<遊去の話>

「遊去の部屋」「遊来遊去の雑記帳」に掲載した記事と過去の出来事についての話です。「遊去のブログ」は現在進行形で記します。

怪物くん <その後>

2020-01-31 15:50:21 | 「遊去の部屋」
<2010年11月16日に投稿>
 ここしばらく怪物くんのことは忘れていたのですが、先日、また、やられました。食糧をプラスチックケースに入れるようになってから怪物くんの出番はなくなったかのように見えました。それでこちらも少し油断していたところがあるのです。当分、縁は切れそうにないので怪物くんに名前をつけてやることにしました。「カイブツ」のブツから取って「ブッチー」…これがその名前です。
 畑でとれたナスビを、翌日に食べるつもりで台所に置いておいたところ、翌朝にはかじられて大きな穴があいていました。しかも、太い、一番いいところに、です。えぐり取られるようにごっそりとやられています。紫色の中にぱっくり開いた白い穴は瑞々しく、今、まさにやられたところだと言わんばかりに悲しげです。草食動物が肉食動物に襲われて内臓を食べられた姿と似ています。その無残な姿は、『どうして、ザルに入れてフタをしておいてくれなかったの。』とでも訴えているように見えました。

 ピーマンの時期もそろそろ終わりに近付いて赤く色付くものが出てきました。その日に取った3個のうちの1つは赤くなっていて、残りの2個は緑でした。シシトウもいくつかあったのですが全部緑です。そして、翌朝、赤いピーマンだけが消えていました。赤いピーマンは辛そうな感じがするので強いて食べたいとは思いません。そういう意味ではちょうどよかったとも言えるのですが、ブッチーが赤いピーマンを選んだというのが気になりました。それともこれは偶然だったのでしょうか。
 私は最初、赤いものを選んだのだろうと思いました。それは、「赤」は熟した色だからです。『ブッチーは色がわかるのか?』 大抵の動物は色盲なのでこれは驚きでした。だけど、よく考えてみればブッチーがうろつくのは夜中です。赤い色は電気をつけて初めて見えるのであって、真っ暗な中では(色は)見えません。『さては、匂いできたか?』成熟した香りには何らかのサインがあるのかもしれません。『赤いものの方が食べるにはいいのかなぁ?』初めて私はこんな疑問を持ちました。
 野菜の多くは未熟な段階で収穫して食べるのでピーマンを緑色の段階で食べることに何の疑問も感じなかったのですが、赤く色付くまで待てばそれまでとは違った味が出るかもしれないと思いました。次から次へと実ってくるピーマンを赤くなるまで待つ気はしませんが、季節の終わりに赤くなったものが出てくれば、そのときにはその味を確かめてみることにしました。まあ、パブリカのような使い方というところでしょうか。常識・習慣に捕われずに物事を見るということは、何かのきっかけがないと難しいことだと思います。

 数日後、食器棚の上に置いたプラスチックケースを下ろそうとしたとき、何やらカラカラコロコロという音がしました。上には何も置いてないはずなのに、小石の転がるような響きです。私はプラスチックケースを水平に保ちながら用心深く下ろしました。すると、フタの上にはブッチーの黒い糞がごろごろしていたのです。そして、その真ん中にあったものはあの赤いピーマンのヘタと胎座(種のくっ付いている部分)と、その周りにぱらぱらと落ちている白い種でした。唐辛子などの辛味成分のカプサイシンは胎座に含まれていると聞いています。ブッチーはそれを知っていたのでしょうか。「カプサイシン」は知らなくてもそこが辛いぞということは知っていた可能性もあります。あるいは、単に、まわりから食べて行って最後に中心の胎座をかじったときに辛かったので止めただけかもしれませんが。
 ピーマンの場合は外側を食べました。これは中身が空だから仕方がありませんが、ナスビは内側をえぐるように食べています。そうなると「鼻先はとんがっていて歯が先の方に付いている…」ことが想像できます。やはり、大きなネズミなのでしょうか。ネズミがジャガイモやトマトを食べるかなぁ。ただ、ピーマンもナスビもジャガイモもトマトも、すべてナス科という点では共通しているのですが。

 このところ天井裏を走ることが少なくなりました。ブッチーも成長したということかもしれません。あちこちやたらと走り回るのは子供っぽいですからね。それにしても、ブッチーは普段、何を食べているのでしょうか。食糧を取られなくなってからはそれが気掛かりになりました。今もこの家にいることは間違いないのですが、そうなると食糧は外に調達しに行かなくてはなりません。外に十分な食べ物があればいいのですが、腹を空かせているのではないかと心配です。人間以外の動物はいつもぎりぎりの食べ物で生き延びているのですから。私も畑で取れる野菜を大切に使い切るようになってから一つひとつの野菜と自分が1対1で向き合っている感触を持つようになりました。決して擬人化はしませんが、ピーマンはピーマン、ナスビはナスビ、ブッチーはブッチーであることが、私の日常生活に心地良いリズムを与えてくれているように思います。
2010.11.16

★コメント
 今年になってから午後の明るい時間帯に森で気功をすることが増えました。気功をすることを練功といいますが、約1時間かかります。30年近く続けている私でも、やっていて、これ、ホントに効くのだろうかと思います。そうするとその1時間が惜しくなってきます。これまで何人もの人に教えましたが、やっている人は私の知る限り1人もいません。現代の日本人の気質ではこういう効果のはっきりしないものを続けることはできないのでしょう。何よりも即効性の好きな日本人的気質は、もうそれだけでストレスを生じないではいられないだろうと思います。しかし、私の場合、この30年、歯医者以外の病院には行ったことがないし、薬も飲んだことがありません。
 気功を始めた頃、私の体調はガタガタでした。それから2,3年して不思議だなと思ったことがあります。それは、どんなことが起こってもそこにポジティブな要素を見つけてしまうのです。すると「これはこれで案外良かったのかも知れない」と話は変わってきます。その度に、こういう気質は自分に以前からあったのだろうかと不思議に思いました。
 私が気功を続けられたのは山で動物に出会うのを楽しみにしていたからではないかと思っています。動物に会うには動かないでじっとしている方がいい場合が多いです。動くと動物は逃げてしまいます。じっとしていると向こうから出てくるのです。とは言っても1時間もじっとしていることは大変です。そこで気功をしていると一歩も動かずに1時間を過ごすことができます。イノシシやタヌキなどいろいろな動物に会いました。
 家から5分歩けば「西の谷」です。そこの雑木林で気功をしているのですが、今年になってから妙に取り組んでいる物事が解決して行くことに気付きました。去年の11月頃から北村守氏の現代詩「ラワン」に音楽をどう合わせるかを考えていました。今年になってすぐに、いとも簡単に決まりました。こういうものはガンバッテできるというものではないのです。それで気付いたのは、気功をしてたっぷり眠ると翌朝に解決することが多いということでした。これは≪力み≫のある間はだめだということかもしれません。本当の理由は分かりませんが、これでラクになりました。気功をしてたっぷり眠ればいいのですから。
 雑木林の中にはウサギやネズミなどの丸い糞がたくさん落ちています。ブッチーの種族はどうしていることか。棚田の休耕田はイノシシのヌタ場です。夜はここもさぞかしにぎやかなことでしょう。春になったら握り飯を持ってきて、練功の後にここで食べるのもいいかなと思っています。
2020年1月31日

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