<遊去の話>

「遊去の部屋」「遊来遊去の雑記帳」に掲載した記事と過去の出来事についての話です。「遊去のブログ」は現在進行形で記します。

コロちゃん<雷>

2022-12-20 09:15:11 | 「遊去の部屋」
<2006年1月7日に投稿>
 この夏、とうとう自転車がダメになりました。また修理しなくてはなりません。この5,6年、何とかごまかしながら乗ってきたのですが、昨日の雷で、ついにギアーを替えるワイヤーが食いちぎられてしまったのです。とはいえ、雷がワイヤーに噛み付いたわけではありません。噛み付いたのはコロですが、コロは雷が鳴り出すと怖がってガタガタ震えだし、最後は狂ったようになって自転車に噛み付く犬なのです。「雷が鳴ると自転車が壊れる」、つまり、「風が吹けば桶屋が儲かる」のコロ版というところでしょうか。
 雷を怖がる犬は多いと思いますが、逆に、凄い雷雨の中でもまったく平気な犬もたくさんいます。その違いが生まれるわけは分かりませんが、いろんな段階の犬がいることから考えると雷雲が空間に及ぼす物理的環境の変化を捉える感度が犬によって大きく異なる、つまり、鈍感な犬もいれば敏感な犬もいるということなのかも知れません。
 コロの前にも犬が2匹いましたが、最初の犬は雷が鳴っても何ともありませんでした。2匹目は雷が鳴り出すとうろうろ歩き出し、そこらに積んである枯草やガラクタなど、何でもいいからとにかく何かの下に頭を突っ込む犬でした。これを見て、私は「頭隠して尻隠さず」の表現には実態のあることを知ったのです。それでもこの犬の場合にはまだ悲鳴を上げるということはありませんでした。ちょっと隠れてやり過ごそうという程度で、まだ犬としての体裁は保っていて、見ていても微笑ましいくらいのものでした。ところが、コロの場合は様子がまるで違います。とても笑って見ていられるようなものではありません。
 コロは普段あまり吠えません。新聞入れや郵便受けはコロの日向ぼっこの場所のすぐ横にあるのですが、配達の人が来ても吠えることはありません。ガス屋さんも大きなプロパンガスのボンベを運んでコロの横を通り過ぎるのですが、そのときにもコロは自分からちょっと横にのいて場所を譲るくらいで、決して吠えることはありません。
 コロが吠えるのは家の前をよその犬が通るときです。これはまあ犬だから仕方がないでしょう。吠え方は相手によって違うので、私は家の中にいても、それを聞いているだけで誰が散歩しているのかだいたい見当をつけることができるくらいです。が、これも犬が通りすぎてしまえば終わるのでそんなに長く吠え続けることにはなりません。それで『少し長いな』と思うときには、表に出てみると、コロがすさまじい表情でがたがた震えていることがよくあるのです。
 こういうときには、たとえ、そのとき空が晴れていてもすぐに布団や洗濯物を取り入れた方が無難です。30分もすればたいてい雷雨になるからです。そういうわけでコロは「雷予報士」でもあるのですが、どうして分かるのかは不明です。雷雲は遠くの方から近づいてくるわけだから、コロの耳には人間には聞こえないような雷鳴が聞こえているのかも知れません。あるいは雷による電場や磁場の乱れを感じて不安になり、それがさらに得体の知れないものへの恐れにまで発展するのかもしれません。

 私がこう考えるのにはそれなりのわけがあるのです。気功は、「雷が鳴っているときにはしてはいけない」とされています。理由はいろいろ考えられますが、とにかく古くからそう言われてきたわけなので私もそれに従っています。
 気功をするとき、まず最初にすることは体の向きを決めることなのです。北向きと南向きの2つあるのですが、武術としての気功をするときは北を向いて立ち、健康のため、つまり内臓の機能を整えるためのときは南を向いて立つことになっています。これは地磁気と関係があるのではないかと思っています。南北方向に立つということは地磁気が体を前後に貫くように立つことを意味し、この方向は最後まで維持されます。つまり、「体の前後方向に地磁気を安定して保つこと」、これが気功の基本姿勢になっているのです。
 雷が発生すれば、雷は電流ですから、電流が流れれば磁界が発生し当然磁場は乱れます。そんな乱れた磁場のもとでは体を整えるどころか、かえって損なうことにもなりかねないということなのではないでしょうか。
 そういうわけで、気功をしているとき、コロの吠え方がおかしいと思ったらすぐ中断モードに移るようにしています。というのも、気功は体の中を一定の道筋に沿って気を巡らすのですが、一度始めると一時間くらいかかることが多く、中断するにもその巡らしている気をきちんとどこかに収めてからでないと止めにくいという事情があるのです。そのためにも10分くらいの時間は欲しいのですが、雷鳴を聞いてから気を収めようとするとその10分の間に雷がどんどん激しくなってくることもあるので、こんなときにはコロの「雷予報士」も役に立つわけですが、役に立つといってもといってもせいぜいこのくらいのことでしょう。

 コロが吠え出したときは、実は、もうかなり症状が進行しています。それまでコロは一人でおろおろしているのですが、この段階で気付かれることはあまりありません。たまたま表に出たときに様子がおかしいことに気付くことはありますが、それを見ているとコロもコロなりに耐えているんだなあということが分かります。
 第一段階。コロは落ち着きがなくなり、何となくそわそわしてくる。息遣いがだんだん荒くなり、腹ばいになったかと思うとすぐ立ち上がり、1mほど移動するとまた腹ばいになるというように寝そべっている場所を次々と換え始める。
 第二段階。ヨダレを垂らし始める。その量は次第に増え、やがて地面のあちこちに「ヨダレ溜まり」ができる。このとき既にコロの目は怯えて、体はぶるぶる震え、尻尾は当然下に巻いている。
 第三段階。吠え始める。一度吠え始めるとそれまで耐えていた気持ちが一度に崩れるのか、それとも自分の泣き声によって恐怖心が増幅されるのか、一気にコロの形相が変容する。毛は逆立ち、目は色を失い、口の周りはヨダレでズルズル、ツララのようになっている。体は胴震いでわなわなと揺れ、立っていることもおぼつかない様子。
 第四段階。立ててある自転車の下にもぐり込み、背中で自転車を持ち上げようとする。自転車のフレームは金属でできているから電磁波を遮蔽する効果がありそうだとも考えてみたが、どうも関係なさそう。
 第五段階。後ろ足を踏ん張って立ち上がり、前足で自転車にしがみつこうとする。ハンドルやサドルに手をかけ、その姿勢のまま叫びつづける。
 第六段階。自転車に噛み付く。ハンドルでもフレームでも何にでも噛み付く。よく歯を傷めないものだと感心する。ワイヤーに噛み付いたときはワイヤーがボロボロになる。このとき体中の筋肉は痙攣したようにカチカチにこわばっている。

 私はコロを自転車から引き離し横に移動させて、それからコロの体を擦ってやります。そうすると安心するのか泣き叫ぶのは少し収まるのですが、それでも胴震いは続きます。結局、雷が収まるまでは何をしてもだめなのです。だいたい30分、ときには1時間近くかかることもあります。その間、私もそこを離れるわけにはいかないのでフルートやらリコーダーやら楽器を持ち出しては時間つぶしに吹いています。足元ではコロが悲鳴のような泣き声を上げ、その横で私がフルートを吹いている…。
 道を通る人の目にこの光景はいったいどう映るでしょうか。いくつかの解釈が可能でしょう。実際、前の道を通り過ぎる人の目からは様々な表情が読み取れます。
 1つ目。雷に怯えている犬の心をフルートで落ち着かせている。牧歌的な解釈で、好意的な見方といってもいいでしょう。こういう受け取り方をする人は夢見がちなタイプで、暮らしの中では風呂の水などを止め忘れる傾向があります。
 2つ目。フルートの音を犬が嫌がって泣き叫んでいる。これは虐待しているということですね。こう解釈されると訴えられる危険も生じます。このタイプの人は被害妄想のところがあり、いくらそうじゃないと説明しても他人の考えは受け入れないところがあるので対応に慎重さを要します。
 3つ目。フルートに合わせて犬が即興で歌っている。つまり、近頃、はやりのインプロヴィゼーション(improvisation)ということになりますか。いつも何か気の利いた話の種を探している職業病の気があります。
 4つ目。 犬の泣き声に合わせてフルートを吹いている。これは3つ目の逆ですね。こちらは自分が話題になりたいのかも知れません。
 5つ目。雷雨のせいで犬も人間も少々気がおかしくなった。明るい兆しさえも否定することで自己の確認をする怒りっぽいタイプの人ですね。
 他にもまだありそうですが、本当の理由を見抜く人は極めて少ないのではないかと思います。多分、その人は自分のところにいた犬がきっとそういう犬だったのでしょう。コロのようなひどい雷恐怖症の犬は滅多にいないからそのような犬を飼ったことのある人も極めて少ないということになりますが…。

 前に、コロが噛み付いて壊れた自転車を修理するのに自転車屋に持っていったことがあります。そこの主人は自転車を見るなり、『いったいどうしたんや、これは。』という顔で私を見ました。自転車屋は新しい自転車を売ったり、故障を直してまた使えるようにしたりするのが仕事ですから、つまり、自転車の味方です。その自転車をひどい目に合わせる人には、たとえ客といえども愛想よくする気にはならないのでしょう。私がそれを察して簡単に説明すると、ぼろぼろになって、中から、切れたワイヤーがぷちぷち飛び出したところを手に取って、「ひどいなあ、うちにも犬が10匹いるが、こんな凄まじいのはおらんなぁ…。」驚きとあきれ返りの入り混じったような表情でガチャガチャやりながら新しいものと取り替えてくれました。修理代金1000円也。コロはそのくらい珍しい犬なのです。
 家に帰るとコロがおすわりをして待っていました。自転車を元の場所にしまうと、コロは新しいワイヤーのところをしばらく嗅いでいましたが、すぐに興味を失うといつもの自分の場所に戻り、だらしなくずるずると腹ばいになりました。私はそれを見ながら、自分にできることは、新しいワイヤーが一日でも長くもつように雷が来ないことをただ祈るだけだと悟ったのです。
2006年1月7日

★コメント
 ちょうど昨日、コロの墓に行ってきました。小さな尾根の肩にあります。コーヒー用の水を取りに行く所の近くなのでその度にそこまで足を延ばします。いつも思うことはコロがうちに居てくれて良かったということです。今は私の心の中にいるようで、思わず「コロ」と声に出してしまうことが度々なので、外出したときには呟かないように気を付けています。
 この<雷>の話も、書いたことすら忘れていました。見つけたときには『長いなあ』と思ったのですが、読み始めると全くこの通りで、よく書いたなあと思いました。自分にもエネルギーがあったようです。そのお陰で私は自分の過去の出来事に再会することが出来るわけで、これはまさに自分へのタイムカプセルになっていたことを実感しています。日記もあるのですが、こちらは何のことを書いているのか分からない部分があったりもするし、やはり一度「話」の形にまとめたものの方がいいようです。
 そして今、タイムカプセルを開ける時期になったようで、その感想をまとめていくことが自分の人生を振り返ることになるのでしょう。たっぷりありますから楽しみです。
2022年12月20日


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