<遊去の話>

「遊去の部屋」「遊来遊去の雑記帳」に掲載した記事と過去の出来事についての話です。「遊去のブログ」は現在進行形で記します。

リンの話

2017-09-16 14:44:31 | 「暮らしの風物」
 「リン」の話を書かねばと思いました。コロは死んで6年にもなるというのに今も生きているかのように感じています。それは月に一度くらい、山にあるコロの墓に行くせいかもしれませんが、その度に墓の前でリンやクリやポン太のことを忘れているなと気付くのです。
 コロの墓はコーヒー用の水を汲みに行く場所のすぐ上の尾根にあります。石碑代わりに置いた小さな丸石の前で「コロ、来たぞ。」と声を掛けるとキュルキュルキュルッというコロの欠伸をする声が聞こえるような気がします。他の3匹もそれぞれに性格がまるで違いました。人間が一人ひとり違うのと同じで、それを形にするのがこれからの自分の仕事だなと思います。
 リンとクリは死んでから20年以上経ちます。埋めた場所は今では藪になっていて近くまでは行けますが、とても入れる状態ではありません。ポン太は行方不明になったので墓はありません。私の20代の終わりから50代の半ばまではこれらの犬とともにあり、どれだけ慰められたかしれません。その中でコロの場合はパソコンでワープロが使える時代になり、ホームページに記事を載せたりしたので特に身近に感じられるようになりました。
 リンの話を書こうと考えてからリンのことを思い出してみたのですが、どうしたものか殆ど思い出せません。あれだけ馴れ親しんだ犬だったのに不思議でした。そこで当時の日記をみれば思い出すだろうと日記を捜しました。ようやく見つけた日記を開いたとき、最初のページの頭にあったのは「昨日、リンが死んだ。…」というもので、その日以外には何も記述がありません。リンがやって来た日についても、その他の出来事のことも何も書いてないのです。そんな馬鹿な、と思いましたが、それはリンのいることがあまりにも当たり前だったためかもしれません。やはり、書かないと忘れてしまうようですね。こうなったら思い出すより手はありません。

 リンは私が初めて飼った犬でした。子供の頃から家ではいつも犬を飼っていたし、犬は好きでした。家を出てからはアパート暮らしなので犬は飼えませんでした。何とか大学を卒業して三重に帰り、理由あって山間の地に住みました。そこで昼間は、1年だけという約束で、兄貴の始めたばかりのプレス工場を手伝い、夜は、頼まれて、近在の小・中学生を教える「塾」を開きました。あるときその生徒たちが犬を拾ってきたのです。昭和54年の秋から翌年にかけてではなかったかと思います。捨て犬なので、捨てる方も親から離す時期を考えるだろうから、そうすると晩秋の頃か、ということになります。
 子供たちはその子犬を私が『飼う』と言うとは思っていません。そこで予めどのように私を説得するか、その手順の役割分担を打ち合わせていました。学校の帰りに餌を毎日持ってくる、交代で散歩に連れて行く、飼ってくれたらきちんと勉強をする…等々。それらは私が子供だったとき犬を飼って欲しさに親に言ったことと同じでした。頃合いを見て私はOKしました。当然のことながら子供たちがその約束を守ることはありませんでしたが、夏休みの宿題に共同で大きな犬小屋を作ってくれました。それを学校に提出した後、みんなで神輿のように担いで私の家まで運んできたのです。頑丈ではありませんでしたが、リンとクリはそこで生涯を過ごすことができました。

 捨てられた子犬はどうなるのでしょうか。すぐに拾われた場合はどこかで飼われることになりますが、それ以外はその日から自分で食べ物を見つけなければなりません。そうなると鼻を頼りに食べられるものを捜すしかないでしょう。食べ物の匂いに導かれて行く先はゴミ捨て場、そこで食べられる物をあさることになります。よちよち歩きのときからそうして食べ物を手に入れる経験をした犬の食べ物への執着は半端ではありません。リンの場合もそうでした。
 犬がエサを食べているとき近づくと唸るのは普通です。うちの場合は小・中学生が出入りしていたので噛みついたりしないように訓練する必要がありました。子供のことですから、お菓子をやるまねをしたり、取り上げたりするようなことは起こります。そんなときに噛みついたりすると大変です。「処分」ということにもなりかねません。理不尽ではありますが、人間中心の社会ではそれもやむを得ないことというしかありません。

 リンが来てから散歩をするようになりました。そのまま山に入ることもありました。リンは鼻が利きます。いつも鼻を地面すれすれに保って私の前を走ります。まさに自分の出番が来たという感じです。私が帰りかけると、その瞬間に反転してまた私の前を走ります。そしてそこからはリンの独り舞台で、寄り道したところも『寸分たがわず』と言っていいほど正確に辿るのです。さっと歩いたところにそれほど匂いが残っているとも思えないのですが、おかげでリンがいれば山で道に迷うことはありませんでした。
 あるとき遠くの夏山に登るのに4,5日、家を空けることがありました。リンは友人の家に預けたのですが、そこのお母さんがエサを持っていくと、リンは横になって庭に寝転んだまま知らん顔をしていたそうです。エサを顔の横に置いてやるとちょっと顔だけ上げてエサの方に鼻を向けるとすぐまた頭を元に戻したので、お母さんは食べたくないのかと思ってそこを離れ、母屋に入る前にちょっと振り返ってあきれたそうです。リンは横に寝転んだまま頭だけ起こし、面倒くさそうにエサを食べていたというのです。「こんな犬、見たことない」と言われました。リンがどうしてそんなだらしないことをしたのか、私にも見当が付きませんでしたが、今になって考えると、もしかすると、自分が一緒に連れて行ってもらえなかったことでリンなりにふてくされていたのかもしれません。一緒に車に乗って出かけたのだから、当然自分も一緒に山に行くと思っていたところが、途中で自分だけ知らない家で降ろされたのだからそれは無理もないことでしょう。

 ある日のこと、春先ではなかったかと思います。そのとき住んでいた家は六畳間に続いて一畳ほどの小さな台所があり、そこは土間になっていました。その横は裏口になっていたのでいつも開けっ放しにしてあったのですが、よく若い奥さんがよちよち歩きの子供を連れてリンを見に来ていました。どこの人か知らなかったのですが、リンは裏口の外にいたのでそこでリンと遊んでいたようです。そのときのリンはまだ丸々した子犬で、裏は畑だったので放し飼いにしていました。
 その日はリンの朝ご飯の準備をしているときにその親子がやってきました。リンは土間に入り私の足元でクンクン泣いて催促しています。親子は裏口の外にしゃがんでリンを見ていました。リンがあまりうるさいので「外へ行って座って待っとれ」というと、ピタッと泣き止んだのです。3秒間ほどしーんとして、それからとぼとぼと歩いて閾を跨ぎ、外に出ました。そこでこちらに向き直ると、崩れるように腹這いになって前足の上に顎を載せ、かなしそうにクーンと泣きました。
 外の奥さんは感嘆の声を上げましたが、驚いたのは私の方でした。言葉を理解したとは思いませんが、リンは何を言われたかをじっと考え、自分が感じたように行動したのでしょう。リンはそれだけ私の心を読み取ろうと努めていたのではないかと思います。こんな子犬なのに何といういじらしさでしょうか。

 それから程なく引っ越しました。といっても200mくらい離れているだけですが、そこは古い一軒家で、裏口を入ると広い土間になっていて、その北側の一面が台所になっていました。土間の南側は4畳の座敷で、土間よりは50cmほど高くなっています。私は南の窓際に机を置いて、そこで仕事をしていました。リンは土間までは入ってもいいことを知っています。私はいつも土間に背を向ける形でいるのですが、あるとき、私が振り向くと、リンは私の方に向かって土間にお座りをし、顎を上がり框の上に乗せていたのです。
 リンはビクッとして顔を上げました。顎を座敷の上に乗せていたので叱られると思ったのでしょう。そしてクンクン泣き出しました。何しろリンは、少し大きくなったとはいえ遊び盛りです。私と遊びたくて仕方がないのですが、私が何かしているのはわかっているのです。その私が振り向いたものだから、今こそチャンスと思ったのでしょう。土間に「おすわり」をしたままワンワンと鳴いて片足の先をほんの少し座敷の閾に掛けました。私がはっとした表情をすると、その瞬間に掛けた足を反射的に引っ込め、ワンワン、ワンワンと鳴きました。それから数秒してもう一度そおっと閾に足を掛けました。今度も私の表情のわずかな変化を読み取るとさっと足を引きました。そしてまたしばらくワンワン鳴いた後、今度は反対の足を恐る恐る閾に掛けたのです。このとき、試しに私は表情を変えませんでした。するとリンはOKと解釈したようで元気よくワンワン吠えます。『こちらの足ならいいんだな』とでも考えているようです。それから次に、もう一方の足も私の顔色を見ながらそろそろ持ち上げました。そして、うまく閾に掛けると俄然元気になりました。『わかったぞ!足を掛ける順序が悪かったんだ。』難問の解答を見つけたかのようにリンの表情は弾けています。
 リンはおすわりをしたまま両方の足先をちょこんと閾に掛けた姿勢でしたが、ワンワンと吠える度に足が少しずつ前に移動しました。ここまで許されたことが自分でも信じられないという様子で、やや興奮気味。吠える度に足先はじりじりと前進し、そして肘の辺りまで畳の上に乗ったところで立ち上がり、カートを押しているような姿勢になりました。

 「地せびり」という話を聞いたことがあります。境界を接した土地に草が生えると境界に沿って自分の土地の草を刈ります。そして、その刈った草を相手の土地側にきれいに並べて置くのです。そうすると遠目には草を置いたところまで自分側の土地に見えます。そして、時期を見て、今度はその草を置いたところまで耕して自分の土地にしてしまうというやり方です。この「いじましい」やり方では「とぼけ」がセットになっているわけですが、人の世はまさに「いじましさ」を「とぼけ」でごまかすという、このセットのバリエーションで溢れています。特に「とぼけ」には裏に「知能」の存在が窺われます。驚いたことに、リンも今、それをやっているのです。吠えるからその弾みで前進するのか、前進するために吠えるのか、最初は弾みで、次はそれを利用することを思いついたのでしょう。
 ワン、ワンと吠えながら気付かないふりをして少しずつ進んできます。胸が畳の上に乗り、次いで腹まで乗りました。リンは『こんなことってあり得るのか、信じられない』という顔をしています。そして、ついに足先だけが土間に着いている状態で脚が閾にどんとぶつかり、体は畳の上にべったり腹ばいになりました。
 リンは「していいこと」と「いけないこと」の基準がどこにあるかを探っているように見えました。『つまり、足が土間に着いていればいいんだな。』
 ところが、体を目一杯伸ばしたところでワンと吠えるとその瞬間にとうとう片足が土間から離れて閾の上に上がってしまったのです。これは弾みで上がってしまったので、意図したものではありませんでした。さすがにリンもはっとしたようで2,3秒、時間が止まったように私の表情を読みました。私は表情を変えません。『…これでもいいということは片足でも土間に着いていればいいということか』

 話は逸れますが、この頃、私は川で鮎取りをしていました。解禁日には川に人が集まります。真っ暗だったので、解禁時刻は日付の変わる夜の12時だったように思うのですが、みんな網を入れる準備を整えて川岸でその時刻を粛々と待ちます。そして解禁時刻になると一斉に川に入るというのが決まりでした。ところがあるとき解禁時刻前にばしゃばしゃと川に入る音が聞こえました。するとそれにつられるように別の場所からも水音が聞こえました。
 川に網を入れるにも場所があります。いい場所を取るためにその川岸に陣取るのですが、先にそこに行かれてはおしまいです。そこで場所取りを確実にするために川の中に入って解禁時刻を待つ連中が出て来ました。私が地元の人にこれの是非を尋ねると「網を入れなければいいんじゃないか」といいます。
 翌年は解禁時刻前に川に入る連中が増えました。その中には明らかに網を入れているものも現れました。これは違反だろうと地元の人に聞くと、その人は「掛かった鮎を網から外さなかったらいいんじゃないか」と言いました。結局、夜中の解禁は総崩れとなって翌年から解禁時刻は明るくなって丸見えになる朝6時に変更されたと聞いたように記憶しています。

 リンの場合も足先を閾に掛けるところから始まって、ついに脚が閾にぶつかるところまで来てしまいました。ここから先はないはずなのに、ワンと吠えた弾みに後ろ足の片方が閾に上がってしまったのです。『しまった!』と思ったに違いないのですが、私の表情が変わらないのでリンも「越えてはいけない線」を読み切れなくなってしまったようです。そして、次は、いくらなんでもこれはまずいだろうと思いながらもじっとこちらを見ながら恐る恐る最後の足を閾の上に上げました。
 ついに、リンの体は全部上がり、畳の上に伏せた形になりました。リンは私の心を読み切ろうとしています。その刹那、私はさっと表情を変えました。するとリンはどうしたか。最後に上げた後ろ足をさっと土間に降ろしたのです。昔、TVのプロレス中継でよくロープ際で抑え込まれると「ワン…ツー…」で、足をひょいとロープに掛けるという場面がありましたが、私はこの場面を思い出して吹き出しそうになりました。だが笑ってはいけません。私はリンのところに行くと抱え上げて土間に降ろしてやりました。そして、仕事を中断すると外に出てリンと遊んでやったことはもちろんです。

 山に行くときにはいつもリンを連れて行きました。沢沿いの道を歩いていくと本流に注ぎ込む沢に金属製の小さな橋が架かっていました。橋を渡ると、それまで前を歩いていたリンの姿が見えません。振り返るとリンは橋の手前でうろうろしています。何をしているのかなと思いながらリンを呼ぶと、仕方なく橋に足を掛けました。ところが2,3歩進むとそこで腹這いになってしまったのです。それを見てようやく私にもわかりました。橋の床は金網状になっていてそこを透かして数m下の川が丸見えなのです。大きな岩がごろごろしていて、その間をゴーゴーと音を立てて水が流れています。金網は登山靴で歩くには問題ないのですが、何しろ犬の足先は小さいので注意しないと金網の目に足を踏み込んでしまいそうになるのでした。幅は1mくらいで、おまけに濡れているので滑ります。リンは床面に這いつくばるようにして渡り切ると、あとは何事もなかったかのように先に立って歩き出しました。こんな橋一つでも動物によっては障害になるものなんだなあと知りました。

 あるとき渓流にアマゴを釣りに行きました。山の中に車を止め、そこからは歩いて沢沿いの道を上ります。リンは、辺りに溢れる様々な匂いのチェックに大忙しで、私より少し遅れてしまいました。途中で私は道から3mほど離れた沢に降り、竿を出して釣り始めました。少ししてリンがやって来たのですが、私の降りたところに気付かずそのまま通り過ぎました。釣り始めた私は声を出すわけにいきません。すぐに戻ってくるだろうと思ったのでそのまま行かせたのですが、しばらくするとリンは走るようにして戻ってきて、また通り過ぎてしまいました。どうも自分が迷ったことに気付いたようです。私は、しかし、リンは犬なのだから、どうしたって匂いを辿って私のところを見つけるだろうと思いました。ところがリンは戻ってきません。時間が経つにつれて私は気掛かりで釣りどころではなくなりました。切上げて沢沿いの道を戻り、車が見えたところで思わず声を上げました。車の真横に、リンがこちらの道の方を向いてきちんとおすわりをしていたのです。「なるほど」と私は思いました。リンは私が必ず車に戻ってくるということを知っていたのです。

 リンは「白内障」のようになったことがあります。原因はわからないのですが、獣医の話では、草の葉の先で目を突いたりするとそうなることがあると言っていました。そして片目がなるともう一方の目も同じようになるそうです。
 その頃の私は集落を離れて水田地帯に来ると犬を離して散歩していました。広々とした農地が広がって、遠くでも人がいれば見えるのですぐに引き綱を付けるのだからいいだろうと思っていたのですが、今ではそれは通らないでしょう。
 リンの片目が白っぽくなっていることは知っていました。そのときは紀州犬のクリもいたので2匹連れて散歩をしていましたが、リンは目がおかしいのでクリに合わせて歩けません。そこでクリにだけに引き綱を付け、リンは離しておきました。リンは後ろから遅れてとぼとぼ歩いてきたのですが、私とクリは田んぼの角を直角に曲がって少し農道に入ったところでリンを待ちます。そこで私はリンを呼びました。するとリンはその場に立ち止まると頭を上げて何かを探っているような動作をしました。そして私たちの方に向くと私の声の方に歩き出したのです。私たちはすでに田んぼの角を曲がっているのでリンとは田んぼの角を斜めに挟む形になっています。そしてリンは空中に足を踏み出し、そのまま1mほど下の田んぼに落ちました。私は急いで駆け寄りリンを抱え上げて唖然としました。リンは両目とも真っ白だったのです。
 頭から落ちたのですが、田植えの終わった後の田んぼだったのでケガはしませんでした。が、全身泥まみれです。田んぼの横の水路で体を洗ってやりながら悲しくなりました。こんなになっているのに何も言わずに黙ってとぼとぼと後についてきていたのです。獣医に連れて行くと「しばらくすれば自然に治る」ということでした。信じられませんでしたが、本当でした。つくづく動物はすごいなと思いました。

 リンはフィラリアで死にました。このときに私は「フィラリア」という言葉を知りました。散歩中にリンが突然倒れ、しばらくするとまた起き上がって普通に歩き出すということがあったので獣医に連れて行くと「フィラリアです」と一言でした。獣医さんはリンの上唇をめくり上げると歯茎を見せて「ほらっ」といいました。リンの歯茎の色は白く、貧血しているためだということでしたが、健康ならピンク色をしているそうです。フィラリアになると、白く細長い糸状の寄生虫が心臓に溜まるそうで、そうすると血液を送り出す力が落ちて貧血になるので倒れるということでした。1本1万円くらいの注射を打ってリンは助かりました。
 蚊が媒介するということでしたが、確かにリンの小屋の周りには蚊がたくさんいました。夜、小屋で寝ているリンを見に行くと、鼻先の毛の少ないところに蚊が群がっています。これでは無理もないと思いました。蚊の忌避剤のスプレーがあると聞き、さっそく買いに行きました。その日から、嫌がるリンとクリにスプレーをすることが日課になりました。
 リンの歯茎を観察していると次第にピンク色が出て来ました。「なるほど」と思いました。これが健康な色だったのです。その後、リンは心臓に溜まったフィラリアを、注射を打って殺しながら数年生きましたが、最後は腹に水が溜まり死にました。そのとき私は出かけていたので最後の様子は想像するしかないのですが、帰ってくると、リンが小屋の前に倒れ、クリは小屋の中に入ったまま出て来ません。そして、黒い糞がぽつんと一つ、リンの尻から少し離れて落ちていました。それを見て私はすべてを悟りました。
 私は敷布を出すと折りたたんで庭に置き、そこにリンを寝かせました。それからクリのところに行くと頭を撫でてやりました。クリは怯えているようでした。リンの死をわかっているようです。私は家に入りスケッチブックを持ってくるとざっとリンを描きました。そうすることで私はリンの死を受け入れたのかもしれません。先日、偶然、そのスケッチブックを見つけました。「昭和60年6月2日 麟 永眠」と記されています。花柄の敷布に包まれて、そこでリンはすやすやと眠っているようでした。6年間の命でしたが、何十年も一緒に暮らしていたような気がします。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする