです。やはり季節が2週間ほど早くなっているように思います。今年は今、山は藤の花盛りですが、私が観察している範囲ではこの3年ほど藤の花は殆ど咲きませんでした。よその地域に行ったときには藤の花が咲いたかどうか尋ねてみるのですが、どうも関心がないようです。藤のつるを見ても豆ができていないから咲いてないのでしょう。去年は少しだけ咲き、今年はみごとに復活した感じです。やっと温暖化に対応できたのかも知れません。
 今年の2月25日には山の棚田跡の横の流れで小さな亀を見つけました。その日は暖かくシャツ一枚になって棚田跡で気功をしていたのですが、亀はその間ゆっくりと頭を左右に動かしていました。少し冬眠から覚めるのが早すぎるのではないかと思いましたが、3月1日に同じところに行くと同じ場所で亀は裏返しになって死んでいました。やはり覚めるのが早すぎたのではないかと思います。これも温暖化のせいなのだろうかと思いました。変化に適応するのもラクではないようです。その次に行ったときには亀の死骸はなくなっていたので他の動物の餌になったのでしょう。これもまた自然です。
2023年4月20日

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« スケッチブック | トップ | コロちゃん<どんぶり返し> »

「遊来遊去の雑記帳」」カテゴリの最新記事