<遊去の話>

「遊去の部屋」「遊来遊去の雑記帳」に掲載した記事と過去の出来事についての話です。「遊去のブログ」は現在進行形で記します。

ヌンチャク

2021-04-29 09:22:58 | 「青春期」
 高校を卒業する少し前、一応、入学試験を受けるために東京に行きました。今から考えると信じられないような時代であり、どうしてそんなことができたのかというようなことがたくさんありました。人と人との関係が今の感覚とはまるで違っていたのだと思います。武満徹が、若い時にピアノがなかったので、町でピアノの音が聞こえるとその家に行ってピアノを弾かせてもらえませんかと頼んだと言っています。そして断られたことは一度もなかったそうです。今の時代を生きている若い世代の人には信じられない話でしょう。
 武満徹は私より23歳ほど年上ですが、私の時代でさえこういうことは難しかったでしょう。だけど私は、生きていれば今80代、90代になっている人たちに大変世話になって何とか若い時代を通り抜けることができました。若い時は誰でも「愚かな所業の数々」を繰り返すものだと思います。それをたしなめて、その尻拭いをしてくれたのがそのとき働き盛りであった年配の人たちなのです。それがあってこそ青年は成長することができるのだと考えています。その年配の人たちが若い人たちをサポートできなくなってしまったのが現代ではないでしょうか。
 日本人の気質は、私の青年期から見ると、まるで変わってきたように思えます。残念です。これは毎日の暮らしが物質的に豊かになってきたことと、それを可能にした「使い捨て文化」の延長線上にある事柄ではないかと思っていますが、日本が高度成長を始めた頃に青春時代を過ごした自分の身の回りであったことを今一度振り返ってみることで、その頃の人たちの気質を考えてみたいと思います。その時のことを書いた日記は若い時に焼き捨ててしまったので記憶だけが頼りです。果たしてどれだけ正しく思い出せるのかも分かりませんが、50年前の出来事を今の自分の目で眺め直してみるということも、自分にとっての人生の意味を考える上で避けては通れない事柄ではないかと思い始めました。

 先ずはヌンチャクです。
 私はただ東京へ行きたかったので、大学に行くというのはその口実のようなところがありました。自分が何をしたらいいか分からなかったのでいろんな仕事をしながら自分に合ったものを見つけようと考えていました。「浪人」というものも体験してみたかったので合格しようが落ちようがどちらでもよかったのです。東京に行ったら新聞配達をするつもりでいたのでそれを見つけるまで泊めてもらうところが必要でした。そのとき丁度4歳上の兄の友達が東京にいたので兄に頼んでそこに泊めてもらうことにしました。
 その人はAさんとしておきます。Aさんの家はすぐ近所でしたが遊んだ記憶はありません。いつも家で勉強しているということでしたが、あとで聞いてみるとテレビを見ていたといって言いました。ただAさんは私が知っているただ一人の大学生だったのでAさんの話を真に受けた私は後に大学生活でとんでもないことになりました。
 Aさんのアパートは4畳半に半畳ほどの台所がついていました。部屋には机が一つとスチール製の本棚が一つあるだけでした。その本棚にはジュリストという雑誌がびっしり並んでいて、その他は山本周五郎の小説がたくさんありました。彼は商学部に在籍していましたが司法試験を目指しているということで、そのためか学校に行くことはありませんでした。学校に行かなくてもいいのかと尋ねるとこの雑誌を読んでいればいいと教えてくれました。ただ、行ったときには掲示板だけはチェックしておかないといけないと教えられました。それで私は大学というところは授業には出なくてもいいのだと思い込んでしまったのです。

 こうして私の東京暮らしは始まったのですが、ここに転がり込んですぐの事です。朝になり目が覚めて体を起こすと、部屋の隅に奇妙なものがあるのに気付きました。30cmくらいの長さの2本の棒を紐でつないだものです。それは何か尋ねたところ、Aさんも起き上がって座り、それを手に取って沖縄の武器でヌンチャクというものだと教えてくれました。どうやって使うのか聞くと、少し形を見せて、それから私に渡しました。私は真似をして振り回してみました。その瞬間に上の方でボンという音がしました。天井からぶら下がっている裸電球を直撃したのです。
 そのとき下には床いっぱいにフトンが2つ敷いてあり、その上に割れた電球の破片が飛び散ったのです。どうやって後始末をしたのか覚えていませんが、破片を集めるしかありません。Aさんは「もう追い出されると思ったやろ」と言いながら片付けてくれたような気がします。私はしょげかえってしまいましたが、もしこれが夜だったらどうしようもなかったでしょう。そういう意味では最悪ではなかったのだということに今になって気が付いた次第です。

 ノートを一冊用意しました。東京での出来事を思い出すためのノートです。とにかく何か思い出すことができたらそれをすぐに書き付けていくためです。そうすれば芋づる式に次々と出てくるでしょう。すでにこれを書き始めただけで50年間思い出すことのなかった記憶が飛び出し始めました。この時期の始末をつけるのは今だなという気がしてきました。
2021年4月29日

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