<遊去の話>

「遊去の部屋」「遊来遊去の雑記帳」に掲載した記事と過去の出来事についての話です。「遊去のブログ」は現在進行形で記します。

<ジーグ>が、うちにやって来た

2025-01-20 18:51:43 | 「遊去の部屋」
<2010年3月22日に投稿>
 <ジーグ>というのは、16世紀のイギリスで流行した舞踏(ダンス)です。<ジグ>というべきかもしれませんが、この音楽を聴いている限り<ジグ>と短く呼ぶ気分にはなれません。<ジーグ>はjig[英]と書きますが、これはgigue (ジグ)[仏]の起源となり、バロック期の組曲などにも取り入れられ、その時代の音楽を構成する重要な要素になっていきました。
 私が最初に知った<ジーグ>はgigueの方で、バッハなどの組曲に入っているものでした。組曲というのはいくつかの舞曲の形式を借りて曲を書き、それらを並べて一つにまとめた形をとっています。その最後にジーグ(gigue)を持ってくることが多いのですが、私はそのgigueにずっと違和感がありました。それは、音楽辞典には、ジーグ、「軽快なダンス」とあるにも拘わらず、聞いていて「踊り出したくなる」ようなところがまったく感じられなかったからでした。特に入り口がバッハのgigueだったため、音楽の方向性が器楽曲としての完成に向いていて、gigueの形式を借りてはいるものの内容はバッハそのものだったためかもしれません。
 ルネッサンス・バロック期にジーグを書いている作曲家はたくさんいるのですが、最初にバッハを聴いてしまうと、その内容の密度の違いは他の人とは比べようもなく、バッハ以外の楽譜を見ても弾いてみようという気すら起こりませんでした。ジーグと、そういう歪(イビツ)な付き合い方をして30年が過ぎ、その結果、一番馴染めないものというのが私の中でのジーグの位置でした。

 アイリッシュ・ダンスではジーグ(jig)とリール(reel)をよく使います。そのときに使う音楽を聴いた瞬間、世界は一変、空気は一気にアイルランド化し、リズムが体に飛び込んでくるのです。2年前に私はこの体験をしたのですが、同時に「危険な匂い」も感じました。その理由は、そのときにはわからなかったのですが、今の時点で考えてみると、やはり、文化的な違いから来るのではないかと思います。アイリッシュのダンスや音楽では自分の気分を100%、いや、それ以上に、自分だけでは出せないところまで表出します。日本的な文化では、周りの様子を見ながら自分を押さえて、差し障りのない程度に、機をみてちらっとだけ自分を見せる、つまり、それが控えめということで評価の基礎にあり、共通認識になっています。
 私の推測では、これは近代の産物です。武士が江戸時代に入ると儒学によってその性質を変じたように、民衆の在り方も日本の近代化の過程でその雛型が作り上げられてきたのではないか考えています。そのような日本人的気質の説明を「農耕社会」に求めることが多いのですが、共同作業を伴う農耕社会は世界中どこにでもあり、そこで育まれる気質と「出る釘は打たれる」的なことに対する警戒感や目立たないように横並びをする意識とは本質的には別の事柄ではないかと思います。とにかく、私にも自分を出すことに対する警戒心がありますから、全面的に自分を出す世界に嵌ったら大変だとの意識はありました。

 この2年間で私は貴重な体験をすることができました。アイリッシュ・ダンスの会に顔を出すようになったのはダンスがしたかったからではありません。もちろん、ダンスを覚えたいというわけでもありませんでした。私が知りたかったのは、ダンスをしていた頃の、その古い時代の人々の気持ちだったのです。その時代の資料から得られるものは、知識として頭を通して受け止めます。音楽も現代人の感覚で捉えているわけで、その当時の人々が感じたものとはかけ離れているのではないかと考えています。たとえば、子供の頃、すき焼きは年一回、肉はほんの少し入っているだけでした。野菜の下に隠れている肉片の在り処を、先に奪われやしないかと戦々恐々として御飯を口に掻き込みながら狙っていたものです。大家族で、ほんのわずかしか口にできなかったすき焼きの肉、その肉のうまかったこと、あんな喜びは今では味わうことができないものとなりました。高級な牛肉の塊を口一杯に頬張ることのできる時代になって思うことは、肉ってこんなものだったのかということです。「ハレ」と「ケ」、つまり、非日常と日常ですが、「ハレ」の喜びは「ケ」の存在によって何倍にも増幅されるものですから,一年中「ハレ」のような現代においてはその分だけ喜びも希薄で、より強い刺激を求める方向にエスカレートしていくことになるのでしょう。

 ダンスの場合は体を動かします。当時の人々が動かしたのと同じように体を動かします。そうするとその動きに応じて体中に血が流れ、全身が紅潮してきます。その結果、脳内に生まれる感覚や感情は当時の人々の抱いたものと類似するところがあるのではないかと私は考えました。そして、確かに手応えはありました。ところが、ダンスを終って1時間もすると、もう音楽を頭の中で再現できないのです。そうなるとそのときの気分も再現できません。私は何とかその音楽を保持しようとしましたが、記録するにも家に着いた頃にはすっかり消えてしまっていることの繰り返しでどうにもなりませんでした。ダンスのときに使うCDを手に入れればいいだけの話なのですが、そういう安易な手段を選ぶことに対しては躊躇いがありました。それで2年間ガマンしていたのですが、ダンスを教えてくれるAさんが、あと半年で帰国すると聞いたので、もう時間的に余裕はないと考えてAさんにCDを欲しいと頼んだのでした。そのとき、ジーグがいいか、リールがいいか聞かれたのですが、その違いもよく分からなかったので、どちらでもいいと言ってしまいました。すると、Aさんは、では、ジーグとリールを半分ずついれましょうと言ってくれたのですが、家に帰ってから、もしかすると、Aさんはジーグとリールを別々のCDで管理しているのかもしれないと思い当たり、メールで、別々に管理しているのなら2枚欲しいと伝えたのでした。2枚欲しいというのはさすがに言いにくかったのですが、次に会ったときには2枚作ってくれてあり、そのときには言って良かったと思いました。

 家に帰って最初にかけたのはジーグでした。音楽が鳴ると同時に部屋の空気は一気にアイルランドにジャンプしてしまいます。何という音の力。題名を見ると読めません。Eavesdropper’s Jig。辞書を見ると、「eavesdropper 立ち聞きする人、盗み聞きする人」とあります。「立ち聞きする人のジーグ」、信じられない気持ちでした。「盗み聞きする人」、いったい、こういう人が曲のテーマになりうるものなのか。でも、音楽を聞く限り日本語訳から来るイメージはまったくありません。
 2曲目はThe Dusty Windowsill。dustyは「ほこり(ゴミ)だらけの」の意味で、windowsill or window sillは「窓敷居」ということなので、埃が積って、いかにも汚れた窓の様子が目に浮かびます。そのような情景を音楽で表現できるものだろうか、連想の連想…という形でなら可能かもしれないが、埃だらけの窓を直接、音で表現することなど不可能だと思うと同時に、そういうテーマで曲を書こうという気になること自体、あり得ない、そんな暇があるのならその前に窓を掃除しろと言いたいところです。1曲目同様、この曲からも「埃だらけの窓敷居」を頭に浮かべることはできませんでした。
 3曲目はHorses Geese And Old Manということで、なんだこりゃ、というところでしょうか。馬と老人か、ガチョウと老人の結びつきなら、場のイメージがまだ湧かないでもないと思いますが、そこに馬とガチョウの組み合わせが出てくるとまったくのミスマッチというか、老人までがまともな人物とは思えなくなってしまいます。
 そして、ついに来ました、4曲目。Old Hag。Hagは辞書によると「鬼ばばあ、醜い老婆、悪婆」で、こうなるともうお手上げです。いったい、アイリッシュとはどういう人たちなんだろうと思いました。Aさんが、ダンスのとき、「コノキョク ハ 『オニババア』 デス。」と紹介したのを思い出します。私はhagという単語を知らなかったので、もう少し違う訳を当てた方がいいのではないかと言ったのですが、そのときにこの言葉にぴったりする日本語がないことを知りました。この訳語を考えていてちょっと気になったことがあります。hagが「(鬼)婆」ならoldは何かということです。young hagというのはないのでしょうか。矛盾してしまいます。それとも女性の初期高齢者ということにでもなるのでしょうか。この曲も同様、タイトルとはかけ離れたイメージです。コミカルで華奢な響きのする曲で私の大好きなものの一つになりました。

 3月にセント・パトリック・デイ・パレードがありました。これはアイリッシュ系のお祭りです。私がこの世界に触れるきっかけになったのもこのパレードでした。昨年は参加しなかったのですが、今年はアイリッシュダンスの会での流れから参加することになりました。初めて参加したときには本物のバグパイプに出会ったのですが、今回はライアという楽器を見ることができました。古代ギリシャ起源の楽器でハープの原型だということでした。古い楽器というのは、形そのものが美しいラインを持っているのでそれだけで充分魅力的に見えますが、何と言っても楽器ですから音が気になります。こんな小さなハープで、野外で十分な音量を出せるのだろうかと思いましたが、歩きながら主役の旋律を奏でるバイオリンに併せて、ポロンポロンと爪弾くライアの音は、その周りに音の空気のような空間を生み出していて、聴く人々の心を和ませるに充分なものがありました。家に帰って「ライア」を調べるとlyreで「リラ」とも言うとあり、そのときなって、あれがリラだったのかと現物に出会えたことをもう一度喜んだのでした。

 その日のパレードには私が楽しみにしていたものがもう一つありました。Aさんが、自分より十倍うまいというMさんが来てダンスをすることになっていたのです。男性のソロダンスは画像でしか見せてもらったことがなかったので、その日のライブは私にとっては目玉でした。特に男性のダンスはタップダンスの原型になったものだけに、その迫力は生でないと味わえません。ジーパンの後ろのポケットに靴を片方ずつねじ込んでいる背の高い外人がいたので、これがMさんだなとすぐにわかりました。パレードの終着点に特設舞台が用意されていたのですが、一目見るなり、まさか、この上で?と思いました。高さ50cmくらいの、金属製の枠組みの上に板を置いてあるだけです。歩くとぐわぐわします。これはいくら何でも危険です。それかといって、タップの要素があるので板がないと音が出ません。板を直接地面の上にでも置くようにしないと危ないぞ、どうするつもりなのかと思っていたら、Mさんが舞台に飛び上がりました。すると、案の定、舞台がバタバタと踊り始め、そして、Mさんが板を強く蹴ると、その瞬間に板が50cmくらい浮き上がり、とうとうMさんは舞台から飛び降りてしまいました。そこからのタップの音はカチカチ鳴るだけで音の迫力は0になってしまいましたが、取り敢えず、事故がなくて良かったです。

 そのあと、アイリッシュ・ミュージックの生演奏になりました。やはり、生は凄いです。もうじっとしていられなくなるのです。アイリッシュ・ダンスを知らない人に簡単なダンスを教えながら始まったのですが、すぐにそんなことそっちのけで踊ってしまいました。こんなことは始めての体験でした。まさか自分が路上で踊って楽しめるなどとは夢にも思いませんでした。昔の人々の気持ちが少し感じられたような気がしました。
 その日の夕方、パーティーがあり、ギネスビールが飲めるということもあって、初めて出かけて行きました。そういう場所は苦手なのですが、誘われて、無下にも断れず、参加することに決めたのです。ところが、その日、まったく知らなかった自分自身を発見することになりました。半分くらいは外国人で、その人たちもアイリッシュ・ダンスは知らないようでした。だけど、生演奏で、見よう見まねで一緒に踊り始めるとずっと前から知っていたような親しみを感じるようになるのです。こういう感覚は頭を通した言葉では生まれないなと思いました。古い時代の人々は、自然に弄ばれるかのような厳しい生活環境の中で、挫けそうになる心をこういうダンスや音楽で支えて来たに違いないという確信を持ちました。ジョギングをした後と同じくらいの汗をかき、その興奮は3日くらい続きました。そして、ついに、長い間、ケースに閉じ込めてあったバイオリンを取り出して……、今度は一切楽譜なしで勘だけで音を探って弾いていきます。そうすると、まるで、音が生きているようで、以前には感じることのなかったような親しみが湧いてくることを知りました。もしかするとパンドラの箱を開けてしまったのかもしれません。『赤い靴』の前提にはきっとこういう気分があったのでしょう。今もジーグを聴くとその瞬間から心が高揚を始めますが、ギネスを飲んではいけません。『飲めば極楽、踊れば地獄』、ビールを飲むと息が切れ、汗が噴き出して、ついには目が回ってしまいます。昔の人々は、祭りではビールを飲んで踊り明かしたものだろうと思いますが、それには化け物のような体力が必要です。たった1パイント(pint、ざっと500ml)のギネスでこんなことではとても古い時代を生き抜くことはできなかったでしょう。これも体を動かすことによって知り得たことの一つです。今はその心意気だけを頂いて、ギネスは年一回くらいにしておきましょう。
2010.3.22

★コメント
 この時期になると、いつものことながら、バンド(ベルト?かな)がきつくなります。夏にはそれがごそごそになるのですが、冬には畑で汗をかくようなことも殆どないためでしょう。前にカナダ人の知り合いがウインター・タイヤー (winter tire) と言っていました。そうなると足の爪を切るのも苦しくなります。『これはまずい』ということで思い出したのがアイリッシュ・ダンスでした。
 庭で少し足の踏みかえをやってみると、このときに軽くジャンプをするためかすぐに息が切れます。ジャンプはエネルギーを使うようだと思いました。これはいい。ジャンプの程度は自分で加減できるからいくつかステップを組み合わせて適当に作ればいいだけです。膝の具合もかなり良くなってきているのでリハビリになるかも知れません。正座をすると多少違和感があるのでもう完治はしないだろうと思っています。ここまで治るのに1年半もかかっているわけで、年齢を考えると正座できるようになっただけでも「良し」とすべきでしょう。
 それで今回は「アイリッシュ・ダンス」を取り上げようと思って調べたら去年の2月に出していることが分かりました。そのとき今回の記事があることを見つけたのです。書いたことすら忘れていました。そして分かったことは、Ashleyは3年間しか日本にいなかったということです。そんなに短かったとは意外でした。彼女にはいくつか英語版の朗読もしてもらいました。それらはMDに録音してあるのでまたユーチューブに出していこうかなとも考えています。今、何処で、どうしているのやら分かりませんが、元気でいてくれることを願うばかりです。
2025年1月20日

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「やまなし」録音秘話

2024-07-20 14:37:47 | 「遊去の部屋」
<2004年12月30日に投稿>
 といっても、何も特別なものではありません。英語版の「 The Wild Pear 」を録音したときの話です。そのときのことは、私が話さない限り誰も知らないわけで、だから、そこでの出来事は片っ端から自動的に秘話になってしまうというわけです。

 2002年7月15日。朝から晴れ上がり午前中に早くも30度を超えた…かどうかは覚えていませんが、とにかく暑い日でした。「 The Wild Pear 」の録音日です。英語版の原稿は3週間くらい前にFに渡してありました。F、と頭文字だけを書くと、とたんに謎めいてくるのはどういうわけでしょうか。今回は「秘話」ということなのでこちらの方がいいかもしれません。Fはイギリス人。一年前に日本にやってきてALTとして高校で働いていたのですが、2,3日後には日本を去ることになっていました。この日は、録音できる最初で最後のチャンスだったのです。

 私は、それまで彼女の朗読を一度も聞いたことがありませんでした。一応、私が英語で録音したテープを渡してあったのですが、それは言葉と音とのタイミングを伝えるためのものでした。果たしてどのくらい伝わっているものやら、それは実際にやってみるまで分かりません。
 LL教室に入って、座る場所やマイクの位置を決めてから、一通り打ち合わせしながらざっと作品全体を流しました。そして、時間の関係で、前半だけを一気に録音することにしました。学校というところは定期的に鐘のなるところです。だから、その間を縫うようにして録音しなくてはなりません。次の鐘が鳴るまでには前半一回分の時間しか残っていませんでした。
 Fは、さっと立ち上がると窓の方へ行き、次々窓を閉め始めました。実は、私は躊躇していたのです。それまで教室の窓は全部開け放してありました。まあ暑いことは暑かったのですが、それはまだ夏の暑さのうちでした。しかし、窓を閉めればとたんに教室は蒸し風呂のようになります。私が1人で録音するのなら何の迷いもなく窓を閉めますが、イギリスのさっぱりした夏しか知らない彼女のことを考えると少々いろんな音が入ってもこのままの方がいいかなという思いがありました。実際、彼女は、慣れない日本の暑さのせいでこの数日食欲も殆どなくしてしまっているようでした。それに彼女はまだ若く、学校を出たばかりで、仕事の上でもふんばらなければならないようなキャリアは全く積んでいなかったので、この録音に対しても、その取り組みに果たしてそれだけの価値を認めてくれているかどうか分かりませんでした。

 Fは大学を卒業してすぐに日本にやってきました。ALTが彼女の最初の職業でした。そして、その関係から生徒にイギリスを紹介するために、初めてイギリスのスコーンを焼いたのです。イギリスにいるときはすべてお母さんがしてくれていたので、これはたいへんと、お母さんからメールでレシピーを送ってもらい、自分のアパートで初めて試し焼きをしたのです。外国のことを勉強して自国のことをよりよく知るようになるというのはよくあることですが、彼女の場合はイギリスでは一度も料理をしたことがなかったそうです。そのためか、初めて自分でスコーンを焼いたときにはちょっと興奮気味にすら見えました。

 ミートパイは彼女の好物の一つです。私は、名前は聞いたことはあるものの実物は知りませんでした。それでそのレシピーを教えてもらい、家で作ってみました。不思議な味でした。本当にこんな味なのか。これでいいんだろうか。それを確かめるために彼女に少し持っていきました。彼女は、ふたを開けると、「わあ、ミートパイ!」といって、一気に全部食べ切ってしまいました。少しは味をみて食べてほしかったのですが、やはりまだ子供だなあというのが私のそのときの印象です。

 彼女が窓を閉め始めたのを見て、私もその気になりました。私は彼女に、途中ミスがあってもそのまま続けて最後まで行くことを告げると、ちょっと気持ちを整えてからプレリュードを弾き始めました。すぐに全身から汗が噴き出しました。汗が流れるのを我慢しながら、これは彼女にはちょっと酷だなと思いました。しかし、彼女の方は緊張していて暑さどころではなかったようでした。終わったとき、彼女は『私がもう一度やりたいのならやってもいい』と言ってくれました。私は、この環境ではとても続けられないと思ったのでクーラーのある図書室に行くことに決めました。

 鐘が鳴り休憩時間になりました。休み時間に、生徒たちで混雑する廊下を、楽器を持って移動するのはちょっと気が引けましたが、4限目の始まる前に移動して録音のセットをしてしまえばたっぷり50分使えるから何とかなるだろうと考えて図書室に急ぎました。図書室のある棟に入ると、外からすごい騒音が聞こえてきました。生徒の声ではありません。耐震工事の音でした。隣は体育館なのですが、屋根といわず壁といわず、あちらでもこちらでもドリルでバリバリと穴を開けています。絶望だと思いましたが、図書室の中に入れば少しは静かになるのではないかと図書室の扉に一縷の望みを託しましたが全くお話になりませんでした。とりあえず一度後半を通してからどうするか考えようと思い、司書の人に許可をもらって録音の準備をしました。
 一通り流した後、どうするか決めなければなりませんでした。LL教室に戻るか、この騒音の中で録音するか。時間はやはり一回分しか残っていません。騒音はあるとは言っても朗読が聞こえないほどではありません。今から歩いてLL教室に戻り、録音のセットをする時間のロスを考えるとここで録音した方がいいだろうと判断しました。それでも少しでも雑音を減らしたかったので、司書の人に理由を話してクーラーを止めてもらいました。
 ドリルの音を気にしながら後半のプレリュードを弾こうとしたときでした。ピタッと音が止んだのです。工事が昼休みに入ったのでした。授業時間は12時半まで続きます。ということはまだ30分あります。15分前に録音を終えてクーラーをつければ昼休みには十分涼しい状態にできるでしょう。千歳一遇のチャンスとはまさにこのことです。顔を見合わせた私たちはこの瞬間に息がピタリと合いました。

 8月に入っても私の練習は続いていました。一日に7,8時間は練習するのですが、それでも録音となるとうまく行きません。そのうちに今度は歯の痛みがどんどんひどくなってきました。歯の痛みは5月くらいからあったのですが、虫歯ではないのです。硬いものを噛んでいるうちにとうとう痛みが引かなくなってしまったのです。これまでは、少し硬いものを噛んで痛みが出ても2,3日すれば治まっていったのに、今回は様子が違います。でもガマンできないほどではありません。それで何とかなだめすかしながらやってきたのですが、ここに来てとうとう言うことを聞かなくなってしまいました。
 鈍痛が出てくると何もできません。ただ、頬に手を当ててうずくまっているしかないのです。ところが、あるとき熱い飲み物を口に含むとしばらくは痛みが和らぐことに気付きました。それからはコーヒーを一口飲んでは練習し、また一口飲んでは練習するという生活になりました。それでも練習の成果が感じられる間はまだ良かったのです。あるところまで来ると「仕上がりの形」というものが見えなくなってしまいました。ああやってもだめ、こうやってもだめで、堂堂巡りを繰り返すだけでした。現在の実力ではここまでということでした。完成させるには、まだ何年か熟成させる必要があるのです。それでとりあえず仮仕上げということで録音することにしました。

 英語版を録音したのにはいくつかのわけがありました。もちろん、ベースにあるのは、この作品を外国の人たちにも是非知ってもらいたいということなのですが、もっと身近な動機としては、Fがイギリスに帰った後でも、これをCDにして図書室に置いておけば、生徒たちが見つけるかも知れません。何かなと思ってかけてみたら、いきなり聞き覚えのある声が出て来る…という仕掛けをしておいたらおもしろいだろうと思ったのです。声色は楽しめても、英語では意味が分からないだろうから日本語版もいるだろうということなので、日本語版は「完成品」でなくてもいいわけです。ライブでは何度もやっているので軽く考えていたのですが、いざ、録音してみると、それはもう聴くに堪えないものでした。それでずるずると深みにはまってしまうことになりました。

 一週間の盆休みを利用して録音に取り組みました。絶望的に思えたり、何とかなりそうな気配がしたり、悶々とした日が続いていましたが、いよいよ時間がなくなってきました。今日か明日かで終わらなければなりません。それは、Fが9月には仕事を探しにドイツに行くことになっていたからです。8月中にイギリスに着かないと彼女がそれを聴くのはクリスマスということになってしまいます。私はまだCDの作り方も知らなかったのでその操作を覚えるのにも時間が必要でした。私は今日で録音を終わりにすることに決めました。
8月19日。かんかん照りの日でした。全部の雨戸を閉め、冷蔵庫のコードをコンセントから外し、電話を「おやすみモード(呼び出し音の出ない状態で、これは特に昼寝のときには便利です。)」にしました。椅子の上にはバスタオルを重ね、足元にもタオルを敷きました。それから熱いコーヒーを用意すると、裸になりました。これならどれだけ汗が流れても問題ありません。もうすでに玉になって汗が流れています。熱いコーヒーを一口含むと、そのまましばらく保ち、歯の痛みが引くのをじっと待ちました。それからMDのスイッチを入れると、意を決してプレリュードを弾き出しました。
当然のことながら、クーラーも扇風機も音のするものは一切ありません。真夏日に雨戸を締め切った部屋の中で、頭は上から蛍光灯に照らされて、殆どのぼせたような状態です。いつもなら演奏を始めると同時に、よそ事が次々と頭に浮んできてそれを止めることができずに苦しむのですが、この日は何かぼんやり考えていたような気はするものの、気が付いたらもう最後に来ていたという感じでした。かえってこの条件が良かったのかも知れません。

 結局、CDが出来上がったのは8月の末でした。機械がうまく動作せずメーカーに問い合わせたりする必要が出てきたため随分手間取ってしまいました。仕上がったCDを初めて聴いたときの喜びは平静さを失うくらいのものでした。機械が壊れてしまったらどうしようという不安が湧き起こり、何枚か複製を作って、それでようやく安心できたくらいです。「駆けつけ3杯」といいますが、私はこのCDを連続5回くらいは繰り返して聴きました。それで気が付いたのですが、CDからは録音のときのあの暑さや歯の痛みなどは全くその気配すら感じることができません。舞台裏が見えてしまってはせっかくの夢もぶち壊しになってしまうことはよく分かっているのですが、それにしてもちょっとさびしい気がしました。

 CDがイギリスに着いたのは彼女がドイツへ出発してしまった後でした。それで彼女がCDを聴いたのは結局クリスマスにイギリスに帰ったときになってしまいました。彼女のメールからは、自分の朗読がCDになってとても喜んでいる様子が伝わってきて、私も作ったかいがあったと思いました。そのときには、私はもう次の作品に取り組んでいましたので、初めてCDを作ったときの興奮はさめてしまい、いつ終わるとも知れない作業に少々疲れ気味になっていたのですが、それを聞くと、私も、あの完成時の興奮を思い出し、すっかり元気になりました。我ながら、つくづくシンプルにできてるなと思います。

 英語版はその後何人かの外国人に聴いてもらうことができました。楽しんでくれていると思います。その印象を聞くたびに私もまた元気をもらっています。そのたびに他の作品も英語版を作ろうと思うのですが、こちらの方は一向に進みません。まだエネルギー不足です。でも数年後にはいくつか完成させたいと思っています。その日のために朝はいつも発音練習から始まります。 She sells sea-shells, sherry and sea-shoes.
2004.12.30


★コメント
 このところ、流れが一気に「やまなし」に向かって進んでいます。今、The Wild Pear のこの時の録音をユーチューブに上げようと準備をしているのですが、20年以上も前の録音がそのまま残っているということ自体不思議な気がします。録音のデータはCD-Rから取りました。Fionaの声、こんなのだったか、録音しておいて良かったなあと思いました。それで今回の記事のことを思い出し、読んでみて、この出来事も一緒に載せたいなあと感じました。実はこの記事の前半は英訳してFionaにメールで送ってあるのです。20年ぶりに、今朝、それを読んでみました。これでいいのかなあ、怪しいが、まあいいか、という部分が何カ所もあります。相手がFionaならおかしな英語も分かってくれると思って書いているのですが、それがユーチューブに出すとなると躊躇する気持ちが起こります。だけどこの録音はこの裏話があってこそ親しめるもののような気がして迷っているのです。考え方によれば、「おかしな英語」自体を楽しむことができる機会になるかも知れないのですが、…。
2024年7月20日

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「やまなし」ライブ

2024-06-21 15:09:59 | 「遊去の部屋」
<2005年8月18日に投稿>
 先日、ライブで「やまなし」を弾きました。これまでに20回くらいはやっています。ギターを弾きながら自分で朗読していますが、もともとは朗読とギターの二人用に作りました。二人で、といっても、相手のことが頭に入ってないとうまく合わせることはできません。それで、一人、ぶつぶつ朗読をしながらギターを弾いているうちに何となく一人でもできそうな気がしてきたのです。
 初回は朗読を頼んで二人でやったのですが、それから一年くらい練習したら何とか一人でできるようになりました。今から思えば「かろうじて」というところではありましたが、そのときは「不可能だ」と思っていたことができたのですから、「かろうじて」でも充分、達成感はあったのです。
 それ以来、一人で朗読しながらギターを弾くという形が定着したのですが、これをきっかけに私の物事への取り組み方が大きく変わったように思います。一つは本の読み方です。若いときは誰でもそうだろうと思うのですが、とにかくたくさん読みたい、読んだ本の数が増えることに一種の喜びを感じるところがあって、本棚の本の数が増えた分だけ自分も大きくなったような気がしたものです。青年期はそれでいいと思っています。裏を返せば、これはそれだけ自分の中身に信をおけるものがないからで、そこを外部の、頼れそうに見えるものでカバーしようというわけでしょう。この傾向は、その「頼れそうに見えるもの」も、実はたいして当てにならない、かなりいい加減なところがあるものだと感じるようになるまで続くのですが、たいていはその前に実生活の方が忙しくなり、そちらに流されてしまうので、何かに行き詰まったり、世の中の枠からはみ出たりしない限り、部分的には感じても全般としてそういうことに気付く機会は少ないだろうと思います。「権威」が幅を利かせられる所以です。
 以前は、同じものを読み返すよりは新しいものを読みたい、つまり、同じものを繰り返し読むことはそれだけ新しいものが読めなくなるわけですから、それは時間の浪費、あるいは新しい世界を知るチャンスの放棄だという気がして仕方がなかったのです。もちろん、一度読んだくらいでその内容をマスターできるわけがないことは分かっていましたが、一回読んで、その内容がどのくらい身につくかの「程度」に関しては全くの誤算であったというしかありません。それに、『一度おもしろいと思った本は何度読んでもおもしろい』なんて夢にも思わなかったことでした。これは映画でもTV番組などでも同じです。『おもしろいものは何度見てもおもしろい』、こんなシンプルな事柄に気付かずに何十年も生きてきたというのは実に浅薄な生き方をしてしまった証でしょう。

 朗読の練習をするときには何百回という単位で読みますが、これは作家本人が読む回数より多いでしょう。だいたい全部覚えてしまいます。楽器を弾きながら読むのはさらに難しいので、全部覚えてからでも百回くらいの通し練習ではどうにもなりません。そうしているうちに、一つ一つの言葉の意味するものがだんだんとその姿を現してきてイメージがどんどん豊かになってくることに気付きました。これは自分で物語を知らず知らずのうちに演出しているためではないかと考えています。たとえば、映画監督や舞台の演出家などは原作を読みながらそれをどのように形に表したらいいかを常に想い描いているわけですが、それに似た作業が何度も何度も読んでいるうちに頭の中で繰り返されているためではないでしょうか。何度読んでもいつも新鮮に感じるのはそのあたりに理由がありそうです。
 言葉は、いったん頭に入っても大抵は言葉のままで、つまり観念として捉えただけで通り過ぎてしまい、その意味するものが、頭の中で具体的にイメージされるということはあまりないと思います。たとえば、「赤い靴」という言葉を聞いたとき、あるいは読んだとき、赤い色と靴を具体的に思い浮かべる人は殆どいないでしょう。そんなことはないと思われるかも知れませんが、「赤い色」といっても実は無数にあるわけで、その中のどの赤をイメージしたかを考えてみればそのあたりはかなり曖昧だということが分かるでしょう。「靴」の場合も同じです。靴も無数にありますが、どんな形の靴をイメージしたか、大きさは、踵は、つま先は、紐は…と考えるとだんだん怪しくなってきます。その点、これが絵に画かれたものならば一目でその両方を受け取ることが可能です。
 言葉も、絵のようではありませんが、「赤い靴」、「赤い靴」と同じ言葉を繰り返し、繰り返し唱えているとだんだんと具体的なイメージ(色や形まで見えなくても、それを見たときに感じる感覚)が伴ってくるものです。このとき頭に浮かんだイメージは、絵とは違って、一人一人違うわけで、それはその人のそれまでの経歴、あるいは経験(つまり、バックグラウンド)を反映したものになっているのです。
 これは脳の働きによるものだと考えています。言語を捉えるとき、それを観念として捉える場所とイメージとして再現する場所がそれぞれ違っていて、両者は互いに連携してはいるのですが、ただ、連動するには、ある程度の「時間」が必要なのではないかと思います。言語は左脳、イメージは右脳という見方をしても構いませんが、両者は同時に働くとは限らないということです。
 言葉の情報は、読むときでも、聞くときでも次から次へと入ってきます。脳は、それを次々と(解析)処理しなければなりません。最初は左脳で観念として捉え、どういうものか理解します。それから次に右脳でその観念に伴うイメージの引き出し作業が行われることになりますが、ここで一つ問題が出てきます。「観念」と「イメージ」ではデータ量に桁違いの差があるのです。パソコンで文字を表示するのと写真を表示するのを比べればかかる時間がまるで違うのと似ています。
 言葉が次々とやってくるときにはそれを次々と観念に置き換えていく必要があるので、その一つ一つをいちいちイメージ化する余裕はありません。それでも、個人的に強い結びつきをもった観念はイメージ化されるので、結局、一人一人が受ける印象はかなり個人差のあるものになってしまいます。同じ言葉を聞いても、ドキンとする人もいれば何とも感じない人もいるわけですから。
 次々と入ってくる言葉から、何が起こっているのかという状況を理解したり、次に自分のするべきことを考えたりというような、日常生活する上で必要な事柄は「観念」として捉えれば充分にこなせます。ところが、「味わう」となるとそうは行きません。ここで言葉に伴うイメージが大きな役割を果たすことになるのですが、このイメージ化の能力は当然のことながらかなりの個人差がありますから、同じ言葉を聞いても、「味わえる」かどうかは人によるということになってしまいます。
 個人差はあるにせよ、言葉を聞いたとき、それをどの程度イメージできるかは、入ってくる情報量にもよるわけで、これを減らせば、つまり、「ゆっくり」話せば、あるいは読めば、イメージ化はよりしっかりと行われるわけですから、聞き手がその余裕を持てるように相手の様子を見ながらゆっくり話せば、その「味わい」は相当違ったものになる可能性があるはずです。
 もう一つは、言葉を発する前に、次に来るものを予想できるような手を打つことです。次に来る状況が明るいものなのか、暗いものなのか、あるいは緊迫した場面なのか、リラックスしたものなのか、そのあたりを音で下準備をしておくとさらにイメージしやすくなるのではないかと考えています。音ではありませんが、和歌の枕詞はその類ではないでしょうか。のびやかな枕詞を聞いているうちに、聞き手の心はしっかりと次の言葉を受け止める準備を整えるわけで、そこへメインの言葉が登場するわけですから、言葉と同時にイメージやそれにまつわる気分なども一気に心に湧き上がるという仕組みになっているのでしょう。中学生のとき「枕詞には意味はない」と習ったことを覚えていますが、そのときには随分無駄なことをするものだと思ったものでした。今では万葉人のその大胆さに感心しています。たった31文字のうち、5文字もこれに割(サ)くというのはただごとではありません。
 いずれにせよ、ここで描かれるイメージは個人的なものになりますから、それからどんな印象を受けるかは個人と強く結びついているわけで、演奏する側としては、ひとりひとりのイメージ化がより強く行われるように工夫を重ね、あとはそれらが一人一人の中でいい実を結ぶように祈るしかありません。

 この「やまなし」の練習も初めは本や楽譜を見ながらしていましたが、弾こうと思ったときにいちいち楽譜を開けたり、本を用意したりするのは面倒です。それに本を見ながらの練習となるとどうしても練習時間が限定されてしまいます。だいたい私は元来面倒くさがり屋です。結局、細部まで全て覚えてしまいました。それ以降、朗読の練習は車を運転しているときや散歩をしているとき、それに風呂に入っているときなどの楽器を持てない時間が使えるようになったので随分余裕ができました。
 ライブでも初めは楽譜(本)を立てていたのですが、3年前くらいから楽譜を立てるのも止めました。楽譜を立てていると全部覚えていてもページの終わりにくればやはりページをめくってしまいます。楽器を弾きながらということもあり、それが次第にうっとうしくなってきました。
 初めて何も見ずにライブをやったときは、とにかく言葉を忘れないか、それが何より心配でした。ところが、いざ始まってみると、聞き手とまともに顔を向かい合わせることになってしまうのでどうもやりにくいことに気付きました。楽譜を立てているときには楽譜の方を見ているので聞き手とまともに顔が合うことはありません。演奏中は頭の中に自分の描くイメージを保ちたいと思うのですが、目の前には現実そのものが控えているのです。目が合ったりするとどうもバツが悪いので視線を合わさないようにするのですが、一人一人の様子は実によく見えます。じっとこちらを見ている人もいれば、腕を組んで考え込むような姿勢をしている人もいます。聞いているのか居眠りしているのかもわかりません。だいたい大勢の前で何かをするとき、相手がおもしろいと思っているか、つまらないと思っているかということをつかむのはそう簡単ではありません。それで演奏中でもそのあたりを探りながら弾いているのですが、それがなかなか掴めず、『こんなことならしない方が良かったかな』という気分になることの方が多いです。私自身は「やまなし」はすばらしい話だと確信しているのですが、それでも『みんながそう思うわけではないだろう』という気がしてくるのです。しかし、いったん始めた以上、途中で止めるわけには行きません。それで、あの手この手で自分自身を励ましながら弾き続けるのですが、残念ながらこれといういい手はないようです。目を閉じて弾くということもしてみましたが、普段そんなことはしないので却って不安な気分になるだけでした。それで、『楽譜を立てるだけでも立てた方が良かったかな、今度はそうしよう』というようなことを考えたりしているうちに終わりになってしまうことが多く、結局、雑念の中をさまよっているだけというのが現状です。
 あるとき、演奏中にふと窓の方を見たことがありました。そこは4階で、広い窓は海に向かって開いています。そこからは、いわゆるリアス式海岸で、静かな海に突き出た半島が入り組んでいくつもの小さな入り江を作っている様子が見えました。そして、その上空ではトンビが3羽、ゆったりと上昇気流に乗って、大きく弧を描きながら旋回しています。時おり、ピーーヒョローーーという間の抜けたような鳴き声も聞こえてきます。白い雲を背に大空を滑るように飛ぶトンビたちの長閑(ノドカ)な様子を見ていたら、一瞬、自分が演奏中であることを忘れてしまいました。演奏は電池の切れかけたオモチャのように止まりかけ、その音にハッと我に返ったのですが、一瞬、立ちくらみをしたときのようにわけがわからなくなりました。
 ほんの1,2秒のことだったと思います。でも、それは自分が如何に精神的に力んでいるかに気付いた瞬間だったのです。「やまなし」はいい作品だから是非それを知ってほしいと思ったり、ここをファンタジックな感じにするにはどう弾けばいいか…などなど。そんなことに気を取られ、自分が作品全体に抱いている気分はどこかに行ってしまっているのです。
 トンビたちは、眼下に広がる海原を眺めながら、耳元を切る風の音を聞いて、『ああ、いい気分だ』とでもいうようにピーーヒョローーーと鳴いているのでしょうか。そして、その気分が私の心に同調して私までいい気分になったのかも知れません。これからは私も自分が作品に抱く心地良さだけを感じつつ弾きつづけてみようかなと思います。そうすれば、中にはそれに同調する人もいるでしょう。おそらく、このあたりに生身の人間の演奏する良さがあるのではないでしょうか。
 その日は、そのあと、特にあわてることもなく演奏を終えることができました。トンビのことを考えながら、カニの親子の話を朗読して、指は指で勝手に弦を弾いている。頭の中はどうなっているのだろうという気がしてきて、そこに聞き手のいろいろな表情をした顔が目に飛び込んでくると、そのちぐはぐさにわけのわからないおかしさがこみ上げてきます。しかし、そういうことは演奏の表面には表れず、流れるままに時間が過ぎ、そして、最後の音を弾いたときには何となくいい心持ちで、今日は弾いて良かったなと思いました。
 これ以降、演奏中に言葉を忘れたり、音を忘れたりすることが増えました。どうしてなのか分かりません。緊張して忘れるというのはよくありますが、私の場合は気が緩み過ぎているみたいです。音としてはその方が聞いていて心地良いはずなのですが、途中で忘れてしまっては仕方がありません。とはいえ、ほんの一瞬のことですから、聞き手も全体の気分としては充分保てると思います。それなら、忘れないようにと神経をビリビリさせるより、少しくらい詰っても、とろっと眠いようなアルファ状態の穏やかな脳で弾き続けた方がいいかなと思います。もちろん、詰らない方がいいに決まっているのですが、それにしてもツマラナイ方がいいとはおかしな話になりました。
2005年8月18日


★コメント
 これは高校で非常勤講師をしていたときの話で、今もよく覚えています。たいていは化学を教えていて、最後の授業の日にはテストを返した後で「やまなし」を弾いていました。「クラムボンは笑ったよ」、たぶん生徒たちは喜んでくれたと思いますが、こうして終われたのは良かったです。
 今回、この記事を取り上げようと思ったのは、陰になった暗い棚の隅が気になって覗いてみると奥の方にMD用のケースを見つけたのです。中には10枚くらい入っていました。取り出してみると、それは教室でのライブ録音でした。2001年3月9日となっています。ついさっき聴いてみました。23年前の録音で、生徒の声も入っています。この時の演奏は初期の形でした。かなり早く朗読もよくありません。まるでへたです。25分もかかるのに、それでも生徒たちは静かに最後まで聴いてくれました。こんなところから始まったのかと思いました。この翌日にも家で録音していて、こちらはかなりマシでした。生徒の前で弾くのはやはり焦るようです。

 実は一昨日「やまなし」を弾きました。86歳になる長姉は去年から体調を悪くしていたのですが、少し良くなってきたということなので兄と次姉と一緒に様子を見に行きました。兄が車を運転し3時間半かかりました。長姉の家の居間で昼ご飯を食べ、いろいろ話をした後にギターを弾いたのですが、「やまなし」を弾こうかなと考えたのは4,5日前のことなので練習する時間はあまりありませんでした。音を思い出すのが精一杯というところです。MDを見つけたことがきっかけで、それまでは違うものを弾こうと考えていたのですが、こうして会えるのは最後になるかも知れない機会ならこの「やまなし」をみんなに聴いてもらおうという気になりました。まあ、うまく行かなくてもこれがいいだろうと思いました。いくつか間違いもありましたが、義兄が喜んでくれたので嬉しかったです。弾きながら、自分にもできることがあって良かったなと思いました。
2024年6月21日

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目撃、イタチは、やはり!

2024-03-20 14:20:11 | 「遊去の部屋」
<2005年5月3日に投稿>
 4月半ばのことでした。いつもの川岸を散歩していたときです。向こう岸の草むらを茶色いものがちょろちょろ動くのを見ました。向こう岸といってもすぐ近くです。川幅が20mくらいで、向こう側半分は草が茂っていて大雨の時以外はたくさんの生き物たちの棲家になっています。年に数回、濁流が川幅いっぱいに流れることもあるので、そのときには小鳥の巣などは全部流されてしまうのでしょう。それでも生き物たちはそんなことにはめげず、水が引くと、また、たくましく生活を再開しています。
 イタチは、どうなっているのかと思うほど細長い体をしています。そして敏捷に動き回るのですが、妙な癖があって、何秒かに一度ピタリと動きを止めるのです。その度に頭を高く上げてあたりの様子を窺い、すぐにまた行動を再開するという具合で、余計なことですが、ちょっと滑稽でさえあります。実際、川岸の草むらの中にいるときはこちらからは見えないのに、警戒のために頭を上げたときだけ見つかってしまうという、実に奇妙なことになっているのですが、本人は全く気付いていません。
 茶色の頭が草むらからちょろちょろ顔を出して、それがだんだん水際の方にやってきました。そして、水際のすぐ後ろの草の陰からちょっと顔を出すと隠れるように水面を覗き込んでいます。そして、次の瞬間、ひょいと水際の砂のところに飛び出るとそのまま川を泳ぎだしました。50cmくらい泳いだところでじゃぼんと水を撥ねて潜ると、上がってきたときには口に銀色の魚をくわえていました。あっという間の出来事です。そのまま泳いで川岸に戻り、そこでもう一度頭を上げて振り返るようにあたりを見るとすぐに草むらの中に姿を消しました。
 私は、TV番組ですが、前に四国の四万十川でイタチの毛皮を使った漁というのを見たことがあります。それは冬場のウグイ漁で、ウグイのイタチを恐れる習性を利用したものだということでした。本物のイタチの毛皮を棒の先につけて、ウグイの隠れている岩の下に突き込むと大きなウグイが、ゆっくりとですが、逃げ出して来るのです。私が疑問に思ったのは、あの大きな図体のウグイが、失礼ながら、イタチごときに恐れをなすものだろうかということでした。
 今回、イタチが捕らえた魚もせいぜい5,6cmくらいの大きさでした。しかし、イタチが魚を取るということは本当でした。そこで、この溝を埋める仮説です。
 大きなウグイにも子供の時代があります。子供のときは、魚は群れになって過ごします。そのとき、いきなり水面に茶色いものが現れて、水の中に潜ってくると仲間が一匹いなくなった。茶色いものはすぐに消えてしまったが、あたりには得体のしれない匂いが漂い、それが「恐怖」と結びつく。これが生き残ったものの心にトラウマとなって残り、体が大きくなったあとも拭うことができないで、茶色いものとあの匂いを嗅ぐと思わず浮き足立ってしまうという…。魚に足はありませんが、悪しからず。

注)トラウマ trauma 心的外傷、あとにまで残る激しい恐怖などの心理的衝撃や体験。
 こんな心理学の専門用語が一般化するなんておかしな世の中だと思います。私の使っている広辞苑第4版には載っていません。それを、前に中学生が、「それがちょっとしたトラウマで…」と話すのを聞いたことがあります。
 ついでですが、「心的外傷」という表現もよく見るとおもしろいですね。
2005年5月3日


★コメント
 先日もイタチを見ました。山の斜面でガサガサと音がするのでそちらを見ると黄土色の生き物が動いていました。私は気功をしていたのですが、殆ど動かないので生き物がよく出てきます。
 前に山の中の棚田の跡で気功をしているとすぐ下の水路でバシャバシャと水の中を走る音がしました。幅30㎝くらいの狭い流れですが私の前のところでいきなり畔の上に何かが飛び出しました。黄褐色の背中が見え、イタチだなと思った瞬間、何か気配を感じたのか、こちらを振り返ったのです。あの時の驚いた顔は今も忘れません。パニック状態で、脳が対応できなくなったのでしょう。ギョッとした顔で反り返って倒れそうになりましたが後ろに延びた長いしっぽに支えられ、辛うじて転倒は免れました。そして、ぎこちなく体を動かしながら逃げて行ったのです。人間なら「腰を抜かした」というところでしょう。タヌキなら気絶したかも知れないなと思いました。
2024年3月20日


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アイリッシュ・ダンス

2024-02-21 14:15:10 | 「遊去の部屋」
<2008年8月18日に投稿>
(1) ケルトのスプーン
 あり得ないことも起こるものだなぁというのが、正直なところ、実感です。それは、つまり、私が、今、アイリッシュ・ダンスをやっているということです。いや、やっているというほど大げさなものではありませんが、3月に足を突っ込んでしまったので、かれこれ6ヶ月ということになりますか。といっても月に2回くらいのことなので、回数としてはわずかですが、それでも武道や格闘技をやってきた人間にとっては、これは相当ショッキングな出来事です。だから、まだ誰にも話していません。
 そもそもの事の起こりは1枚のCDからでした。ALTのAさんとの話の中でルネッサンス音楽が話題になったことがありました。後日、Aさんは1枚のCDをくれました。そこにはケルト音楽がいっぱい詰っていたのです。私は若いときから『ケルト文化』に興味を持っていました。「森の民、ケルト」、この響きには何か心を惹かれるものがありました。昔はヨーロッパ全体の森に広がって暮らしていたようですが、森の開墾とともに次第に追いやられ、その末裔と呼ばれる人々の多くは、今、アイルランド、スコットランド、ウェールズや北フランスのノルマンディー地方などに住んでいて、そこでゲール語やブルトン語など独自の言語や文化を守ろうとしています。
 ケルト音楽といっても何も特別なものではありません。その地域の人たちが昔から親しんできた音楽です。一度聴けば、『これのことか』とすぐに分かるでしょう。ヴァイオリン(フィドル)の弾き方は特に自由自在で生き生きとしていて、実に喜びに溢れているように聞こえるし、バグパイプも、鳴りっぱなしの音(ドローン)があったり、おもしろい楽器です。また、スプーンのような生活用具を楽器代わりに使うこともあり、音楽と暮らしが密着していることをうかがわせます。
 これは2本のスプーンを使ってカチャカチャ音を出してリズムを取るだけなのですが、これがまたいいのです。私はこの話と演奏を10年くらい前にラジオで聴いたことがありました。すごく気に入ったので何とか自分でもやろうとしましたが、やり方がどうしても分かりませんでした。私がその話をするとAさんはにっこりして机の引出しを開けました。すると、そこには、何と、スプーンの束が入っていたのです。そして、そこからスプーンを2本取り出すとカチャカチャやり始めました。私が知りたかったのは、まさに、それでした。こんな形で長年の謎が解けるとは思ってもみないことでした。しかし、それにしても不思議なのは、彼女の仕事机の引出しに、どうしてそんなにたくさんのスプーンの束が入っていたかということです。
 そのときに彼女はケルトダンサーだということを知ったのですが、私は「ケルトダンス」というものは知りませんでした。私が見たことがないというと、彼女はすぐにパソコンのキーボードを叩き始めました。これがまためちゃめちゃ速い。カチャカチャッカチャと打ち込むと画面に映像が現れました。インターネットで簡単に動画が見られるのですね。それはケルトダンスのライブ録画の映像でした。私は、もう、ただただすごいと思いました。それは、自らの文化の誇りというものを内に秘めた、気高さに溢れるものでした。

(2) セント・パトリック・デイ・パレード
 「3月8日(2008年)に来ませんか。」とAさんが声をかけてくれました。セント・パトリック・デイというのがあることは知っていました。その日にパレードがあるというのも聞いたことはありました。しかし、それが伊勢であるというのは間違いだろうと思いました。もちろん、同じ日に世界中でパレードをするということだから伊勢であってもおかしくはありません。しかし、まさか、伊勢で? そんなこと、私には考えられなかったのです。彼女が町を勘違いしているとしか思えません。そう言うと、自分もパレードに参加してダンスをするといって、カチャカチャカチャ…、するとすぐにそのホームページが出てきました。5年前から始まっていたようです。
 ホームページには怪しげな写真が載っていました。仮装パレードだからアヤシイのは当然ですが、そこにいる人たちは、どう見ても私とは異質な世界の人々に見えたので、はっきり言って、近付きたくないというのが正直な印象でした。だけど、Aさんには、率直に「行かない」とは言いにくかったので「時間があれば…」と婉曲に答えてしまいました。ところが、その日が近付いてくるにつれて、どうも「婉曲な」言い回しは通じていないのではないかという気がしてきたのです。そんなとき新聞にパレードの記事が出ました。そこにはバグパイプの演奏もあると書いてありました。伊勢にバグパイプを吹く人なんているんだろうか。それとも他所から呼ぶのだろうか。私は、生でバグパイプの演奏を聴いたことはなかったし、Aさんのことも気になったので少しだけ顔を出してみようかという気になりました。
 3月8日(土)正午、伊勢神宮外宮出発ということだったので、寒風の中、私は自転車で出かけていきました。外宮の前にはアヤシゲな人たち集まっています。全体の3分の1くらいは外人でした。その集団から少し離れて日本人が集まっています。そして、それら全体を遠巻きにするように、かなり離れたところから神宮の観光客が好奇の目で見ています。神宮の雰囲気とこれほど合わない集団もないだろうと思いました。私はAさんを捜しましたが見当たりません。外国人のところへ行って尋ねてみましたが知らないというし、どうなっているんだろうと思ってきょろきょろしているとバグパイプの人が目に止まりました。頭の先から足の先までスコットランドです。私は自転車を引いてそちらの方へ行きました。
 出発時間は過ぎていましたが、パレードは一向に始まりません。それで私はバグパイプの人に少し話を聞いてみました。めったにない機会なので、この際、気になることは聞いておこうと思ったのです。そうすると、パレードの途中で何度か演奏するということがわかったので、最初の一回だけでも聴いておこうと思い、パレードについて行くことにしました。しかし、何しろ自転車を引いてついて行くわけなので厄介です。早めに切り上げた方がいいだろうと思いました。
 急に騒がしくなったのでそちらを振り返るとその中心にAさんがいました。忘れ物をして、家に取りに行っていたらしいです。それでパレードの出発が遅れていたのでしょう。そちらに行くと、Aさんは大きな声で回りの人を私に紹介してくれました。その中の一人にAさんが教えているアイリッシュ・ダンス・サークルの人がいて、その人にいきなり活動予定のチラシを渡されました。強引な勧誘にたじたじとなりましたが、ここは誤解を生んではいけないと思い、興味がないとはっきり伝えました。が、このとき、勧誘というものはこのくらいの積極性をもってするべきものかもしれない思いました。というのは、私は自分のコンサートのチラシを渡すときにも決して強く宣伝することはないからです。これだけ楽しみの多い時代に、自分がおもしろくないかもしれないと思っているようでは動く人も動いてはくれないでしょう。だけど、実際には、それにも拘わらず、ひょっこり顔を出してくれる人がいるものです。私は、どちらかというと、そちらの方を楽しみにしています。
 パレードが動き出しました。バグパイプが景気よく鳴り出し、「St. Patrick’s Day Parade Ise」と書かれた横断幕を先頭に、楽器を抱えた人や関係者(?)が続き、それから大きなアイルランドの国旗を、戸板を運ぶように、女子高校生が両側に3人ずつ、手に持って続きます。私はこのとき初めてアイルランドの国旗というものを知りました。その後ろから妖精やアマガエルのような緑の服を着た外人やら、仮装した得体の知れない集団がぞろぞろついていきます。私も自転車を引いて後に続きました。
 集団の中に、白いヒゲを生やした聖人の扮装した外人がいました。見事な衣装で、背丈ほどある木の杖を手に持っているのですが、見ると、杖の太い方を下にしています。『ここにもあったか』私は心の中で呟きました。私は子供の頃から、西洋と日本で反対のものが多いことを不思議に思っていました。それで、そのわけを考えるために、取り合えず、反対のものと同じものを、できるだけたくさん見つけようとしていたので、すぐに目が止まったのだと思います。それで、その聖人の所へ行って、あなたの国では杖はそうやって持つのかと聞いてみました。そうしたら、上を見たり下を見たりしてから、「どっちでもいい」と言って、結局、杖を逆さまに持ち替えてしまいました。今から考えると、その人は杖なんか突いたことがなかったのではないかと思います。これは「反対リスト」からは外した方が良さそうです。国民や民族の習慣と個人の癖とを区別しないといけないので、このあたりにも注意が必要です。
 途中で2回、アイリッシュ・ダンスがありました。いわゆる、フォーク・ダンスのようなものです。Aさんが少々(実は、かなり)あやしい日本語で説明し、その場で覚えるのですが、参加者が少なそうにみえたので、これはまずいなと思い、すぐそちらへ行き、輪に入りました。普段なら、こういうことは決してしないのですが、やはり、ここは支えなければならないと思ったからでした。
 パレードの途中でバグパイプの人と話をしていると、「後で吹いてみますか。」と言われました。楽器の好きな人間なら誰でも楽器にさわってみたいと思うものです。私はうれしかったけど、これは当然、社交辞令だと思いました。パレードが終って帰ろうとしていたら、その人が、どうぞ、と言ってバグパイプを私に渡してくれました。その人に教えてもらって抱えたのですが、ふにゃふにゃで形にならず抱えることができません。息を皮袋の中にいっぱい吹き込んで、初めてバグパイプらしい形になるのだということが分かりました。そして、脇に抱えた皮袋を腕で押しながら音を出すのですが、すぐに空気が抜けていくので、口にくわえたパイプからひっきりなしに息を吹き込まねばなりません。演奏している間、休みなく、非音楽的に空気を供給しなければならないのです。すぐに頭が痛くなってきました。酸欠です。フルートを吹いたときもそうでしたが、これはフルートの比ではありません。何でもやってみないとわからないものだなぁと思いました。いい体験になりました。

(3) ダンス・サークル
 例のチラシにアイリッシュ・ダンスの活動予定が記されていました。4月の初めの土曜日に、伊勢神宮の内宮の横の公園で、特別企画の練習があるようです。ちょうど桜が満開です。特別企画なら1回きりです。それなら花見も兼ねてちょっと様子を見に行ってみようかなと思いました。自転車で1時間もあれば着くだろうと予測していたのですが、自転車に乗ると、いつものことですが、トレーニングをしているような走り方になってしまうので早く着いてしまいました。さて、公園には着いたものの、場所がわかりません。公園はかなり広いのです。木もたくさん繁っていて見通しが利かず、自転車でぐるっと回りましたがわかりませんでした。チラシに載っている番号に電話をしてみようと思いましたが、私は携帯電話を持っていません。近頃は公衆電話が殆んど姿を消したので見つけるのが大変です。駐車場の係員に尋ねてみると県営体育館の事務室で借りるしかないだろうといいます。事情を説明するのがめんどうなのでもう一度自転車で捜してみることにしました。
 しばらくして、木に掛かっている大きな布が目に止まりました。赤、白、緑、アイルランドの国旗です。なるほど、こういう手があったか。感心しました。Aさんとパレードのときの人がいて喜んでくれました。それからだんだん人が集まりはじめましたが全員女性で、半分は老人といってもいいでしょう。場違いな所へ来てしまったとの感はありましたが、自分にとっては未知の世界でもあるし、きっと何かしら学ぶことがあるはずだと自分に言い聞かせました。
 このとき驚いたのは、何と言っても、あのにぎやかなケルト音楽に合わせて踊っていたことでした。まさか、あの速い音楽に合わせて踊るとは思いませんでした。私は、ずっと、古い時代の人々の生活感情をつかみたいと思ってきたので、これは何か分かるかも知れないと感じました。これまでは古い絵などを参考にしてそれをつかもうとしてきたのですが、当時の人々がやったように、その音楽に合わせて自分も同じように体を動かせば、絵から得られるものとは違った何かがつかめるに違いありません。
 ただ、ここに一つ問題がありました。私は若いときからずっと単独行動が中心の生き方をしてきました。「集団」あるいは「組織」に所属するということを避けてきたのです。それには理由があるのですが、とにかく、そのことで私は共同して作業をするということが苦手な人間になってしまいました。止むを得ず、属さなければならないときにはひたすら忍耐、そして、解放されるのを心待ちにする始末です。しかし、集団で物事に取り組むとき、個人ではできないような力を発揮することがあるのも事実です。それで自分ももう少しうまく集団に馴染むことができればなぁという考えは以前からありました。今回のアイリッシュ・ダンスを続けている理由の一つがそこにあります。もしかすると、私にとってはこちらのトレーニングの方が意義深いかもしれません。
 「ケルト」をイメージした話はまだ一つしか書いていません。いくつか書きかけたものもあるのですが、人々の生身の生活感情が見えてこないところがあって、結局、全部途中で止まっています。当然、それには理由があるはずです。そこを突き抜けるべく、1,2,3,4,1,2,3,4、…とやっているのです。この前も「ジーグ(古い踊りの一種)」のステップを教えてもらいました。ジーグはバロック音楽の組曲にはたいてい入っています。これまで私は音楽だけを聴いてきたのですが、足の運びを教えてもらって、まさに、「目からウロコ」でした。楽しそうな踊りなのですが、私は楽しそうなものは苦手なのです。気恥ずかしくできません。だけど、考えてみれば、ほんの少し前まで、普通の人々の暮らしは貧しく、日々の労働は辛いものでした。そして、年に数度、祝祭などの「ハレ」の日に、人々はみんなで一緒に喜びを分かち合ったのでしょう。みんなで同じ所作をすることで感情を共有し、それが次第に形になったものがダンスなのだろうと考えています。だから、私もその形をなぞることで当時の人々の喜びをわずかなりとも体感できるのではないかと期待しています。が、しかし、ダンスそのものが目的になることはないでしょう。
2008.8.18

★コメント
 AさんというのはAshleyという名前のカナダ人で、高校でALTとして働いていたのですが、彼女の席は私の隣でした。苗字は一度も呼んだことがないので忘れてしまいました。アシュリーというと「風と共に去りぬ」に出て来る男の人の名前なので、これは男性の名前だと思っていたのですがそうでもないようです。辞書には「男子の名前」と書いてあるのですが…。
 Ashleyに出会ったのはラッキーでした。今、彼女が作ってくれたケルト音楽が入ったCD-Rをかけています。結局、彼女が日本を去るまでの3年くらいケルトダンスを教えてもらっていました。それからはしていなかったのですが、つい最近このステップを日常的に取り入れてみることにしました。ずっと家にいるとどうしても運動不足になります。今は剣道も膝を傷めて半年ほど休止しているし、太極拳だけでは運動量が少ないように思います。それで庭に出てケルトダンスのステップをやってみるとあっという間に息が上がってしまいました。それは足を踏みかえるときに軽いジャンプを伴うからです。ジャンプにはかなりのエネルギーを使うようで、これはいいと思いました。
 3月になるとセントパトリックスデーがあります。St. Patrick’s Day ですが、カタカナで書くときに ’s を「ス」として入れるべきかどうか迷います。初めてこのパレードに行ったときシャムロックの小さなワッペンを渡されました。体のどこかに緑のものを付けなければいけないのだと言います。シャムロックはアイルランド語でクローバーのことだそうです。あるときAshley が四つ葉のクローバーを見つけたことがあると言うので『まさか』と私は思いました。というのはそれは「おはなし」の世界の話であって実際には存在しないと思っていたからです。するとAshleyはあちこち引き出しの捜し始めましたが、結局その時には見つかりませんでした。だけど何度も見つけたことがあるようで驚きました。どうも彼女はクローバーがあると無心に四つ葉のものを探してしまうようです。そしてそれを押し花(葉)にしているらしいのですが…。多分、今も同じでしょう。私は四つ葉のクローバーを見つけたことはありませんが、Ashleyに出会えたことは「幸運」でした。
2024年2月21日


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