フィリピンでは薬局の整備が充実していて至るところに薬局があります。
何処でも処方箋の薬が買えるし、店によっては24時間営業している薬局も何軒か市内にあり、ドラッグストアでは薬以外にも化粧品や日用品、食品なども購入出来ます。
お医者さまにかかる必要がないと自分自身で判断した人達は薬局に直接行って薬剤師に相談して薬を買って自分で治療することも可能です。
そのようなことからフィリピンでは薬局も一つの医療機関として重要な役割を果たしていると言えるでしょう。
薬局の中には医師の処方箋の必要な強い薬も一部処方箋なしで売っている所もあって問題視されることもあるようですが、このような薬局の直接利用は、医師にかかる経済的な余力のないフィリピンの庶民の方々にとっては仕方のないことかも知れません。
フィリピンで使用されている医薬品は輸入品が多く、ほとんどが輸入品と言っても過言ではないでしょう。
錠剤などには一錠ごとに製品名と成分名を表示するように法律で定められていて、患者が服用している薬品が判り易くなっています。
日本の医者から処方された医薬品をダバオの薬局で確認すると、日本よりも少し安い価格で入手出来る薬品もあります。
フィリピンの薬の薬容量が日本人にとっては多いと言われる事がありますが、販売されている薬一錠当たりの薬容量が多いものも確かに見受けられますが、処方する医師が服用すべき薬容量を決定しているのでそれ程心配する必要はなさそうです。
日本では健康保険などで処方すべき薬容量が制限を受けていて、医師が充分に自由裁量を発揮し難い面があるようですが、フィリピンではそのような制約が無いので医師が日本より多めの薬容量を指定する事があるようです。
また、薬の中には抗精神薬と呼ばれる睡眠薬をはじめとする一群の薬や、麻薬指定の薬、特に何らかの使い方が難しいと考えられる薬品は専門医として使用認可を受けた医師が登録番号を処方箋に記載する事になっていて、処方箋に担当医師の登録番号が記載されていないと薬局は売ってくれません。
これらの薬品についてはさすがに管理が厳しくなっているのです。
ダバオ市内にはRosePharmacy、Mercury Drugなどの薬局店が沢山あり、勿論病院内にも薬局があります。
これらの薬局を良く調べてみると薬局によって同じ医薬品でも微妙に価格の違いがあることが分かります。
見た目は余りパッとしない薬局でも多くの客の姿がある薬局は確実に他の店に比べて安く薬を売っています。
最近あちこちで目にするようになったのが「Generics Farmacy」(ジェネリック医薬品薬局)です。
後発医薬品(ジェネリック医薬品)は先発医薬品と治療学的に同等であるものとして製造販売が承認された医薬品のことで、一般的に開発費用が安く抑えられることから先発医薬品に比べて薬価が安くなっています。
たとえばフィリピンでよく使われる解熱剤の「Paracetamol」という成分の薬でブランド品の<Biogesic>は一錠約5ペソしますが、他の無名のParacetamol薬は一錠1ペソぐらいで売られています。
前述のようにフィリピンで売られている薬は殆どアメリカ産でかなり値段が高いので、処方箋通りにすべての医薬品を買うと、抗生物質一週間分だけで2,000ぺそ以上かかったりもするので、ジェネリック医薬品が出ていないか確認してみるのも節約の一法だと思います。
フィリピンの人たちの「ご飯好き」&「パン好き」については以前のブログにも書きましたが、相変わらず街のあちこちに自家製のパンを焼いて売っているパン屋さんが目につきます。
同じ東南アジアのベトナムではフランス植民地時代の名残で、フランスパンが大変美味しいそうですが、ここフィリピンでも400年もの間統治していたスペインの影響を大きく受けているようです。
その象徴的なものがパン好きなフィリピンの人たちの定番の「パンデサル」と言うプチパンです。
「パンデサル」はスペイン語で<塩パン>の意味ですが、塩パンと言っても塩辛いパンではなく、ほんのり甘みのあるパンで、フィリピン人はこのパンデサルを朝食の時にホットコーヒーやホットミルクに浸しながら食べるのが大好きなのです。
以前このブログで紹介した「Bread Talk」は日本のパンの味を思い出す美味しい焼き立てパンが買えるので相変わらず人気がありますが、最近SM Lanangプレミアムにオープンした「FRENCH BAKER」もお気に入りのパン屋さんのひとつです。
2週間前の当ブログで紹介した「ChaTime」と背中合わせのお洒落なお店です。
最近の日本ではパン作りの為の小麦粉、米粉に次ぐ第3の粉として、大豆粉がじわじわブームになっていると聞きます。
大豆といえば、豆腐や納豆、豆乳、味噌などに使われ、日本人にはお馴染みの食品ですが、大豆粉は大豆を生のまま粉砕し、加熱せずに粉にしたものです。
きな粉も大豆を使った粉ですが、大豆を炒っているため、厳密には大豆粉ではありません。
大豆粉は小麦粉に比べると糖質がずっと少なく、タンパク質、食物繊維やカルシウムが豊富で、しかも大豆イソフラボンを含む栄養価の高いヘルシーな食材です。
最近ショッピングモールの中のスーパーで目に付いたのが、「大豆粉」や「豆乳」をミルクの代わりに使って焼いたヘルシーなパンです。(トップの写真と下写真)
特に豆乳を使って焼いたパンは食感も「もっちり」としていて、小麦で作ったパンに負けないくらい美味しく出来上がっていて最近ハマっています。
小麦粉で作ったパンよりも低カロリーなのも有難いことです。
フィリピン南部のミンダナオ島を拠点とする武装勢力「モロ・イスラム解放戦線」(MILF)と政府との和平交渉が去る1月25日に再度開催されて、MILFが武装解除をすることで合意しました。(トップ写真左ムラドMILF議長、右アキノ大統領)
政府は2012年10月にMILFに自治政府を認める「枠組み合意」を既に交わしていましたが、武装解除の方法などで議論が難航していたようです。
今回の合意で、2016年中に自治政府「バンサモロ」(イスラム系住民の総称)樹立に向けた具体的な法整備や制度づくりに入ります。
今回の合意によって、10万人を超える死者を出し、40年以上も続いた紛争の終結と和平実現が揺るぎないものになると期待されています。
それにしても、これほどの犠牲者を出し、これほど長く続いた紛争の背景は何だったのでしょうか。
世界的探検家マジェランによって1521年に「発見」された北緯10度、東経125度付近に連なる島々を、剣と十字架によって征服しようと企てたスペインが、数回に及ぶ遠征隊を送って、ビサヤ諸島からマニラのあるルソン島にかけて大まかな支配を固めたのは16世紀後半のことでした。
スペイン人はこの群島をスペインのフィリペ王子(後のフィリペ2世)の島々として「フィリピナス」と呼びました。
スペインはこれらの島々に、アシェンダ(大農園)の領主としてスペイン人修道僧を頂点に置き、スペイン人植民者及び中国人移住者と現地の女性との間に生まれたメスティーソやインディオと呼ばれた現地人の一部を支配層とする社会を築いて、住民に租税と強制労働を課しながらカトリックの信仰を広めていったのです。
スペインはさらに、南部のミンダナオ島やスールー諸島へも侵略を企てましたが、そこには既に14世紀以来強力なイスラム社会が存在し、野望は容易には達成されなかったのです。
スペイン人たちは、当地のイスラム教徒に8世紀に北アフリカからイベリア半島へ侵入したイスラム教徒への敵意を込めた蔑称の「モロ」と名付け、何度も大規模な遠征隊を送りましたが、そのたびに撃退されたばかりでなく、逆にイスラム社会から反撃を受け、スペイン支配地区がイスラム教徒からの攻撃にさらされることにもなりました。
こうして報復が報復を生み、以来300年もの間「モロ戦争」と呼ばれる熾烈な戦いが繰り返されましたが、この間にイスラム社会とスペイン人植民者のみならず、スペイン支配地域のキリスト教徒現地住民社会との間にも、修復出来ないほどの憎悪と敵意が生まれることになってしまいました。
そして、スペインによる支配は1898年、米西戦争に勝ったアメリカが2,000万ドルでこれらの島々を買い取った形で、また現地住民の独立運動の成果をかすめ取った形で、米国に取って代わられたのでした。
米軍政の圧迫に反発するイスラム社会に対して米国は、アメリカ・インディアン平定作戦で用いた皆殺し作戦で臨み、1912年、1913年のホロ島での凄惨な戦いを最後に、勇敢に戦ったイスラム教徒の抵抗もついに力尽きて、南部イスラム社会は、初めて北部のキリスト教徒社会と同一の政治支配に組み込まれることとなり、現在につながるフィリピン国家が完成したのです。
フィリピンはその後、日本の軍政と米国の再占領を経て、1946年に独立を果たしますが、南部イスラム社会はまた新たな苦難を迎えることになったのでした。
フィリピン国家の権力はマニラを中心とする北部キリスト教徒民の手に握られ、南部イスラム教徒は偏見と差別に晒されるのみならず、ミンダナオ島では北部キリスト教徒が進める入植や農園、鉱山の開発によって土地を奪われ、生活と社会、文化までも破壊されることとなったのです。
1965年に発足したマルコス政権下でこの傾向は更に強まりましたが、1972年の戒厳令布告によって議会を通じての異議申し立ての道を閉ざされたミンダナオのイスラム青年たちはモロ民族解放戦線(MNLF)を結成して、南部の分離独立をめざして武装闘争を開始したのです。(左写真)
マルコス政権を含め、その後のアキノ、ラモス、エストラーダ、アロヨの各政権とも、米軍と連携した掃討作戦を進める一方で、懐柔や和平を試みましたが、いずれも不徹底さや欺瞞性から失敗を繰り返して来ました。
とりわけラモス政権の1996年の和平協定では、南部4州を自治地域としてMNLFリーダーのミスアリ議長をその長官に据えましたが、一向に改善されぬ状況の中から新たにモロ・イスラム解放戦線(MILF)が台頭し、2000年には政府軍とMILFとの戦闘で約80万人もの難民を出してしまいました。
これが今回、アキノ政権と和平協定を結んだ組織です。
さらに、アロヨ政権が取り組んだ2008年の和平交渉では、ミンダナオのイスラム住民を、独自の歴史と文化を持ち自己統治を行ってきた人々と認め、そのアイデンティティと先祖伝来の土地や資源に関する権利を認めることを基本理念としましたが、これはこの地域に利権を持つ北部キリスト教徒の実業家や政治家の猛反対を受け、最高裁判所がこの交渉に違憲の判断を下したことから、和平自体が葬り去られることとなったのでした。
この時もMILFと政府軍との軍事衝突で約60万人の難民が発生しました。
冒頭に記した「バンサモロ(モロ民族)」の概念と呼称はこのときの交渉で現れたのでした。
このような経緯を経ての今回の和平合意です。
自治政府の実現には今後、政府とMILF、国際機関の代表からなる移行委員会で詳細が詰められますが、政権側には長引く紛争が国際テロ組織の温床になる懸念や、新たな資源と市場への期待からの国際社会からの圧力、MILF側には武器や資金の入手先としてのアラブ世界の変化などに背を押されているとは言え、MILFの数万の兵力の武装解除や憲法改正、またこの和平が既得権をもつキリスト教徒入植者や実業家、政治家をはじめ、キリスト教徒を大多数とする国民一般の理解を得られるか、さらにミンダナオの他の小武装組織がMILFの合意に従うかなどなど、課題はあまりにも多いのです。
日本政府は国際停戦監視団への専門家派遣やMILF支配地域のインフラ整備などに加え、日本国内でアキノ大統領とMILFのムラド議長との極秘会談をセットしたなど、強い関心を深めて来ました。
今後の和平プロセスは「バンサモロ政府(Bangsamoro Government)」(自治政府)の創設に向けた移行プロセスに入ることになり、具体的には今回の合意を基礎とするバンサモロ基本法(Bangsamoro Basic Law)の制定、管轄領域を画定するための住民投票の実施,ムスリム・ミンダナオ自治地域(ARMM: Autonomous Region in Muslim Mindanao)の廃止と暫定移行機関(Bangsamoro Transition Authority)の設置を経て、2016年の自治政府発足を目指すことになります。
SM Lanangプレミアム・ショッピングモール1階にチャタイム(Chatime)が昨年オープンして以来、根強い人気を得ています。
チャタイムは2005年に台湾で生まれ、今では4大陸の20ヶ国、80の都市に合計1,000軒のストア達成が間近となっています。
アメリカ、カナダ、オーストラリア、中国、香港、マカオ、韓国、マレーシア、フィリピン、ベトナム、カンボジア、ミャンマー、タイ、インドネシア、シンガポール、イギリス、インド、アラブ首長国連邦、そして昨年4月には日本の「つくばクレオスクエア」に第1号店が、続いて第2号店が「イオンタウン守谷」にオープンしました。
Chatimeは、スタイリッシュでヘルシー志向の顧客をターゲットに、<Healthy・健康><Fresh・新鮮><Friendly・親切>をモットーに、淹れたてのフレッシュなお茶を様々なナチュラルな果物などの素材と組み合わせて提供しています。
Chatimeをグローバルなブランドにするために、品質の高い新鮮なお茶を淹れるハイテク・ティーマシーンを開発して、伝統的なお茶の文化を現代風にアレンジしています。
そして、国際的な事業拡大に取り組みながら、地域に溶け込んだグローバルブランドになることによって、世界中のお客さまに台湾の本格的な食文化を紹介しています。
メニューは<Chatimeオリジナル>、<お茶類>、<果汁飲料>、<コーヒー>の4つのカテゴリーに分かれていて、それぞれR(レギュラーサイズ)<55ペソ~90ペソ)、L(ラージサイズ)<70ペソ~100ペソ>と価格もリーズナブルです。
更に、それぞれのドリンクにはホット又はアイスがあって、砂糖の量もお好みで<砂糖ナシ>、<30%>、<50%>、<70%>と調整して貰うことがも出来(増量も可)、氷の量もリクエストが出来るという有り難いサービスもあります。
Chatimeダバオ店の人気ナンバーワンのドリンクは「パール・ミルクティー」で、台湾産のブラックティーにミルクをブレンドし、ココナツジェリーをトッピングしたトロピカルなヘルシードリンクです。(写真下)このドリンクを飲む時にはかなり太いストローを挿して飲むのですが、吸い込むとココナツゼリーが口の中に飛び込んで来て、弾力のある食感が楽しめます。
「Chatime」のネーミングもなかなかお洒落で、Chat+Time(おしゃべりタイム)、或いは(茶タイム)の二つの意味に捉えることが出来ます。
フィリピンの2013年の国内経済は、ASEAN主要国の中で最も高い成長を遂げ、海外からの関心も一層高まりました。
2013年1月~9月の経済成長率は7.4%となり、第4四半期は11月の予想外の台風被害による影響が懸念されたものの、通年でも7%近い成長を達成出来るのではないかと予想されています。(政府の見通しは6.0~7.0%)
2014年の成長率については国際機関の予測で6.0~6.1%、政府による予測では自然災害の影響を見込みながらも6.5~7.5%の高水準となっています。
折しも経済開発庁が去る1月16日にダバオ市の2014年度の経済成長率予想を発表しました。
ダバオも2012年の台風パブロによってココナツやバナナのプランテーションが多大な被害を被り、未だに復興が続いている状況の中ではありますが、2011年の成長率3.7%から2012年は7.4%へと飛躍を遂げ、2014年の予測も7%を見込んでいます。
特筆されるのは2013年度の観光事業の躍進で、対前年比で観光客数が10%増えて、2013年の上半期だけでも観光客がダバオに落とした金額が対前年比67.5%増(金額ベースで、60億7,000万ペソ)となっています。
このように順調な経済成長を遂げているダバオでは数年前からホテル建設ラッシュが続いております。
このブログでも取りあげた2012年から2013年にかけて開業した5つ星ホテルのPark INNホテル、Seda Ableezaホテルも順調に集客が進んでいるようです。
そしてつい数カ月前にJP Laurel大通り沿いにダバオに初お目見えの「Tuneホテル」が開業しました。
チューン・ホテルズ(Tune Hotels)は、マレーシアを拠点とする格安ホテルチェーンで、格安航空会社「エアアジア」の系列です。
Tuneホテルは、「5つ星クラスの寝心地を1つ星クラスの価格で」というコンセプトで運営されていて、2007年5月にクアラルンプールに開業以来、マレーシア、インドネシア、タイ、フィリピン、イギリス、インド、オーストラリア、日本(那覇・沖縄)へと拡大しています。
因みにダバオ市内にオープンしたTuneホテルは客室数152室、ツイン又はダブルの部屋で1泊1,075ペソと、大変リーズナブルな価格設定になっています。
順調な経済成長を続けているダバオは「物価の安さ」でも定評がありますが、それを裏付ける統計資料があります。
世界最大のデータベース会社NUMBEOの2013年度の調査によりますと、世界の342都市の中でダバオは消費者物価の安い都市の第25位にランクされています。
物価の安い上位26都市はインド、パキスタン、ネパールが下記のように占めています。
このウェブサイトで表示されている「指数」はニューヨーク市と比較してあります。
つまりニューヨークの消費者物価指数を<100>としており、例えばノルウエイのStavanger市の物価はニューヨークよりも89.23%高価なことを意味し、ダバオシティの指数は<44.13>なので、ニューヨークと比較すると半分以下で、東京の物価指数と比較すると約1/3となります。
フィリピンを代表する高級魚と言えば「ラプラプ」です。
ラプラプはフィリピン近海で獲れるハタ科の魚で、フィリピンでは「魚の王様」的存在です。
赤いものと茶褐色の2種類がありますが、どちらもラプラプで、フィリピンの人たちが好むのは赤いラプラプで、私が時々買うのは茶褐色の方です。
日本ではバラハタ、クエ、タマカイ、アカハタ、ユカタハタ、サラサハタなど、26属約190種が知られる大きなグループに属している魚だそうです。
ラプラプは熱帯から温帯の浅い海に広く分布し、ほとんどの種類は岩礁やサンゴ礁に生息していますが、マングローブなどの汽水域に侵入する種類や、水深200m以深の深海にまで生息する種類もいるそうです。
成魚の大きさは全長10cmそこそこの種類から、全長2mを超える大型種まで様々です。
話は変わりますが、16世紀のフィリピンのセブ島の東沖合のマクタン島の領主で、イスラム教徒の部族長だったラプラプは、世界一周航海の途上でフィリピンへ来航したマゼランからキリスト教への改宗と服従を要求されました。
しかしラプラプはこのことに抵抗して、マクタン島の戦いでマゼラン軍を破った上、マゼランを討ち取ったことから、ラプラプはフィリピンでは民族の誇りを守った国民的英雄とみなされていて、現在のマクタン島には海に向かって立つラプラプの像があります。
また、マクタン島には「ラプラプ市」の名前が付けられた主要都市があり、冒頭に登場したフィリピン近海で獲れる魚には彼にちなんで「ラプラプ」の名前がつけられているのです。
ラプラプはフィリピン料理では蒸したり、唐揚げにしたり、炭火で焼いて食べますが、あっさりとした白身魚なので、どんな料理にも変身する魚です。
薄造りで「刺身」で食べても美味しく、和食では「煮付け」、「塩焼き」もお薦めです。
先週末からダバオは雨続きの涼しい日が続いることもあって、久し振りに「鍋料理」が食べたくなって、ラプラプを使って「ちり鍋」を作ってみました。
「ちり鍋」は白身魚の切り身を野菜や豆腐とともに水煮にした日本独特のの鍋料理で、煮汁には味付けをしない淡泊な味わいが特徴です。
食べるときには取り皿でポン酢を付けて味付けをしますが、薬味としてアサツキやもみじおろし、七味唐辛子などで、久々に涼しいダバオで日本の冬の定番の「鍋料理」をいただくことが出来ました。
久し振りに年末年始をタイのバンコクとパタヤで過ごして来ました。
昨年末からバンコク市内では反政府運動のデモが行われていた為、一時は出かけるのを躊躇しましたが、幸いなことに約10日間の滞在中にデモに遭遇することもなく、楽しい年末年始を過ごすことが出来ました。
バンコクに着いて先ず驚いたことはダバオに比べて気温がかなり低かったことで、日中の最高気温は27℃~28℃と快適で、朝晩は16℃~18℃と涼しく、ダバオとの差が5℃~6℃はあったようです。
このバンコクの気温は例年に比べてもかなり低温だったようで、聞くとろによるとチェンマイでは最低気温が11℃という記録も出たそうで、今の時期は乾季の為、雨にも遭わず快適な旅が出来ました。
私が初めてバンコクを訪れたのは今から20年以上も前のことで、当時は市内の交通渋滞が半端ではなく、排気ガスの臭いが充満する騒然とした街でしたが、今のバンコクは道路や街並みが整備され、車の渋滞も劇的に緩和されていて当時の面影が消えていました。
年末ということでバンコク市内には日本人観光客を始め世界各国からツーリストたちが集まっていて、観光スポットは何処へ行っても人で溢れていました。
また、年末にパタヤへ行ってみたのですが、パタヤはバンコク以上に欧米人が多いことに驚かされました。
特に目立つのはロシア人で、街中にロシア語表記が溢れているほか、不動産物件のショールームでも、一定レベル以上の物件となると必ずロシア語を話す欧米人スタッフが受付に常駐していて、パンフレットも「タイ語・英語・ロシア語」表記となっていました。
2013年の1月~3月のタイを訪れた第1位の国は中国の396,895人で、なんと前年比で+99.68%と約2倍の伸びを示していているそうです。
ロシア人についてはタイはビザなしで入国できる数少ない国で、しかも極北ロシアからすれば、パタヤはまるでハワイのような楽園で、その上直行便もあることから年々来訪者が増加しているそうです。
また、ロシアも経済格差が激しい国なので、外貨資産を作るために富豪がタイの物件を買うというのも納得出来るのではないでしょうか。
2014年を迎えるカウントダウンの花火は、チャオプラヤ川のシャングリラ・ホテルの丁度向かい側の13階の特等席から豪快な光のショーを見ることが出来ました。
バンコク滞在中にもうひとつ印象に残ったのは「日本食ブーム」に拍車がかかっていたことです。
特にサイアム駅に隣接した「パラゴン・ショッピングモール」地下1階の広大なレストラン広場には数々の和食レストランが並んでいて、年末とあってか何処のお店も行列が出来る程の人気です。
「寿司」、「ラーメン」、「餃子」、「カレー」、「たこ焼き」、「丼物」、「とんかつ」などなど、日本から出店している店も目を惹きます。
また、バンコク観光の新名所として昨年4月にオープンしたチャオプラヤ川沿いの「アジアティック・ザ・リバーフロント」<Asiatique The Riverfront>の中にも、数多くの日本食レストランがあって、日本でもお馴染みの「すき家」で外国人観光客や地元のタイ人の家族連れが美味しそうに「牛丼」を食べていました。
無事ダバオに戻ってから今回のタイ旅行を振り返ってみると、改めてダバオの物価の安さを感じています。
バンコクには日本と同じような品物が色々と入手出来ますが、価格を見るとどれもダバオ価格の3~4割高の感じで、ダバオで100ペソの品物やサービス料金はタイではざっと100バーツは必要です。(フィリピンペソとタイバーツの関係は100ペソ=73.92バーツ<2014年1月7日現在>)
政情混迷が続いているタイの首都バンコクでは反タクシン派が13日に「バンコク封鎖」「バンコク占拠作戦」と称する大規模デモを計画しているそうです。
反タクシン派は13日の大規模デモについて、バンコク各地の主要交差点にステージを設けて集会を開催するとともに、政府機関の水や電気を止めるなどして政府機能を麻痺させようと企てていると聞きます。
このような政情不安はタイ経済にも影を落とし始めていて、新年早々のバンコク株式市場で代表的な株価指数のSET指数が1年4カ月ぶりの安値を付けたほか、地元メディアによれば、タイ観光産業協会(TCT)は、1月の外国人観光客数が当初予測を40万人下回る恐れがあるとみているそうです。
混迷状態が続くタイの政情ですが、2006年の時のように軍部がクーデターを起こすのではないかとの臆測も乱れ飛んでいて、予断が許せない状況となっています。
新年明けましておめでとうございます
ダバオに再び戻ってから3回目の新年を迎えました
そして1999年に日本を飛び出してから
海外暮らしも早や15年目となりました
昨年一年間は本当に充実した一年を送ることが出来て
感謝の気持ちでいっぱいです
今日から2014年に入りましたが
今年一年も昨年に増して
充実した一年になることを願っています
いつも当ブログを訪問いただいている皆さまの
ご健勝とご活躍を祈念しております
本年もご指導ご鞭撻のほど宜しくお願い申し上げます。
2014年 元旦
いよいよ今年も余すところ1週間となりました。
今年のフィリピンは10月にボホール島とその周辺で起きた大地震に続いて先月にはレイテ島を中心に襲った超大型台風30号によって6,000人以上もの犠牲者が出てしまうという自然災害に立て続けに見舞われてしまいました。
そんな悲惨なニュースが相次いだ後に一年を締め括るに相応しい明るいニュースが飛び込んで来ました。
世界各国・地域から選ばれた女性たちが“美の親善大使”として集う平和の祭典『2013 ミス・インターナショナル世界大会』が去る17日、東京都内で開催され、67ヶ国・地域の美女たちが水着やドレス、民族衣装で華麗な姿を披露しました。
各国代表の頂点となる「ミス・インターナショナル」グランプリに選ばれたのはフィリピン代表のベア・ローズ・サンチャゴさんだったのです。
ファイナル審査のスピーチの時には、11月8日の台風被害に対する各国の支援について感謝の言葉を述べていたサンチャゴさん、「この賞はフィリピンみんなのものです」と涙を浮かべながらスピーチを行い、最後は「アリガトウゴザイマシタ」と日本語で締め括りました。
世界3大ビューティ・ページェントのひとつであるこのコンテストは1960年に誕生しました。
外見的な美しさのほか、国際社会への貢献を目指す世界中のミスたちが、互いに交流を深めることを目的としています。
53回目の今大会は6年振りの東京開催でした。
「ミス・インターナショナル2013」の最終結果は以下の通りです。
1位 フィリピン代表 ベア・ローズ・サンチャゴさん(23歳)
2位 オランダ代表 ナタリー・デン・デッカーさん(24歳)
3位 ニュージーランド代表 ケイシー・ラドリーさん(21歳)
ベア・ローズ・サンチャゴさんはマニラの南部の町Alanang生まれで、幼少の頃には祖父母に育てられ、15歳の時に家族と共にカナダに移住して大学で「コミュニケーション学」を専攻し、卒業後フィリピンに戻りモデルの仕事に就いたことをきっかけに母国のフィリピンで2011年のミス・フィリピンの栄冠や、2012年のミス・インターナショナル世界大会では「ミス・ツーリズム・クイーン」の賞にも輝いたことのある実力派です。
誕生日のパーティも、結婚披露宴も、お祭りも、勿論クリスマスにも、これがなければ始まらないとまで言われているのがフィリピン料理の王様的存在の「レチョンバボイ」です。
レチョンバボイはフィリピンの代表的な料理でレチョンとは丸焼き、バボイとは豚を意味し、子豚の内臓を取り除いて、中に香草を詰めて、頭から尻尾にかけて棒で串刺しにした後、炭火の上でゆっくり回しながら丸1日かけてじっくり焼き上げたものです。
こんがりきつね色に焼かれた皮が香ばしさと、その食感が楽しめて特に美味しいのです。
レバーを使った少し甘いレチョンソースをつけて食べますが、宴会などで余った肉はこのレチョンソースと酢で煮込んで「レチョンパキシゥ」という保存のきく料理になります。
このパリパリと香ばしい皮と、ジューシーな豚肉の食感のコントラストが楽しめる子豚の丸焼き、レチョンバボイは、レストランやフードコートでも味わうことが出来ます。
フィリピン各地にはその土地ならではのレチョンがあるため、色々と試してみたいものですが、特にセブのレチョンは美味しと定評があります。
市内の生鮮食品市場のAGDAO公営市場へ行くと毎朝元気な仔豚の鳴き声が聞こえて来ますが。地元の人たちはここで生きた仔豚の中からお好みの大きさを選んで、バナナの大きな葉に包んで持ち帰りレチョン作りを朝から始めるそうです。
初めてレチョンバボイを目にした時は、頭から尻尾まで仔豚を姿焼きにした料理の形に少しだけカルチャーショックを受けたものでした。
日本にも昔から魚料理の「尾頭付き」があって、尾と頭がついた魚を意味するのですが、もちろん生きた魚では当然の姿なので、死んで食卓に上った魚の状態を言ったもので、日本で尾頭付きの魚は「切り分けられていない」ということで縁起が良いとみなされ、結婚式など晴れの日の料理として古くから用いられています。
レチョンバボイも日本の「尾頭付き」と同じような、縁起の良い料理と言えるのでしょう。
レチョンと言う言葉はスペイン語の「豚」が語源で、レチョンはフィリピン以外でも、キューバ、プエルトリコ、カナダ、ドミニカ共和国やスペイン語圏のラテンアメリカ諸国では大変ポピュラーな料理です。
下の写真はフィリピン北部ルソン島のバタンガス市で毎年開催されている「レチョンフェスティバル」の様子です。
Philippne Retirement Authority(PRA)<フィリピン退職庁>はフィリピン政府が所有し管理する法人で、入国管理局が発給するSRRV(退職者用特別居住ビザ)の申請手続きを行う機関です。
1985年に世界中から退職者を受け入れるプログラムを開始して早や30年近くが経過しました。
2006年、2007年と2度に亘る改革で、特別居住ビザ(SRRV)取得に必要な定期預金の金額がスタート当初の5万米ドルから2万米ドルへ、そして更に1万米ドルに「半減」させる新たな制度が導入されて以来6年目になりました。
この減額対象は年金受給の月額が800米ドルを超える満50歳以上の外国人に限定されています。
フィリピン観光省のニュースリリースによると、PRAが発給する退職者ビザ取得者のうち、ほぼ半数を韓国人が占めているそうで、日本人取得者数は韓国の5分の1にも満たしていないことが調査で分かりました。
少し古いデータですが、2006年1月~7月度の各国別退職者ビザ取得件数を調べたところ全体で683件、このうち340件が韓国で、割合にして49.8%、実に5割近くが韓国人で占めていました。
次いで中国103件(同15.1%)、日本は第3位で、総数にして61件(8.9%)という調査結果だったそうです。
しかし、韓国、中国、日本の取得総数は全体の73.8%を占めていて、地勢的にもアジアの中心に位置するフィリピンの永住権つき退職者ビザはアジア人の注目を集めていることには変わりません。
PRAのオフィスはスタート当初はマニラに本部があっただけで、SRRVビザの申請にはマニラまで出向いての手続きが必要でしたが、今はセブとダバオに事務所が出来ているので、便利になっています。
さて、今日の話題はSRRVビザの「解約」についてです。
SRRVビザ保持者が死亡した場合や、何らかの事情で日本に帰国する場合など、希望すればいつでもSRRVビザの解約が出来ます。
必要書類を添えて申請すれば約1ヵ月後にSRRVビザの解約が出来、ビザの取消しの後定期預金を引き出すことが出来ます。
ダバオ在住の方はRoyal Mandayaホテル2階のPRAのオフィスへ出向いて手続きを行います。
解約に必要な書類などは以下の通りです。
1 EXIT Interview Form(退会面談書) ※PRAの事務所に所定の用紙が常備されています。
2 ビザの取り消しと定期預金の引き落としを要請するレター。(英文での作成が必要で、簡単な文書を作成して申請者本人のサインをし、レターはPRAの最高実行責任者(CEO)宛てとします)
3 Affidavit of Quitclaim(PRAに対する免責保証書) ※PRAの事務所に所定の用紙が常備されています。
4 IDカード(家族全員)
5 パスポート原本
<申請料>
ビザのキャンセル手数料 500ペソ
短期ビザの発行手数料 3,510ペソ(申請者が死亡または海外から申請する場合は不要)
PRAキャンセルサービス料 US$10
PRAビザ発行サービス料 US$10(申請者が死亡または海外から申請する場合は不要)
以上の方法でSRRVの解約を申請すると、約4週間後にビザの取り消しが行われたパスポートと、定期預金の引き出しの許可証(Withdrawal Clearance)が発行されるので、その書類を定期預金を預け入れた銀行に持参すれば、銀行によって差はありますが、その日の中か、2~3日後に定期預金を引き出すことが出来ます。
特別居住ビザの取り消し後には30日間の「短期滞在ビザ」が発行され、パスポートにスタンプが押されて戻って来ます。
<注意事項>
SRRVビザのキャンセルと同時に申請者は観光で入国した時と同じステイタスに変わり、30日間の短期滞在ビザが発給されます。
もし申請者が最後にフィリピンに入国した日が短期ビザを押されたスタンプの日付から遡って6ヶ月以上経過していた場合には、フィリピン出国時にECC(Exit Clearance Certification)と言う出国許可証を事前にイミグレーションにて取得する必要があるので、ご注意下さい。、
また、6ヶ月以内の継続滞在の場合でもパスポートのVISA延長ページにECCを取得するようにと注意書きが押された場合も取得が必要になります。
ECC(出国許可証)の申請にはパスポートの他に2x2サイズの写真3枚と費用(500ペソ)が必要となり、上記に該当する方はこのECC無しでは出国が許可されないのでくれぐれもご注意下さい。
ボクシングで世界6階級制覇を果たしフィリピンの英雄として知られるマニー・パッキャオ選手が1年ぶりの復帰戦を見事に勝利で飾りました。
先日突然襲ったフィリピン中部の台風被害で苦しむ被災者にファイトマネーを寄付すると宣言していたパッキャオ選手にとって、被災地に捧げる勝利となりました。
ボクシング、WBOインターナショナル・ウェルター級王座決定戦12回戦は去る11月24日、マカオで行われ、マニー・パッキャオは判定の末3-0でメキシコ系アメリカ人のブランドン・リオスを下しました。
昨年12月、ファン・マヌエル・マルケス(メキシコ)に6回KO負けして以来のリングでしたが、軽快なステップ、素早い左ストレートは健在で、終始、試合のペースを握り続け、12回を戦い抜いたのでした。
台風30号の被災地のレイテ島のタクロバンでは試合が開かれたマカオからの衛星中継を街頭テレビなどで視聴し、再起をかけて戦う元世界チャンピオンに自らの思いを重ねながら声援を送っていました。
判定の直後にリング上でマイクをとったパッキャオは、『これは私の復帰戦ではない』と語り、『これは自然災害と悲劇からの、わが国民の復帰戦だ』、『支援のため、被災地に行きたかったのですが、トレーニングがあるので祈ることしか出来ませんでした。試合が終わったので、出来るだけ早く被災地を訪れたいと思います』と語っていました。
フィリピンのミンダナオ島のジャングルで極貧から身を起こしたパッキャオは、自らを“出稼ぎ国家”フィリピンの一員と位置づけ、様々な形でファイトマネーを祖国に還元して来ました。
ボクシングで成功するまで、彼は本当に貧しく、家も土地もなく路上で寝ていたと聞きます。
それ故彼は貧しい人たちの気持ちや必要とするものが分かるのです。
身長169センチの小柄なパッキャオは、目に見えない程高速の左ストレートを武器に、自らよりも上の階級の選手を次々に倒し、アジア人として初めてアメリカでスーパースターの座に上り詰めました。現在までのプロ戦績は、62戦 55勝 (38KO) 5敗 2分となっています。
WBC世界フライ級
IBF世界スーパーバンタム級
WBC世界スーパーフェザー級
WBC世界ライト級
WBO世界ウェルター級
WBC世界スーパーウェルター級
以上が、パッキャオが獲得したタイトルで、オスカー・デラ・ホーヤに次いで世界で二人目となる6階級制覇の王者です。
海外では、実質的に8階級制覇として扱われることもあり、フライ級からスーパーウェルター級の体重差は実に16Kgになります。
通常の選手であれば、階級を上げるごとにスピードや相対的なパワーが目減りし、程なくしていわゆる「階級の壁」にぶち当たるのは常です。
ところが、パッキャオは次々と階級を上げてもスピードや相対的パワーを維持してきた点が極めて特異であり、さらに階級アップを通じて技術的完成度を向上させ続けてきたのでした。
パッキャオは挑んでいくボクサーで、日本の亀田選手のように階級をキープしたり記録を出すために下位ランカーの選手を指名して試合するビジネスライクな事はパッキャオにはありえません。
常に無理目の相手を選び、体重調整も対戦相手といかに互角に戦うかを考えて行っているのです。
マニー・パッキャオは名実共にフィリピンでは英雄であり、1度目の選挙では落選したものの、2度目の出馬となった2010年の下院選挙では有力候補を抑え初当選、現在もプロボクサーと国会議員の二足の草鞋を履きながら活躍しています。
また、平成24年6月より日本国内にて「一般社団法人マニー・パッキャオワールドスポーツ機構」をスタートさせ、自らも理事として参加しています。
この団体は、ボクシングを通じて日本とフィリピンの人的交流を行うことにより、新たなる雇用の促進を図り、フィリピン国内の貧困層の自立などの支援も目的としています。
<ご連絡>
当ブログに去る11月27日にメッセージを送っていただきました、H.Eさん。
メールアドレスの記載が無いので返信メールが送れません。
本格的なイタリアンジェラート」の店「ジェラートマニア」がダバオにオープンしました。
ジェラート(Gelato)は、イタリア語で「凍った」という意味のアイスクリームと良く似た「氷菓」で、発祥はフィレンツェです。
果汁、果肉、牛乳、砂糖、時にはコーヒーや香草、ナッツなどを混ぜた物を凍らせて作ります。
一般的なアイスクリームと比べて空気含有量が35%未満と少ないために密度が濃く、味にコクがあります。
乳脂肪分は4~8%で、一般的なアイスクリームの乳脂肪分8%以上より比較的低カロリーなので、ヘルシーと言えるでしょう。
ジェラートマニア(Gelato Mania)がオープンしたのは今年の2月で、イタリア人シェフのフランチェスコと友人のチェーザレさんとの共同経営によるもので、シェフ・フランチェスコはジェラート製造担当で、世界で最高のジェラート学校として知られているイタリアのCarpigiani Gelato Univeristyで学んだそうです。
店内に入ると直ぐ右手のガラスケースにカラフルなジェラートが20種類近くも並んでいて、どれを食べるか迷ってしまいます。
お願いすれば小さなスプーンで試食させてくれるので、興味のあるジェラートを遠慮なく試食することをお薦めします。
ストロベリー、マンゴ、ドリアン、パイナップル、レモンなどの果実系から、ヘーゼルナッツ、ピスタチオ、コーヒー、ミルクティー、アマレット、などなど、そのフレーバーの種類多さに目を惹かれます。
店の奥のガラス窓の中が小さな「ジェラート製造工場」で、イタリアから直輸入された製造機を使ってジェラーとを作っています。
肝心なジェラートの価格はカップの大きさによって様々ですが、一番小さい70ペソのカップで大人一人の量としては充分だと思います。
希望すればこのカップに2種類のジェラートを入れて貰えます。
また、ここでは美味しいイタリア料理をいただくことも出来ます。
メニューの種類は限られてはいますが、本格的なイタリアン・パスタ料理などがランチタイムとディナータイムにいただけます。
日替わりのメニューで食事を提供してくれていて、私が訪れた時には「雲丹のスパゲティ」、「イカ墨パスタ」、「ラザーニャ」をいただきましたが、どれも最高の味で大満足でした。
「ラザーニャ」、「ニョッキ」、などは生パスタを使う為、前日に電話予約が必要となります。
なお、ジェラート・マニアの営業時間は毎日10:00~0:00です。
場所はJP Laurel大通りからTorres通りに入って直進をして、Mabini通りを過ぎてから左手にあるPhoenixのガソリンスタンドが目印です。
下の写真は上から「雲丹のスパゲティー」、「ラザーニャ」、「イカスミパスタ」
Gelato Mania Davao
Door 3, Gahol Bldg. F. Torres Street corner Tavera St.
電話番号 (082) 285 9972
去る11月8日に過去最大級の台風30号の直撃を受けたフィリピンでは、中部のレイテ島を中心に甚大な被害が発生してしまいました。
高潮と暴風雨によって多くの犠牲者が出てしまい、災害地域では国連、赤十字などが即刻現地入りをして被災者支援にあたると共に、フィリピン国内はもとより、世界の国々から支援の手が届いています。
日本政府も義捐金の他に自衛隊の派遣を決め、派遣隊員を先遣隊の50人から約1180人に増員する他、空母型護衛艦「いせ」、輸送艦「おおすみ」などの大型艦艇3隻や輸送機などを派遣して、被災地での医療活動に加え、防疫活動や被災者や物資の輸送活動などを行うことを決め、国際緊急援助隊として自衛隊員約1180人の派遣は過去最大となるそうです。
(下の2枚の写真は台風の被害を受ける前のサマールとレイテ島を結ぶ国内一長いサン・ファニコ橋と、レイテとセブの中間にある美しいカランガマン島です)
私の下にも沢山のお見舞いメールが届き、ダバオでの被害の状況などの問い合わせがありました。
ダバオ市の向かい側に「Garden City of SAMAL」と言う通称「サマール島」がある為、ダバオのサマール島が台風の直撃を受けたものと勘違いされた方も何人かおりました。
今日は「フィリピン共和国」について改めて記述をし、認識を新たにしていただくことにします。
フィリピンの正式名称は、Republika ng Pilipinas (フィリピノ語)、Republic of the Philippines (英語)で、日本語表記による正式名称の訳は「フィリピン共和国」で、一般的には「フィリピン」と呼ばれています。
国名は、1542年にスペイン皇太子フェリペ(後のフェリペ2世)の名から、スペイン人の征服者によってラス・フィリピナス諸島と名付けられたことに由来するそうです。
国土の面積は299,404平方キロメートル(日本の約8割)で、7,109の島々があります。(下の写真はパラワン諸島にある美しいリゾート地エル・ニド)
人口は約9,401万人(2010年推定値、フィリピン国勢調査)で、首都はマニラ(首都圏人口約1,155万人)、フィリピンの主要民族はマレー系で、他にに中国系、スペイン系及びこれらとの混血並びに少数民族で構成されています。
国語はフィリピノ語で、公用語はフィリピノ語及び英語ですが、国内には80前後の言語が存在します。
宗教はASEAN唯一のキリスト教国で、国民の83%がカトリック、その他のキリスト教が10%、イスラム教は5%(ミンダナオではイスラム教徒が人口の2割以上)となっています。
フィリピンの略史は以下の通りです。
14~15世紀 イスラム教が伝わり、フィリピンで初のイスラム王国であるスールー王国誕生
1521年 マゼランのフィリピン到着
1571年 スペインの統治開始
1898年 米西戦争。6月12日、アギナルド将軍が独立を宣言
12月10日、米西パリ講和条約調印。米の統治開始。
1935年 独立準備政府(コモンウェルス)発足
1942年 日本軍政開始
1946年 7月4日、フィリピン共和国独立
1965年 マルコス大統領就任
1972年 戒厳令布告
1986年 2月革命によりコラソン・アキノ大統領就任、マルコス大統領亡命
1992年 ラモス大統領就任
1998年 エストラーダ大統領就任
2001年 アロヨ大統領就任
2010年 ベニグノ・アキノ3世大統領就任
在留邦人の数は17,702人(2013年10月時点、在留届ベース)で、在日フィリピン人の数は209,376人(2011年末時点外国人登録数)となっていて、在日外国人全体の10.1%となっています。(国籍別で、中国、韓国、朝鮮、ブラジルに次いで第4位)
フィリピン共和国の国歌『Lupang Hinirang 最愛の地』は、1898年にジュリアン・フェリペ(Julian Felipe)により作曲されました。
歌詞はJose Palmaにより1899年に発表された詩「Filipinas」から採用されました。
Bayang Magiliw
Perlas ng Silanganan,
Alab ng puso
Sa dibdib mo'y buhay.
Lupang hinirang,
Duyan ka ng magiting,
Sa manlulupig,
'Di ka pasisiil.
Sa dagat at bundok,
Sa simoy at sa langit mong bughaw,
May dilag ang tula
At awit sa paglayang minamahal.
Ang kislap ng watawat mo'y
Tagumpay na nagniningning,
Ang bituin at araw niya
Kailan pa ma'y 'di magdidilim.
Lupa ng araw, ng luwalhati't pagsinta,
Buhay ay langit sa piling mo;
Aming ligaya, na 'pag may mang-aapi
Ang mamatay nang dahil sa 'yo.
<歌詞の意味・日本語訳>
最愛の国 東洋の真珠
心に燃やし続ける熱情
選ばれし国 勇者達の眠る地
いかなる征服者にも屈せず
海 山 蒼天
詩の如き壮麗さを放ち
愛しき自由への歌を奏でん
汝の御旗は勝利への輝き
決して曇ることなき星と太陽
栄光と愛情の地
汝の腕の中に天国はあり
汝を脅かす者あらば
この命 喜んで汝に捧げよう
居酒屋「呑ん気」はセブを本拠地に事業展開している居酒屋チェーンで、セブのマンダウエ本店, SM店, マクタン空港店, バナワ店に次いで, ダバオ店がオープンしたのが2010年2月で、既に3年以上が経っています。
「呑ん気」は居酒屋風和食レストランで、日本食でお馴染みの「寿司」、「刺身」、「天麩羅」、「蕎麦」、「うどん」、「ラーメン」の他に、「焼き鳥」、「串焼き」、「煮物」、「焼き物」、「揚げ物」、「鍋料理」などなど、数多くのメニューがあります。
店に入ると「いらっしゃいませ!」と、元気な声で挨拶してくれます。
どの料理も日本で食べる味と変わらず、フィリピン人のお客さまが多いにも関わらず「日本の味」をかなり忠実に提供してくれるところが有難いです。
店主はセブに住む日本人ですが、1ヵ月のうち2週間程度はダバオに来て、板前や料理人、接客係の指導や味の確認をしているそうです。
広い店内ではゆったりと落ち着いて食事を取ることが出来、掘り炬燵式の座敷席は適度なプライベート感があり、ビジネスやプライベートに最適で、約20人程が入れるパーティルームもあってきめの細かい配慮が感じられます。
特にウエイトレスたちの教育が徹底していて、いつも笑顔で応対してくれて癒されます。
また、いつ訪れても同じ味が楽しめるようにと、料理ごとに調理担当が決まっているそうで、『今日はいつもと味が違うな?』ということが無いように、気をつけているそうです。
「ランチメニュー」も豊富で、250ペソ~300ペソで「寿司・刺身・天麩羅セット」、「中落ち丼・たぬき蕎麦セット」、「とんかつ弁当」、「サバ塩焼き弁当」などがいただけます。
飲み物はサンミゲルの生ビール、そして日本酒、焼酎の種類も豊富で、特に最近日本で売上トップに躍り出た話題の芋焼酎「黒霧」がリーズナブルな価格(ボトルキープ:1,000ペソ)で飲むことが出来ます。
「居酒屋 呑ん気」ダバオ店
Autobile Bldg., F.Torres St.,Laurel Ave. Bajada Davao City
Tel:(082)226-3058