<遊去の話>

「遊去の部屋」「遊来遊去の雑記帳」に掲載した記事と過去の出来事についての話です。「遊去のブログ」は現在進行形で記します。

キャベツはいったいどこがうまいの?

2024-05-22 14:05:11 | 「遊来遊去の雑記帳」
キャベツはいったいどこがうまいの?
<2005年4月24日に投稿>
 冬の間に成長したキャベツが、ちょうど今、食べごろになっています。しっかりと結球して中央には立派な球ができているのですが、そのまわりの葉は鳥に食べられて半分くらいしか残っていません。キャベツは双葉から次第に葉の数を増やし、それらは日光をたくさん受け止められるように大きく葉を広げていくのですが、これらの葉はいかにも丈夫そうな濃い緑色をして、とてもおいしそうには見えません。それらの葉は次第に込み合ってきて、バラの花びらのように中央部を取り囲んできます。それからあとは中央部に内側からどんどん葉がたまり、それが結局キャベツの球になるわけで、人が食べるのはその中央の球だけです。
 畑のキャベツをいつ収穫しようかとみているとおもしろいことに気が付きました。球の部分は全く食べられていないのに外側の硬くてまずそうな葉はどんどん鳥に食べられていくのです。どうせ食べるのなら球の部分の方がおいしいだろうと思うのですが、そちらには見向きもしません。そこで私もそれがちょっと気になりだしました。
 大きく広がった外側の葉では盛んに光合成が行われています。そしてそこで作られた栄養分を蓄える形で内側にキャベツの球を作るのですから、そこを食べれば栄養分をごっそり頂けることになると思っていたのですが、もしかするとそうではないかも知れないという気がしてきました。
 その考察は別にして、外葉をちょっと食べてみましたが、食べられないということはないようです。太い葉脈の部分も少し湯がけば問題はありませんでした。でも、やはり長年の習慣からか、外側の葉を食べるのには抵抗があります。そういうことで、この場合、外側は鳥、内側は私ということで分け合うのがいいだろうという結論に達しました。
 「勝手なことを!」とキャベツには言われそうですが、私の場合、いつもキャベツの内側の球だけを取って、あとはそのまま残しておくのです。そうすると、キャベツはその切り株のところからいくつも新しい芽を伸ばし、時期が来るとそれらの先に一斉に花を咲かせます。そして種を結ぶところまでは引き抜いたりしませんから、そのあたりで妥協してもらうことにしています。
 キャベツは、今、その花芽を伸ばし始めています。ところが、その花芽が小さなブロッコリーのように見えてきて食べられそうなのでちょっと困っています。試しにちょっと湯がいてみたら十分食材になりそうです。それもそのはず、キャベツは菜の花の仲間です。でもキャベツにも命をまっとうさせてやりたいので全部取るようなことはしませんが、いろんな食べ方ができそうです。
2005年4月24日
 
★コメント
 このときはキャベツの苗を買っていました。ノートには前年の9月11日に4本定植と書いてあります。このとき借りていた畑の区画は10坪くらいだったのでたくさん植えるわけには行かなかったのです。これらは冬に外葉を残して球を切り取っていました。そのあと放置しておくと切り株から芽を出して小さなキャベツの球ができます。そして春になるとそれが割れて花芽を出し、薄黄色(クリーム色)の花を咲かせます。その後には種ができるのですが、その種が落ちてそれからキャベツが生えてきたのは見ていません。自生はできないのかなと思います。調べてみればいいだけのことなのですが…。
 今の畑は100坪あるので種から苗を作っています。去年は11月に定植したので春になってからぐんぐん育っています。子供の頃にはキャベツを食べる習慣はありませんでした。それでキャベツに馴染みはなかったのですが数年前にザワークラウトを知り、作るようになりました。これは保存できるのでキャベツもたくさん作っています。ただ、今の季節はアオムシがたくさんいて大変です。ナメクジもいます。植えるのが遅かったので結球するのは梅雨に入ってからです。それで葉を一枚一枚丁寧に洗うのですが、あまりいい気はしません。まあ、自然はこんなものです。これも球を取った後の株は残しておきます。

 この数年、野菜を単品で食べることが増えました。それは「味」とは何かが分からなくなって来たからでした。そのときの調理法に「蒸し炒め(正式名称は知りません)」を使っています。方法は簡単でフライパンに油を引いて刻んだ野菜を入れ、フタをし、火が通ったらフタを取り、かき混ぜて終わりです。かき混ぜる前にナンプラーを数滴入れることが多いのですが、塩だけの場合も、何も入れないこともあります。味をみることが狙いなので余計なことはしないのです。キャベツもこの方法で食べると実にうまいです。調理法の中ではシンプルの極みでしょう。古代人の道具でもできるし、しかも味がよく分かります。今朝は昨日畑で取った玉ねぎを食べました。こういう味だったのか、うまいと思いました。
2024年5月22日

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