前々から気になっていた左源太による書を見に、先日県立図書館へ行ってきました。
貴重資料になっているため、事前申請が必要で少々身が引き締まる思いがしましたが、無事に父と共に直に目にすることができました。
「名越左源太 書」で検索したところ、図書館の資料として紹介されています。
名は「棲鸞(せいらん)」。
いつ頃書かれたものかはわかりませんが、墨も褪せることなく状態も良く
170年前後も経っているという感じはしませんでした。
上記リンクのページには、書の読みは書かれているのですが、内容については解説がなく、
何とな〜くわかった様な気もするものの正直イマイチ理解出来ていません。。
なので、一応、目にすることは出来たということで納得して
係りの方に礼を述べ、書がクルクルクル、と巻き取られたところで、
寄贈された方のお名前が目に入りました。
左源太の長女、イサさんの御子孫からの物だということがわかったことが
今回の収獲でもあったといえます。
父の話では、台湾で親から「左源太爺さんの書いた(描いた)ものだ」と見せてもらった書き物や絵などがあったそうです。(以前にも書きましたが、父と兄弟は皆、台湾生まれの台湾育ち、いわゆる"湾生"です)
後々「南島雑話」に載っている絵と似ていたと気付くのですが、終戦になりすべて諸々一緒に
現地台湾の隣人に預けて日本内地に家族で引き揚げて来たので、ウチには数枚の写真以外は何もないのがつくづく残念です。
台湾大学の田代文庫で左源太の書いた下書きが発見された記事の紹介をしましたが、
↓ ↓ ↓
『田代安定文庫@國立臺湾大學図書館』
その辺りもまだまだ気になるところです。
気になりだすとあれもこれも気になる今日この頃。
今夜はこの辺で。
貴重資料になっているため、事前申請が必要で少々身が引き締まる思いがしましたが、無事に父と共に直に目にすることができました。
「名越左源太 書」で検索したところ、図書館の資料として紹介されています。
名は「棲鸞(せいらん)」。
いつ頃書かれたものかはわかりませんが、墨も褪せることなく状態も良く
170年前後も経っているという感じはしませんでした。
上記リンクのページには、書の読みは書かれているのですが、内容については解説がなく、
何とな〜くわかった様な気もするものの正直イマイチ理解出来ていません。。
なので、一応、目にすることは出来たということで納得して
係りの方に礼を述べ、書がクルクルクル、と巻き取られたところで、
寄贈された方のお名前が目に入りました。
左源太の長女、イサさんの御子孫からの物だということがわかったことが
今回の収獲でもあったといえます。
父の話では、台湾で親から「左源太爺さんの書いた(描いた)ものだ」と見せてもらった書き物や絵などがあったそうです。(以前にも書きましたが、父と兄弟は皆、台湾生まれの台湾育ち、いわゆる"湾生"です)
後々「南島雑話」に載っている絵と似ていたと気付くのですが、終戦になりすべて諸々一緒に
現地台湾の隣人に預けて日本内地に家族で引き揚げて来たので、ウチには数枚の写真以外は何もないのがつくづく残念です。
台湾大学の田代文庫で左源太の書いた下書きが発見された記事の紹介をしましたが、
↓ ↓ ↓
『田代安定文庫@國立臺湾大學図書館』
その辺りもまだまだ気になるところです。
気になりだすとあれもこれも気になる今日この頃。
今夜はこの辺で。