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人は此の自然界の真只中にいながらも、何者も恐るる必要はないのである。何故なら彼は霊的理解の翼に打ち乗って翺翔(こうしょう)することが出来るからである。

2021-01-25 11:24:06 | 日記
ホルムスは宇宙というものの本質について
先ず説明している。
次に彼は人間は真理を知ることによって
宇宙の主人公と成れるというのである。
・吾等は全包容的な「心」の宇宙の真只中に生活しているのである。
・それは、到るところに愛と美の形式に於いても顕われているが、又畏るべき地震や暴風の力となっても現われているのである。
・神は凡てのものの神であって、彼の意志を離れて、この大宇宙に展開をつづけて行く何ものもない。
・自然界の大激変なしには、この驚くべき変化の力を備えた客観世界は存在することは出来なかったのである。
・しかも人は此の自然界の真只中にいながらも、何者も恐るる必要はないのである。
・何故なら彼は霊的理解の翼に打ち乗って翺翔(こうしょう)することが出来るからである。
・彼は自己の魂の支配者となることによって、あらゆる危険からのがれることが出来るからである。
・彼は自己の行く道を指示する魂のより高き直覚に依憑して、選択を決定せねばならない。
(心と運命 谷口雅春)
【吾等は全包容的な「心」の宇宙の真只中に生活しているのである。此の全宇宙を包容している「宇宙の心」は眼には見えないが自然界の微妙な叡智となって一切所に充ち満ちているのである。又それは、到るところに愛と美の形式に於いても顕われているが、又畏るべき地震や暴風の力となっても現われているのである・・・彼等は今明らかにこれを知るのである。何故なら、神は凡てのものの神であって、彼の意志を離れて、この大宇宙に展開をつづけて行く何ものもないからである。「空間」と云う大海原に宇宙を浮かべたのも彼である。そしてまた「宇宙」と云う無限の競争路を通じて、十万の恒星に駈けくらべせしめたのも彼である。自然界の大激変なしには、この驚くべき変化の力を備えた客観世界は存在することは出来なかったのである。
 しかも人は此の自然界の真只中にいながらも、何者も恐るる必要はないのである。何故なら彼は霊的理解の翼に打ち乗って翺翔(こうしょう)することが出来るからである。彼は世界の移りかわる波濤の上を歩む事が出来るからである。彼は奔流にも焔にも、溺れず傷つかずに進むことが出来るからである。彼は自己の魂の支配者となることによって、あらゆる危険からのがれることが出来るからである。彼は選択するだけでそれが可能となる。彼は自己の行く道を指示する魂のより高き直覚に依憑して、選択を決定せねばならない。そしてまた自己にまで具体化されることを希(こいねが)うところのその「善」を選択すべき心の守護神に信頼して、その選択を決定しなければならない。】

吾等は次の理解が肝要である~吾等は「法則」の世界に生活していること、宇宙の実質は「心」であること、事物の存在を決定する要素は選択であること~この三つである。

2021-01-25 11:04:07 | 日記
以下の御文章が
述べていることは次の三つである。
1吾等は「法則」の世界に生活している
2宇宙の実質は「心」である
3事物の存在を決定する要素は選択である
今日の部分において
1についてだが「法則」または「心の法則」という言葉をホルムスが使用しているのは
‟神の法則”つまり“生命の実相”という意味である。
2は現象宇宙の活動は‟実相世界”の写しであるから、“神の心”そのものである、というのである。
3現象世界の主人公である“神の子”なる人間が、現象世界において如何に生きるかは自由な心を使っての選択である。
結論を言えば“神の子”人間の望ましい生き方は‟生命の実相”の生き方、神様の子どもの生き方を「自由な心」で選択して生きればよいのである。法則に従えばよい、ということだ。それには祈りが必要だ。祈ることが“神の子”に成る生き方である。神と親子関係に入るからだ。
(心と運命 谷口雅春)
【かるが故に、吾等にとっては次のことを理解して置くことが、何よりも先ず肝要である。・・・吾等は「法則」の世界に生活していること、宇宙の実質は「心」であること、事物の存在を決定する要素は選択であること・・・この三つである。神の選択は大宇宙の創造である。神は吾々に干渉するものではないのである。換言すれば、神は大法則を創造し展開した。するとそれによって世界及び人間が進化発生したのである。神はその活動に一定の方向を選択し、そしてその方向に従って究極的結論を進めて行ったのである。此の偉大なる自然界の運行中にはたらく神の心の活動は、実に実に規則正しい。それ故に吾々はそれを「法則」と言って呼ぶも差支えはない。そしてそれは決して破毀されるものではないと信頼して好いのである。心の法則の大教主なる耶蘇は「いと微(ちい)さき言葉といえども充たされずして法則より省かるる事はない」と言い給うたのである。これを他の言葉を用いて云えば、法則は絶対に精確なものであって想念の法則に従ってあらゆる事物を発生せしむるものだと云うことである。】