「神の心」の現象化は念が波動化して行われる。
その時「実相の心」(霊)に「現象人間の五官の心」が重なる。
以下のご文章の要点は次の三つである。
・創造とは神からの理念が現実化しつつある様相である。
・「心」の活動の唯一の方法は「心的」であり、活動は「念」によって行われる
・表現の様式」として波動の形をとるものを、吾等は「神の心」と見る必要がある。
(心と運命 谷口雅春)
【吾等は既に宇宙の普遍的本質・・・即ち本体実在なる「心」は、一切万物の実質であること、及び此の普遍的本質は、創造の過程に於いて、顕現若しくは表現を遂げつつあることを理会したのであった。生命は若しそれが活(はたら)く、即ち創造する事が出来なかったならば存在しなかったであろう。創造とは神からの理念が現実化しつつある様相である。神即ち一切事物の内に宿るところの内的なる本体をば、無限と等しき広袤(こうぼう)を有するところの「心」としてみとむる時、吾等は活動の唯一の方法は「心的」であること、即ち活動は「念」によって行われることを知るのである。それ故、宇宙の本体が如何なる様相に顕現しようとも、それは畢竟(ひっきょう)「念」によってである。併し吾等は常に「念」(こころ)即ち「表現の様式」は波動の形をとるものであることを認むるが故に、「念」は波動、力又はエネルギーであると云うことを知るのである。】