gooブログはじめました!

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

私のもとめる思想家にめぐりあった

2016-03-28 19:52:40 | 日記
私の持っている本に
本当に素晴らしい本があることを
発見した。
4年くらい前に
塾の先生として塾講師の仲間になった人に
神戸女学院大学を卒業した女性がいて、
私と友達みたいな仲良しになったのであった。
その人が私にプレゼントしてくれた本が
神谷美恵子さんの著による「生きがいについて」
(みすず書房)なのである。
この人(神谷美恵子さん)はクリスチャンであり、
精神神経科の医師でもある。
若くして
自分から求めてハンセン氏病の病院に入り、
医師として
患者さんに生きる希望を与えながら、
「生きがい」の研究をするのである。
戦時中の東大精神科を支えた3人のうちの一人であり、
美智子皇后の相談役もした。
兄は仏文学者として有名な前田陽一氏である。
神谷美恵子さんは
人間の生き甲斐とは何かを
生涯問い続け
65歳で他界した。
この本を少し読んだだけで
魂のふるえるような感動をおぼえる。
すばらしい医師であり、思想家である。
徹底的にこの素晴らしい思想家の著書を
読み込んでいきたい。
問題意識が
私とそっくりであると
感じている。

ペテロのしゅうとめの熱病

2016-03-28 19:48:09 | 日記
(参考 新約聖書 1954年改訳 日本聖書協会)
<マタイによる福音書第8章>
(8・14―17)ペテロのしゅうとめの熱病
(14)それから、イエスはペテロの家にはいって行かれ、そのしゅうとめが熱病で、床についているのをごらんになった。
(15)そこで、その手にさわられると、熱が引いた。そして女は起きあがってイエスをもてなした。
(16)夕暮になると、人々は悪霊につかれた者を大ぜい、みもとに連れてきたので、イエスはみ言葉をもって霊どもを
追い出し、病人をことごとくおいやしになった。
(17)これは、預言者イザヤによって「彼は、わたしたちのわずらいを身に受け、わたしたちの病を負うた」と言われた言葉が成就するためである。

(参考 新約聖書略解 日本基督教団出版局)
・いやしの奇跡の第三。ペテロの母の熱病がいやされた物語。マルコ・ルカによる福音書によると、この事件は安息日に行われた。しゅうとめの《熱病》マラリアまたはチブスの一種であったろうという。《その手にさわられると》マルコによる福音書の「その手にとって起されると」によっている。マルコの表現のほうが、病気治療のしぐさをよく伝えている。《女は起き上って》病後の疲労もなく、ちょうど時刻は昼食の時間であったから食物を作ってもてなした。《夕暮れになると》安息日が終わるとともに、病人が押し寄せて来た。《み言葉をもって》百卒長の僕をいやした時と同じに。マルコでは病人を「みな」連れてき、イエスは「多く」の人をいやしたが、マタイはマルコの形容詞を逆にして、「大ぜい」連れてき、「ことごとく」いやしたと記す。
・17 イザヤ書53章の有名な「ヤハウェの悩める僕」の章(4節)よりの引用。イザヤは自ら打たれて《わたしたちの病を負うた》主の僕について預言をしたが、マタイはイザヤの預言した主の悩める僕(メシヤ)は、すなわちイエス・キリストであることをあかしする。初代のキリスト者は主キリストとイザヤの悩める僕とを好んで同一視した。イザヤの預言の真理は学者パリサイ人によってでなく、イエスの弟子によって正しく聞かれ理解された。

ペテロのしゅうとめの熱病

2016-03-27 15:55:13 | 日記
(参考 新約聖書 1954年改訳 日本聖書協会)
<マタイによる福音書第8章>
(8・14―17)ペテロのしゅうとめの熱病
(14)それから、イエスはペテロの家にはいって行かれ、そのしゅうとめが熱病で、床についているのをごらんになった。
(15)そこで、その手にさわられると、熱が引いた。そして女は起きあがってイエスをもてなした。
(16)夕暮になると、人々は悪霊につかれた者を大ぜい、みもとに連れてきたので、イエスはみ言葉をもって霊どもを
追い出し、病人をことごとくおいやしになった。
(17)これは、預言者イザヤによって「彼は、わたしたちのわずらいを身に受け、わたしたちの病を負うた」と言われた言葉が成就するためである。

(参考 新約聖書略解 日本基督教団出版局)後で投稿

百卒長の信仰

2016-03-26 20:26:50 | 日記
(参考 新約聖書 1954年改訳 日本聖書協会)
<マタイによる福音書第8章>
(8・5―13)百卒長の信仰
(5)さて、イエスがカぺナウムに帰ってこられたとき、ある百卒長がみもとにきて訴えて言った。
(6)「主よ、わたしの僕(しもべ)が中風でひどく苦しんで、家で寝ています」。
(7)イエスは彼に、「わたしが行ってなおしてあげよう」と言われた。
(8)そこで百卒長は答えて言った、「主よ、わたしの屋根の下にあなたをお入れする資格は、わたしにはございません。ただ、お言葉を下さい。そうすれば僕はなおります。
(9)わたしも権威の下にある者ですが、わたしの下にも兵卒がいまして、ひとりの者に『行け』と言えば行き、ほかの者に『こい』と言えばきますし、また、僕に『これをせよ』と言えば、してくれるのです」。
(10)イエスはこれを聞いて非常に感心され、ついてきた人々に言われた。「よく聞きなさい。イスラエル人の中にも、これほどの信仰を見たことがない。
(11)なお、あなたがたに言うが、多くの人が東から西から来て、天国で、アブラハム、イサク、ヤコブと共に宴会の席につくが、
(12)この国の子らは外のやみに追い出され、そこで泣き叫んだり、歯がみをしたりするであろう」。
(13)それからイエスは百卒長に「行け、あなたの信じたとおりになるように」と言われた。すると、ちょうどその時に、僕はいやされた。

(参考 新約聖書略解 日本基督教団出版局)
・病気全快の奇跡のその二。ルカによる福音書は異邦人の百卒長がユダヤ人の長老の仲介によってイエスに近づくことが記されているが、この項の主題は奇跡であるよりも、むしろ異邦人がイエスを信じ、しかもかれの信仰が称賛されたことである。
・5 《百卒長》ローマ軍の一軍団の六分の一にあたる百人の兵卒の指揮官。この人はたぶんガリラヤの分封君主ヘロデ・アンテパスを護衛の名目でローマの政治を施行させるために駐留したローマ軍の長であったろう。彼の僕のひとり、原語は、むすことも訳せる言葉であるが、病が中風であるとことから僕が適当である。
・7 《「わたしが行って……」》「わたし」が強い調子で用いられている。この章は現行訳のように、イエスの発意と解するのが普通であるが、「わたしが行ってなおしてあげようか」と問いの形に訳すこともできる。問いにすれば八章の百卒長の告白がいっそういきいきとしてくる。
・8 百卒長がイエスを《わたしの屋根の下》に迎える《資格》がないと言ったのは、彼の謙遜のためであったが、同時に彼はイエスが異邦人の家にはいることをためらうであろうと思ったからである。《ただ、お言葉を下さい》たとい病人まで距離があっても言葉だけで十分だと信じた。彼はイエスのもつ言葉の威力を彼自身の職務上の経験から学んで知った。すなわち権威をもつた言葉が、どんな作用をもつかを知っていた。
・10 この信仰はもはや単に奇跡のみを期待する信仰ではなく、更に大いなる信頼のうえに築かれたものである。このような信仰は特異であり、選民《イスラエル人の中にも》容易にみることができない。それをイエスは悲しむとともに、異邦人の中にみたことを驚きかつ喜ぶ。信仰により異邦人も義とされる。
・11、12 世の終末。メシヤの日に開かれる最大の宴会において、異邦人がかえって列祖たちとともに席につき、神の民イスラエルがかえって戸外に放逐され戸外で哀泣切歯する。《多くの人が東から西から》異邦人が神の国に受け入れられる思想は預言者の中にすでに胚胎している。《この国の子ら》生来のユダヤ人。《外のやみに追い出され》旧約におけるシェオール(陰府、黄泉)、新約聖書におけるゲヘナ(地獄)。12節は盲目的な愛国者には言えない言葉である。
・13 イエスの言葉の威力を示す。

百卒長の信仰

2016-03-25 21:17:36 | 日記
(参考 新約聖書 1954年改訳 日本聖書協会)
<マタイによる福音書第8章>
(8・5―13)百卒長の信仰
(5)さて、イエスがカぺナウムに帰ってこられたとき、ある百卒長がみもとにきて訴えて言った。
(6)「主よ、わたしの僕(しもべ)が中風でひどく苦しんで、家で寝ています」。
(7)イエスは彼に、「わたしが行ってなおしてあげよう」と言われた。
(8)そこで百卒長は答えて言った、「主よ、わたしの屋根の下にあなたをお入れする資格は、わたしにはございません。ただ、お言葉を下さい。そうすれば僕はなおります。
(9)わたしも権威の下にある者ですが、わたしの下にも兵卒がいまして、ひとりの者に『行け』と言えば行き、ほかの者に『こい』と言えばきますし、また、僕に『これをせよ』と言えば、してくれるのです」。
(10)イエスはこれを聞いて非常に感心され、ついてきた人々に言われた。「よく聞きなさい。イスラエル人の中にも、これほどの信仰を見たことがない。
(11)なお、あなたがたに言うが、多くの人が東から西から来て、天国で、アブラハム、イサク、ヤコブと共に宴会の席につくが、
(12)この国の子らは外のやみに追い出され、そこで泣き叫んだり、歯がみをしたりするであろう」。
(13)それからイエスは百卒長に「行け、あなたの信じたとおりになるように」と言われた。すると、ちょうどその時に、僕はいやされた。

(参考 新約聖書略解 日本基督教団出版局)後で投稿