そして創造者の感情と相反映して輝かしき律(リズム)と諧和するところの高き想念が自己に来たったとき・・・かかる創造的想念にも優(ま)して高き歓びはないのである。
(心と運命 谷口雅春)
【そして創造者の感情と相反映して輝かしき律(リズム)と諧和するところの高き想念が自己に来たったとき・・・かかる創造的想念にも優(ま)して高き歓びはないのである。
吾れは「霊」が自己を通じてそれ自身の顕現の出口を見出したのだと知るのである。これこそ人間の大事業が神と諧和しなければならぬ理由である。と云うのは神との諧和が打ち建てられ、神と吾等がリズムを一にする時「霊」は吾等をその高き想念の道具とすることが出来るのである。誰か高揚せる思想の持主ならんや? 誰か輝く魂の持主ならんや? 答えて曰く、自己の魂の完き準備によって、自己を通じて神が此の世界に容易(たやす)く屡々顕現し得るように、自己を神の道具となしたところの人である。】
「誰か高揚せる思想の持主ならんや? 誰か輝く魂の持主ならんや? 答えて曰く、自己の魂の完き準備によって、自己を通じて神が此の世界に容易(たやす)く屡々顕現し得るように、自己を神の道具となしたところの人である。」
とホルムスが書いていることを
私は一生を通して目指したのだと思う。