やはり、週刊誌の書評で見たのだったと思うけれども、どうしても読みたくなった。
「唐牛健太郎」は60年安保で名をはせた男で、他の全学連メンバーとは異なる道を歩いた。
安保闘争で、世の中が騒然としたことは覚えているが当時のスベルべは13歳の中学生。
どんな学生運動、どんな政治闘争の経緯を経たのかも理解が足りず、その点でも興味があった。
(その後父母が全日本交通安全協会の緑十字銀賞を受賞に上京した際に学生運動に遭遇、
催涙弾やら投石の話を聞いて驚いたのだがそれは1969年の東大紛争時だった。)
著者の佐野眞一氏もマスコミ関係との軋轢でしばし筆を休め三年ぶりの執筆。
「骨がらみ」の仕事だったと自身で言うが、膨大な資料、そして日本全国を唐牛の足跡を追い続けた。
全学連メンバーから離れ、生まれ故郷の北海道から沖縄までさすらう。
そして、仕事も漁師から居酒屋までいろいろな仕事を転々とする。
裏側の帯に書かれた短い言葉が内容のすべてを語っている。
満州で暗躍(愛国心からでしょうが)し、戦後の日本でも同じ野望を持ったと思われる岸信介と対峙。
その後、いやその闘争中にも田岡一雄と付き合ったり、田中清玄から保釈金を都合してもらったり、
と、その裏での動きは大方の人たちには信じられないような行動をしていたのです。
吉本隆明、徳田虎雄とその付き合う人々の範囲とスケールの大きさに驚かされる。
しかし、彼がいたからこそ今の背の中の体制になったと言っても過言ではない部分も有るのではないか。
謎の人物陸軍中野学校の出身である人物とも謎めいた付き合いがあった。
その謎めいた人物が長岡市出身の新潟県人であることにも驚いた。
スベルべと10歳違いの唐牛健太郎の生涯に触れ、多少胸のつかえがとれたような気持ちも。
冬であり、運動不足で汗を流さないとどうも妙なことを考えていけませんね。
男はやっぱり力いっぱい働き、力いっぱい汗を流さないとだめだなー。
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