現象世界は非実在である。
しかし実は視えない「神の国」である。
このことに関する道元の記述がある。
(正法眼蔵を読む 夢中説夢の巻 谷口清超)
<明々百草>
この「夢中説夢」の場所が、実は仏祖の国土だ。それが仏祖の道場である。この仏の国、仏の法座、祖師の説法法座は、悟りの中での悟りであり「夢中説夢」である。ところがこのような素晴らしい説法にあい乍ら、そのことを知らぬものであるから、仏の説法など聞いたことがないなどと言う。こんなことでは駄目だ。実は仏が法輪を転じておられる。ところがこの法輪は凡ゆる所に充満しているから、大海となり深山幽谷となり、国土となり諸仏となって現成する。これ即ち夢以前の実相の「夢中説夢」である。凡ゆる現象界は全てこれ夢だ。これを「明々なる百草」と言う。眼前に明らかにあるように見えているところの諸々の現象だ。人々はそれを掴まえて色々迷ったり、疑ったり争ったりしている。これは夢だ。夢を夢見る中で、草が草を説く。これをいろいろ分析して、根や草や枝葉や華や果実を学習するが、しかしこれらは共に大夢である。この夢は吾々が普通見ているあの漠然とした夢のことではない。現象という意味であるから、誤って理解してはならないのである。