<遊去の話>

「遊去の部屋」「遊来遊去の雑記帳」に掲載した記事と過去の出来事についての話です。「遊去のブログ」は現在進行形で記します。

アイリッシュ・ダンス

2024-02-21 14:15:10 | 「遊去の部屋」
<2008年8月18日に投稿>
(1) ケルトのスプーン
 あり得ないことも起こるものだなぁというのが、正直なところ、実感です。それは、つまり、私が、今、アイリッシュ・ダンスをやっているということです。いや、やっているというほど大げさなものではありませんが、3月に足を突っ込んでしまったので、かれこれ6ヶ月ということになりますか。といっても月に2回くらいのことなので、回数としてはわずかですが、それでも武道や格闘技をやってきた人間にとっては、これは相当ショッキングな出来事です。だから、まだ誰にも話していません。
 そもそもの事の起こりは1枚のCDからでした。ALTのAさんとの話の中でルネッサンス音楽が話題になったことがありました。後日、Aさんは1枚のCDをくれました。そこにはケルト音楽がいっぱい詰っていたのです。私は若いときから『ケルト文化』に興味を持っていました。「森の民、ケルト」、この響きには何か心を惹かれるものがありました。昔はヨーロッパ全体の森に広がって暮らしていたようですが、森の開墾とともに次第に追いやられ、その末裔と呼ばれる人々の多くは、今、アイルランド、スコットランド、ウェールズや北フランスのノルマンディー地方などに住んでいて、そこでゲール語やブルトン語など独自の言語や文化を守ろうとしています。
 ケルト音楽といっても何も特別なものではありません。その地域の人たちが昔から親しんできた音楽です。一度聴けば、『これのことか』とすぐに分かるでしょう。ヴァイオリン(フィドル)の弾き方は特に自由自在で生き生きとしていて、実に喜びに溢れているように聞こえるし、バグパイプも、鳴りっぱなしの音(ドローン)があったり、おもしろい楽器です。また、スプーンのような生活用具を楽器代わりに使うこともあり、音楽と暮らしが密着していることをうかがわせます。
 これは2本のスプーンを使ってカチャカチャ音を出してリズムを取るだけなのですが、これがまたいいのです。私はこの話と演奏を10年くらい前にラジオで聴いたことがありました。すごく気に入ったので何とか自分でもやろうとしましたが、やり方がどうしても分かりませんでした。私がその話をするとAさんはにっこりして机の引出しを開けました。すると、そこには、何と、スプーンの束が入っていたのです。そして、そこからスプーンを2本取り出すとカチャカチャやり始めました。私が知りたかったのは、まさに、それでした。こんな形で長年の謎が解けるとは思ってもみないことでした。しかし、それにしても不思議なのは、彼女の仕事机の引出しに、どうしてそんなにたくさんのスプーンの束が入っていたかということです。
 そのときに彼女はケルトダンサーだということを知ったのですが、私は「ケルトダンス」というものは知りませんでした。私が見たことがないというと、彼女はすぐにパソコンのキーボードを叩き始めました。これがまためちゃめちゃ速い。カチャカチャッカチャと打ち込むと画面に映像が現れました。インターネットで簡単に動画が見られるのですね。それはケルトダンスのライブ録画の映像でした。私は、もう、ただただすごいと思いました。それは、自らの文化の誇りというものを内に秘めた、気高さに溢れるものでした。

(2) セント・パトリック・デイ・パレード
 「3月8日(2008年)に来ませんか。」とAさんが声をかけてくれました。セント・パトリック・デイというのがあることは知っていました。その日にパレードがあるというのも聞いたことはありました。しかし、それが伊勢であるというのは間違いだろうと思いました。もちろん、同じ日に世界中でパレードをするということだから伊勢であってもおかしくはありません。しかし、まさか、伊勢で? そんなこと、私には考えられなかったのです。彼女が町を勘違いしているとしか思えません。そう言うと、自分もパレードに参加してダンスをするといって、カチャカチャカチャ…、するとすぐにそのホームページが出てきました。5年前から始まっていたようです。
 ホームページには怪しげな写真が載っていました。仮装パレードだからアヤシイのは当然ですが、そこにいる人たちは、どう見ても私とは異質な世界の人々に見えたので、はっきり言って、近付きたくないというのが正直な印象でした。だけど、Aさんには、率直に「行かない」とは言いにくかったので「時間があれば…」と婉曲に答えてしまいました。ところが、その日が近付いてくるにつれて、どうも「婉曲な」言い回しは通じていないのではないかという気がしてきたのです。そんなとき新聞にパレードの記事が出ました。そこにはバグパイプの演奏もあると書いてありました。伊勢にバグパイプを吹く人なんているんだろうか。それとも他所から呼ぶのだろうか。私は、生でバグパイプの演奏を聴いたことはなかったし、Aさんのことも気になったので少しだけ顔を出してみようかという気になりました。
 3月8日(土)正午、伊勢神宮外宮出発ということだったので、寒風の中、私は自転車で出かけていきました。外宮の前にはアヤシゲな人たち集まっています。全体の3分の1くらいは外人でした。その集団から少し離れて日本人が集まっています。そして、それら全体を遠巻きにするように、かなり離れたところから神宮の観光客が好奇の目で見ています。神宮の雰囲気とこれほど合わない集団もないだろうと思いました。私はAさんを捜しましたが見当たりません。外国人のところへ行って尋ねてみましたが知らないというし、どうなっているんだろうと思ってきょろきょろしているとバグパイプの人が目に止まりました。頭の先から足の先までスコットランドです。私は自転車を引いてそちらの方へ行きました。
 出発時間は過ぎていましたが、パレードは一向に始まりません。それで私はバグパイプの人に少し話を聞いてみました。めったにない機会なので、この際、気になることは聞いておこうと思ったのです。そうすると、パレードの途中で何度か演奏するということがわかったので、最初の一回だけでも聴いておこうと思い、パレードについて行くことにしました。しかし、何しろ自転車を引いてついて行くわけなので厄介です。早めに切り上げた方がいいだろうと思いました。
 急に騒がしくなったのでそちらを振り返るとその中心にAさんがいました。忘れ物をして、家に取りに行っていたらしいです。それでパレードの出発が遅れていたのでしょう。そちらに行くと、Aさんは大きな声で回りの人を私に紹介してくれました。その中の一人にAさんが教えているアイリッシュ・ダンス・サークルの人がいて、その人にいきなり活動予定のチラシを渡されました。強引な勧誘にたじたじとなりましたが、ここは誤解を生んではいけないと思い、興味がないとはっきり伝えました。が、このとき、勧誘というものはこのくらいの積極性をもってするべきものかもしれない思いました。というのは、私は自分のコンサートのチラシを渡すときにも決して強く宣伝することはないからです。これだけ楽しみの多い時代に、自分がおもしろくないかもしれないと思っているようでは動く人も動いてはくれないでしょう。だけど、実際には、それにも拘わらず、ひょっこり顔を出してくれる人がいるものです。私は、どちらかというと、そちらの方を楽しみにしています。
 パレードが動き出しました。バグパイプが景気よく鳴り出し、「St. Patrick’s Day Parade Ise」と書かれた横断幕を先頭に、楽器を抱えた人や関係者(?)が続き、それから大きなアイルランドの国旗を、戸板を運ぶように、女子高校生が両側に3人ずつ、手に持って続きます。私はこのとき初めてアイルランドの国旗というものを知りました。その後ろから妖精やアマガエルのような緑の服を着た外人やら、仮装した得体の知れない集団がぞろぞろついていきます。私も自転車を引いて後に続きました。
 集団の中に、白いヒゲを生やした聖人の扮装した外人がいました。見事な衣装で、背丈ほどある木の杖を手に持っているのですが、見ると、杖の太い方を下にしています。『ここにもあったか』私は心の中で呟きました。私は子供の頃から、西洋と日本で反対のものが多いことを不思議に思っていました。それで、そのわけを考えるために、取り合えず、反対のものと同じものを、できるだけたくさん見つけようとしていたので、すぐに目が止まったのだと思います。それで、その聖人の所へ行って、あなたの国では杖はそうやって持つのかと聞いてみました。そうしたら、上を見たり下を見たりしてから、「どっちでもいい」と言って、結局、杖を逆さまに持ち替えてしまいました。今から考えると、その人は杖なんか突いたことがなかったのではないかと思います。これは「反対リスト」からは外した方が良さそうです。国民や民族の習慣と個人の癖とを区別しないといけないので、このあたりにも注意が必要です。
 途中で2回、アイリッシュ・ダンスがありました。いわゆる、フォーク・ダンスのようなものです。Aさんが少々(実は、かなり)あやしい日本語で説明し、その場で覚えるのですが、参加者が少なそうにみえたので、これはまずいなと思い、すぐそちらへ行き、輪に入りました。普段なら、こういうことは決してしないのですが、やはり、ここは支えなければならないと思ったからでした。
 パレードの途中でバグパイプの人と話をしていると、「後で吹いてみますか。」と言われました。楽器の好きな人間なら誰でも楽器にさわってみたいと思うものです。私はうれしかったけど、これは当然、社交辞令だと思いました。パレードが終って帰ろうとしていたら、その人が、どうぞ、と言ってバグパイプを私に渡してくれました。その人に教えてもらって抱えたのですが、ふにゃふにゃで形にならず抱えることができません。息を皮袋の中にいっぱい吹き込んで、初めてバグパイプらしい形になるのだということが分かりました。そして、脇に抱えた皮袋を腕で押しながら音を出すのですが、すぐに空気が抜けていくので、口にくわえたパイプからひっきりなしに息を吹き込まねばなりません。演奏している間、休みなく、非音楽的に空気を供給しなければならないのです。すぐに頭が痛くなってきました。酸欠です。フルートを吹いたときもそうでしたが、これはフルートの比ではありません。何でもやってみないとわからないものだなぁと思いました。いい体験になりました。

(3) ダンス・サークル
 例のチラシにアイリッシュ・ダンスの活動予定が記されていました。4月の初めの土曜日に、伊勢神宮の内宮の横の公園で、特別企画の練習があるようです。ちょうど桜が満開です。特別企画なら1回きりです。それなら花見も兼ねてちょっと様子を見に行ってみようかなと思いました。自転車で1時間もあれば着くだろうと予測していたのですが、自転車に乗ると、いつものことですが、トレーニングをしているような走り方になってしまうので早く着いてしまいました。さて、公園には着いたものの、場所がわかりません。公園はかなり広いのです。木もたくさん繁っていて見通しが利かず、自転車でぐるっと回りましたがわかりませんでした。チラシに載っている番号に電話をしてみようと思いましたが、私は携帯電話を持っていません。近頃は公衆電話が殆んど姿を消したので見つけるのが大変です。駐車場の係員に尋ねてみると県営体育館の事務室で借りるしかないだろうといいます。事情を説明するのがめんどうなのでもう一度自転車で捜してみることにしました。
 しばらくして、木に掛かっている大きな布が目に止まりました。赤、白、緑、アイルランドの国旗です。なるほど、こういう手があったか。感心しました。Aさんとパレードのときの人がいて喜んでくれました。それからだんだん人が集まりはじめましたが全員女性で、半分は老人といってもいいでしょう。場違いな所へ来てしまったとの感はありましたが、自分にとっては未知の世界でもあるし、きっと何かしら学ぶことがあるはずだと自分に言い聞かせました。
 このとき驚いたのは、何と言っても、あのにぎやかなケルト音楽に合わせて踊っていたことでした。まさか、あの速い音楽に合わせて踊るとは思いませんでした。私は、ずっと、古い時代の人々の生活感情をつかみたいと思ってきたので、これは何か分かるかも知れないと感じました。これまでは古い絵などを参考にしてそれをつかもうとしてきたのですが、当時の人々がやったように、その音楽に合わせて自分も同じように体を動かせば、絵から得られるものとは違った何かがつかめるに違いありません。
 ただ、ここに一つ問題がありました。私は若いときからずっと単独行動が中心の生き方をしてきました。「集団」あるいは「組織」に所属するということを避けてきたのです。それには理由があるのですが、とにかく、そのことで私は共同して作業をするということが苦手な人間になってしまいました。止むを得ず、属さなければならないときにはひたすら忍耐、そして、解放されるのを心待ちにする始末です。しかし、集団で物事に取り組むとき、個人ではできないような力を発揮することがあるのも事実です。それで自分ももう少しうまく集団に馴染むことができればなぁという考えは以前からありました。今回のアイリッシュ・ダンスを続けている理由の一つがそこにあります。もしかすると、私にとってはこちらのトレーニングの方が意義深いかもしれません。
 「ケルト」をイメージした話はまだ一つしか書いていません。いくつか書きかけたものもあるのですが、人々の生身の生活感情が見えてこないところがあって、結局、全部途中で止まっています。当然、それには理由があるはずです。そこを突き抜けるべく、1,2,3,4,1,2,3,4、…とやっているのです。この前も「ジーグ(古い踊りの一種)」のステップを教えてもらいました。ジーグはバロック音楽の組曲にはたいてい入っています。これまで私は音楽だけを聴いてきたのですが、足の運びを教えてもらって、まさに、「目からウロコ」でした。楽しそうな踊りなのですが、私は楽しそうなものは苦手なのです。気恥ずかしくできません。だけど、考えてみれば、ほんの少し前まで、普通の人々の暮らしは貧しく、日々の労働は辛いものでした。そして、年に数度、祝祭などの「ハレ」の日に、人々はみんなで一緒に喜びを分かち合ったのでしょう。みんなで同じ所作をすることで感情を共有し、それが次第に形になったものがダンスなのだろうと考えています。だから、私もその形をなぞることで当時の人々の喜びをわずかなりとも体感できるのではないかと期待しています。が、しかし、ダンスそのものが目的になることはないでしょう。
2008.8.18

★コメント
 AさんというのはAshleyという名前のカナダ人で、高校でALTとして働いていたのですが、彼女の席は私の隣でした。苗字は一度も呼んだことがないので忘れてしまいました。アシュリーというと「風と共に去りぬ」に出て来る男の人の名前なので、これは男性の名前だと思っていたのですがそうでもないようです。辞書には「男子の名前」と書いてあるのですが…。
 Ashleyに出会ったのはラッキーでした。今、彼女が作ってくれたケルト音楽が入ったCD-Rをかけています。結局、彼女が日本を去るまでの3年くらいケルトダンスを教えてもらっていました。それからはしていなかったのですが、つい最近このステップを日常的に取り入れてみることにしました。ずっと家にいるとどうしても運動不足になります。今は剣道も膝を傷めて半年ほど休止しているし、太極拳だけでは運動量が少ないように思います。それで庭に出てケルトダンスのステップをやってみるとあっという間に息が上がってしまいました。それは足を踏みかえるときに軽いジャンプを伴うからです。ジャンプにはかなりのエネルギーを使うようで、これはいいと思いました。
 3月になるとセントパトリックスデーがあります。St. Patrick’s Day ですが、カタカナで書くときに ’s を「ス」として入れるべきかどうか迷います。初めてこのパレードに行ったときシャムロックの小さなワッペンを渡されました。体のどこかに緑のものを付けなければいけないのだと言います。シャムロックはアイルランド語でクローバーのことだそうです。あるときAshley が四つ葉のクローバーを見つけたことがあると言うので『まさか』と私は思いました。というのはそれは「おはなし」の世界の話であって実際には存在しないと思っていたからです。するとAshleyはあちこち引き出しの捜し始めましたが、結局その時には見つかりませんでした。だけど何度も見つけたことがあるようで驚きました。どうも彼女はクローバーがあると無心に四つ葉のものを探してしまうようです。そしてそれを押し花(葉)にしているらしいのですが…。多分、今も同じでしょう。私は四つ葉のクローバーを見つけたことはありませんが、Ashleyに出会えたことは「幸運」でした。
2024年2月21日


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