<遊去の話>

「遊去の部屋」「遊来遊去の雑記帳」に掲載した記事と過去の出来事についての話です。「遊去のブログ」は現在進行形で記します。

キャベツはいったいどこがうまいの?

2024-05-22 14:05:11 | 「遊来遊去の雑記帳」
キャベツはいったいどこがうまいの?
<2005年4月24日に投稿>
 冬の間に成長したキャベツが、ちょうど今、食べごろになっています。しっかりと結球して中央には立派な球ができているのですが、そのまわりの葉は鳥に食べられて半分くらいしか残っていません。キャベツは双葉から次第に葉の数を増やし、それらは日光をたくさん受け止められるように大きく葉を広げていくのですが、これらの葉はいかにも丈夫そうな濃い緑色をして、とてもおいしそうには見えません。それらの葉は次第に込み合ってきて、バラの花びらのように中央部を取り囲んできます。それからあとは中央部に内側からどんどん葉がたまり、それが結局キャベツの球になるわけで、人が食べるのはその中央の球だけです。
 畑のキャベツをいつ収穫しようかとみているとおもしろいことに気が付きました。球の部分は全く食べられていないのに外側の硬くてまずそうな葉はどんどん鳥に食べられていくのです。どうせ食べるのなら球の部分の方がおいしいだろうと思うのですが、そちらには見向きもしません。そこで私もそれがちょっと気になりだしました。
 大きく広がった外側の葉では盛んに光合成が行われています。そしてそこで作られた栄養分を蓄える形で内側にキャベツの球を作るのですから、そこを食べれば栄養分をごっそり頂けることになると思っていたのですが、もしかするとそうではないかも知れないという気がしてきました。
 その考察は別にして、外葉をちょっと食べてみましたが、食べられないということはないようです。太い葉脈の部分も少し湯がけば問題はありませんでした。でも、やはり長年の習慣からか、外側の葉を食べるのには抵抗があります。そういうことで、この場合、外側は鳥、内側は私ということで分け合うのがいいだろうという結論に達しました。
 「勝手なことを!」とキャベツには言われそうですが、私の場合、いつもキャベツの内側の球だけを取って、あとはそのまま残しておくのです。そうすると、キャベツはその切り株のところからいくつも新しい芽を伸ばし、時期が来るとそれらの先に一斉に花を咲かせます。そして種を結ぶところまでは引き抜いたりしませんから、そのあたりで妥協してもらうことにしています。
 キャベツは、今、その花芽を伸ばし始めています。ところが、その花芽が小さなブロッコリーのように見えてきて食べられそうなのでちょっと困っています。試しにちょっと湯がいてみたら十分食材になりそうです。それもそのはず、キャベツは菜の花の仲間です。でもキャベツにも命をまっとうさせてやりたいので全部取るようなことはしませんが、いろんな食べ方ができそうです。
2005年4月24日
 
★コメント
 このときはキャベツの苗を買っていました。ノートには前年の9月11日に4本定植と書いてあります。このとき借りていた畑の区画は10坪くらいだったのでたくさん植えるわけには行かなかったのです。これらは冬に外葉を残して球を切り取っていました。そのあと放置しておくと切り株から芽を出して小さなキャベツの球ができます。そして春になるとそれが割れて花芽を出し、薄黄色(クリーム色)の花を咲かせます。その後には種ができるのですが、その種が落ちてそれからキャベツが生えてきたのは見ていません。自生はできないのかなと思います。調べてみればいいだけのことなのですが…。
 今の畑は100坪あるので種から苗を作っています。去年は11月に定植したので春になってからぐんぐん育っています。子供の頃にはキャベツを食べる習慣はありませんでした。それでキャベツに馴染みはなかったのですが数年前にザワークラウトを知り、作るようになりました。これは保存できるのでキャベツもたくさん作っています。ただ、今の季節はアオムシがたくさんいて大変です。ナメクジもいます。植えるのが遅かったので結球するのは梅雨に入ってからです。それで葉を一枚一枚丁寧に洗うのですが、あまりいい気はしません。まあ、自然はこんなものです。これも球を取った後の株は残しておきます。

 この数年、野菜を単品で食べることが増えました。それは「味」とは何かが分からなくなって来たからでした。そのときの調理法に「蒸し炒め(正式名称は知りません)」を使っています。方法は簡単でフライパンに油を引いて刻んだ野菜を入れ、フタをし、火が通ったらフタを取り、かき混ぜて終わりです。かき混ぜる前にナンプラーを数滴入れることが多いのですが、塩だけの場合も、何も入れないこともあります。味をみることが狙いなので余計なことはしないのです。キャベツもこの方法で食べると実にうまいです。調理法の中ではシンプルの極みでしょう。古代人の道具でもできるし、しかも味がよく分かります。今朝は昨日畑で取った玉ねぎを食べました。こういう味だったのか、うまいと思いました。
2024年5月22日


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菜の花、二つ

2023-10-20 10:49:03 | 「遊来遊去の雑記帳」
春の食材
 <2005年3月19日に投稿>
 畑の菜の花が一斉につぼみを膨らませてきました。この一週間で一気に数を増やしています。つぼみの先が黄色みを帯びて、もう2,3日もすれば花を咲かせることでしょう。その希望に満ちた最後の瞬間に、私は、非情にも、それらのつぼみを次々と摘み取っていくのです。菜の花にとっては子孫を残すために、これまで冬の間に温存してきたエネルギーを一気につぎ込んで勝負に出たところが、私にとっては待ちに待った瞬間というわけです。とはいっても取り尽くすということはありません。それに植物は「摘み取る」というような穏やかな手段でへこたれるような柔な生き物ではありません。10本摘まれれば新たに20本の新芽を出し、20本摘まれればさらに40本の新芽を出すという具合で、まるで日本神話のイザナギ・イザナミのやりとりみたいです。私が食材に使うくらいの量なら大丈夫です。それに全部取り尽くしてしまったら来年食べられないから私の方も困ります。そういうわけで、ほどほどに食べて、その残りが花を咲かせ、そこへミツバチがやってきて、as busy as a bee と、大忙しの春本番となるわけです。
 菜の花が咲くと私は株間にしゃがんで下から菜の花を見上げて時間を過ごすことがあります。そうすると菜の花の茎がにょきにょきと天に向かって伸び上がり、まるで巨木の森にいるようで、その天井を埋め尽くす黄色い花の間から青空を覗き見ることができるのです。そしてその狭い空ではたくさんのミツバチが花から花へ飛び回っているのですが、ミツバチは本当にじっとしていることがありません。一つの花に止まるとちょっと蜜を吸ってすぐ他の花に移ります。するとその花にはすぐにまた別のミツバチがやってくるのですが、これもまたすぐに飛び去ってしまいます。それは、もう蜜がなかったからなのか、あるいは元々一回でほんの少ししか蜜を吸わない習性なのか、それとも一つの花の蜜を吸っている間に、他の花の蜜の方がおいしそうに思えてくるのか、それはミツバチに聞いてみなければ分かりませんが、いずれにせよ、実に生き生きとしていて、蜜を吸うこと以外は何も考えてないという様子です。
 私も、春の匂いに包まれたひと時を菜の花の森で過ごした後は、たいていのことは大したことではないように思えてきて気分も穏やかになるようです。それまでの間、もうしばらくは菜の花料理を食べながら待ちたいと思います。
2005.3.19


<こちらは書きかけの原稿です。出てきたので一緒に出します。2005年の4月末に書いていたものです。>
春は菜の花
 私の小さな畑は、今、菜の花でいっぱいです。昨日は、夕方、畑に行く途中でおもしろいものを見ました。雨上がりだったので、少し向こうの里山の上に霞がかかり、その後ろから弱く太陽の光が射しているのです。畑の少し手前で止まってちょっとしゃがむと、里山の前に沸き立つような菜の花の黄色を重ねることができました。おぼろ月夜よりずっと幻想的でした。ああ、カメラを持ってくるんだったと思いましたが、あとの祭り。仕方がないのでただじっと見て、その借景を目に焼き付けておきました。
 周りの畑には殆んど菜の花はありません。その理由は簡単で、普通は、春になるまでに野菜はみんな収穫してしまうからなのです。それから春に向けての野菜の作付けをするので、冬の終わりは更地のようになっているというのが篤農家の畑です。
 私はというと、根を食べる物以外は根こそぎ収穫することはしません。自分の食べる部分だけを取っています。葉菜は、一つの株からは一枚か二枚の葉を取るだけで株ごとは取ることはしません。それでも数株あれば一回食べる分くらいは集まります。しばらくするとそれぞれの株はまた新しい葉を伸ばしてくるので、そうしたらまた次の葉を取って食べることが出来るのです。そうすると野菜はずっと成長を続けられ、畑に住んでいる他の生きものたちも大きな影響を受けることがありません。生産効率は低いかも知れませんが、それで足りるように工夫して食べているのであまり問題はありません。
そういうわけでうちの畑はいつも何か野菜が生えています。この冬は春のじゃがいもを植えるのにその野菜が邪魔だったので引き抜いて緑肥にしようかと思いましたが、まあ、せっかくここまで生きてきたものを抜き取ってしまうのも不憫な気がしたので、やはり種を実らせるところまではそのままにしておくことにしました。
 それからひと月たって、畑は菜の花の黄色でいっぱいになりました。菜の花のつぼみは後から後から出てきます。これはいい食材になるので、春先には私は毎日それを摘みに畑へ出かけます。昨日も行ったら畑に来ているのは私だけではありませんでした。まだまだ冬の寒さが残っている中で、たくさんのミツバチが花から花へと飛び回り忙しく蜜を吸っているのです。そのせわしないことといったらありません。菜の花は小さな花がたくさん集まっているのですが、その一つに頭を突っ込んだかと思うと1秒か2秒で次の花へ移ります。じっとしていることがありません。次から次へと花を渡って行くのです。
花からみれば次から次へとミツバチがやって来るわけです。おそらく一つの花の蓄えている蜜はほんの少しでしょう。だからそれがなくなった後にやってきたミツバチは空振りというわけで、すぐに次の花に行かなければなりません。もしかすると、このミツバチのせわしなさは殆んどが空振りというところから来ているのかも知れません。初めのうちは「当たり」続きだったのが、次第に「外れ」が増え、飛行のエネルギーを考えてそろそろ損益分岐点に迫ってくると何時別の畑に行くかの決断をしなければなりません。しかし別の花畑では別のグループが同じようなことを考えているのだろうし、そうなると、もう止めて巣に帰ろうとする怠け者やまだきっといいところがあると考える強気のもの、みんなが行くなら自分も行くとか、文句ばかり言ってけなすのが得意なものなど、人間社会と同じように色々な性格があっても良さそうです。
 私は菜の花畑の中にしゃがみ込んで下から空をバックに菜の花とミツバチたちを眺めていました。
<ここで終わっています。締めを書こうとして、そのまま忘れてしまったようです。>

★コメント
 私は菜の花畑が好きです。子供の頃の記憶と重なるからでもあるでしょう。菜の花畑に寝転んで空を見上げると哀しいほどの懐かしさに包まれることがあります。むっとする菜の花の香りと暖かい日差しを浴びながらみる青空が遠い記憶を呼び覚ますのでしょうか。ただ、ぼぉーとしているだけですが、自分の畑でそれが楽しめるのは恵まれていると思います。
 子供の頃に菜花を食べた記憶はないのですが、その頃の菜花は菜種油を取るために栽培されていたのではないかと思います。だから菜花を食べてしまったら種はできないから食材にはしなかったのでしょう。だけど小学校の修学旅行で奈良に行ったとき、そこで出された弁当に菜花の漬物が入っていたことを覚えているので、地域によっては食べていたようです。
 私が菜花を調理し始めたのは学生の頃からですが、最初は先の方だけ摘み取っていました。友人の畑で20cmくらいの長さに摘んでいるのを見て驚きました。こんなことでも最初は分からないものなのですね。今はぽきん折れるところまでなら大丈夫なようで、手で探って摘んでいます。
 食べ方は色々ですが、塩漬けにしたものが一番うまいと思います。このところ「塩」の力は凄いと感じていて、少しの塩に2~3日漬けるだけでおいしくなるのには感動します。保存が目的ではないので塩の量はそのまま食べられる程度の少量にしています。この2,3年、ようやく自分なりの調理法を見つけ出すことができるようになりました。
 今、畑では菜花が本葉を出したところです。種を播く野菜もありますが、多くは自生してくるので畑はあちらこちら冬野菜だらけです。邪魔になる草を取りながら野菜の芽を見つけると嬉しくなります。自然に生えてくるものが好きなんですね。それらを活かすようにするので畑はぐじゃぐじゃで野原状態になるわけです。雑然としたものが好きなところは「無為自然」の道教にも通ずると言い訳をしています。
2023年10月20日

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畑の大根

2023-07-22 13:57:42 | 「遊来遊去の雑記帳」
畑の大根    <この原稿は、前後の記事の日付から、2005年3月頃までに書いたものと思われます。>

 毎朝、コロと散歩するコースに大根畑があります。そこは、夏場は田んぼなのですが、稲刈りが終わった後、大根畑になります。秋に新しく畝が起こされ、しばらくすると畝のあちこちで双葉が顔を出しました。すぐに大きな双葉の真中から本葉が出て、それはもう小さいながらも一人前にぎざぎざした大根葉の雰囲気を持っています。私は毎朝その成長を見ながら横を通っていましたが、油断は禁物でした。ちょっと立ち止まって、大きくなったなぁと大根の葉をながめていると、横の方でコロが大根にオシッコをかけようとするのです。はっとして私は鎖を引くのですが、前には、大きくなって地面から20cmくらいも頭を出した大根の上にウンチを乗せようとしたこともありました。高いところにウンチを乗せようとするのはコロの変な癖の一つです。

 大根の収穫が始まって、あちこちに引き抜かれた大根の穴が増えてきました。そして、畝の間には、割れた大根や二股になった大根がうち捨てられています。商品にはならないのです。昔なら他の家畜の餌にでも出来たのでしょうが、今では家畜も配合飼料です。個々の農家で少しずつ家畜を飼育していたときのようには行かないのでしょう。
 寒空の下で、ただ朽ちていくだけの大根を見ながら、大根たちも、引き抜かれるまでは自分たちの運命にこういう現実が待っているとは思わなかっただろうなぁと考えるといつも少し湿っぽい気分になります。よその畑のものを持ってくるわけにはいかないので素通りしますが、自分の畑では大根は最後の最後まで利用しようとしています。

★コメント
 この原稿を書いていたときのことははっきり覚えているのですが、投稿はしていないのではないかと思います。読んでみても書き終えてない感じがします。ただ、このあと何を書こうとしていたのかは全く覚えていません。
 その後しばらくして、この畑には横に「ご自由に抜いて持ち帰りください」という立て札が立てられました。野菜も今は規格化が進んでいるので小さくても大きすぎてもダメなのでしょう。規格外の大根でも食べる分には問題ないわけで、別な形の「流通」が考えられないかなと思いますが、そのコストの方が高くなりそうな気がします。
 今、うちの畑では若い大根だらけです。春に花が咲き、種が実るとカワラヒワの群れがやってきて殻を啄みます。そのときたくさんの種が飛び散って、そのうちの一部が芽を出すのです。間引きして塩漬けにして食べています。そのまま食べてもいいのですが、辛くて、辛くて。やはり虫に葉を食べられないようにするための植物体の防衛策なのでしょう。だけどそれも塩漬けにすれば大丈夫です。
 こんなに生えてしまって種はなくなってしまわないのか心配しましたが秋になるとまた残りの種が生え出すようです。それで数年間、大根の種は蒔いたことがありません。今年はニガウリも自生しているのを見つけました。これは庭なので果たして育つかどうか分かりませんが、ニガウリも自生できる作物かもしれません。私はそういう作物が好きなので草を取るときはかなり慎重です。草の中に野菜の芽生えを見つけることがあるからですが、目に入ったのに引き抜いてしまうことがあるのです。こういう時は埋め直したりするのですが大抵はダメですね。葬式をしてやりたい気分になります。
 梅雨も明けていよいよ本格的な夏が始まりました。70代に突入し、本来の自分を思い出すべく子供時代のことを思い出そうとしていますが、難しいですね。図書館で昨日「兎の眼」のDVDを見ました。そこに出て来る子供たちを見て、やはりその頃の自分のことを思い出したいと思います。私もあの子供たちの様だったはずです。この夏の課題です。
2023年7月22日


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ヒガンバナ

2023-04-20 18:38:40 | 「遊来遊去の雑記帳」
ヒガンバナ  <書いた時期は2004年の9月頃だと思いますが、投稿したかどうかは不明です。>

 今、あちこちでヒガンバナが咲いています。これには別に曼珠沙華(マンジュシャゲ)という名前がありますが、秋の彼岸の頃に咲くからヒガンバナとなったのでしょう。以前からこの花の咲く時期がずっと気になっていました。あまりにもうまく彼岸の時期に合っているからです。夏が暑くても寒くても、雨が多くても少なくてもいつも彼岸の頃になると咲き出します。去年はいつもと天候がずいぶん違うように思ったのでヒガンバナの咲く時期がずれないだろうかと注意していましたが、いつもと全く変わりはありませんでした。昼間の時間の長さで咲く時期を決めているのなら確かに時期が狂うことはなさそうですが、ヒガンバナはいきなり土の中から茎が出てくるのです。薄緑色をした棒のような茎が何本も地面からにょきにょきと出てきて、その先に花が咲き、それが枯れた後で、今度は濃い緑色の葉だけが株のようになって出て来ます。だから昼間の長さを知るにしても土の中で感じなければならないからあまりいい方法ではなさそうです。
 ところが今年は9月5日にヒガンバナが咲いているのを見ました。そこは山間の地だったので日照時間が短いためかなと思ったのですが、それから2,3日したらこの辺でも咲き出したのです。間違いなく例年とは違います。といってもそれで何か分かるわけでもありませんが、まあ、こじつけるなら、今年は台風がたくさん来たこと、梅雨が早く明けたこと、それから浅間山が噴火し、この辺だけですが、地震が立て続けに5,6回もやって来たこと。

 ヒガンバナにはヒガンバナなりの事情があったのでしょう。いずれにせよ、『そろそろ彼岸か』という気分してくれるのですが、実は、私、ずっとこの花が嫌いでした。あの毒々しい赤い色も、盆の飾りつけのようなおしべの反り返った花も、何となく異界の風情がしたのです。
 子供のときからヒガンバナを取ってはいけないと云われていたので折ったりしたことはありませんでしたが、感覚的には、触るどころか近寄ることすら嫌でした。その後、ヒガンバナは稲といっしょに日本にやってきた植物で、飢饉のときには救荒食になるのでずっと大切にされて来たのだという話も聞きました。しかし、「この人はいい人だ」といわれても嫌なものは嫌です。それなのに時々ヒガンバナを見て「きれい」という人がいるのです。私はそれを聞いた瞬間に、その人から何かぞっとするようなものを感じ、少し距離を取らないではいられない気持ちになりました。
 ところが、この数年、どういうものかヒガンバナが美しく見えるようになってきたのです。「この世のものでない」という感覚は同じですが、その「不確かさ」に何か親しみを覚えるようになってきました。だんだん近づいてきたのかなあと思っています。それにしても自分が「確かだ」と思っている感覚さえも時を経ると変わってくるものだという事実は新鮮な驚きでした。もうしばらくは色々なことやろうとすると思いますが、物事に「執着して」ではなく「楽しみ」ながらやりたいものだと思います。

★コメント
 今、「9月5日に咲いているのを見た」という地域に暮らしています。前の家からここまで自転車で40分くらいかかります。よくこんな遠い所まで自転車で遊びに来ていたものだと思いますが、50歳くらいの時にはまだ体力があったのかも知れません。川で泳いで、気功をして…、帰りはさすがに疲れたのではないかと思いますが…。

 今の家を見つけたのは全くの偶然です。この辺りで探したわけではありません。もっと遙かに広い範囲で家を捜していたのですが、その中にたまたま今の家がありました。不動産屋で場所を聞いて捜しに来たのですが見つけられず、全く期待していなかったので「もういい」と放っておきました。ところが、3日くらいすると気になりだし、電話で、不動産屋に見つけられなかった旨の報告をするとファックスは「ありますか」と言われ、その手があったことに気付きました。それでようやく見つけたのですが、ファックスが実質的に役に立ったのはこの時くらいでした。

 今年は4月13日に藤の花が咲きかけているのを見ました。それで少し取り、天ぷらにして食べました。季節の味の一つにしているのですが、藤の花が咲くのは、以前は5月の連休の頃だったのです。やはり季節が2週間ほど早くなっているように思います。今年は今、山は藤の花盛りですが、私が観察している範囲ではこの3年ほど藤の花は殆ど咲きませんでした。よその地域に行ったときには藤の花が咲いたかどうか尋ねてみるのですが、どうも関心がないようです。藤のつるを見ても豆ができていないから咲いてないのでしょう。去年は少しだけ咲き、今年はみごとに復活した感じです。やっと温暖化に対応できたのかも知れません。
 今年の2月25日には山の棚田跡の横の流れで小さな亀を見つけました。その日は暖かくシャツ一枚になって棚田跡で気功をしていたのですが、亀はその間ゆっくりと頭を左右に動かしていました。少し冬眠から覚めるのが早すぎるのではないかと思いましたが、3月1日に同じところに行くと同じ場所で亀は裏返しになって死んでいました。やはり覚めるのが早すぎたのではないかと思います。これも温暖化のせいなのだろうかと思いました。変化に適応するのもラクではないようです。その次に行ったときには亀の死骸はなくなっていたので他の動物の餌になったのでしょう。これもまた自然です。
2023年4月20日


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白いコオロギ

2023-02-21 08:57:37 | 「遊来遊去の雑記帳」
白いコオロギ  <2004.8.11>
 昨日、畑で白いコオロギを見ました。風通しを良くしてやろうと、邪魔になっている草を取っていると、すぐ前の枯草の間からひょっこり顔を出しました。コオロギにしては多少大きいかなと思いましたが、どう見てもコオロギです。白いコオロギというのは初めてなので、本当にコオロギかどうか確かめておく必要があると思ったのでそちらの方に身を乗り出したのですが、コオロギにしては一大事だったのでしょう、歩いて逃げ出しました。といっても辺りは朽ちかけた草の茎や枝で一杯なうえに畝もあるのでコオロギにとっては障害物だらけです。枯れた枝一つ乗り越えるのでも大変です。これは山で倒木のたくさんあるところを歩いた経験のある人ならわかるのですが、体力ばかりでなく、心底、気力まで奪われます。畝にしてみても、人間なら二階建てくらいの高さに相当するでしょう。それをいとも簡単にひょいひょいと越えていく様子を見ていて、さすがは野生、凄いものだと感心しました。
 そのうち疲れたのか、枯れ枝の下に頭を突っ込んで動かなくなりました。体は半分以上出ているのですが、コオロギは、これでも自分ではきちんと隠れているつもりなのです。『頭隠して尻隠さず』」という言葉がありますが、こういうことは動物にはよく見られます。
 私は今がチャンスとそっと近づき観察しました。少し羽は長いようです。足にもぶちぶちと剛毛があります。あと何を見ればいいのかなと思ったとき、私はコオロギの具体的な部分については殆んど知らないことがわかりました。これではいくら観察してもコオロギかコオロギでないか鑑定することはできません。日常生活の中でコオロギはよく知っているのに、あらためてコオロギかどうかと言われると断定できないのです。「ここがこうだからこうだ」という言い方をしないと説得力がないのです。ここでいよいよ「学問」の出番となるわけですが、よく知っているのに知らないことにされてしまうというのも理不尽な話だなあと考えていると、コオロギが、何か気配を感じたのか、あるいは、もう大丈夫かなと思ったのか、ひょいと頭を出しました。白い頭にくりくりした黒い眼が二つ、コオロギはびっくりしたのか私を見たまま動きません。コオロギにしてみれば私は巨大な怪物です。怖がらせてはいけないと思い私はすぐにそこを離れました。とりあえずコオロギだと思ったのだからコオロギでいいだろうということにしておきます。
2004.8.11

★コメント
 このコオロギは、この後また元の所に頭を突っ込んで動かなくなりました。やはり自分では隠れているつもりのようです。そしてしばらくするとまた顔を上げて振り返りました。20年以上も前のことなのにはっきり覚えています。そのあと私は畑の作業をしていたのでコオロギのことは忘れてしまいましたが、これもやはりアルビノ(白子)なのかなあと思います。

 白い蛇を見たという人の話を聞いたことがあります。その場所は市街地の中の小さな山地で、私のよく知っているところです。長さは2mくらいあったと言いますから、おそらくアオダイショウのアルビノでしょう。この話を聞いたのは35年くらい前ですが、その頃ですら大きな蛇はもう見かけなくなっていました。私が子供の頃には家の裏の方は田んぼでしたが、隣の家には槙垣があり、その上で大きなアオダイショウが日向ぼっこ(昼寝?)をしているのをよく見かけました。怖かったです。畑の周りの草むらにも蛇はたくさんいました。父からは「昔は夜中に天井裏でアオダイショウがバタバタとネズミを追いかける音がした」という話を聞きました。古い家には大きな蛇が棲みついているものだという話を聞かされたときにはぞっとしました。うちの納屋には「へびつかみ」というものがあったくらいです。見つけたときには殺さずに、捕まえて家から離れた所に捨てに行ったのです。
 ところが私が大人になる頃から高度成長の結果として消費が美徳となり使い捨て文化が始まります。そうすると世の中がどんどん変わり始め、農薬などの影響か、生き物が減り、アオダイショウも大きなものを見ることは殆どなくなりました。殺すことも平気になったような気がします。子供の頃に兄貴から聞いた話ですが、暗殺の仕方には国民性があるそうです。日本人は刀で、アメリカ人は銃で、フランス人は爆薬を使うということでした。そして相手から離れるほど罪悪感は小さくなると言っていました。薬剤で生き物が死ぬときにはそのことさえ意識されないことが多いから平気になる傾向があります。
 私が虫や微生物をも含めた生き物を殺すことに抵抗や苦しさを感じるようになったのは大学の授業で虫がどのようにして死ぬかという、薬剤が働くメカニズムの話を聞いてからです。そのような薬剤を考え出す人の心にも恐怖を感じました。
 ところでアルビノですが、人間は<大多数・普通>と違うもの対して、それを排除しようとするときと畏敬の念を持つときとがあります。白い蛇の場合は「神の使い」のように言われたりすることもあるのでそれを殺そうとする人はいないでしょう。だから大きくなれたのかなとも考えられます。アルビノは野生では目立つのでなかなか大きくなるところまでは行かないらしいです。白いコオロギの場合は人間に捕まれば珍しいということで見世物にされたかも知れません。何が幸せかは分かりませんが、私の場合はそのままそっとしておくことが多いです。子供の時なら間違いなく捕まえたと思いますが、これも成長の結果なのでしょうか。あとでクリクリした黒い眼を思い出して『危なかったなあ』と呟いているコオロギの姿を想像するのは楽しいです。
2023年2月21日

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