新約聖書「ルカによる福音書」
第20章 権威についての問答
4 ヨハネの洗礼は、天からのものだったか、それとも、人からのものだったか。」
ありがたいことに
人間は結局神の子であるという素晴らしい事実から
逃れられないわけですので、
それだったら神性隠蔽に気付いたら
早く本道に立ち戻るべきなのです。
真の自己に生きることは勇気が要るし、
冒険なわけです。
(参考 天と地とを結ぶ電話 J・レンショー著・谷口清超訳)
【こうして吾々は、自分の本質が神の子たるを悟ることによって、自分で自分自身を助けることが出来るようになったとき、「神の大生命」が最も強烈に吾々を助け給うのである真理を体得するのである。こうして吾々自身も吾々に関係のある人々も共に具体的に援助を与えられることになるのである。
何人も自分自身であることをまぬがれることは出来ないとアガシャは言っている。如何なる人も自分自身に対する責任をまぬかれることはできないのである~即ち自分自身の中にあるところのもの、つまり全体の一発展的表現なる神の生命を解放するという責任をまぬかれることは出来ないのである。いかなる指導者も自分の智慧を以て、或る人の悟りによって得られる‟もの”に代用することは出来ないのである。現世に於ける肉体をもった偉大なる指導者達ですらも、やはり人々の心の中に彼らが神の子であるという事とお互いが自他一体である事と宇宙の「一」なることとの悟りを霊感づけることが出来るだけなのである。】
人間は思ったことを実行して、
失敗したら「心の法則」(償いの法則)に照らして、
やり直しをして
次第に完成へと向かう権利をもっている、
とこの書の著書であるJ・レンショーは
書いている。
試行錯誤しつつ自分自身で向上する権利をもつことが、
人間であることの素晴らしさであると、
クレンショーは言うのである。
(参考 天と地とを結ぶ電話 J・レンショー著・谷口清超訳)
【吾々各人は正確に吾々の自覚と悟りの深さに従って‟さとり”の程度を秤量されるのであるとアガシャは教えている。それは真のデモクラシー~霊のデモクラシーであって、彼ら自身によって秤量された彼らの完成の程度に従って凡てのものが与えられる仕組みになっているのである。人間の作った法則によってはほとんど干渉されない「償いの法則」のまにまに生活を享受する人間の権利は、「宇宙の設計」の中にちゃんと含まれているのであって、この権利は誰からも冒されることはないのである。吾々人間の内に自由に表現をしたいという本能が生れて来て、遂に吾々を悟りにまでみちびいて行ってくれるのである。それ故にこそ人間は、誤りを犯すす権利と試行錯誤によって学習する権利とをもつのであって、その権利に不自然に干渉する圧政に対しては闘わなければならないと直観するのである。かかる圧政は吾吾が誤りについて瞑想する風習を歪め、吾々の進歩を抑えて圧政の人為的水準にまで押し下げてしまうということを吾々は知っているのである。】