めおと上海生活(旧:北京的生活)

北京での留学生活を終了した年とゆっこ。上海での駐在員・太太の生活や食べ物・文化等を写真と一緒に書いてゆきます

四川地震・被災地の状況について友人からの速報

2008-06-18 14:01:25 | 上海:生活
先週末の土日を利用して、友人が四川の震災現場へ向かいました。

素人の彼がこの時期に現場へ行くことに賛否両論がある事を彼自身自覚しながら、
それでも自分の目で見て肌で感じたことを周りに伝えて、
それによって、少しでも多くの被災者へ何らかの形で帰ってくるものがあって、
それによって、一人でも多くの被災者を支援することができたらという思いで、
行動力のある彼は実際に現場に赴いてその結果を報告してくれました。

彼からの報告を聞いて、現地ではまだまだ本当に大変な暮らしをしているというのに、
当初は関心が大きかったものの被害地ではないところで平和に暮らしているうちに
その関心がだんだんと小さくなってしまっている自分に気づきました。

彼の被災者に対する思いを汲みたく、このブログでも彼の報告を紹介したいと思います。
彼と友人だからという部分も大きいのかもしれませんが、
またメディアでの報道があまりにも多くて麻痺してしまっていたからかもしれませんが、
彼からの報告は新聞やニュースよりも現実味があり、より思うものがありました。



<以下、彼からの報告メールです>
さて、土日を利用したわずか48時間という非常に短い時間でしたが、
正直言うと、1週間ぐらいにさえ感じられる、長い長い時間でありました。
そして、こうして今日もまた朝から普段どおり平和に仕事をしていると、
まるで自分がつい数十時間前に見たものが、
「夢」だったのではないかとさえも思います。

…と、書き始めるときりが無いのでこのメールでは極力少なくとどめますが、
詳しくは、遅くても明日中には、
また改めまして皆様に共有をさせていただければと思っております。


さて、ところで、本当にまずは「取り急ぎ」ではございますが、
以下5点の写真をお送りさせていただきます。

帰ってきた今もなお、行く前から心の中に持っていた
「災害の状況を知っていただき、より多くの方へ伝え、
より多くの募金をつのれれば」という気持ちに、変わりはありません。
今回のメールでお送りさせていただきます写真は、
その思い、その目的において、皆様へと御共有をさせていただくことを、
どうぞ、あらかじめご理解いただけますと幸いでございます。

# ほかにもたくさんの写真を撮りましたが、
 また改めて共有の場を設けさせていただければ、と思っております。
# 尚、僕が今回行った被災地は、「綿竹」と「漢汪」(ハンワン)という村です。
 「綿竹」は成都からバスで約3時間。
 「漢汪(ハンワン)」は、さらにタクシーで1時間です。
 両方とも、「[シ文]川」の隣に位置し、
 今回、「[シ文]川」「北川」の次に悲惨な状況と報道されている村でした。


【以下、写真と簡単な解説】

綿竹市のテント村です。綿竹市政府の隣に用意されています。
正確な面積はわかりませんが、かなり広かったです。
先の先の先までテント。東京ドームぐらいは余裕であったと思います。
# 以前はここにも住宅があったが全壊。
 その後、がれきを一気に取り除き、テント村に変えた、とのことです。


都市により被災地が割り振られているとのことでした。
(ここ綿竹市は、江蘇省の災害対策班が担当とのことです。)
江蘇省から人員、物資、重機などをすべて派遣し、
現在は仮設住宅の設営を急いでいるとのことです。


もともとは、「漢汪(ハンワン)」最大の3階建てマーケットだったそうです。
この場所の向かい側は、救助テント(らしきもの)と、
残された人々やボランティアによる「相談所」のような状態となっておりました。
瓦礫の上には、僕はどうしても立つことができませんでした。


5階建てのマンションが半壊していました。
ここの前に立ったとき、嘔吐をもよおしてしまいました。
(これはもちろん人によるのかもしれませんが、)
ぼくらは、想像を絶する被害を目前にすると、
言葉や、想像や、思いよりも、
何よりも先に嘔吐をもよおしてしまうものかも知れません。


村は、基本的にこのような状況です。
何Km進んでも、ほぼひたすらこの様な状態です。
じつに「かぼそい」木と、いくつかの「かぼそい」電信柱たちだけが、
ただむなしく、淡々と立ち続けています。
タクシーで走る中、1時間ひたすらこの光景が続くことをご想像いただければ、
ほぼほぼ間違いがございません。

もちろん、残っている建物もいくつもありますが、
建物全体が斜めにゆがんでいたり壁に亀裂がはしっていたり、
とてもまともな状態ではありませんでした。



どれだけ書いても、なかなか足りないです。
帰りの便の中で、色々な思いをすべて書き留めましたが、
まるで簡単に済ませられるものではありません。

そんな中、まずはとり急ぎとなりますが、
まずはこのメールからでも、少しでもみなさんに何かが残ることを期待します。

発生から1ヶ月が経とうとしておりますが、
被災地の方々は、ここからまだ向こう2年弱の時間を、
この仮設テントでの暮らしを余儀なくされるとのこと。
また、見たところ、炊き出しや医療などの設備もあるにはありましたが、
まるで「充分」と言えるものではありませんでした。

もちろん、すべては計画的に進められており、
われわれがその場へ行って何かができることなどは、ほとんどありません。
しかしながら、このメールを読んだ方々の中から、
またそのご友人や、そのまたご友人などの中から、
再度少しでも多くの「募金」と「祈り」を、
つのることができたらと考えております。

<以上、彼からの報告終わり>