私たちは「まことなる願い」を見出し、
それを実現すべく努力すべきである。
「まことなる願い」を見つけ出すこと自体が、
なかなか大変なことであると思うが、
誰もが自分なりのそれを持っていると
言われている。
それを見出して実現させたら、
本望と言えるのではないか。
(祈りの科学 谷口雅春)
【吾々は、人間に必要なる全てのものは“すでに”与えられているという堅信をもたなければならないのである。その信念を起こすためには吾々の魂の奥底から浮び上って来る所の「まことなる願い」は、すでにそれが実在の世界に体験されている事実であるから魂の深き願いとして吾々の世界に浮び上って来るものだということを知らなければならないのである。体験のないものは決して願い求める希望は起らないのである。煙草(たばこ)を吸った体験のないものには煙草をすいたいという切実な願い求めが起らないようにである。その如く吾々の魂の奥底から真にかくありたいという切実な願い求めが起らないようにである。その如く吾々の魂の奥底から真にかくありたいという願い求めが起ってくるのは、実相の世界に「既にかくある」体験があるからであって、ただそれを現象界に現すには強烈な信仰によってただ波長を合わせればよいのである。】
【如何に強烈な信ありとも、放送のないものをラジオ・セットにて聴取する事はできない如く、実在界にないものを、如何に心の波長を起こして現象界に浮び上らせようとしても実現し難いのである。そこで吾々は何が真に吾が「まことなる願い」であるかを知ることが必要であるのである。「まことなる願い」とは「すでに実在界に創造されたる物が内部的要請として吾々の心に浮び上がって来たもの」を称するのである。】