<遊去の話>

「遊去の部屋」「遊来遊去の雑記帳」に掲載した記事と過去の出来事についての話です。「遊去のブログ」は現在進行形で記します。

駅伝には御用心!

2020-10-31 10:14:59 | 「遊去の部屋」
   1 演奏依頼には気をつけよう
 あるとき、中学の文化祭でギターを弾くことになった。文化祭の行事の一環として、体育館で1時間くらい弾いて欲しいということだった。依頼者は、直接の担当者ではなかったせいか、実に気軽な調子だった。
 「なあに、禁じられた遊びでもぱらぱらとやってもらえれば上等ですよ。」
1曲で1時間は無理だろうと思いながらも、だいたいそのくらいの感じでいいんだなと受け取ってOKした。
 ひと月ほど経って文化祭の日が迫ってきた。それで、その日の一週間ほど前、私は会場を確認するために学校を訪れた。そのとき初めて担当の先生に会ったのだが、その先生は、「まず、校長先生に」と言いながら私を校長室の方へ案内しようとした。はっとした。「校長」という言葉の響きが、気楽に構えていた私の目を覚まさせた。そして、校長先生のいやに丁重な挨拶を聞きながら、これはとんでもないことになったと気が付いた。
 『まずいな、これは。』
体育館への長い渡り廊下を歩きながら考えた。
 『しかし、もう抜けるわけには行かない。』
気分がだんだん重くなってくる。体育館に入ると奥の方に舞台が見えた。ずっと向こうの方に見える舞台は、気のせいか、ずいぶん高く感じられた。
 『あそこで、やるのか.』
 家に帰ると、早速、このピンチを切り抜けるための方策を考えた。要するに、生徒たちの関心を引き出せればいいのだ。そこで苦肉の策として、クイズ形式でコンサートを組み立てることを思い付いた。そして、答の選択肢を工夫して、その中に全くくだらないものをたくさん入れておいた。
 『これで、関心の半分以上は音楽からクイズの方にそらせることができるだろう。後は、これをうまくつないでいけば1時間くらいは持つだろう。』
前日に、もう一度学校を訪ね、マイク合わせをして、それからクイズの印刷をお願いした。
 『よし、これで大丈夫だ。何とかなる。』

   2 コンサートには余裕をもって
 文化祭当日、私は朝から軽く指慣らしをして体調を整えた。頭の中でコンサート全体のイメージを描き、その気分を保持するように努めた。爪はだいたい仕上げておいて、最後は直前に準備室でもう一度磨くつもりだった。というのは、特に、爪に関しては本番直前まで何が起こるかわからないからだ。どうせ向こうでは何もできないから本番の30分前に着けば十分だろうという算段で家を出た。
 学校は国道の向こう側にあった。国道を越えたら車で3分あれば着く。車が国道に近づくとどうも様子がおかしい。えらく人だかりがしている。信号のところに警備員がいて道を塞いでいる。どうしたのか聞いてみると、今日は駅伝があり、最後のランナーが通り過ぎるまで国道は横断できないという。いつ通れるようになるのか聞いても分からないという。今、どこを走っているのか聞いても、「朝、名古屋を出発したのだから…」と全く要領を得ない。そして、のん気そうに「あと1時間くらいでしょう」という。
 私は青ざめた。どこか通れるところはないのか。車で国道に沿って農道を走り出した。しかし、少し走って気が付いた。国道を遮断されたら、いくら横に走っても絶対に向こう側にはいけないのだ。
 『どうする。どうする。』
そのとき、はっと思い出した。川の向こうに、道が国道の下をくぐっている場所がある。そこを通って道の向こう側に出れば、あとは橋を戻って川を渡ればいいじゃないか。まさに電光の如くひらめいたのだった。ぎりぎりで間に合うかも知れない。私は川に向かって突進した。1分ほどして今度は急ブレーキを踏んだ。川の向こうで道路を横切ったあと、こちらに戻るためには国道を通って橋を渡らなければならない。そのことに気が付いたからだった。
 『絶対絶命。』
こうなったらギターを抱えて荷物を持って国道を歩いて横切るしかない。そうすると学校まで歩いて12分くらいかかるから、今からなら何とか間に合いそうだ。しかし、担当者の人は気が気じゃないだろう。電話を1本入れておこう。辺りを見回したが、どこにも公衆電話は見当たらない。やむを得ず横にあった会社に飛び込み、電話を借りた。事情を話すと、担当者は学校から車で迎えに行くから道路を渡ったところで待っていてくれという。その方が早いかも知れないと思い、その旨OKした。
 私が楽器を持って道路を渡ろうとしたとき、いきなり後ろから声をかけられた。びっくりして振り返ると5年ほど前に色々お世話になったオバちゃんがそこに立っていた。駅伝を見に来ていたのだ。大きな声で、「あんた、元気かん。そりゃええわ。」元気も元気、大元気なのだが、今はそれどころではないのだ。説明するにも時間がかかる。振り切るように道路を渡って向こう側へ行った。すると、そのすぐ後に白バイがやってきて、それに続いてランナーの一群が駆け抜けた。全部が走り抜けるのに2,3分もかからなかっただろう。あっという間の出来事だった。そしてすぐ後に放送があり、もう道路を通行してもいい事を伝えた。何が「1時間かかる」だ。そんな憎まれ口をたたく間もなく、私は決断しなければならなかった。ここで迎えを待つか、自分の車で学校へ行くか。しかし、もし途中で担当者と行き違いになったら自分だけ学校に着いても仕方がない。私は待つことにした。
 なかなか来ない。だんだん焦ってくる。もう向こうに着いても時間はない。私はギターケースを開けると中から爪磨きを取り出した。そして一番細かい紙ヤスリで爪の仕上げをしようとしたまさにそのとき、担当者が到着した。

  3 腹は早めに決めましょう
 学校に着くと、担当者からあと何分で準備ができるか尋ねられた。これだけ大騒ぎをさせて、とても30分とは言えない。やむを得ず、10分と答えた。1分後、校内放送が流れた。
 「10分後に演奏が始まりますので、すぐに体育館に集合してください。」
当然のことながら、準備に10分かかるのであって、それから体育館に行くつもりだった。ぎょっとしてそのまま体育館に急行した。
 体育館では中央部にパイプ椅子が整然と並べられて、そこは全校から集まってきた生徒たちの騒音であふれていた。横には1列椅子が並べられていて、そこは先生用の席、そして生徒たちの後ろにはPTAの席まで用意されていた。
 私は、音だけでも舞台の下で合わせておこうと、先生たちとは反対側の、生徒たちの横を通って舞台に近づいて行った。そのとき、いきなりギーーーーンというマイクの音がして、それに続いて大音響で「静かに!」という校長先生の声が体育館いっぱいに響きわたった。
 「今から芸術鑑賞をはじめます。」
 『ゲッ、ゲイジュツ』 冷や水を浴びせられた思いがした。『禁じられた遊び、ぱらぱらじゃなかったのか。』 その一声で会場はすでにしーんと静まっている。私は、みんなの視線を集めたまま舞台の下まで行ったが、もはやそこで楽器を取り出して調弦するというわけには行かなかった。そのまま進んで舞台に上がって少し挨拶をしようとしたら、それを遮るように校長先生が私の紹介を始めた。
 『ちょうどいい。いまの間に音を合わそう。』 ちょっと失礼だとは思ったが、私はギターケースを開け、楽器を取り出し、それを持って椅子に座った。音叉を膝で軽く叩き、耳に近づけ音を聞いた。
 「では、お願いします。」
校長先生がそう締めくくったとたん、みんなの視線が一斉に私に集まった。これから音を合わせようとしていた矢先である。そういえば、昨日、担当者に、何か紹介する経歴のようなものはありますかとたずねられたのだが、私はそういうものは苦手なので、「伊勢在住のギタリスト」くらいで結構ですと答えたのだった。こんなことならもっと何か言っておけばよかったと思いながらも頭は時間稼ぎをするべく回っている。というのは、音を合わせて、それから少しでも爪を磨きたかったからだ。ほんのわずかのことなのだがギターにとって爪は音の命なのだ。私が最後に爪の調整をしようと考えていたのも、それにはわけがあったのだ。何ヶ所か気になるところがあったのだが、そこはわざと残しておいて直前で整える、それは、完全に整えた後で傷をつけるともう削ることが難しいからなのだ。
 『音を合わせてからちょっと何か話し、爪磨きの話でもしながら実際に磨いて、それからもう一度音を調整して始めよう.』
 私は、話の流れを切らないために、深い考えもなく、さっきの紹介にあった「伊勢在住」という言葉を捕らえて、実は自分は小俣町に住んでいること、県外では「小俣」と言っても分からないので「伊勢」という習慣があって、それで昨日「伊勢」と言ってしまったというようなことを説明した。
 全くの無反応。しーん。
 『そうだよ、こんなことはどうでもいいことじゃないか。』
 ちょうどそのとき手に音叉を持っていたので、これで音を合わせます、こんな音がしますと言って音叉をギターに当てたがマイクには乗らなかった。それでもう一度膝で叩き、鳴らしてから、これなら聞こえるだろうと音叉をマイクに近づけた。が、音は殆んど通らない。すぐに話を切り替えて、ギターには爪がとても大切でこういうもので磨きますと言って持ち上げて見せたが、考えてみれば見えるわけはなかった。しかし、どうしてもここで磨きたい。それでそのまま、こうして爪を磨きます、こういうところは滅多に見られるものではありませんと無理やり話を引っ張って爪を磨き始めた。しかし、会場は水を打ったように、しーん。とても磨けるものではなかった。
 『もはや、これまで』
私は腹を決めて最初の和音を爪弾いた。
かくして、ゲイジュツ鑑賞は始まったのだった。
みなさま、どうか駅伝にはくれぐれも御用心!


★コメント
 道路脇に、「駅伝」の告示の立札があり、それで思い出しました。調べてみるとHP(遊去の部屋)の2つ目に出ています。そんな初めの頃だったのか。私自身、その当時の詳しいことは忘れていて『いい加減なことをしたものだ』という気がしていたのですが、この文を読んで納得がいきました。だけど考えてみれば、人生、こんなことだらけです。それでもここまで生きて来れたことは運が良かったといってもいいでしょう。「事実は小説より奇なり」とはその通りだと思います。

 印刷したものに日付の記載がないのでPCで最終更新日を調べてみると2002年1月6日となっています。しかし日記を調べてもその前年の、駅伝の行われる11月のあたりにこの件についての記述がありません。この頃は忙しかったので日記を書くのも時々になっていたためかもしれませんが、少なくともこれ以前の出来事です。
 実は、この日は半分だけ弾いて終わりになりました。つまり、30分だけ弾いたのです。25分ほどかかる後半の「やまなし」をカットしたのですが、これがメインでした。どうしてそういうことになったのか、気になっていました。30分なら30分用のプログラムを作るはずです。それなのに何故1時間用のプログラムを組んだのか疑問でした。
 久しぶりにこの文を読んで思い出しました。当日、学校に着くともう一組演奏者(声楽とそのピアノ伴奏)がいて、本番直前、校長先生に私の演奏時間を半分にしてほしいと言われたのです。芸術鑑賞全体の予定時間が1時間なので、ということでした。もちろんそんな話は聞いていません。とにかく演奏を始めて30分経ったときが「やまなし」の前でした。
 考えてみると、「やまなし」はギターを弾きながら朗読する作品です。その頃はまだ発表回数も少なかったのでカットになって良かったのかなという気もします。捜してみたらそのときのプログラムが出て来ました。
 1はファリャ作曲の「粉屋の踊り」、2の作曲はもちろんロドリーゴ、3はリョベート編曲のカタロニア民謡、4はグリーンスリーブズによる変奏曲、5は「牛を見張れ」による変奏曲です。

  ~~~~~~~  ちょっと変わったプログラム  ~~~~~~~~

1.この曲はどこの国の曲でしょうか。
   ア. イギリス イ. スペイン ウ. インド エ. 中国 オ. エジプト
  この曲名は、「粉屋の(    )」です。何が入るでしょう。
   ア.仕事  イ.暮らし  ウ.踊り  エ.祭り  オ.けんか
2.次は同じ国の曲ですが、かなり感じが違います。「アランフェスの協奏曲」という中の第2楽章から取り出してアレンジしたもので、おそらく耳にしたことはあると思います。さて、このアランフェスとは何の名前でしょう。
  ア.町の名前  イ.人の名前  ウ.馬の名前  エ.城の名前  オ.湖の名前
3.この曲には「商人の娘」というタイトルがついています。この「娘」さんは何歳くらいでしょう。
  ア.4歳 イ.7歳 ウ.12歳 エ.15歳 オ.19歳 カ.23歳 キ.28歳 ケ.35歳以上
4.調性の違いを比べてみます。これを「色」で表すとすると3番目のはどれがいいと感じますか。ひとりひとり違うと思います。
  ア.白 イ.赤 ウ.橙 エ.黄 オ.黄緑 カ.緑 キ.水色 ク.青 ケ.紫 コ.黒
5.16世紀あたりをルネッサンス期と呼んでいます。日本では戦国時代から安土桃山、江戸時代初期あたりです。この頃にはハーモニーの美しい音楽がたくさん生まれました。ヨーロッパの国をいくつか見てみましょう。どの国の曲が、感じがいいと思いますか。
  ア.イギリス  イ.フランス  ウ.イタリア  エ.スペイン
6.宮沢賢治原作の「やまなし」を朗読します。多分、小学校のとき教科書で習ったのではないかと思います。音楽ファンタジーという感じにしたいと思っています。
  さて、この中に出てくる不思議な言葉「クラムボン」。これはいったい何でしょうか……。
  「幻灯(ゲントウ)」というのはスライドのことです。私が子どものときにもこう言いました。冬の夜に障子(ショウジ)のスクリーンに映し出されたぼんやりした映像に、夢中になって想像力を働かせたことを覚えています。もちろん、白黒ですよ。
  「かわせみ」はスズメより少し大きいくらいの鳥で、思わず息をのむような濃い水色をしています。川でこの鳥を見つけると、もうそれだけでとにかくうれしい。実は、この辺りの川でも時々見かけます。
  「金剛石(コンゴウセキ)」…これはダイヤモンドのことです。ここでは、いまふうに言えば、光を受けてきらきら輝くダイヤモンドダストのようなイメージかも知れません。


追記
 最初に私に声を掛けてくれた人は私が非常勤講師(化学)として通っていた高校の音楽の先生でした。その頃は学校の管理も今のように厳しくはなかったので、私は自分の授業が終わるといつも音楽室でグランドピアノを弾いていたのです。家には電子ピアノ(クラビノーバ)しかなかったので、これは生のピアノを楽しめる貴重な機会でした。そこへ音楽の先生(声楽)がやってきて「何か楽器をやっていますか?」と聞かれたのでクラシックギターをやっていると答えました。数日後、その先生から演奏依頼を受けたのです。実はこの先生の奥さんが今回の中学で音楽の教師をしていて文化祭での演奏者を探していたというわけです。文化祭終了後の夜、最初の先生から電話があり、直前に不安になりもう一組演奏者を頼んだということでした。それでこういうことになったのです。この人たちは、はるばる四日市から車で来たのですが、駅伝で一般道路が使えなくなることは知っていたので自動車道を利用したということでした。何もかもがいい加減なようですが、世の中は案外こういう形で回っていくところがかなりあります。それで何とかなっていくというのが不思議です。私自身はこういうことを楽しんでいるところがあるのですが、それはやはり少数派ではないかと思います。
2020年10月31日


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