<遊去の話>

「遊去の部屋」「遊来遊去の雑記帳」に掲載した記事と過去の出来事についての話です。「遊去のブログ」は現在進行形で記します。

「生きる力」

2017-10-26 08:14:03 | 「遊来遊去の雑記帳」
とにかく、すごい                          <2002.2.24>
 近くの農協が1区画10坪ほどの貸し農園をやっています。それで3年ほど前からその1区画を借り、野菜を少し作っています。わけあって無肥料でやっています。もちろん無農薬です。3年経ってようやく区画内の動植物の種類と数が増え、複雑になってきました。
 先日、取ってきたしゃくし菜の葉を取った残りの芯を、水を張った器に入れて窓際に置いてみました。1週間後には緑の葉をいっぱいに広げ、それから花芽をつけ、2週間後にはとうとう黄色い菜の花を咲かせました。
 芯の部分に蓄えた養分から葉を伸ばして花まで咲かせる生命力は、いや、というよりは次の種を残すまでは何が何でも死ねないぞという執念かもしれませんが、実にすごいものだと思います。生きる力に関しては、動物は植物の比ではないようです。
 今日は窓を開けてやりました。天気がいいから虫が来てくれるといいのですが……

★コメント
 一時、「ど根性○○」という言葉が流行したことがありましたが、その時から私はその表現が好きではありません。それで今回は「生きる力」としてみました。
 ここの畑では畝を斜めに立てていました。畝は、普通、区画に合わせて縦か横です。怪訝な目で見られていたようですが、面と向かってそのわけを尋ねる人はいませんでした。私は、ただ、畝を東西に立てただけなのです。そうすれば畝に南側と北側ができます。一本の畝に条件の違う2つの面を持たせようと考えたのですが、そうすると長方形の区画に対し、畝が斜めになってしまったということです。条件を複雑にすることで「多様性」を期待したのですが、結果は「分かるような、分からないような」というところでしょうか。
 現在は100坪の畑で「放任栽培」をしています。取り残した野菜はそのまま成長し、やがて子孫を残します。それらが成長したものを見つけて収穫するのです。大根、ニンジン、小豆、ジャガイモ、里芋やゴボウなどはこの方法で十分ですが、うまく行かないものには手を貸します。基本的に、「半野原状態」の畑の中から食べられるものを探すのです。そうすると見つけたときに「あった!」という喜びが強く湧くので収穫した野菜を大切に扱うようになる気がします。
 放任栽培の割合が増えていくに従って、自分は「野原」が好きなんだなということに気付きました。「何もしない」というのがいいなと感じています。
2017.1026


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