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☆名越(なごや)左源太時敏の玄孫が綴る日々のあれこれや家族の歴史. 
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新しい事実

2008-06-23 16:51:51 | ある日の父の問わず語り
といっても、左源太のことではなく、
その息子、轟とその長男(左源太の孫)のことなんですけど。

私の祖父に当たる轟の長男、"篤彦じいさん"は
てっきり台湾生まれの台湾育ち、と思い込んでおりましたが、
どうやら鹿児島で生まれ、12~13歳の頃までは大竜町の辺りで暮らし、
その後"轟じいさん"共々、家族で台湾に渡ったらしいのです。

なぜ台湾だったのか?その辺のいきさつは詳しいことはわかりませんが。


きのう今日と、沖縄戦没者の慰霊祭関連のニュースを見ていた父が
 「沖縄戦で自決した牛島総司令官は"篤彦じいさん"の
  小学校の頃の同級生かもしれないって、篤彦じいさんが言ってたんだよ。」
と言うのです。

牛島という人物のことも知らなかったので「どういうこと?」と訊いてみると、
"篤彦じいさん"が鹿児島市の大龍小学校に通ってた頃、
同じ名前の同級生がいて、牛島氏のことをその同級生ではないかと思った祖父が
父のそばでぽつんと話したことがあったんだ、ということでした。

ちょっと待って!?
大龍小学校?! えっ?!
おじいさん、大龍小学校に通ってたの?!!

初耳でした。
「そうだよ。知らなかった?」だって。
そんなこと初めて聞いたよ~

ひょんなことから事実が判明するものです。

ただ、祖父が小学校に通っていた頃に住んでいた家がどこなのか、
未だにハッキリしないのは、実にもどかしいものですねぇ。。

*写真は名越右膳の屋敷が記された地図。
今年2月にあった「重富(越前)島津家資料展」で見かけて写真に収めました。
 

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1 コメント

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Unknown (liau)
2009-04-04 04:18:13
こんばんは

Very good diary for those who don't know Japanese history. I am from Taiwan.

いま、台湾で篤姫のドラマが放送されています。
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