<遊去の話>

「遊去の部屋」「遊来遊去の雑記帳」に掲載した記事と過去の出来事についての話です。「遊去のブログ」は現在進行形で記します。

白いコオロギ

2023-02-21 08:57:37 | 「遊来遊去の雑記帳」
白いコオロギ  <2004.8.11>
 昨日、畑で白いコオロギを見ました。風通しを良くしてやろうと、邪魔になっている草を取っていると、すぐ前の枯草の間からひょっこり顔を出しました。コオロギにしては多少大きいかなと思いましたが、どう見てもコオロギです。白いコオロギというのは初めてなので、本当にコオロギかどうか確かめておく必要があると思ったのでそちらの方に身を乗り出したのですが、コオロギにしては一大事だったのでしょう、歩いて逃げ出しました。といっても辺りは朽ちかけた草の茎や枝で一杯なうえに畝もあるのでコオロギにとっては障害物だらけです。枯れた枝一つ乗り越えるのでも大変です。これは山で倒木のたくさんあるところを歩いた経験のある人ならわかるのですが、体力ばかりでなく、心底、気力まで奪われます。畝にしてみても、人間なら二階建てくらいの高さに相当するでしょう。それをいとも簡単にひょいひょいと越えていく様子を見ていて、さすがは野生、凄いものだと感心しました。
 そのうち疲れたのか、枯れ枝の下に頭を突っ込んで動かなくなりました。体は半分以上出ているのですが、コオロギは、これでも自分ではきちんと隠れているつもりなのです。『頭隠して尻隠さず』」という言葉がありますが、こういうことは動物にはよく見られます。
 私は今がチャンスとそっと近づき観察しました。少し羽は長いようです。足にもぶちぶちと剛毛があります。あと何を見ればいいのかなと思ったとき、私はコオロギの具体的な部分については殆んど知らないことがわかりました。これではいくら観察してもコオロギかコオロギでないか鑑定することはできません。日常生活の中でコオロギはよく知っているのに、あらためてコオロギかどうかと言われると断定できないのです。「ここがこうだからこうだ」という言い方をしないと説得力がないのです。ここでいよいよ「学問」の出番となるわけですが、よく知っているのに知らないことにされてしまうというのも理不尽な話だなあと考えていると、コオロギが、何か気配を感じたのか、あるいは、もう大丈夫かなと思ったのか、ひょいと頭を出しました。白い頭にくりくりした黒い眼が二つ、コオロギはびっくりしたのか私を見たまま動きません。コオロギにしてみれば私は巨大な怪物です。怖がらせてはいけないと思い私はすぐにそこを離れました。とりあえずコオロギだと思ったのだからコオロギでいいだろうということにしておきます。
2004.8.11

★コメント
 このコオロギは、この後また元の所に頭を突っ込んで動かなくなりました。やはり自分では隠れているつもりのようです。そしてしばらくするとまた顔を上げて振り返りました。20年以上も前のことなのにはっきり覚えています。そのあと私は畑の作業をしていたのでコオロギのことは忘れてしまいましたが、これもやはりアルビノ(白子)なのかなあと思います。

 白い蛇を見たという人の話を聞いたことがあります。その場所は市街地の中の小さな山地で、私のよく知っているところです。長さは2mくらいあったと言いますから、おそらくアオダイショウのアルビノでしょう。この話を聞いたのは35年くらい前ですが、その頃ですら大きな蛇はもう見かけなくなっていました。私が子供の頃には家の裏の方は田んぼでしたが、隣の家には槙垣があり、その上で大きなアオダイショウが日向ぼっこ(昼寝?)をしているのをよく見かけました。怖かったです。畑の周りの草むらにも蛇はたくさんいました。父からは「昔は夜中に天井裏でアオダイショウがバタバタとネズミを追いかける音がした」という話を聞きました。古い家には大きな蛇が棲みついているものだという話を聞かされたときにはぞっとしました。うちの納屋には「へびつかみ」というものがあったくらいです。見つけたときには殺さずに、捕まえて家から離れた所に捨てに行ったのです。
 ところが私が大人になる頃から高度成長の結果として消費が美徳となり使い捨て文化が始まります。そうすると世の中がどんどん変わり始め、農薬などの影響か、生き物が減り、アオダイショウも大きなものを見ることは殆どなくなりました。殺すことも平気になったような気がします。子供の頃に兄貴から聞いた話ですが、暗殺の仕方には国民性があるそうです。日本人は刀で、アメリカ人は銃で、フランス人は爆薬を使うということでした。そして相手から離れるほど罪悪感は小さくなると言っていました。薬剤で生き物が死ぬときにはそのことさえ意識されないことが多いから平気になる傾向があります。
 私が虫や微生物をも含めた生き物を殺すことに抵抗や苦しさを感じるようになったのは大学の授業で虫がどのようにして死ぬかという、薬剤が働くメカニズムの話を聞いてからです。そのような薬剤を考え出す人の心にも恐怖を感じました。
 ところでアルビノですが、人間は<大多数・普通>と違うもの対して、それを排除しようとするときと畏敬の念を持つときとがあります。白い蛇の場合は「神の使い」のように言われたりすることもあるのでそれを殺そうとする人はいないでしょう。だから大きくなれたのかなとも考えられます。アルビノは野生では目立つのでなかなか大きくなるところまでは行かないらしいです。白いコオロギの場合は人間に捕まれば珍しいということで見世物にされたかも知れません。何が幸せかは分かりませんが、私の場合はそのままそっとしておくことが多いです。子供の時なら間違いなく捕まえたと思いますが、これも成長の結果なのでしょうか。あとでクリクリした黒い眼を思い出して『危なかったなあ』と呟いているコオロギの姿を想像するのは楽しいです。
2023年2月21日
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