<遊去の話>

「遊去の部屋」「遊来遊去の雑記帳」に掲載した記事と過去の出来事についての話です。「遊去のブログ」は現在進行形で記します。

コーヒー、事始め

2022-01-26 09:16:03 | 「青春期」
 年が明けてから納屋で鰹節削りを捜しているとインスタントコーヒーの詰め合わせセットの箱を見つけました。開けてみると瓶が一つ入っています。マックスウェルでした。このラベルを見るのは久しぶりだなと思って裏を見ると「00.10.15」となっています。いわゆる賞味期限でしょう。瓶を振ってみると中はサラサラしていました。蓋を開けてみると封は切ってありません。これなら大丈夫だろうと思いました。というか、大丈夫かどうか確かめてみたいと思いました。何しろ、これを実験として行うには20年かかるわけですから。

 私はこの40年くらい、インスタントコーヒーを買ったことはありません。というのは20代のどこかで豆派に切り替わったからですが、それまでの感覚ではインスタントコーヒーは高級品でした。まあ、何と言っても50年以上も前の話です。その頃は家に客があるとお茶を出すのが普通でした。遠くから親戚などが来た時にはインスタントコーヒーを出すこともありましたが、それは滅多にないことでした。もちろん家でも勝手にインスタントコーヒーを飲むことはできません。親の許可が必要でした。それでコーヒーを飲むときにはみんながお膳の周りに座り、じっくりと味わったものです。そのときに入れる角砂糖が嬉しくて3つくらい入れたこともあります。時々、隠れて戸棚から角砂糖を取り出し、口に入れたこともありました。口の中で塊のじゃらじゃらっと崩れていく感触に小躍りしたものです。

 初めて本物のコーヒーを飲んだのは高校3年になってからのことでした。駅前の喫茶店に友人4,5人と入って回し飲みしたような記憶があります。それまで通学時に喫茶店の前を通ると「得も言われぬ」いい香りがしたのですが、何年間もその匂いを嗅ぐだけで過ごしてきたのです。それは自分の暮らしとは別世界の匂いでした。それが本物のコーヒーというものの匂いだということは知っていたのですが、この日は、まさにそれを飲んでみたいという思いが成就した日。当時はまだ高校生は喫茶店に入ってはいけないと言われていた頃だったので隠れて入ったのですが…。

 高校を卒業して東京に出てからは自分で買い物をするようになったので頻繁にインスタントコーヒーを飲む生活になりました。ネスカフェの大きな瓶を買ってどれだけ飲んだか知れません。半年後、事情があって田舎に帰ることになったのですが、そのときには腸を壊して下痢が続いている始末で、近くの古ぼけた個人の医院に行って薬をもらって飲むとその下痢がぴたりと止まったので驚いたことを覚えています。もしかするとその効き目はその医院の看護婦さん(当時は看護士という言葉は使っていなかった)のせいかもしれません。実は、そのちょうど一年前に蓄膿の手術で入院したことがあるのです。手術の翌朝、回ってきた看護婦さんに「ツウジはありましたか」と聞かれたことがあります。そのときの私は顔が恐ろしく腫れあがって目も少ししか開けられない状態でしたが、声の方に顔を向けた瞬間、ショックでした。こんな可愛い子がいるのかと思いました。が、そのとき私はツウジ(通じ)の意味が分からず「ツウジって何ですか」と聞きました。私が覚えているのはそれだけです。このとき彼女は実習生だったのではないかと思います。ところが今回、医院の玄関をがらがらと(そこは普通の家のようで引き戸でした)開けたとき奥から出てきた看護婦さんがまさにその人だったのです。下痢はこのショックで治ったのかも知れません。そのために残念ながらその医院に再び行くことはありませんでした。

 翌年、再び上京しました。今度は住み込みではなく初めて自分でアパートを借りました。四畳半に半畳ほどの台所が付いています。そこで自炊生活を始めたのですが、前と同様にインスタントコーヒーを飲んでいました。東京に出てからは喫茶店にもよく入るようになり本物のコーヒーの味も知っていたのですが、家で本物のコーヒーを入れるということには考えが及ばなかったようです。冬になってコタツに入っているとき、ふとそのことを思いついたのです。それで商店街に出てコーヒー豆を売っている店に行き、コーヒーを自分で入れるにはどうしたらいいか教えてもらいました。そこで豆と布製(ネル)のドリップを買い、部屋に戻ってコーヒーをいれました。これが私のコーヒー中毒の始まりです。
 店で教えられた通り、ドリップを水で洗い湿らせてから、挽いた豆をスプーンで入れます。円錐状に盛り上がった中心にヤカンから少しずつ熱湯を注ぐと、その瞬間に豆の山が崩れながら泡立ってみるみる盛り上がり、同時にそこから得も言われぬ芳香が立ち昇りました。これだ、これだ、まさにこの香り。四畳半の部屋が徐々に異次元の空間に変異を始め、日常生活空間が文化的な香りに包まれて行きます。すぐに友達を呼びに行きたくなりました。

 それから50年経って、つい最近、インスタントコーヒーを飲む機会がありました。実家での法事のあとで出されたのですが、それは正にあの「高級品」だった頃のインスタントコーヒーの味で、子供の時に飲んだコーヒーの味を思い出しました。確かにこの味だったよな。不思議な感覚でした。
 昭和44年12月31日の夜中(元旦の早朝)、私は宇治山田駅前のレストランで徹夜のアルバイトをしていました。厨房では男女5,6人の高校生が働いていました。店は初詣客でごった返しています。そこにコーヒーが一つ余ってきたのです。コックが「お前ら飲め」と言いました。それで一口ずつ回し飲みしました。インスタントコーヒーでした。うまくはなかったけれど懐かしい思い出です。「昭和」の味の一つに入れてもいいのではないかと思います。

 その後いろいろありましたが、何とか大学を出て田舎に帰ると、近所の人に頼まれて子供たちを教えるようになりました。学生のときにも家庭教師や学習塾で働いていましたが、そのときにはこういう仕事を職業にはしたくないと思っていました。ところが頼まれると断れず、結局引き受けてしまうのが私の性格です。そうすると田舎のことなので「うちの子も」というように次々と増えていきました。その結果、中元や歳暮の季節になるとハムやらインスタントコーヒーやらの詰め合わせをもらうようになったのです。高校生を教えていたときにはそのコーヒーを出したりしていましたが、そんな頃のものが納屋で見つかったということです。

 封を切って、さて、どのくらい入れるのだったかなと思いました。それすら忘れていたのです。とりあえずティースプーン2杯入れました。熱湯を注いでかき混ぜると少し苦い。一杯で良かったかなと思いました。がもう遅いのでミルクを加えます。これならこれもありではないかと思いました。たまにはインスタントコーヒーを飲みながらゆっくり高度成長期の昭和を懐かしむのもいいかも知れません。子供の頃には「明治は遠くなりにけり」という言葉をよく聞きましたが、今や「昭和は遠く」が実感です。
2022年1月26日


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