「うう‥。ったく‥」
雪は頭を掻きながら、亮と別れた後の廊下を一人で歩いていた。
頭に浮かぶのはやはり亮のことだ。彼女の脳裏に、雪をからかって笑う彼のニヤついた顔がくるくる回る。
あの人本当にあと少しでここ辞めるのか? 全く実感沸かないんだけど‥
小憎らしくもある亮だが、色々とお世話になったのも事実だ。
雪は、送別会はどうするのかな、なんてことを思いながら教室へと向かう。
すると不意に大きな音がした。何かを叩いたような破裂音。
雪が顔を上げると、俯きながら歯を食いしばったみゆきが教室から出てくるのに出くわした。
雪は咄嗟に声を掛けたが、彼女は応えることなくそのまま走り去って行った。
雪が教室内を窺うと、何人かの男子生徒がざわざわと騒いでいる。
その内の一人(以前雪に彼氏はいるのかと聞いてきた金髪の男だ)は頬を押さえながら、顔を顰めている。
その男に向かって、お前何かしたのかと問う仲間達。彼らに向かって金髪の男は心外な様子で口を開く。
「知らねーよ。いきなり殴りかかって来やがって‥。
マジでイッちまってるぜあのビッチ!」
雪は踵を返してみゆきを追いかけた。
彼女に走り寄り、その腕を掴もうと手を伸ばす。
「みゆきちゃんちょっと待って!大丈‥」
するとみゆきはその腕を振り払ったかと思うと、いきなり大きな声を上げた。
雪を射るその視線は、敵意さえ滲んでいた。
「やめてよ!あたしに話しかけないで!」
突然の判然とした拒絶に、雪は目を見開いた。
そんな彼女に向かって、みゆきは俯きながら口を開いた。
「あんたと話すともっと悪い噂立てられちゃう。
ダーリンが塾の学費出してるから、あたしここ辞められないの」
「えっ?」と雪は聞き返した。突然聞かされるにはあまりにも荒唐無稽な話である。
「噂? 噂って?」
雪はそうみゆきに問うと、彼女は「あんたの噂よ。知らないの?」と顔を顰めて言う。
身に覚えのない雪がもう一度何のことかと聞こうとすると、みゆきは怒りの形相を浮かべて声を荒げた。
「あんたが外国人講師に色目使いまくってるって噂よ!」
「トーマスだけじゃなく、あっちこっちにいい顔振りまいて!学校のレベルで人を判断して!」
みゆきの突然の告白を受けて、雪は絶句した。
互いに顔を見合わせ、場の空気が痛いほど緊迫する。
雪はみゆきの言葉が信じられず、神妙な面持ちで彼女に問うた。
「ねぇ‥その噂信じたの?」
少し考えれば真実でないことは明らかなのに、人々の噂を鵜呑みにしたみゆきを雪は責めた。
「そんなのデマだって分かってるでしょ?!何でそんな噂信じるのよ?!」
そう言って詰め寄る雪に、みゆきも負けじと反論する。「そういうあんたはどうなの、」と。
「それじゃあ聞くけど、あんたはあたしが一体どういう人と付き合ってると思ってんの?」
雪はみゆきからそう問いかけられ、純粋に言葉に詰まった。
いつも彼女の話す”彼”がどんな人か、父親と間違うくらい年の離れた恋人とどんな付き合いなのか、
改めて考えると聞いてみたことさえ無かったのだ。
口ごもった雪の反応に、みゆきが指で雪の方を指しながら責めるような口調で彼女を咎めた。
「ほら!あんただってあたしが援交してるって思ってんじゃん!気づかないとでも思ってんの?!」
みゆきは、結局雪も他の皆と一緒だと言って、諦めに似た視線を投げた。
「それでもゆっきーはいい子だから、普通に接してきたけど‥」と小さく呟いた後、
「もう分かってるから。誤魔化さなくっていいから」と投げやりに言い捨てる。
しかし雪はなぜここまでみゆきが怒っているのか、まだ事態が把握出来ずにいた。
「‥みゆきちゃん、まずはちゃんと話を‥」と言ってみゆきの方へ手を伸ばすと、みゆきは声を荒げてそれを制した。
「話すことなんかない!」
ビクッと、雪がその剣幕に思わずたじろぐ。
みゆきは苛立ちと、そして哀しみが交じり合ったような口調と表情で言葉を紡いだ。
「あんたにあたしの気持ちが分かる?
ただでさえ悪口ばっか言われるのに、あんたのせいでもっと変な噂立てられちゃうんじゃん」
呆然とした雪に、みゆきは淡々と末期の通告をした。
「一緒にいるメリットもないでしょ?もうあたしたち話すのやめよ。どうせ塾ももうすぐ終わるんだし」
みゆきは雪に向かって最後に捨て台詞を吐いた。
「気楽そうで羨ましいわ。大丈夫だって言ってたもんね?!」
それきり彼女は、雪に背を向けて走り去った。
小さくなるみゆきの背中を、唖然とした思いで雪は見送る。
心の中の海がさざめいた。徐々に水位は上がっていき、波は高くなっていく。
感情の歯止めとなっている提を、波は白い襞となって覆い始める。
説明の付かない心情に揺さぶられて、気づけば握った拳に力が入っていた。
愕然とした。
私が他の人達からそんな風に思われていたなんて‥。
雪の脳裏に、顔のない人々から向けられる視線が蘇る。
なんか変だなと思ってはいたけど、塾では色々なことを、わざと気にしないようにしてた‥
思い返してみれば、どこか身に覚えがある気がした。振り向いた先にある人々の視線の中に、好奇なものを間違いなく目にしていた。
けれど‥。
敏感さを忘れようと努力して装った無関心が、私を周囲から孤立させ、
周りにも影響を及ぼすことになるなんて‥。
いつも考え過ぎることで、他人との壁を作ってきた。
彼女を取り囲む、幼少時からの環境が育てた敏感さ。人から見れば些細なことが気になり、雪はずっとそれに振り回されてきた。
その経験を踏まえての、意識的に作り出した偽物の無意識を、雪は装ってこの塾に通っていたのだ。
自分の敏感さが引き起こすいざこざを避けたくて、だからこその選択だったのに‥。
歯車が意図しなかった方向へと動き出す。
いや実のところそれはすでに回り出し、噛み合わない現実を紡ぎ出していたのだが、
偽物の無意識のせいで、彼女は気づかぬままここまで来てしまったのだ。
そんなこと、予想すら出来なかった‥
彼女の内省が、孤独な心の内にポッカリと浮かぶ。
それは偽物の無意識に入った幾筋もの亀裂から、ポタポタと零れ落ちて黒いシミを作り出すようだった‥。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
<亀裂>でした。
また雪のモノローグの中に”予想出来ない”というワードが出てきましたね!
個人的にチートラの肝のワードだと思ってます。この言葉。
そして敏感さを忘れるために意識的に無意識を装っている雪ちゃんの努力‥。
本当に気ぃ使いの人は大変だな‥と涙ちょろりですね(T T)
次回は<予期せぬもの>です。
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雪は頭を掻きながら、亮と別れた後の廊下を一人で歩いていた。
頭に浮かぶのはやはり亮のことだ。彼女の脳裏に、雪をからかって笑う彼のニヤついた顔がくるくる回る。
あの人本当にあと少しでここ辞めるのか? 全く実感沸かないんだけど‥
小憎らしくもある亮だが、色々とお世話になったのも事実だ。
雪は、送別会はどうするのかな、なんてことを思いながら教室へと向かう。
すると不意に大きな音がした。何かを叩いたような破裂音。
雪が顔を上げると、俯きながら歯を食いしばったみゆきが教室から出てくるのに出くわした。
雪は咄嗟に声を掛けたが、彼女は応えることなくそのまま走り去って行った。
雪が教室内を窺うと、何人かの男子生徒がざわざわと騒いでいる。
その内の一人(以前雪に彼氏はいるのかと聞いてきた金髪の男だ)は頬を押さえながら、顔を顰めている。
その男に向かって、お前何かしたのかと問う仲間達。彼らに向かって金髪の男は心外な様子で口を開く。
「知らねーよ。いきなり殴りかかって来やがって‥。
マジでイッちまってるぜあのビッチ!」
雪は踵を返してみゆきを追いかけた。
彼女に走り寄り、その腕を掴もうと手を伸ばす。
「みゆきちゃんちょっと待って!大丈‥」
するとみゆきはその腕を振り払ったかと思うと、いきなり大きな声を上げた。
雪を射るその視線は、敵意さえ滲んでいた。
「やめてよ!あたしに話しかけないで!」
突然の判然とした拒絶に、雪は目を見開いた。
そんな彼女に向かって、みゆきは俯きながら口を開いた。
「あんたと話すともっと悪い噂立てられちゃう。
ダーリンが塾の学費出してるから、あたしここ辞められないの」
「えっ?」と雪は聞き返した。突然聞かされるにはあまりにも荒唐無稽な話である。
「噂? 噂って?」
雪はそうみゆきに問うと、彼女は「あんたの噂よ。知らないの?」と顔を顰めて言う。
身に覚えのない雪がもう一度何のことかと聞こうとすると、みゆきは怒りの形相を浮かべて声を荒げた。
「あんたが外国人講師に色目使いまくってるって噂よ!」
「トーマスだけじゃなく、あっちこっちにいい顔振りまいて!学校のレベルで人を判断して!」
みゆきの突然の告白を受けて、雪は絶句した。
互いに顔を見合わせ、場の空気が痛いほど緊迫する。
雪はみゆきの言葉が信じられず、神妙な面持ちで彼女に問うた。
「ねぇ‥その噂信じたの?」
少し考えれば真実でないことは明らかなのに、人々の噂を鵜呑みにしたみゆきを雪は責めた。
「そんなのデマだって分かってるでしょ?!何でそんな噂信じるのよ?!」
そう言って詰め寄る雪に、みゆきも負けじと反論する。「そういうあんたはどうなの、」と。
「それじゃあ聞くけど、あんたはあたしが一体どういう人と付き合ってると思ってんの?」
雪はみゆきからそう問いかけられ、純粋に言葉に詰まった。
いつも彼女の話す”彼”がどんな人か、父親と間違うくらい年の離れた恋人とどんな付き合いなのか、
改めて考えると聞いてみたことさえ無かったのだ。
口ごもった雪の反応に、みゆきが指で雪の方を指しながら責めるような口調で彼女を咎めた。
「ほら!あんただってあたしが援交してるって思ってんじゃん!気づかないとでも思ってんの?!」
みゆきは、結局雪も他の皆と一緒だと言って、諦めに似た視線を投げた。
「それでもゆっきーはいい子だから、普通に接してきたけど‥」と小さく呟いた後、
「もう分かってるから。誤魔化さなくっていいから」と投げやりに言い捨てる。
しかし雪はなぜここまでみゆきが怒っているのか、まだ事態が把握出来ずにいた。
「‥みゆきちゃん、まずはちゃんと話を‥」と言ってみゆきの方へ手を伸ばすと、みゆきは声を荒げてそれを制した。
「話すことなんかない!」
ビクッと、雪がその剣幕に思わずたじろぐ。
みゆきは苛立ちと、そして哀しみが交じり合ったような口調と表情で言葉を紡いだ。
「あんたにあたしの気持ちが分かる?
ただでさえ悪口ばっか言われるのに、あんたのせいでもっと変な噂立てられちゃうんじゃん」
呆然とした雪に、みゆきは淡々と末期の通告をした。
「一緒にいるメリットもないでしょ?もうあたしたち話すのやめよ。どうせ塾ももうすぐ終わるんだし」
みゆきは雪に向かって最後に捨て台詞を吐いた。
「気楽そうで羨ましいわ。大丈夫だって言ってたもんね?!」
それきり彼女は、雪に背を向けて走り去った。
小さくなるみゆきの背中を、唖然とした思いで雪は見送る。
心の中の海がさざめいた。徐々に水位は上がっていき、波は高くなっていく。
感情の歯止めとなっている提を、波は白い襞となって覆い始める。
説明の付かない心情に揺さぶられて、気づけば握った拳に力が入っていた。
愕然とした。
私が他の人達からそんな風に思われていたなんて‥。
雪の脳裏に、顔のない人々から向けられる視線が蘇る。
なんか変だなと思ってはいたけど、塾では色々なことを、わざと気にしないようにしてた‥
思い返してみれば、どこか身に覚えがある気がした。振り向いた先にある人々の視線の中に、好奇なものを間違いなく目にしていた。
けれど‥。
敏感さを忘れようと努力して装った無関心が、私を周囲から孤立させ、
周りにも影響を及ぼすことになるなんて‥。
いつも考え過ぎることで、他人との壁を作ってきた。
彼女を取り囲む、幼少時からの環境が育てた敏感さ。人から見れば些細なことが気になり、雪はずっとそれに振り回されてきた。
その経験を踏まえての、意識的に作り出した偽物の無意識を、雪は装ってこの塾に通っていたのだ。
自分の敏感さが引き起こすいざこざを避けたくて、だからこその選択だったのに‥。
歯車が意図しなかった方向へと動き出す。
いや実のところそれはすでに回り出し、噛み合わない現実を紡ぎ出していたのだが、
偽物の無意識のせいで、彼女は気づかぬままここまで来てしまったのだ。
そんなこと、予想すら出来なかった‥
彼女の内省が、孤独な心の内にポッカリと浮かぶ。
それは偽物の無意識に入った幾筋もの亀裂から、ポタポタと零れ落ちて黒いシミを作り出すようだった‥。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
<亀裂>でした。
また雪のモノローグの中に”予想出来ない”というワードが出てきましたね!
個人的にチートラの肝のワードだと思ってます。この言葉。
そして敏感さを忘れるために意識的に無意識を装っている雪ちゃんの努力‥。
本当に気ぃ使いの人は大変だな‥と涙ちょろりですね(T T)
次回は<予期せぬもの>です。
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ソルちゃんには何の罪もなく、責められる謂われもないのに、あらぬ噂を立てられ、身に覚えのないことで責められる。
確かに理不尽なんですが、実際、そんな目に遭っている人はきっと、たくさんいる。
ちょっとしたストレスのはけ口や退屈しのぎの標的になることのやるせなさが描かれたこの場面、ストレスだらけと言ってもいい社会に生きる読み手に、リアルに迫ってくる場面でもあります。たぶん、韓国ではかなり共感の輪が広がったんじゃないでしょうか。
チートラを読んでいて思ったのですが、韓国って日本よりも周りの人を気にする‥というか出る釘打たれる社会なんですかね?
やたら他人の視線が描写されてるのが気になって‥。
みゆきちゃん(ソン・ウン?)が奇抜なファッションで皆眉をひそめているのも、日本も田舎で年配の方たちだと結構そういうところありますけど、今の日本の若者達ってそんなに他人のこと気にしなくないですか?韓国は違うのかな‥?
‥と素朴な疑問が‥。というか私がもう若者でないので若者のことがわからないという‥orz
しかし淳の場合は親友だと思ってた亮に原因があると思うに至るわけだから、雪のこの状況より精神乱れるのは納得。うーん、こんだけ繰り返し読む価値がある漫画凄いわー
高校時代に淳が亮に感じた気持ち…
とかぶってます?!