サギとトラクター <2003.9.5>
この辺りでは稲刈りもだいたい終わりました。その刈取りの済んだ後の田を、のんびりとトラクターが起こしています。昔は、稲刈り後の田んぼは子供たちの天下でした。追いかけたり逃げたりして遊んだものですが、稲の株が残っているのでうまく走れません。それで躓いたりしながら右に行ったり左に行ったりして逃げ回るのですが、不思議と、足をくじいたりするものはいなかったように思います。追いかける方も、足場が悪いので、体の大きいものが有利というわけには行かないのです。なかなかすばしっこいものがいてどうしても捕まらない。そうすると年上のものは新しいルールを決めてきて、あそこから出てはいけないとか指先が当たっただけでもだめだとか…。
今はそんなことをして遊ぶ子供たちの姿は見られなくなりました。その代わり、サギたちにとっては楽園になりました。シラサギがあちらこちらで餌をついばんでいる姿を見るのはいいものです。鳥たちがたくさん見られるのはそれだけたくさん餌になる生き物がいるからだという気がして、見ていても嬉しい気持ちがします。餌になる生き物たちには厳しいことですが、それでもそれ以上に繁栄しているのですから、それでいいのでしょう。
私は一日に3回コロの散歩に行きます。朝と夕方と夜中です。そのときあちらこちらにサギがいるので、できるだけ脅かさないように遠回りをするのですが、それでもサギは飛んで逃げて行くことが多いです。そのたびに私は、あのサギは飛ぶのにエネルギーを使ったから、その分、後で少し余分に餌を取らなくてはならないだろうなと思って悔やむ思いがするのです。コロはそんなことはお構いなしで、鼻を地面すれすれに付けたまま自分の行きたい方へぐいぐい引っ張ります。コロにとってはこれが何よりの関心ごとですから無下に遮ることもためらわれるのです。それで何とか両者のぎりぎりの線を狙おうとするのですが、それがなかなか簡単ではありません。
そんな警戒心の強いサギが、凄い騒音を立てて田を耕しているトラクターの周りにはたくさん群がってくるのです。それは耕したときに掘り出される生き物や驚いて逃げ出す虫などを狙ってのことですが、それにしてもトラクターの横や後ろにはサギの行列ができています。中にはトラクターの前にまで飛び出すものさえいます。トラクターの上には人が乗っているというのに、これはいったいどういうことなのでしょう。
そこで、私の仮説を一つ。
『サギたちはトラクターを、象や犀のような巨大な生き物と考えている。サギたちは、草原の生活で、巨大な動物が歩くと虫が飛び出すということを知っているから、餌を求めてその周りに集まる習性がある。トラクターの運転手はトラクターの一部と見ていて人間とは思っていない。それでトラクターが動き出すと、これ幸いとその周りに群がってくる。』
以上ですが、サギたちに、トラクターの上にいるのは人間だということを教えてやったら、「そりゃ詐欺だ」と言うかも知れません。
★コメント
トラクターの後ろにサギたちが群がっているところを遠くから撮影した映像に音を合わせるとしたら何がいいだろうと考えてみました。アイリッシュなどの伝統的なケルト音楽はどうでしょうか。性質はまるで違うようですが、静と動の組合せが意外と面白いのではないかと思います。いつまでも眺めていたくなるような気がします。
今、20年以上も前に作った「コロちゃんのアマゾン探検」というギター朗読作品の音を確かめているのですが、これもコロがいなかったら作ることはなかったでしょう。感慨深いです。原稿や楽譜に音符がメモの形で書き込んであるのですが、それを再現することの苦しさを考えるとなかなか取り組む気になりませんでした。ようやく肚を決めて取り掛かったところ、3日ほどすると体の中に何かもやもやした感覚が甦ってきて、最初に作っていたときにタイムスリップしたような気分になってきました。今は人生をいい加減に生きてきたような気がしているのですが、その時の書き込みを見るとその時点での持てる力を尽くして取り組んでいるのがわかります。と言っても、力がないのだからたいしたことはできませんが、それでもどうやって音を引き出したかは今でもはっきり思い出すことができます。結構しっかり取り組んできたようです。
これまでに作った作品をネットに上げたいと思うのですが、まだその方法が分かりません。自分の楽しみとしてやりたいと思うものの、その前に録音しなければなりません。ところが、これでいいと思うものが取れないことは分かっているのです。その苦しさに耐えられないためいつも先延ばしにしてきました。短いものから取り組んで、一つ載せれば要領が分かるからあとはラクになるだろうと思うものの、最初の一つがなかなか出ません。ここが踏ん張りどころということでしょうね。
2021年10月30日
この辺りでは稲刈りもだいたい終わりました。その刈取りの済んだ後の田を、のんびりとトラクターが起こしています。昔は、稲刈り後の田んぼは子供たちの天下でした。追いかけたり逃げたりして遊んだものですが、稲の株が残っているのでうまく走れません。それで躓いたりしながら右に行ったり左に行ったりして逃げ回るのですが、不思議と、足をくじいたりするものはいなかったように思います。追いかける方も、足場が悪いので、体の大きいものが有利というわけには行かないのです。なかなかすばしっこいものがいてどうしても捕まらない。そうすると年上のものは新しいルールを決めてきて、あそこから出てはいけないとか指先が当たっただけでもだめだとか…。
今はそんなことをして遊ぶ子供たちの姿は見られなくなりました。その代わり、サギたちにとっては楽園になりました。シラサギがあちらこちらで餌をついばんでいる姿を見るのはいいものです。鳥たちがたくさん見られるのはそれだけたくさん餌になる生き物がいるからだという気がして、見ていても嬉しい気持ちがします。餌になる生き物たちには厳しいことですが、それでもそれ以上に繁栄しているのですから、それでいいのでしょう。
私は一日に3回コロの散歩に行きます。朝と夕方と夜中です。そのときあちらこちらにサギがいるので、できるだけ脅かさないように遠回りをするのですが、それでもサギは飛んで逃げて行くことが多いです。そのたびに私は、あのサギは飛ぶのにエネルギーを使ったから、その分、後で少し余分に餌を取らなくてはならないだろうなと思って悔やむ思いがするのです。コロはそんなことはお構いなしで、鼻を地面すれすれに付けたまま自分の行きたい方へぐいぐい引っ張ります。コロにとってはこれが何よりの関心ごとですから無下に遮ることもためらわれるのです。それで何とか両者のぎりぎりの線を狙おうとするのですが、それがなかなか簡単ではありません。
そんな警戒心の強いサギが、凄い騒音を立てて田を耕しているトラクターの周りにはたくさん群がってくるのです。それは耕したときに掘り出される生き物や驚いて逃げ出す虫などを狙ってのことですが、それにしてもトラクターの横や後ろにはサギの行列ができています。中にはトラクターの前にまで飛び出すものさえいます。トラクターの上には人が乗っているというのに、これはいったいどういうことなのでしょう。
そこで、私の仮説を一つ。
『サギたちはトラクターを、象や犀のような巨大な生き物と考えている。サギたちは、草原の生活で、巨大な動物が歩くと虫が飛び出すということを知っているから、餌を求めてその周りに集まる習性がある。トラクターの運転手はトラクターの一部と見ていて人間とは思っていない。それでトラクターが動き出すと、これ幸いとその周りに群がってくる。』
以上ですが、サギたちに、トラクターの上にいるのは人間だということを教えてやったら、「そりゃ詐欺だ」と言うかも知れません。
★コメント
トラクターの後ろにサギたちが群がっているところを遠くから撮影した映像に音を合わせるとしたら何がいいだろうと考えてみました。アイリッシュなどの伝統的なケルト音楽はどうでしょうか。性質はまるで違うようですが、静と動の組合せが意外と面白いのではないかと思います。いつまでも眺めていたくなるような気がします。
今、20年以上も前に作った「コロちゃんのアマゾン探検」というギター朗読作品の音を確かめているのですが、これもコロがいなかったら作ることはなかったでしょう。感慨深いです。原稿や楽譜に音符がメモの形で書き込んであるのですが、それを再現することの苦しさを考えるとなかなか取り組む気になりませんでした。ようやく肚を決めて取り掛かったところ、3日ほどすると体の中に何かもやもやした感覚が甦ってきて、最初に作っていたときにタイムスリップしたような気分になってきました。今は人生をいい加減に生きてきたような気がしているのですが、その時の書き込みを見るとその時点での持てる力を尽くして取り組んでいるのがわかります。と言っても、力がないのだからたいしたことはできませんが、それでもどうやって音を引き出したかは今でもはっきり思い出すことができます。結構しっかり取り組んできたようです。
これまでに作った作品をネットに上げたいと思うのですが、まだその方法が分かりません。自分の楽しみとしてやりたいと思うものの、その前に録音しなければなりません。ところが、これでいいと思うものが取れないことは分かっているのです。その苦しさに耐えられないためいつも先延ばしにしてきました。短いものから取り組んで、一つ載せれば要領が分かるからあとはラクになるだろうと思うものの、最初の一つがなかなか出ません。ここが踏ん張りどころということでしょうね。
2021年10月30日