<遊去の話>

「遊去の部屋」「遊来遊去の雑記帳」に掲載した記事と過去の出来事についての話です。「遊去のブログ」は現在進行形で記します。

アゲハ蝶とミカンの木

2023-12-20 17:42:49 | 「遊去の部屋」
<2003年11月22日に投稿>
 南側のトタン塀の外側に小さなミカンの木があります。刺があるのでミカンじゃないかもしれませんが、子供のころ、よく似た木が庭に生えているのを見たことがあるので、まだ一度も実をつけたことはありませんが、多分その仲間でしょう。ちょうどトタン塀のやや内側の日の当たらないところに自然に生えてきたのですが、それでも成長して塀の高さくらいまでになりました。そうなると今度は家と塀との間に立ちはだかり通りにくくなってしまいました。しかも刺があるので服や洗濯物が引っかかって破れたりすることまで起こってきました。それで思い切って木を曲げて塀の下をくぐらせ、向こう側に出してやることにしたのです。
 折れるかも知れませんが、そのときには諦めてもらうしかないでしょう。思い切ってぐっと曲げてみましたが、木はぐにゃりと曲がっただけで折れる様子はありません。それで、そのまま塀の下をくぐらせ、無事、南側の日当たりのいいところに出してやることができました。前には畑も広がっているし環境は抜群です。これでミカンの木は体全体で太陽の光を浴びてのびのび成長できるはずです。だから、一度くらいぐにゃりと曲げられたからといって文句を言うこともないと思うのですが、それでもミカンの木は曲げられたときに腹を立てたのか、私は刺で手を傷つけてしまいました。木も若いときは随分柔らかいものだなあと感心しました。
 その後、ミカンの木は南側でどんどん葉を茂らせていきました。塀のこちら側にあったときは葉の色も黒ずんで、どことなく意地悪な面持ちをしていましたが、塀の向こう側に行ってからは葉の緑色はどんどん明るくなり、性格もぐんぐんおおらかになっていくように見えました。これで実をつけてくれさえすれば何も言うことはないと私も内心ちょっと期待したくらいです。
しばらくたって、ある日、ふと、気になり塀の向こうを覗いてみました。普段は塀越しに木の先がちょっと見えるだけです。それで気付かなかったのですが、私はその光景に唖然としてしまいました。アゲハ蝶の幼虫が群がっているのです。葉の半分くらいはすでに食べられてしまいました。こげ茶色の小さいものから緑色の大きなものまでたくさんいます。これではまるでアゲハ蝶の保育園のようです。それにしてもこんなにたくさんいては共倒れになるだろうと思いました。
 数日後、またも私は唖然としてしまいました。今度は葉が一枚もなくなっていたのです。あとには鋭い刺だけが残っていて、まるで針の木のようになってしまいました。しかもあんなにたくさんいた幼虫が1匹も見当たりません。いったいどこに行ってしまったのでしょう。幼虫も行く当てがあったのなら、ここまで食い尽くさずとも、その前に引っ越せばいいのです。それが礼節というものではありませんか。しかし、これも自然の掟なら仕方がないようなものですが、憮然とした様子のミカンの木を見ていると、体中の刺を振り立てて強がっているようにさえ思われ、わざわざ塀の下をくぐらせて本当に済まないことをしてしまったなという気がしました。
 ミカンの木は、それでも健気にまた若い葉を伸ばしはじめました。少しずつ本来の木らしい姿に戻っていくのを見て、南側に出したのはやはり悪いことではなかったのだと私もちょっと安堵したのですが、それも束の間、数日後にはまた幼虫の保育園になっていたのです。蝶が卵を産んで、それが孵って成長するにはあまりにも速すぎると思います。どこかからやって来たのでしょうか。すぐにミカンの木はまたも裸になってしまいました。
 ため息を吐きながら塀の上を見ると、何と、そこにいたのです。アゲハ蝶の幼虫が塀の上を悠々と去っていくではありませんか。憎たらしいことに太って丸々しています。ここはひとつ、ミカンの木の仇を討ってやらないわけにはいかないという気持ちが湧き起こりましたが、これもやはり自然の掟ならば手を出すことは控えなければなりません。それかといって黙って見送るのもミカンの木への義理が立たないので、仕方なく、私は指先で幼虫の頭を軽く押さえてやりました。すると、泡を食った幼虫はいきなり頭からオレンジ色の角を2本突き出しました。そこからぷーんとミカンの香りが立ち上り、その瞬間、一気に40年以上もタイムスリップしてしまったのです。
 裏庭のミカンの木の前で、幼児の私が、夢中になってアゲハ蝶の幼虫の頭を、モグラタタキのように突付いているのです。そのたびに幼虫は2本の鮮やかなオレンジ色の角を突き出すので、大きなミカンの木はあちこちでオレンジ色の花を咲かせたように見えました。あたりには甘酸っぱいミカンの香りが立ち込めて、まるで楽園にでもいるような気分になりました。
そんな記憶の断片が自分の頭に残っていたことは驚きでした。それからここまで、はるばるやって来たものだと思いました。
2003.11.22


★コメント
 今の家に引っ越してから庭に実のなる木を植えました。温州みかんもその一つです。10年経って木は大きくなりました。毎年実がなるのでありがたいです。植えた場所が塀に近かったので北側に曲げるようにして伸ばしていますが、まあ仕方ありません。きちんと考えたつもりでしたが、私のやることは殆どそんなことばかりです。
 この木にも夏になるとアゲハ蝶がやってきます。幼虫の食べる葉の量は凄く、みるみる木が丸裸になります。これも自然だと達観できればいいのですが…、そうも行かず、ハムレット式の煩悶が始まります。辛いです。それで、前に、大きな幼虫を一匹取り、少し離れた所にある伊予柑の木に移してみたことがあります。伊予柑の方は葉がたくさんあったからです。これなら少々食べられても大丈夫だろうと思いました。数時間後見に行ってみると幼虫は木の根元の幹にくっついたままじっとしています。私は葉の上に置いたのですが自分で移動したようです。しばらくしてまた見に行くとやはり同じところにじっとしていました。伊予柑の葉と温州みかんの葉には違いがあるのだろうか。この幼虫は伊予柑の葉では生きていけないのではないか。ああ、またハムレットです。
 仕方がないと思い幼虫を元の温州みかんの木に戻してやりました。今年は実はならないかなと思いましたが、それも自然なら仕方がありません。そのあとどうなったか忘れてしまいましたが毎年ミカンは食べています。多分、これでいいのでしょう。無為自然、無為自然。
2023年12月20日


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