除雪組合があったころ(その2)
他には「段切り」と呼ぶ作業もあった。これは駅構内でも行われたが、これも人力仕事の最たるもの。斜面の雪を階段状にして下から上へと雪を上げてゆく。最大では6段も7段も段を作ったのだったから、もう人海戦術そのもの。下の雪を一段目に投げ上げる、そしてその一段目の雪を二段目に投げ上げる。こんな作業を繰り返し、人力だけで遠く、高く雪を運んで処理して居たのだった。
中間、駅間の仕事も色々あった。前述のトンネルの出入り口付近。橋に付属した人間が歩くための橋側歩道の雪も落とさないと片荷になって橋自体の安定性が失われてしまう。保線以外でも信号関係の人たちも中間の信号中継ボックス、踏切遮断機などの掘り出し。そして電気関係では、架線を吊るす電柱と電柱の間で線路上を横断するビームと言う鉄骨上の雪落としなどもあった。
除雪賃金の支払いも事務仕事ではあったが、大変な作業。何十人もの賃金を細かく金種別に分けていたのですから。昔話として聞いた話では、道路も雪のため不通(道路除雪も行われていなかった時代)で、列車にお金を藁製の「叺(かます)」に詰めて送ったという話さえ聞いた。
(続く)