<2010年3月22日に投稿>
<ジーグ>というのは、16世紀のイギリスで流行した舞踏(ダンス)です。<ジグ>というべきかもしれませんが、この音楽を聴いている限り<ジグ>と短く呼ぶ気分にはなれません。<ジーグ>はjig[英]と書きますが、これはgigue (ジグ)[仏]の起源となり、バロック期の組曲などにも取り入れられ、その時代の音楽を構成する重要な要素になっていきました。
私が最初に知った<ジーグ>はgigueの方で、バッハなどの組曲に入っているものでした。組曲というのはいくつかの舞曲の形式を借りて曲を書き、それらを並べて一つにまとめた形をとっています。その最後にジーグ(gigue)を持ってくることが多いのですが、私はそのgigueにずっと違和感がありました。それは、音楽辞典には、ジーグ、「軽快なダンス」とあるにも拘わらず、聞いていて「踊り出したくなる」ようなところがまったく感じられなかったからでした。特に入り口がバッハのgigueだったため、音楽の方向性が器楽曲としての完成に向いていて、gigueの形式を借りてはいるものの内容はバッハそのものだったためかもしれません。
ルネッサンス・バロック期にジーグを書いている作曲家はたくさんいるのですが、最初にバッハを聴いてしまうと、その内容の密度の違いは他の人とは比べようもなく、バッハ以外の楽譜を見ても弾いてみようという気すら起こりませんでした。ジーグと、そういう歪(イビツ)な付き合い方をして30年が過ぎ、その結果、一番馴染めないものというのが私の中でのジーグの位置でした。
アイリッシュ・ダンスではジーグ(jig)とリール(reel)をよく使います。そのときに使う音楽を聴いた瞬間、世界は一変、空気は一気にアイルランド化し、リズムが体に飛び込んでくるのです。2年前に私はこの体験をしたのですが、同時に「危険な匂い」も感じました。その理由は、そのときにはわからなかったのですが、今の時点で考えてみると、やはり、文化的な違いから来るのではないかと思います。アイリッシュのダンスや音楽では自分の気分を100%、いや、それ以上に、自分だけでは出せないところまで表出します。日本的な文化では、周りの様子を見ながら自分を押さえて、差し障りのない程度に、機をみてちらっとだけ自分を見せる、つまり、それが控えめということで評価の基礎にあり、共通認識になっています。
私の推測では、これは近代の産物です。武士が江戸時代に入ると儒学によってその性質を変じたように、民衆の在り方も日本の近代化の過程でその雛型が作り上げられてきたのではないか考えています。そのような日本人的気質の説明を「農耕社会」に求めることが多いのですが、共同作業を伴う農耕社会は世界中どこにでもあり、そこで育まれる気質と「出る釘は打たれる」的なことに対する警戒感や目立たないように横並びをする意識とは本質的には別の事柄ではないかと思います。とにかく、私にも自分を出すことに対する警戒心がありますから、全面的に自分を出す世界に嵌ったら大変だとの意識はありました。
この2年間で私は貴重な体験をすることができました。アイリッシュ・ダンスの会に顔を出すようになったのはダンスがしたかったからではありません。もちろん、ダンスを覚えたいというわけでもありませんでした。私が知りたかったのは、ダンスをしていた頃の、その古い時代の人々の気持ちだったのです。その時代の資料から得られるものは、知識として頭を通して受け止めます。音楽も現代人の感覚で捉えているわけで、その当時の人々が感じたものとはかけ離れているのではないかと考えています。たとえば、子供の頃、すき焼きは年一回、肉はほんの少し入っているだけでした。野菜の下に隠れている肉片の在り処を、先に奪われやしないかと戦々恐々として御飯を口に掻き込みながら狙っていたものです。大家族で、ほんのわずかしか口にできなかったすき焼きの肉、その肉のうまかったこと、あんな喜びは今では味わうことができないものとなりました。高級な牛肉の塊を口一杯に頬張ることのできる時代になって思うことは、肉ってこんなものだったのかということです。「ハレ」と「ケ」、つまり、非日常と日常ですが、「ハレ」の喜びは「ケ」の存在によって何倍にも増幅されるものですから,一年中「ハレ」のような現代においてはその分だけ喜びも希薄で、より強い刺激を求める方向にエスカレートしていくことになるのでしょう。
ダンスの場合は体を動かします。当時の人々が動かしたのと同じように体を動かします。そうするとその動きに応じて体中に血が流れ、全身が紅潮してきます。その結果、脳内に生まれる感覚や感情は当時の人々の抱いたものと類似するところがあるのではないかと私は考えました。そして、確かに手応えはありました。ところが、ダンスを終って1時間もすると、もう音楽を頭の中で再現できないのです。そうなるとそのときの気分も再現できません。私は何とかその音楽を保持しようとしましたが、記録するにも家に着いた頃にはすっかり消えてしまっていることの繰り返しでどうにもなりませんでした。ダンスのときに使うCDを手に入れればいいだけの話なのですが、そういう安易な手段を選ぶことに対しては躊躇いがありました。それで2年間ガマンしていたのですが、ダンスを教えてくれるAさんが、あと半年で帰国すると聞いたので、もう時間的に余裕はないと考えてAさんにCDを欲しいと頼んだのでした。そのとき、ジーグがいいか、リールがいいか聞かれたのですが、その違いもよく分からなかったので、どちらでもいいと言ってしまいました。すると、Aさんは、では、ジーグとリールを半分ずついれましょうと言ってくれたのですが、家に帰ってから、もしかすると、Aさんはジーグとリールを別々のCDで管理しているのかもしれないと思い当たり、メールで、別々に管理しているのなら2枚欲しいと伝えたのでした。2枚欲しいというのはさすがに言いにくかったのですが、次に会ったときには2枚作ってくれてあり、そのときには言って良かったと思いました。
家に帰って最初にかけたのはジーグでした。音楽が鳴ると同時に部屋の空気は一気にアイルランドにジャンプしてしまいます。何という音の力。題名を見ると読めません。Eavesdropper’s Jig。辞書を見ると、「eavesdropper 立ち聞きする人、盗み聞きする人」とあります。「立ち聞きする人のジーグ」、信じられない気持ちでした。「盗み聞きする人」、いったい、こういう人が曲のテーマになりうるものなのか。でも、音楽を聞く限り日本語訳から来るイメージはまったくありません。
2曲目はThe Dusty Windowsill。dustyは「ほこり(ゴミ)だらけの」の意味で、windowsill or window sillは「窓敷居」ということなので、埃が積って、いかにも汚れた窓の様子が目に浮かびます。そのような情景を音楽で表現できるものだろうか、連想の連想…という形でなら可能かもしれないが、埃だらけの窓を直接、音で表現することなど不可能だと思うと同時に、そういうテーマで曲を書こうという気になること自体、あり得ない、そんな暇があるのならその前に窓を掃除しろと言いたいところです。1曲目同様、この曲からも「埃だらけの窓敷居」を頭に浮かべることはできませんでした。
3曲目はHorses Geese And Old Manということで、なんだこりゃ、というところでしょうか。馬と老人か、ガチョウと老人の結びつきなら、場のイメージがまだ湧かないでもないと思いますが、そこに馬とガチョウの組み合わせが出てくるとまったくのミスマッチというか、老人までがまともな人物とは思えなくなってしまいます。
そして、ついに来ました、4曲目。Old Hag。Hagは辞書によると「鬼ばばあ、醜い老婆、悪婆」で、こうなるともうお手上げです。いったい、アイリッシュとはどういう人たちなんだろうと思いました。Aさんが、ダンスのとき、「コノキョク ハ 『オニババア』 デス。」と紹介したのを思い出します。私はhagという単語を知らなかったので、もう少し違う訳を当てた方がいいのではないかと言ったのですが、そのときにこの言葉にぴったりする日本語がないことを知りました。この訳語を考えていてちょっと気になったことがあります。hagが「(鬼)婆」ならoldは何かということです。young hagというのはないのでしょうか。矛盾してしまいます。それとも女性の初期高齢者ということにでもなるのでしょうか。この曲も同様、タイトルとはかけ離れたイメージです。コミカルで華奢な響きのする曲で私の大好きなものの一つになりました。
3月にセント・パトリック・デイ・パレードがありました。これはアイリッシュ系のお祭りです。私がこの世界に触れるきっかけになったのもこのパレードでした。昨年は参加しなかったのですが、今年はアイリッシュダンスの会での流れから参加することになりました。初めて参加したときには本物のバグパイプに出会ったのですが、今回はライアという楽器を見ることができました。古代ギリシャ起源の楽器でハープの原型だということでした。古い楽器というのは、形そのものが美しいラインを持っているのでそれだけで充分魅力的に見えますが、何と言っても楽器ですから音が気になります。こんな小さなハープで、野外で十分な音量を出せるのだろうかと思いましたが、歩きながら主役の旋律を奏でるバイオリンに併せて、ポロンポロンと爪弾くライアの音は、その周りに音の空気のような空間を生み出していて、聴く人々の心を和ませるに充分なものがありました。家に帰って「ライア」を調べるとlyreで「リラ」とも言うとあり、そのときなって、あれがリラだったのかと現物に出会えたことをもう一度喜んだのでした。
その日のパレードには私が楽しみにしていたものがもう一つありました。Aさんが、自分より十倍うまいというMさんが来てダンスをすることになっていたのです。男性のソロダンスは画像でしか見せてもらったことがなかったので、その日のライブは私にとっては目玉でした。特に男性のダンスはタップダンスの原型になったものだけに、その迫力は生でないと味わえません。ジーパンの後ろのポケットに靴を片方ずつねじ込んでいる背の高い外人がいたので、これがMさんだなとすぐにわかりました。パレードの終着点に特設舞台が用意されていたのですが、一目見るなり、まさか、この上で?と思いました。高さ50cmくらいの、金属製の枠組みの上に板を置いてあるだけです。歩くとぐわぐわします。これはいくら何でも危険です。それかといって、タップの要素があるので板がないと音が出ません。板を直接地面の上にでも置くようにしないと危ないぞ、どうするつもりなのかと思っていたら、Mさんが舞台に飛び上がりました。すると、案の定、舞台がバタバタと踊り始め、そして、Mさんが板を強く蹴ると、その瞬間に板が50cmくらい浮き上がり、とうとうMさんは舞台から飛び降りてしまいました。そこからのタップの音はカチカチ鳴るだけで音の迫力は0になってしまいましたが、取り敢えず、事故がなくて良かったです。
そのあと、アイリッシュ・ミュージックの生演奏になりました。やはり、生は凄いです。もうじっとしていられなくなるのです。アイリッシュ・ダンスを知らない人に簡単なダンスを教えながら始まったのですが、すぐにそんなことそっちのけで踊ってしまいました。こんなことは始めての体験でした。まさか自分が路上で踊って楽しめるなどとは夢にも思いませんでした。昔の人々の気持ちが少し感じられたような気がしました。
その日の夕方、パーティーがあり、ギネスビールが飲めるということもあって、初めて出かけて行きました。そういう場所は苦手なのですが、誘われて、無下にも断れず、参加することに決めたのです。ところが、その日、まったく知らなかった自分自身を発見することになりました。半分くらいは外国人で、その人たちもアイリッシュ・ダンスは知らないようでした。だけど、生演奏で、見よう見まねで一緒に踊り始めるとずっと前から知っていたような親しみを感じるようになるのです。こういう感覚は頭を通した言葉では生まれないなと思いました。古い時代の人々は、自然に弄ばれるかのような厳しい生活環境の中で、挫けそうになる心をこういうダンスや音楽で支えて来たに違いないという確信を持ちました。ジョギングをした後と同じくらいの汗をかき、その興奮は3日くらい続きました。そして、ついに、長い間、ケースに閉じ込めてあったバイオリンを取り出して……、今度は一切楽譜なしで勘だけで音を探って弾いていきます。そうすると、まるで、音が生きているようで、以前には感じることのなかったような親しみが湧いてくることを知りました。もしかするとパンドラの箱を開けてしまったのかもしれません。『赤い靴』の前提にはきっとこういう気分があったのでしょう。今もジーグを聴くとその瞬間から心が高揚を始めますが、ギネスを飲んではいけません。『飲めば極楽、踊れば地獄』、ビールを飲むと息が切れ、汗が噴き出して、ついには目が回ってしまいます。昔の人々は、祭りではビールを飲んで踊り明かしたものだろうと思いますが、それには化け物のような体力が必要です。たった1パイント(pint、ざっと500ml)のギネスでこんなことではとても古い時代を生き抜くことはできなかったでしょう。これも体を動かすことによって知り得たことの一つです。今はその心意気だけを頂いて、ギネスは年一回くらいにしておきましょう。
2010.3.22
★コメント
この時期になると、いつものことながら、バンド(ベルト?かな)がきつくなります。夏にはそれがごそごそになるのですが、冬には畑で汗をかくようなことも殆どないためでしょう。前にカナダ人の知り合いがウインター・タイヤー (winter tire) と言っていました。そうなると足の爪を切るのも苦しくなります。『これはまずい』ということで思い出したのがアイリッシュ・ダンスでした。
庭で少し足の踏みかえをやってみると、このときに軽くジャンプをするためかすぐに息が切れます。ジャンプはエネルギーを使うようだと思いました。これはいい。ジャンプの程度は自分で加減できるからいくつかステップを組み合わせて適当に作ればいいだけです。膝の具合もかなり良くなってきているのでリハビリになるかも知れません。正座をすると多少違和感があるのでもう完治はしないだろうと思っています。ここまで治るのに1年半もかかっているわけで、年齢を考えると正座できるようになっただけでも「良し」とすべきでしょう。
それで今回は「アイリッシュ・ダンス」を取り上げようと思って調べたら去年の2月に出していることが分かりました。そのとき今回の記事があることを見つけたのです。書いたことすら忘れていました。そして分かったことは、Ashleyは3年間しか日本にいなかったということです。そんなに短かったとは意外でした。彼女にはいくつか英語版の朗読もしてもらいました。それらはMDに録音してあるのでまたユーチューブに出していこうかなとも考えています。今、何処で、どうしているのやら分かりませんが、元気でいてくれることを願うばかりです。
2025年1月20日
<ジーグ>というのは、16世紀のイギリスで流行した舞踏(ダンス)です。<ジグ>というべきかもしれませんが、この音楽を聴いている限り<ジグ>と短く呼ぶ気分にはなれません。<ジーグ>はjig[英]と書きますが、これはgigue (ジグ)[仏]の起源となり、バロック期の組曲などにも取り入れられ、その時代の音楽を構成する重要な要素になっていきました。
私が最初に知った<ジーグ>はgigueの方で、バッハなどの組曲に入っているものでした。組曲というのはいくつかの舞曲の形式を借りて曲を書き、それらを並べて一つにまとめた形をとっています。その最後にジーグ(gigue)を持ってくることが多いのですが、私はそのgigueにずっと違和感がありました。それは、音楽辞典には、ジーグ、「軽快なダンス」とあるにも拘わらず、聞いていて「踊り出したくなる」ようなところがまったく感じられなかったからでした。特に入り口がバッハのgigueだったため、音楽の方向性が器楽曲としての完成に向いていて、gigueの形式を借りてはいるものの内容はバッハそのものだったためかもしれません。
ルネッサンス・バロック期にジーグを書いている作曲家はたくさんいるのですが、最初にバッハを聴いてしまうと、その内容の密度の違いは他の人とは比べようもなく、バッハ以外の楽譜を見ても弾いてみようという気すら起こりませんでした。ジーグと、そういう歪(イビツ)な付き合い方をして30年が過ぎ、その結果、一番馴染めないものというのが私の中でのジーグの位置でした。
アイリッシュ・ダンスではジーグ(jig)とリール(reel)をよく使います。そのときに使う音楽を聴いた瞬間、世界は一変、空気は一気にアイルランド化し、リズムが体に飛び込んでくるのです。2年前に私はこの体験をしたのですが、同時に「危険な匂い」も感じました。その理由は、そのときにはわからなかったのですが、今の時点で考えてみると、やはり、文化的な違いから来るのではないかと思います。アイリッシュのダンスや音楽では自分の気分を100%、いや、それ以上に、自分だけでは出せないところまで表出します。日本的な文化では、周りの様子を見ながら自分を押さえて、差し障りのない程度に、機をみてちらっとだけ自分を見せる、つまり、それが控えめということで評価の基礎にあり、共通認識になっています。
私の推測では、これは近代の産物です。武士が江戸時代に入ると儒学によってその性質を変じたように、民衆の在り方も日本の近代化の過程でその雛型が作り上げられてきたのではないか考えています。そのような日本人的気質の説明を「農耕社会」に求めることが多いのですが、共同作業を伴う農耕社会は世界中どこにでもあり、そこで育まれる気質と「出る釘は打たれる」的なことに対する警戒感や目立たないように横並びをする意識とは本質的には別の事柄ではないかと思います。とにかく、私にも自分を出すことに対する警戒心がありますから、全面的に自分を出す世界に嵌ったら大変だとの意識はありました。
この2年間で私は貴重な体験をすることができました。アイリッシュ・ダンスの会に顔を出すようになったのはダンスがしたかったからではありません。もちろん、ダンスを覚えたいというわけでもありませんでした。私が知りたかったのは、ダンスをしていた頃の、その古い時代の人々の気持ちだったのです。その時代の資料から得られるものは、知識として頭を通して受け止めます。音楽も現代人の感覚で捉えているわけで、その当時の人々が感じたものとはかけ離れているのではないかと考えています。たとえば、子供の頃、すき焼きは年一回、肉はほんの少し入っているだけでした。野菜の下に隠れている肉片の在り処を、先に奪われやしないかと戦々恐々として御飯を口に掻き込みながら狙っていたものです。大家族で、ほんのわずかしか口にできなかったすき焼きの肉、その肉のうまかったこと、あんな喜びは今では味わうことができないものとなりました。高級な牛肉の塊を口一杯に頬張ることのできる時代になって思うことは、肉ってこんなものだったのかということです。「ハレ」と「ケ」、つまり、非日常と日常ですが、「ハレ」の喜びは「ケ」の存在によって何倍にも増幅されるものですから,一年中「ハレ」のような現代においてはその分だけ喜びも希薄で、より強い刺激を求める方向にエスカレートしていくことになるのでしょう。
ダンスの場合は体を動かします。当時の人々が動かしたのと同じように体を動かします。そうするとその動きに応じて体中に血が流れ、全身が紅潮してきます。その結果、脳内に生まれる感覚や感情は当時の人々の抱いたものと類似するところがあるのではないかと私は考えました。そして、確かに手応えはありました。ところが、ダンスを終って1時間もすると、もう音楽を頭の中で再現できないのです。そうなるとそのときの気分も再現できません。私は何とかその音楽を保持しようとしましたが、記録するにも家に着いた頃にはすっかり消えてしまっていることの繰り返しでどうにもなりませんでした。ダンスのときに使うCDを手に入れればいいだけの話なのですが、そういう安易な手段を選ぶことに対しては躊躇いがありました。それで2年間ガマンしていたのですが、ダンスを教えてくれるAさんが、あと半年で帰国すると聞いたので、もう時間的に余裕はないと考えてAさんにCDを欲しいと頼んだのでした。そのとき、ジーグがいいか、リールがいいか聞かれたのですが、その違いもよく分からなかったので、どちらでもいいと言ってしまいました。すると、Aさんは、では、ジーグとリールを半分ずついれましょうと言ってくれたのですが、家に帰ってから、もしかすると、Aさんはジーグとリールを別々のCDで管理しているのかもしれないと思い当たり、メールで、別々に管理しているのなら2枚欲しいと伝えたのでした。2枚欲しいというのはさすがに言いにくかったのですが、次に会ったときには2枚作ってくれてあり、そのときには言って良かったと思いました。
家に帰って最初にかけたのはジーグでした。音楽が鳴ると同時に部屋の空気は一気にアイルランドにジャンプしてしまいます。何という音の力。題名を見ると読めません。Eavesdropper’s Jig。辞書を見ると、「eavesdropper 立ち聞きする人、盗み聞きする人」とあります。「立ち聞きする人のジーグ」、信じられない気持ちでした。「盗み聞きする人」、いったい、こういう人が曲のテーマになりうるものなのか。でも、音楽を聞く限り日本語訳から来るイメージはまったくありません。
2曲目はThe Dusty Windowsill。dustyは「ほこり(ゴミ)だらけの」の意味で、windowsill or window sillは「窓敷居」ということなので、埃が積って、いかにも汚れた窓の様子が目に浮かびます。そのような情景を音楽で表現できるものだろうか、連想の連想…という形でなら可能かもしれないが、埃だらけの窓を直接、音で表現することなど不可能だと思うと同時に、そういうテーマで曲を書こうという気になること自体、あり得ない、そんな暇があるのならその前に窓を掃除しろと言いたいところです。1曲目同様、この曲からも「埃だらけの窓敷居」を頭に浮かべることはできませんでした。
3曲目はHorses Geese And Old Manということで、なんだこりゃ、というところでしょうか。馬と老人か、ガチョウと老人の結びつきなら、場のイメージがまだ湧かないでもないと思いますが、そこに馬とガチョウの組み合わせが出てくるとまったくのミスマッチというか、老人までがまともな人物とは思えなくなってしまいます。
そして、ついに来ました、4曲目。Old Hag。Hagは辞書によると「鬼ばばあ、醜い老婆、悪婆」で、こうなるともうお手上げです。いったい、アイリッシュとはどういう人たちなんだろうと思いました。Aさんが、ダンスのとき、「コノキョク ハ 『オニババア』 デス。」と紹介したのを思い出します。私はhagという単語を知らなかったので、もう少し違う訳を当てた方がいいのではないかと言ったのですが、そのときにこの言葉にぴったりする日本語がないことを知りました。この訳語を考えていてちょっと気になったことがあります。hagが「(鬼)婆」ならoldは何かということです。young hagというのはないのでしょうか。矛盾してしまいます。それとも女性の初期高齢者ということにでもなるのでしょうか。この曲も同様、タイトルとはかけ離れたイメージです。コミカルで華奢な響きのする曲で私の大好きなものの一つになりました。
3月にセント・パトリック・デイ・パレードがありました。これはアイリッシュ系のお祭りです。私がこの世界に触れるきっかけになったのもこのパレードでした。昨年は参加しなかったのですが、今年はアイリッシュダンスの会での流れから参加することになりました。初めて参加したときには本物のバグパイプに出会ったのですが、今回はライアという楽器を見ることができました。古代ギリシャ起源の楽器でハープの原型だということでした。古い楽器というのは、形そのものが美しいラインを持っているのでそれだけで充分魅力的に見えますが、何と言っても楽器ですから音が気になります。こんな小さなハープで、野外で十分な音量を出せるのだろうかと思いましたが、歩きながら主役の旋律を奏でるバイオリンに併せて、ポロンポロンと爪弾くライアの音は、その周りに音の空気のような空間を生み出していて、聴く人々の心を和ませるに充分なものがありました。家に帰って「ライア」を調べるとlyreで「リラ」とも言うとあり、そのときなって、あれがリラだったのかと現物に出会えたことをもう一度喜んだのでした。
その日のパレードには私が楽しみにしていたものがもう一つありました。Aさんが、自分より十倍うまいというMさんが来てダンスをすることになっていたのです。男性のソロダンスは画像でしか見せてもらったことがなかったので、その日のライブは私にとっては目玉でした。特に男性のダンスはタップダンスの原型になったものだけに、その迫力は生でないと味わえません。ジーパンの後ろのポケットに靴を片方ずつねじ込んでいる背の高い外人がいたので、これがMさんだなとすぐにわかりました。パレードの終着点に特設舞台が用意されていたのですが、一目見るなり、まさか、この上で?と思いました。高さ50cmくらいの、金属製の枠組みの上に板を置いてあるだけです。歩くとぐわぐわします。これはいくら何でも危険です。それかといって、タップの要素があるので板がないと音が出ません。板を直接地面の上にでも置くようにしないと危ないぞ、どうするつもりなのかと思っていたら、Mさんが舞台に飛び上がりました。すると、案の定、舞台がバタバタと踊り始め、そして、Mさんが板を強く蹴ると、その瞬間に板が50cmくらい浮き上がり、とうとうMさんは舞台から飛び降りてしまいました。そこからのタップの音はカチカチ鳴るだけで音の迫力は0になってしまいましたが、取り敢えず、事故がなくて良かったです。
そのあと、アイリッシュ・ミュージックの生演奏になりました。やはり、生は凄いです。もうじっとしていられなくなるのです。アイリッシュ・ダンスを知らない人に簡単なダンスを教えながら始まったのですが、すぐにそんなことそっちのけで踊ってしまいました。こんなことは始めての体験でした。まさか自分が路上で踊って楽しめるなどとは夢にも思いませんでした。昔の人々の気持ちが少し感じられたような気がしました。
その日の夕方、パーティーがあり、ギネスビールが飲めるということもあって、初めて出かけて行きました。そういう場所は苦手なのですが、誘われて、無下にも断れず、参加することに決めたのです。ところが、その日、まったく知らなかった自分自身を発見することになりました。半分くらいは外国人で、その人たちもアイリッシュ・ダンスは知らないようでした。だけど、生演奏で、見よう見まねで一緒に踊り始めるとずっと前から知っていたような親しみを感じるようになるのです。こういう感覚は頭を通した言葉では生まれないなと思いました。古い時代の人々は、自然に弄ばれるかのような厳しい生活環境の中で、挫けそうになる心をこういうダンスや音楽で支えて来たに違いないという確信を持ちました。ジョギングをした後と同じくらいの汗をかき、その興奮は3日くらい続きました。そして、ついに、長い間、ケースに閉じ込めてあったバイオリンを取り出して……、今度は一切楽譜なしで勘だけで音を探って弾いていきます。そうすると、まるで、音が生きているようで、以前には感じることのなかったような親しみが湧いてくることを知りました。もしかするとパンドラの箱を開けてしまったのかもしれません。『赤い靴』の前提にはきっとこういう気分があったのでしょう。今もジーグを聴くとその瞬間から心が高揚を始めますが、ギネスを飲んではいけません。『飲めば極楽、踊れば地獄』、ビールを飲むと息が切れ、汗が噴き出して、ついには目が回ってしまいます。昔の人々は、祭りではビールを飲んで踊り明かしたものだろうと思いますが、それには化け物のような体力が必要です。たった1パイント(pint、ざっと500ml)のギネスでこんなことではとても古い時代を生き抜くことはできなかったでしょう。これも体を動かすことによって知り得たことの一つです。今はその心意気だけを頂いて、ギネスは年一回くらいにしておきましょう。
2010.3.22
★コメント
この時期になると、いつものことながら、バンド(ベルト?かな)がきつくなります。夏にはそれがごそごそになるのですが、冬には畑で汗をかくようなことも殆どないためでしょう。前にカナダ人の知り合いがウインター・タイヤー (winter tire) と言っていました。そうなると足の爪を切るのも苦しくなります。『これはまずい』ということで思い出したのがアイリッシュ・ダンスでした。
庭で少し足の踏みかえをやってみると、このときに軽くジャンプをするためかすぐに息が切れます。ジャンプはエネルギーを使うようだと思いました。これはいい。ジャンプの程度は自分で加減できるからいくつかステップを組み合わせて適当に作ればいいだけです。膝の具合もかなり良くなってきているのでリハビリになるかも知れません。正座をすると多少違和感があるのでもう完治はしないだろうと思っています。ここまで治るのに1年半もかかっているわけで、年齢を考えると正座できるようになっただけでも「良し」とすべきでしょう。
それで今回は「アイリッシュ・ダンス」を取り上げようと思って調べたら去年の2月に出していることが分かりました。そのとき今回の記事があることを見つけたのです。書いたことすら忘れていました。そして分かったことは、Ashleyは3年間しか日本にいなかったということです。そんなに短かったとは意外でした。彼女にはいくつか英語版の朗読もしてもらいました。それらはMDに録音してあるのでまたユーチューブに出していこうかなとも考えています。今、何処で、どうしているのやら分かりませんが、元気でいてくれることを願うばかりです。
2025年1月20日