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事物の成就と云う点から云えば、自己のうちに「欲するもの来たる」と云う予期の意識、又は期待の信仰的態度を強く植え付けておくことが大事である。

2021-01-27 11:25:18 | 日記
ホルムスは望ましい信仰的態度について述べている。
これは“神の子”である人間の心の持ち方であって、
「実相においてはすべて必要なものは与えられていると固く信ぜよ」
ということである。
・事物の成就と云う点から云えば、自己のうちに「欲するもの来(きた)る」と云う予期の意識、又は期待の信仰的態度を強く植え付けておくことが大切である。
・二つ目は欲する事物は必ず現われる信じ、欲する事物を言葉で積極的に宣言することである。

(心と運命 谷口雅春)
【されば、凡て意識的な精神努力は、事物の成就と云う点から云えば、自己のうちに「欲するもの来(きた)る」と云う予期の意識、又は期待の信仰的態度を強く植え付けておく程には、効果はないものだと云うことを吾等はさとらなければならない。此の強い期待の意識に到達するに、如何なる過程がたとい要るにしても、結局この期待は吾等に無くてはならないものなのである。何故なら意識は実在の底深く根を張っている感覚であるからである。結局、吾等に唯一の是非共せねばならぬことがあるのである・・・それは自己の欲する事物は、すべて現われると云うことを信じて、自己の欲する事物を決定的に積極的に宣言することである。】

善は「実相の善」と吾等の選択によって現実になり来たる「実相の善の現象顕現」という、二種の様式で存在するのである。

2021-01-27 10:28:49 | 日記
ホルムスは実相の善と
現象の善との違いについて説明している。
現象の善というのは実相の善の
現象世界への反映であるから、
実際は実相の善のみがあると
いうことである。
ここでホルムスの伝えたいことは
吾等は自由な心で実相の善を選択したときに、
実相の善を現象界で所有できる、
ということである。
(心と運命 谷口雅春)
【善は二種の様式で存在するのである。一つは永遠の可能性として、まだそれは現実にならず、差別相をあらわさずに、父のみ胸のうちに横たわるところの善である。もう一つは吾等が選択によって現実となり来たれる善である。吾等が選択するまでそれは普遍的な観念である。然るに吾等が選択した時、それは個人に存する観念となり、個人の所有となり来たるのである。】