gooブログはじめました!

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

新たに生まれるための一つの方法論・・・現象無しで“神の言”のみある。

2021-01-08 21:06:46 | 日記
イエス「人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。」
「だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない。」
神の国を見るための一つの方法論を提案します。

1「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。」
「この言は初めに神と共にあった。」
2 人間の霊
「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。」
3 “神の子”顕現の条件
「しかし、言は、自分を受けいれた人、その名を信じる人々には、神の子となる資格を与えた。」(名とは神の子である本質のこと・‟神の言”であること)

<「実相を顕わす」原理>
「実相を顕わす」には「言を受け入れること」で成就する。これが神の約束です。“信”という漢字の如く‟人”と“言”(宇宙霊)との合体である。これが人間が「神の言」であることの自覚である。「実相円満完全」(現象ナシで理念である‟神の言”のみあり、それは円満完全である)の信による。“神の子”の目的は「愛の完成」。神を現わすことによって自他一体の理想世界の中心者となる。「言」がそのまま「宇宙を貫く法則」となる。神の導きを受け「道」を歩むので、「神の法則」(実相)に乗る。
「言」の意味が分りづらい人はアサガオの霊(コトバ)を想起してください。

<方法論>
具体的に
①「現象は丸ごと無い」と思う。
②代わりに目に見えない「神の言」だけがあると、本気で思う。
③①と②を神想観にて行なう。観じることばは「実相円満完全」「神の子円満完全」
「言」を受け入れるということは、自分は「言」であると信じ切ることです。「現象丸ごとナシ」で円満完全なる「神の言」のみあるということです。
一言でいうと「実相円満完全」です。「肉体なし現象なし心もなし実相あるのみ」。

(資料その1)因みに谷口雅春先生はこのように記している。
<「言」が法則である>(参考 神癒への道p6)
【「初めに言葉あり、言葉は神とともにあり、言葉は神なりき」(ヨハネ伝第1章)であります。神は波動をおこさなければ、現象的に現われて来ないところの、「無」なる実質のうちに、コトバ即ち波動を起して、それの現象化の第一歩が始められたのであります。その波動は一定のリズムある波動であって、その最初の波動の渦巻きが電子またはそれに類する微粒子の根源となったのであります。斯くて神の言葉は即ち、「法則」となったのであります。法則によって万物は形をあらわす、換言すれば大生命の波動は一定の律(法則)を以て動くことになったのであります。】

(資料その2)(参考 ヨハネ伝 新共同訳)
1初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。
2この言は、初めに神と共にあった。 
3万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。 
4言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。 
5光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。
6神から遣わされた一人の人がいた。その名はヨハネである。 
7彼は証しをするために来た。光について証しをするため、また、すべての人が彼によって信じるようになるためである。 
8彼は光ではなく、光について証しをするために来た。
9その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。 
10言は世にあった。世は言によって成ったが、世は言を認めなかった。 
11言は、自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった。 
12しかし、言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。 
13この人々は、血によってではなく、肉の欲によってではなく、人の欲によってでもなく、神によって生まれたのである。
14言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。

(資料その3)(ヨハネ伝第3章 イエスとニコデモ)
1さて、ファリサイ派に属する、ニコデモという人がいた。ユダヤ人たちの議員であった。2ある夜、イエスのもとに来て言った。「ラビ、わたしどもは、あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています。神が共におられるのでなければ、あなたのなさるようなしるしを、だれも行うことはできないからです。」3イエスは答えて言われた。「はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。」4ニコデモは言った。「年をとった者が、どうして生まれることができましょう。もう一度母親の胎内に入って生まれることができるでしょうか。」5イエスはお答えになった。「はっきり言っておく。だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない。6肉から生まれたものは肉である。霊から生まれたものは霊である。7『あなたがたは新たに生まれねばならない』とあなたに言ったことに、驚いてはならない。8風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない。霊から生まれた者も皆そのとおりである。」9するとニコデモは、「どうして、そんなことがありえましょうか」と言った。10イエスは答えて言われた。「あなたはイスラエルの教師でありながら、こんなことが分からないのか。11はっきり言っておく。わたしたちは知っていることを語り、見たことを証ししているのに、あなたがたはわたしたちの証しを受け入れない。12わたしが地上のことを話しても信じないとすれば、天上のことを話したところで、どうして信じるだろう。13天から降って来た者、すなわち人の子のほかには、天に上った者はだれもいない。14そして、モーセが荒れ野で蛇を上げたように、人の子も上げられねばならない。15それは、信じる者が皆、人の子によって永遠の命を得るためである。



吾が住むところの此の世界は、一切万物ことごくが形象化した理念なるところの世界である。吾れはそれ故に「神」の働きたまう力にしずかに信頼して安静であるのである。

2021-01-08 12:31:19 | 日記
以下のご文章を要約します。
・吾が住むところの此の世界は、一切万物理念なるところの世界である。
・そして万物のうちに神は在(いま)してい給うのである。
・吾れは神なる「全体の心」のうちに生活し、吾が存在を此の「全体の心」によって支えられている。
・吾れはそれ故に「神」の働きたまう力にしずかに信頼して安静であるのである。
・「神」は愛のゆえに吾れになくてはならぬものを与えたまうのである。
(心と運命 谷口雅春)
【吾が住むところの此の世界は、一切万物ことごくが形象化した理念なるところの世界である。そして万物のうちに神は在(いま)してい給うのである。吾れは神なる「全体の心」のうちに生活し、吾が存在を此の「全体の心」によって支えられ、したがって神の性質と生活とをわかち有つのである。吾れは神を理解し、神は吾れを理解する。吾れは神を理解し、神は吾れを理解する。吾れは神より与えられる賜物を受け、進んでわが心情(こころ)が要求するところの凡てを神に求めることが出来るのである。吾れは神の「性質」の偉大さと、神の「自我」の真実さとを感ずるのである。】
【吾れは吾が見る事物の美しき色どりに表わされた「神」の本性の美しさの前に跪く・・・山々にあらわれた「神」の荘厳さ! 小川の囁きと、小鳥の囀りとにあらわれた神の霊魂(たましい)の微妙なる調和よ! すべて番(つがい)あるもの、及び母なるものの愛にあらわれた「神」のやさしさよ! すべてこれ等のものは「神」の観念なのである。それ故に吾等は相互(たがい)に他者の観念を理解することが出来るのである。吾れはそれ故に「神」の働きたまう力にしずかに信頼して安静であるのである。「神」は愛のゆえに吾れになくてはならぬものを与えたまい、艱難(なやみ)を不安なく乗り超え得しめ給うのである。】


吾々が見るところの一切の事物は一個の自我であると認めることが出来る。それは一個の生けるものとして、固体として顕現した或る一定の目的を遂行しつつあるのである。

2021-01-08 09:47:46 | 日記
以下を要約します。
・自然界は神の奏する一大交響楽なのである。
・それは神の「理念」であり、その内にはその体現の主体たる「霊」があって、その存在を支えているのである。
・吾々が見るところの一切の事物は、本当の意味に於いてそれは一個の自我であると認めることが出来るのである。
・それは一個の生けるものとして、固体として顕現した或る一定の目的を遂行しつつあるのである。
(心と運命 谷口雅春)
【見よ自然界全体は、花さく樹叢(こむら)、舞い遊ぶ蝶、燃ゆるが如き日の出、さては岩に激する奔流となってあらわれています「宇宙の本体」ほの一大交響楽なのである。それは「形」及び「美」と云う言葉で表現された神の「理念」であり、その内にはその体現の主体たる「霊」があって、その存在を支えているのである。吾々が見るところの一切の事物は、本当の意味に於いてそれは一個の自我であると認めることが出来るのである。それは人間の生命の如く発達した自己意識をもたないことは事実である。併しながら、それにも拘わらず、それは或る種の感覚的経験と情緒的経験とをもっており、それは一個の生けるものとして、固体として顕現した或る一定の目的を遂行しつつあるのである。】