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「自分はコロナなんかにかかるはずはない」という信念を持てれば、それが一番良い予防法です。

2021-01-19 14:05:36 | 日記
コロナコロナで毎日心配してたって、
心を変えなければ
心配は除れないでしょう。
「自分はコロナなんかにかかるはずはない」という信念を持てればいいわけであり、
それには、神と一体の自覚をもてば、
それで解決です。

(参考 真理第三巻 第6章 地上に天国をつくる自覚)
<心のフイルムに良い画を写しましょう>
 そんな憎み、怒り、嫉妬、怨み、奪い合い・・・・等のフイルムを人類の心の中から取り去ったときにのみ、この世界にエデンの楽園のような至福の世界が実現するのであります。憎みや、怨みや、争いの心を取り去らないで、休戦会談をしてみたとて、政治会議をして見たとて、それは無駄なことは明らかなのであります。この世界は、心のフイルムが形にあらわれた世界でありますから、心をかえずにいて幸福の世界や、平和の世界を実現しようと思っても、醜いフイルムをかけて置いて、美しい映画を見ようとするのと同じように無駄なことであります。


吾等は“神の子”であるから、神との一体感を離れてはならないのである。真理を全的に知るということは、人間の幸福にとって不可欠の事なのである。

2021-01-19 12:08:51 | 日記
始めにポイントを列挙します。
・人間智は誤った選択をなすこともあったであろう。
・此れらは個我の背後に横たわっている全宇宙的な力を認めることに躓き、これを駆使することに躓いたに基因する。
・罪悪と災禍と疾病とは、個我の疎隔の感じから起こったので、外来の「人間心」に基因するのではないのである。
・個我の背後に横たわっている全宇宙的な力を認めることに躓き、これを駆使することに躓いたに基因する。
・「生命の実相」という“人間の本来の在り方”“神の子”の生き方に背いた時に、不完全なる結果に到るのである。
・そして吾らが再び一切のものと自己との間に、一体感を回復した時には、吾等は所謂る不幸災禍を駆逐して了うことが出来るのである。
(心と運命 谷口雅春)
【斯くするとき、其処には最早所謂る「人間心」も「神心」もないのである。否、そこには「唯一つの心」があるのみである。人間智は誤った選択をなすこともあったであろう・・・併しそれは、他の外来の心ではなかったのである。誤った選択をなせる人間智を外来のお客様だと考えることは、又別の二元論を導き入れることになる。罪悪と災禍と疾病とは、個我の疎隔の感じから起こったので、外来の「人間心」に基因するのではないのである。此れらは個我の背後に横たわっている全宇宙的な力を認めることに躓き、これを駆使することに躓いたに基因する。即ち真理を完全に知らなかったことに基因する。換言すれば、吾等が不幸災禍と呼ぶところのものは、真理の全的把握の失敗の或る形式に基づくのである。そして吾らが再び一切のものと自己との間に、一体感を回復した時には、吾等は所謂る不幸災禍を駆逐して了うことが出来るのである。】
ホルムスがここで書いていることは、
気がついてみると、
非常に厳しいことだと
今感じている。
人生というものを
軽く考えてはいけないのだ。きb
「そして吾らが再び一切のものと自己との間に、一体感を回復した時には、吾等は所謂る不幸災禍を駆逐して了うことが出来るのである。」
と書かれているのは、
この世で失敗した場合この世で修正されない時は、
次の世で訂正することになるのであろうか。
人間の生き方は神の生き方であるので、
このような厳しい存在の在り方であるのであろうか。

されば吾等は「本体実在」(宇宙の普遍的本質)の精髄的性質及び「本体実在」に対する自己の関係を、間断なく心に描くことにしようではないか。

2021-01-19 11:11:41 | 日記
最初に要点を引き出しますので、
繰り返しになりますことをご容赦ください。
「不完全はその始原を本体実在(即ち第一原因)に見出されないで、「想念」なる雛型に見出すのである。」
とあるように、
実相理念から自由なる心が外れて想念した時に
困厄が現われてくることになる。
そこで
「されば吾等は「本体実在」(宇宙の普遍的本質)の精髄的性質及び「本体実在」に対する自己の関係を、間断なく心に描くことにしようではないか。そして如何なる結果、如何なる問題にも怖れないことにしようではないか。吾等の生命は永遠に頽(くず)れぬ巌(いわお)の上にきづかれているのである。」
ということが大事なのである。
(心と運命 谷口雅春)
【本体実在は常に完全である。一見不完全と見ゆるものが存在するのは唯顕現の世界に於いてのみである。不完全はその始原を本体実在(即ち第一原因)に見出されないで、「想念」なる雛型に見出すのである。「個体」なるものが意識的選択の力を備えて「自我」の意識となって顕れ出たときに、彼は進むとも退くとも、何れの方向へでも志すことが出来るのである。彼は各部分を一体に組合す遊戯をたのしむべきであるから、彼は各要素を誤れる配列に結合することも出来るし、或る要素を忘れたりすることも出来るのである。困厄は
彼が斯かることを為した場合に生ずるのである。此の場合、彼はまた来た道を骨折って引きかえし、始めから進まねばならない。
されば吾等は「本体実在」(宇宙の普遍的本質)の精髄的性質及び「本体実在」に対する自己の関係を、間断なく心に描くことにしようではないか。そして如何なる結果、如何なる問題にも怖れないことにしようではないか。吾等の生命は永遠に頽(くず)れぬ巌(いわお)の上にきづかれているのである。】
絶対に実相から外れないことが
必要です。
実相と一体化することが
“神の子”の道です。