<遊去の話>

「遊去の部屋」「遊来遊去の雑記帳」に掲載した記事と過去の出来事についての話です。「遊去のブログ」は現在進行形で記します。

スケッチブック

2023-03-22 14:10:10 | 「青春期」
 21歳のとき、私は挫折した。5月の終り頃に東京赤羽のアパートを引き払い田舎に帰る。初めて自分で探して借りたアパートで、たったの2年間だが、悶々とした青春期を過ごした部屋だった。そのときには殆ど何もかもに行き詰っていて、あのまま意地を張って東京にいたらどうなっていただろうと考えると挫折して良かったというのが実感です。ちょうど兄貴が出張で東京に来たとき私のアパートに立ち寄り、田舎に帰ることを勧めたのです。「この1年だけは自由にしていいから、それで方向が決まらなかったら就職しろ」と言われました。私はそれを受け入れて実家に帰ったのでした。
 
 その頃、私は「何をするべきか」について悩んでいて、工業大学(第2部、夜間)を休学していました。機械工学を専攻していたのですが、それが自分の肌に合わないことに気付いたからでした。休学したのは一年生の終り頃で、たまたま近くのアパートに住んでいた友人がタバコの火から小火(ボヤ)を出し、その急場を凌ぐのに貯めていた翌年の授業料を貸してあげたのですが、それでようやく私は休学の肚が決まったのでした。
 大学の講義で興味を持てたのは哲学だけでした。それで休学後もアルバイトをしながら哲学の本を読み漁っていたのですが、友人の勧めで、数週間ですが、山梨の農家に住み込んで手伝いをしました。そのときに青空の下で働くことを体験し、それで生物と関係のある仕事をしたいと思ったのです。だけどまだ具体的なイメージはありませんでした。農家での仕事はきつく、農業は無理だろうと思いました。それで生物と関係のある学科に行き直し、生き物と関係のある仕事を探そうと考えたのですが、実際にはアルバイトで生活費を稼ぐのが精一杯で受験勉強は殆どできませんでした。

 東京を発つ日、アパートを後にすると赤羽駅の近くの古本屋に立ち寄り、車中で読むのに本を1冊買いました。「南国群狼伝」、柴田錬三郎、50円でした。何でも良かったのです。そして未練がましく、国電に乗る前に荒川の河原を見に行ったような気がします。それまで近くに川があることも知らなかったのに…。よく晴れたいい天気だったように思いますが、果たして立ち直れるのだろうかという気分でした。
 わざわざ中央線の夜行を選んで乗り、翌朝、塩尻で乗り換えて名古屋に行くつもりでした。早朝の塩尻駅。誰もいません。ホームに朝一番の列車が入ってきて止まったので私はそちらに歩いて行き、前に立ってドアが開くのを待っていると、少しして目の前でその列車が動き出しました。ドアが閉まっていたので私はドアが開くのを待っていたのですが、後で、この辺りではドアは自分で、手で開けて乗るようになっていることを知りました。乗客が一人もいなかったので分からなかったのです。動いていく一番列車を見送りながらゆっくりと悲しみがこみ上げてきました。
 実家の母屋には兄夫婦が暮らしていて私は離れに父と住みました。廊下の隅に机を置き、毎日14時間くらいは勉強しました。このときが生涯で一番勉強したのではないかと思います。が、ただ一つ、残念なことをしてしまいました。全く必要もないのにそれまでの日記類を焼いてしまったのです。実際のところ、そういうまねがしてみたかったというだけのことなのですが、それで東京でのことは分からなくなってしまいました。残念です。

 このところ東京での暮らしを思い出そうとしています。断片的な記憶はあるのですが、その順序が思い出せません。どんなアルバイトをしていたのか、それは何時だったのか、それが分からないのです。ふと、山で、道標の前にキスリング(昔の大きなザック)を置き、スケッチしたことを思い出しました。もしかするとそこに日付が書いてあるかも知れないと思い、そのスケッチブックを捜しました。
 あちこち捜してようやく本棚にそのスケッチブックを見つけました。開けてみると最初のページには赤羽の部屋の窓から見た様子が描いてありました。すぐ前にはシュロの木が描いてあり、その記憶はありませんが間違いなくその通りだったはずです。
 台所のスケッチもありました。ガスコンロの上にヤカンが一つ、横にはフライパンが一つ掛かっているだけです。棚にはボウルと鍋が一つずつ置いてあり、流しの横にはコーヒー用のネルのドリップ。半畳の半分の広さの台所ですが、ここで自炊をしていたのです。栄養失調になるのも当たり前だと思いました。
 そしてもう一枚は机と本棚のスケッチです。秋葉原で買った蛍光灯スタンドとトランジスターラジオ、それにメトロノームが置いてあります。開けた本の横の灰皿には吸いかけのタバコがあり、実家に帰ってからは収入が0になったので禁煙しました。これは良かったと思います。
 他に自画像や端をカットした玉のキャベツなどもありました。切り口の部分は複雑なので描いてありません。2方向からカットしているので、最初は丸なりで千切りし、途中からそれと直交する形で刻んだものと思われますが、どうやって食べていたのだろうか、目玉焼きにでも添えたのか。この頃はまだカメラを持っていませんでした。お陰でスケッチが残っているのですが、今になって手で描いたものはいいなあと思います。

 少しずつ消えた記憶が戻って来ています。その頃に撮ってもらった写真もあるのですが、どうも意図的にそれを見るのを避けていたような気がします。今ではそのときの自分が何を考えていたか殆ど忘れているし、やはり美化されていると思います。当時の生の自分にもう一度出会う旅、これが人生で最期の旅なのかなと思います。スケッチブック、描いておいて良かった!
2023年3月22日


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