<遊去の話>

「遊去の部屋」「遊来遊去の雑記帳」に掲載した記事と過去の出来事についての話です。「遊去のブログ」は現在進行形で記します。

丸虫

2020-07-31 11:17:26 | 「雑録」
 ある夏の日の朝,私は台所で食器を洗っていた.洗った茶碗を置こうとすぐ横の水切りカゴを見ると,丸虫が一匹その中にいた.本当の名前は知らないが,普通,ダンゴ虫と呼んでいるもので,節だらけの体に足がいっぱい付いている.黒紫色をしたその殻は鎧のように見えるのだが,箸か何かで突っつくと,一瞬のうちに丸まって,ちょうど正露丸くらいの大きさになる.それから後はもう何をされても動かない.その丸虫が,四角いプラスチック製の水切りカゴの中にいた.私は洗った茶碗をカゴの中に置き,次の皿を洗いながら,さてどうしようかと考えていた.丸虫は,格子状のカゴの目を上の方に登っていたが,動きが少し変わっていた.ちょっと動いては止まり,またちょっと動いては止まっている.よく見ると一段上がっては止まって頭をちょこちょこと動かし,それからまた一段上がるというふうである.どうも一段ごとにカゴの目をのぞき込んでいるようなのだ.《ははぁーん》 私は皿を洗いながら考えていた.《向こう側に行こうというんだな》 カゴは上の方が少し大きくなっている.だから目の幅も上に行くほど広くなる.私は感心した.丸虫はそれを知っているのだ.それで一段上がっては体が通るかどうか確かめているというわけか.人間なら,一段上がるとどのくらい幅が広くなるかを考えて,後は計算で何段上がればいいかを出すところだが,丸虫ではそうは行かない.それでこうして上がる度に確かめているのだろう.
 もう頭がカゴの目に入り始めている.つっかえたので頭を引き戻すとまた上へ.一段ごとに頭が深く入っていく.ようやく肩のあたりまで入り始めた.丸虫の体は細長い楕円形をしているので胴のあたりが一番太い.さあ,もう少し.いつか私は丸虫を応援していた.惜しかったが通れない.丸虫は一段上がって再びカゴの目に頭を突っ込む.ああ,残念.もう少しのところでつっかえた.この次あたりかなと思って見ていると丸虫の様子がどうもおかしい.頭をカゴの目に突っ込んだままなかなか戻って来ないのだ.見ると体が水平になっている.体の横がカゴの目に引っかかって,宙吊りになってしまったのだ.そのままブラシのようなたくさんの足を波打つように動かすのだが足が何処にもかすらない.《丸虫,ピンチ!》 そんな言葉が頭に浮かんだが,丸虫にとってはそれどころではない.足を掛けることができなければ,いつまでもこの状態が続くことになる.手を貸してやりたいが自然の成り行きに安易に手を加えることは慎まなければならない.困ったなぁと見ていると,突然,ガクッと動いてバランスが崩れた.もがいていたが足が引っ掛かったのか,それから後はもぞもぞ体を動かして後ろ向きに這い出てきた.こうして丸虫は自分で危機を切り抜けた.
 丸虫は元の体勢に戻ると何事もなかったかのようにカゴを登り始める.そして一段登ると,さっと次の目に潜り込んだ.こういうのを楽天家とでもいうのだろう.丸虫は失敗から学ぶということはないようだ.従って不安とか反省とかもないのだろう.行動様式は極めてストレートで迷いというものが見られない.人間なら,いや,そうでもないか,中にはこういう人もいるにはいるが,大抵の人は多少なりとも考える.そして同じ過ちを繰り返さないようにするものだ.犬でも猫でもそうだし,蛇でも亀でも,魚でさえも考える.そして身の回りの危険に対して警戒を怠らない.ところが丸虫の場合は違っている.丸虫はいつでも平気である.危険にぶつかるまでは平気である.そして一度危険にぶつかるとパニックを引き起こす.だが,後の対応は極めて速い.というのも,取る行動はただ一つ.取りあえず丸くなる.考えることがないからその分だけ速くなる.危険が何であっても,取る行動はいつも同じ,丸くなる.高等動物も反射運動は行うが,その後の対応のために何が起こったのか知ろうとするからそれだけ動作は遅れていく.けど,これは大切なことなのだ.これ,丸虫,聞いとるか.
 私の心配をよそに丸虫はカゴの目の中に入って行く.さあ,今度は通り抜けられるかなと見ている私にも力が入る.もうあと2,3段でカゴの上に出てしまう.上に出ればもちろん向こう側に行けるわけだが,ここまで試み続けてきた丸虫には,この方法で何とか通り抜けを成功させてやりたい.それが人情というものだ.さあ頑張れ.そんな私には目もくれず,丸虫はひたすら深くカゴの目に潜り込む.胴のあたりまで入ったがまたもやそこでフン詰まり.それ見ろ.今度は深いぞ.丸虫は完全に挟まってしまった.足は空しく宙を舞うが,体はピクリともしない.だから言わないことじゃない.《オー,プアー,丸虫,ここがお前の最後のねぐら》とシェークスピア風に言ってはみたものの,実際,これでは形無しだ.丸虫にもプライドというものはあるだろう.そして丸虫にも悔いというものがあるとすれば,能力を持ちながらも,それを発揮することなく空しく命を消耗していくこと以上に悔しいものはないだろう.ここでこうしてもがきつつ,やがて生涯を閉じるのか.何とかしてやりたいが,こういう場合に安易に擬人化してヒューマニズムを持ち込むことを私はためらう.とはいうものの,目の前で,もがき続ける丸虫を傍観するのはやはり心穏やかなものではない.さて,どうしようかとしばらく見ているとカタンと丸虫の体が左右に傾いた.カゴの目は長方形になっている.体が左右に傾くと,それは対角線の方向になるので横幅より広くなる.丸虫は少しの間もがいていたが何とか擦り抜けて向こう側に出て行った.
 人の運勢には計り知れないものがある.幸運に恵まれ順調な人生を送りながら最後で暗転する人もいるし,その逆の人もいる.どちらがいいかというようなことは言えないが,大抵の場合は小さい失敗を繰り返しながら少しずつ成長していって,実力が充実してきた頃にそこそこの機会に出会うようになっているものだ.だから特に若いときは小さな失敗や挫折を繰り返す.それらは当事者にとっては大変なことなのだが,後から考えると解決策は他にもいろいろあったことが分かるものだ.基本的には失いたくないという思いが執着を強め,それが自分を苦しめる.実際は,失えばそこから新しい一歩が始まることになるのだが,無くなってさっぱりしたという心境にはなかなかなりにくいものである.だから誰でも若いときには口に出すのもはばかられるようなことの1つや2つはあるものだ.そういうときに誰かが尻拭いをしてくれて事なきを得るというのは決して珍しいことではない.しかし,中にそういう些細なことで躓いて取り返しのつかないことになってしまう人がいるものだ.そういう人こそ運の無い人というべきだろう.丸虫の今回の騒動もそういったものの一つかも知れない.
 私も残りの食器洗いに戻ったが,心は不思議な充実感に包まれていた.洗う動作も気のせいか前よりてきぱきしている.そして,今なら何でも出来そうな気さえする.勇気のようなものまで湧いてきた.よし,やるぞ.特に今,差し当たって取り組むようなことはないのだが,冒険映画を見た後のように,どういうわけか体に力がみなぎってくる.しっかりと信念をもって弛まず進めば何事によらず成就するに違いない.そう思いながら洗った皿をさっきの水切りに置いた.そして,丸虫は何処へ行ったかなと回りを見たがその辺りに丸虫の姿はない.おかしいなあ.そんなに遠くに行けるはずはない.それで,もう一度水切りを見た.すると水切りの向こう側の面を何かが動いている.カゴの目を向こう側からこちら側を覗いては一段ずつ下に降りていく.今度は向こう側からこちら側へ通り抜けようというわけだ.下に行けば行くほど幅は狭くなるというのに,そんなことにはお構いなく丸虫は無心に同じ動作を繰り返している.《あ~あ,もう~っ》 私は思わずそう呟いたが,考えてみればこれは余計なお世話というものだ.丸虫には丸虫の論理があるだろう.それに人間の論理を当て填めようとする方が身勝手というものだ.お節介は止めて自分の心配でもした方がいい.そう思って食器洗いを続けたが,洗う動作はもうすっかりいつもの自分に戻っていた.
 
●丸虫談話
 言っときますが,私たちは決して好きで丸くなるわけではありません.ちょっと考えてもみて下さい.もし,いきなり体にショックを受けたとしたら一体私たちに何が出来るでしょう.どういうものか,私たちは何の前触れもなく,はじき飛ばされることがあるのです.それで取りあえず身を守るために丸くなって構えます.考えるのはそれからです.といっても,わけも分からずはじき飛ばされたのですから,先ずは状況を掴むことが先決です.が,悲しいかな,私たちは丸まると目も内側に入ってしまうのです.そこで全身を耳にして情報収集に努めるわけですが,ああ,実にこのときほど世界に音の溢れていることを実感することはありません.ですが,今は音を楽しんでいる場合ではありません.何しろいきなり突き飛ばされたのですから非常事態です.4,5秒間は様子を探りますが,それ以上長く丸まっていることはありません.そこは決して安全な場所ではないのですから.すぐに私たちはその危険地帯からの脱出を計りますが,そのときどれほどの勇気がいるかお分かりですか.逃げるためには円構えを解かなくてはなりません.わけの分からぬショックを受けたばかりの場所で一か八かの賭けに出るわけです.そうやって私たちは命を擦り減らしながら生きています.それが分かったら,もう箸や棒で突っつくなどという非道な行ないは今後一切止めて頂きたいものです.

98. 5.17


★コメント
 日付からみると、これは前回の「ミミズ」より前ですね。へたですね。もう少し読みやすく書き直したくなりますが、「ミミズ」同様、敢えてそのままにしておきます。今は自分の書いたものを『へたくそだなあ』と思いながら読むのは楽しいです。
いくつか書いていくうちに、だんだんうまく書きたいという気持ちが出てきて全く書けなくなってしまった時期がありました。その時期を抜けるのに5年くらいはかかったと思います。何を書き始めても『おもしろくない、だめだ』と感じるのでその先が書けなってしまうのです。そこを突破するのに始めたことは、絶対に書けるもの、ということで「食事の記録」でした。その日に食べたものを書くだけですからうまいもへたもありません。それなら書けるだろうと考えました。
最近は、初期の頃のように、楽しんで書けるようになりつつあります。食事の記録は今も続けていますが、こちらは次第に難しくなりつつあります。いつも寝る前に記すことにしているのですが、その日何を食べたか、それを思い出すのが苦しくなってきたこの頃です。

2020年7月31日

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