<遊去の話>

「遊去の部屋」「遊来遊去の雑記帳」に掲載した記事と過去の出来事についての話です。「遊去のブログ」は現在進行形で記します。

忍びの者<抜け道>

2018-03-30 08:22:44 | 「遊去の部屋」
<2004年11月29日に投稿した話と思われます。>

 これは、もう十年以上も前の話です。台所の前に出窓があるのですが、そこに置いた食べ物がちょくちょくかじられたり、なくなったりすることがありました。その様子からすぐに犯人は分かったのですが,ただ、どこから来るのか、どこへ持っていくのかがさっぱり分かりませんでした。犯行の痕跡というのは、よく見ればけっこう見つかることが多いものですが、今回は出窓から降りた様子がありません。小麦粉などは袋をかじられるので、そういうものは出窓の上に置かないようにしていましたが、余った小麦粉などはボールに入れて出窓の上に置いたままにしてしまうことがありました。そういうときには使う前に慎重に観察をする必要があります。
 まずは小麦粉の表面。よく見て、鳥の足跡のような細い線がないことを確かめます。大丈夫と思っても、念のためにボールの周りも見た方がいいでしょう。うっすらと白いものがあるときには中に入っていることになります。滞在時間が長く、ボールの中で食事を済ましたときには、ご丁寧に黒いごま粒のような御土産まで残していくこともありました。どういうものか、食事をしたらすぐに出すというのが連中のスタイルなのかも知れません。
 『家の中にネズミの巣があるときには、毎日、巣の前に食べ物を少し置いておく』という話を聞いたことがありました。そうすると、やたらとあちこちかじられないで済むということなのです。昔の人の動物との距離の取り方が分かる気がします。いい話だと思ったので、私もまねをして、小さなパン屑を出窓の上に置きました。
 これで野ネズミのことは気にせずに仕事に集中できるはずだったのですが、かえって、どうも気持ちが落ち着かなくなってしまいました。もう来たかなという気がしてちょっと覗いてみたくなるのです。もちろんそんなすぐに来るわけがありません。第一、相手は出窓の上にパン屑があることを知らないのです。さっきまでは野ネズミの出没に困っていたはずなのに、パン屑を置いたとたんに早く出て来ないかとは、実に勝手なものだと思います。
 しばらくして、台所へ行ったときには、もうすっかりこのことは忘れていました。引き戸をガラリと開けた瞬間、ひょいとパン屑が目に止まり、『はっ』としましたが、後の祭り。位置が動いています。確かにここに来ていたのでした。少なくとも、これで野ネズミにもここにパンのあることは分かったわけだし、そうなれば、またきっと出て来ることでしょう。それで今度は、台所の戸はきちんと閉めずに少し隙間を開けておきました。
 またしばらくしてから台所に行きました。静かに歩いて行こうとしたのですが、廊下を歩くと板の軋む音がします。部屋の畳も古いので少しへこみます。するとそれに合わせて部屋の隅の本棚がぐらぐらと揺れ、戻るとき壁にぶつかってガタガタと音を立てました。普段、気の付かないところにもこんなに音があったのです。
 今度はラジオを小さく付けたままにしてみました。ラジオの音で歩くときの音を打ち消そうというわけです。が、結局、これはダメでした。なかなかよくできた作戦だと思ったのですが、ラジオの音自体がまずかったのかも知れません。しかし、すぐにこんな作戦は無用になりました。
 パン屑はすぐになくなるようになったのです。野ネズミが出窓の上で物陰に隠れていることもありました。そのくらいならまだ可愛いいのですが、次第に大胆になり、正面から私の方をじっと見つめるときもありました。顔の下に前足を揃え、お辞儀をするようにして、ゴマ粒くらいの小さな黒い瞳をこちらに向けたまま動きません。小さな生き物の目はどうしてこうも愛くるしいのでしょうか。仕方がないので、出窓の上から降りて来ない限りは放っておくことにしました。
 パン屑のなくなり方は次第に速くなって行きました。それでだんだんめんどうになり、大きなパン屑を一つどかっと置きました。大きいものならしばらくは持つだろうと思ったからです。時間稼ぎのつもりだったのですが、そうしたら今度はパン屑が移動を始めたのです。そこで食べればいいものをどうも自分の巣へ持って行こうということらしいのです。私は『しめた。』と思いました。これで何処からやって来るのか分かります。
 野ネズミも、一応、礼儀は心得ているようで、私が見ている前では決して引きません。やはりバツが悪いということもあるのでしょうか。そういうわけで、パン屑は、私が台所に行くたびに少しずつ移動していきました。野ネズミとポコペンをしているみたいです。
 「ポコペン」というのは昔よくやった遊びで、それはオニが十数える間だけ動くことができ、オニが振り返ったときには動きをピタッと止めていなければならないのです。それで子供たちは、パタパタッと動いてピタッと止まり、また、パタパタッと動いてはピタッと止まるということを繰り返すことになります。これは、知らないものにとっては怪しげな動作です。犬や猫やカラスなどの動物の目には、子供というのは実に奇怪な生き物だと映ったことでしょう。結局、最後は、『動いた-動いてない、動いた-動いてない』の言い争いになることが多いのですが、そんなことまで思い出してしまいました。
 パン屑の行き着いた先は水道の管のところでした。水道管は外から出窓を突き抜けて台所の流しのところに入っているのです。出窓には、下から水道管を通せるように管のサイズだけ丸く刳り抜いた穴があります。管はそこを通っているのですが、その管の周りには5ミリくらいの隙間があるのです。しかし、まさか、そんな狭い隙間を通って野ネズミが出入りしているとは思えませんでした。体を平べったくでもしない限り通れるはずがありません。忍法ヒラメ抜けとでもいうところでしょうか、とにかく何とか野ネズミの体は抜けられるようなのですが、パン屑にまで術はかけられません。ちょうど沈没しかけた船のように、一方の先がちょっと隙間に入っただけで他方は持ち上がったままになっています。そして、その上の部分がこそこそと動いているのです。野ネズミが下で引っ張っているのでしょう。何とかうまく通そうとしているのでしょうが、全く話になりません。
 私は、この形も悪くないと思ったのでそのまま放っておくことにしました。というのは、パン屑を下からかじるのだから野ネズミは出窓の外にいるわけです。また、そこにパン屑がある間は、野ネズミは中に入れません。野ネズミにとってもパンを食べられるのですから決して悪い条件ではないはずです。そして、パン屑がなくなれば、また、そこに新しいのを置いてやれば済むのです。野ネズミは腹を空かせることもなく私は台所を歩き回られることもない。政治的な決着としては理想的な形でしょう。これでよし。
 ところが数日後、私は政治というものの難しさを実感することになりました。パン屑が全体に少し沈んでいるのです。そんな馬鹿なはずはないと思ってパン屑のまわりをよく調べてみたところ、何ということでしょう、穴が大きくなっているのです。野ネズミは、管のまわりの木をかじり、穴を大きくしてパン屑を通そうという手段に出たのです。何が何でもパン屑を自分の巣に持って帰りたいということでしょうか。
 パンを巣に持ち帰りたいのなら少しずつちぎって運べばいいはずです。何往復もするのは大変かも知れませんが、小さい分だけ軽いから運ぶのは楽なはずだし、何と言っても、元々自分のパンではないのだから、そのくらいの辛抱はしてもいいでしょう。私も、大きなパン屑が通るまで隙間を広げられてはたまらないので、これで交渉は決裂となりました。パン屑を取り去って、その隙間に、水道管を巻くように、紙をびっしり詰め込みました。
 取り去ったパン屑を手に持って、玄関から外に出ると、コロが飛び上がって喜びました。パンをもらえると思ったのです。しかし、これは野ネズミのパンですからコロにやるわけには行きません。外から回って出窓の下にそのパン屑を置きながら、もしかすると、野ネズミは大きなパン屑を巣に持ち帰り、子供たちに「すごいすごい」と言われたかったのかも知れないなと思いました。
 私はもう一度台所に戻るとパンを一枚手に持って、火のついたようになっているコロのところに行きました。たった一枚のパン切れでこんなにうれしそうな顔をするコロを見ると、ちょっとこすいことをしているような気になりますが、とにかく安上がりなので助かります。


★コメント
 この話はすっかり忘れていました。文を読み出すとすぐに思い出しはしたものの、詳細までは覚えていませんでした。10年+14年で、25年ほど前の話になりますが、記録はまさにタイムマシーンですね。私が40歳くらいのときの出来事で、計算するとコロはまだ1歳くらいです。

2018年3月30日

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