<遊去の話>

「遊去の部屋」「遊来遊去の雑記帳」に掲載した記事と過去の出来事についての話です。「遊去のブログ」は現在進行形で記します。

コロちゃん<どんぶり返し>

2023-05-20 14:31:20 | 「遊去の部屋」
<2010年1月17日に投稿>
 この話は、コロがまだ生きているときに、書きかけのままで放ってあったものですが、今見るとこういうこともあったなあと懐かしい気がします。印象は長く保持されますが、具体的な事柄は日を追うにつれ、次第に忘れてしまいます。そういう点では書き留めておくことは有益です。
 私は21歳のときに、それまでの日記や手紙類をすべて焼いてしまいました。多少迷いがなかったわけではありませんが、どちらかというとそういうまねがしてみたかったということなのでしょう。音と言葉を組み合わせた話を書き出して10年ほどの年月が経ち、今、ようやく気付いたことは、自分の体験を通したものでなければ自分の心にぴたりと来るものは書けないということです。といってもまだ数ヶ月前のことですが。
 自分の体験が如何に大切かということに気付いた今になって、馬鹿なことをしたなと悔やむのはあの面白半分の「焼き捨て」事件です。書いたものがあれば思い出せるものの量は比較になりませんから。コロのことも今のうちに書き留めておこうと続きを書くことにしました。
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 いつからか、コロは奇妙な行動をとるようになりました。御飯をやると、それをどんぶりごとひっくり返すのです。4,5年前からではないかと思いますが、それ以前にはそういうことはありませんでした。
 コロの食事は朝夕の2回です。基本的には、麦飯に、野菜と肉のスープを掛け、そこに牛乳を加えたもので「牛乳御飯」と呼んでいます。麦飯といっても白米(7分搗き)に大麦を2割混ぜたもので、味はそんなに悪くありません。炊き方によっても味は変わりますが、炊いたときには、私も、つい、食べてしまうくらいです。スープは毎回、中華鍋で作ります。肉は主に豚肉が中心で、小間切れかバラ肉を使いますが、鶏肉や魚になるときもあります。野菜は畑で取れたものを刻んで使っています。それから塩分に少しの味噌か醤油を加え、最後に牛乳でカルシウム等を補うので、「牛乳御飯」はスープの中に御飯が入っている形になっていて、水分は雑炊よりはるかに多いです。それをひっくり返すとどうなるか。
 ひっくり返すといってもいつもいつもひっくり返すわけではありません。ひっくり返すのは腹の空いていないときだけです。どうしてそんなときがあるのかわかりませんが、確かにそういうことはあるようです。私にしてみれば、きっと腹を空かせているだろうと思って御飯の準備をしているので、それを喜んでがつがつ食べてこそ、それにかかる手間も報われるというものですが。
 コロの態度ははっきりしています。食べたくないときには見向きもしません。それならそれでいいのです。後で腹が空いたとき食べればいいだけのことですから。それで、どんぶりをそこに置いたままにしておくと、すぐに屋根からスズメが舞い降りてきてどんぶりの縁に止まり、御飯をつつき始めます。コロはスズメが来ても基本的には知らん顔です。スズメにしてみれば莫大な量のエサですから興奮気味にちゅんちゅん鳴いて大騒ぎ。つついた御飯粒があちこち飛ぶのでそれを追いかけて2羽でアクロバット飛行です。
 それが、あるときからそのどんぶりに異変が生じるようになりました。どんぶりの中に石が入っていたり土が被っていたりするのです。そんなことをするのはコロしかいません。
 犬には食べ物を土に埋めて隠す習性があります。前足で穴を掘って、食べ物をそこに入れると、周りの土を鼻で押しやって食べ物の上に被せるのです。鼻先が痛くないのかなぁと思いますが、何ともないようです。鼻の上に乾いた土が付いたままなので何かを隠したことはすぐに分かります。見ると、たいていは端っこが出ていたりするので形式化しているところもあるようです。

 あるときどんぶりの中に握り拳くらいの石が入っていることがありました。それを見ながら私は考え込んでしまいました。とても咥えられる大きさではありません。手で入れることは考えられないし、コロに出来るのは鼻の頭で押すだけです。そうなると石を押してもどんぶりの縁にぶつかるだけで縁を乗り越えることはできないでしょう。すこし離れたところから、シュートをするように鼻先で石を空中に飛ばしてどんぶりの真ん中にすとんと落とすというような芸当ができれば別ですが、まさか。確かめようとしましたが、コロがいつそれをするかが分かりません。ずっと見ているわけにはいかないので私も忘れてしまいます。それで長い間その現場を押さえることができませんでした。
 あるとき、外でがたがた音がしました。はっと思い出して音のしないように少しだけそっと戸を開け覗きました。まさに、コロがどんぶりに向かって土を被せている真っ最中でした。
 最初、土は周りからどんぶりの下の方に押し込まれます。さらに押し込む土はその上に積み上げられるのでどんぶりに向かって緩やかなスロープができ上がり、さらに押し込むと、スロープの中に埋まっていた石が掘り出され、それがスロープの上を押し上げられて行くのです。そして、どんぶりの縁にぶつかるとスロープのため石の半分は縁の上に出るので、どんぶりの縁が支点になって「よっこいしょ」というように石はごろりとどんぶりの中に落ちました。
 人類の遺産であるエジプトのピラミッド。あの大きな石をどのようにして積み上げたかについては諸説ありますが、その一つ、ピラミッドに向かって長いスロープを作り、その上を引きずったのだという説を聞いたときには感動しました。そのわけは、問題に直面し、それを解決するための方策を考えるとき、えてして、問題の周辺でうろうろすることが多いのです。そこから遠く離れたアプローチを考えるには物事に捕われない精神の自由さが必要です。ピラミッドの石積みの話を聞いて感動したのはそのようなものを感じたからでした。
 コロは考えてやっているわけではありません。ただひたすら生まれつきの習性を実行しただけです。その結果が人類の築き上げた文明の工法に類似するというのは驚きでした。しかし、考えてみれば、人類もピラミッド建設の前には長い歴史があるわけで、初期の人類も無我夢中で生活するうちに役に立つ方法を見つけて、それを発展させてきたのでしょう。コロもその後は、間違いなくどんぶりに石を入れる技術をマスターしたのですから。

 コロの場合、「押し込み」は回を重ねるごとにエスカレートして行きました。だんだん離れた所から土を集めるようになり、どんぶりは周りを埋められて、さながら富士山の噴火口のようになっていきました。当然のことながら噴火口の中にも多量の土が入ります。食べ物の中にそんなに土や石が入っていては食べにくいだろうと思いましたが、元々、穴を掘って埋めるくらいだからそんな土くらい何ともないのかもしれません。私は、コロが作業終了の目安をどのように考えているかを知りたいと思いましたがそれは想像するしかありません。
 「押し込み」はますますエスカレートして行きました。押し込みすぎてどんぶりが傾き始めたのです。そうなると大変、スープがこぼれてしまいます。あーあーあーっ。せっかくのスープがこぼれて回りの土に吸い込まれて行きました。かなしい思いをしたのは私だけで、コロの押し込みはこれでも止まらずさらにエスカレートしていったのです。
 コロはついに小さなブルドーザーと化しました。そして、押し込まれたどんぶりの縁はだんだん高く持ち上がり、中身は外に流れ出し、そして、横向きになると、とうとうこぼれ出た中身の上に覆い被さるようにどんぶりは裏返しになりました。そこでようやくコロは満足したようです。腹が空くとそのどんぶりを押しのけて中身を食べるのですから私がとやかく言うことはないのですが、私としては、心はスープの方にあるのです。それを全部ひっくり返して一仕事やり終えたような顔をしているコロをみると憎たらしいと思わないではいられませんでした。
 そこで、私が打った手はどんぶりの周りに大量の枯葉を置いておくことでした。案の定、コロは土の代わりに枯葉を押し込み出しました。あっという間にどんぶりは枯葉で埋まってしまいます。これならいい。しばらくはこうしていたのですが、これだと枯葉がスープの上にべちゃべちゃくっついてしまいます。私はこれが気になりました。もちろん、コロは気にしていません。そこで、次は枯葉の代わりに枯草を置きました。これなら長いのでどんぶりの中に乗るだけでしょう。これで大丈夫と思ったのですが、事態はこれで終りませんでした。コロはどんぶりを枯草で覆い隠した後、今度は、念には念をというように鼻先で枯草の上からぐいぐい押し込み出しました。結局、枯草はスープの中に浸かってしまうことになりましたが、この辺りが妥協線かなと考え、私もここで干渉するのを止めました。コロは腹が空くとどんぶりの上の枯草を左右に押しのけ、鼻先を突っ込んで御飯を食べます。枯草の山の真ん中にちょうど口のサイズの穴のある風景ができました。
 毎月やってくるガスや電気の検針員はこれを見て何と思ったことでしょう。私も「形の生まれるプロセス」というものを体験することができました。これからは何かの「形」を見たとき、そこに至る過程にはドラマのあることを想像することができるでしょう。これはきっと世界を、より深く魅力的に見せてくれるに違いありません。そうしているうちに人生が幕切れになることは間違いありませんが、そういう終り方も悪くはないなと思います。
2010.1.17


★コメント
 今もコロの夢はよく見ます。基本的に、前の家の夢を見るときにそこにコロがいるのです。引っ越しのとき、荷物がなかなか運び切れず、焦って、焦って、それで今も残りの荷物を運ぼうとしている夢を見ます。その時点でコロは既に死んでいたのですが、夢の中では生きているのです。
 つい先日も夢を見ました。私が車で前の家に戻るとコロは嬉しそうに飛び出してきました。しばらくして私が車のドアを開けると、コロは寂しそうに自分の小屋の方へ歩いて行ったのです。私がまた出かけると思ったようでした。私はコロを今の家に連れてくるために前の家に迎えに行ったのですが、コロはこうしてずっと留守番をしていたのかなと思うと心が痛みました。
 この記事はコロが死んでから半年後に書いています。ようやく書く気になれたというところでしょう。実は、コロにはもう一つ話があります。死んだ直後に書いたものですが、コロの話を再掲し始めたとき、これだけは載せるのを止めようと思いました。読むのも避けてきました。今、読んでみて、やはりこれを載せてコロの話を締めくくるかなと思い始めています。自分もいつまでこういうことを続けられるか分からないし、そろそろ物事を一つずつ片付けていくことを考えるのがいいだろうと感じています。
2023年5月20日


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