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客にあきられたら大変なことに・・・

2016-05-31 22:22:49 | 日記
祐天寺に
昔からずっと続いてきている
本格的な文房具やがある。
家族経営であるが、
商品は本当に
良いものばかりで、
しかも値段も手ごろだ。
今日ボールペンを買った際、
ご主人とちょっと会話したら、
「今文房具やの業界も
続くのが大変な時代になっている。
お客さんにあきられたら
大変なことになります」と
彼は言った。
この言葉が私の心に
強く印象した。
「お客さんにあきられたら大変なことになる」
これってすべてのことに当てはまる、
そう思った。

故郷の不信

2016-05-31 22:06:13 | 日記
(参考 新約聖書 1954年改訳 日本聖書協会)
<マタイによる福音書第13章>
(13・53―58)故郷の不信
(53)イエスはこれらの譬を語り終えてから、そこを立ち去られた。
(54)そして郷里に行き、会堂で人々を教えられたところ、彼らは驚いて言った、「この人は、この知恵とこれらの力あるわざとを、どこで習ってきたのか。
(55)この人は大工の子ではないか。母はマリヤといい、兄弟たちは、ヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダではないか。
(56)またその姉妹たちもみな、わたしたちと一緒にいるではないか。こんな数々のことを、いったい、どこで習ってきたのか。」
(57)こうして人々はイエスにつまずいた。しかし、イエスは言われた。「預言者は、自分の郷里や自分の家以外では、どこででも敬われないことはない」。
(58)そして彼らの不信仰のゆえに、そこでは力あるわざを、あまりなさらなかった。

(参考 新約聖書略解 日本基督教団出版局)
・イエスの郷里の人々がどういう仕方でイエスにつまづいたかということが記されている。
・54 イエスが郷里のナザレに帰郷されたのは、公生涯にはいられてから、これが最初であったであろう。《会堂で人々に教えられた》人から有識者と認められた人は、だれでも会堂で教えることがゆるされていた。《この知恵》故教の人々が今しがた聞いた教え。《これらの力あるわざ》8,9章に記されてあるような奇跡。《どこで習ってきたのか》イエスはユダヤ教の教師を養成するラビの学校で学んだこともなく、そのほか、特別の学問研究をしたとも聞いていないので不思議に思った。身近な者が有名になったことに対して、意識しない嫉妬を感じたかもしれない。
・55 郷里の人がイエスにつまづいたのは、イエスの存在をその周囲の人々に比べることによって捕えようとしたからである。《この人は大工の子》イエスの養父ヨセフは大工であり、イエスもその仕事を習い公の生活をするまで、養父の死後は家族を養われたらしい。《母はマリヤといい、兄弟たちは……》人々はイエスの母や兄弟とは毎日いっしょに生活をしていたので、その名前をよく知っていた。みんななんの変わったところもない村人であるのに、ひとりイエスが有名であるのが不思議である。《ヤコブ》イエスの復活後、ペテロと並んで初代教会の指導者となった。《ヨセフ》ここに記されるだけで、のちの教会に知られていない。《シモン》のちにエルサレム教会の監督になったという説もあるが確実でない。《ユダ》のちにイエスを信じ教会で活動している。ユダの手紙の筆者とみなされている。
・57郷里の人々がイエスにつまずいたのは、次のような理由による。イエスがわれわれに近い人であるのは、神の子の受肉者だからであるということを知らないで、イエスをただ肉において近い人と考えたために、彼らはイエスを救い主と信ずることができなかったためである。イエスは、彼の郷里の人々が彼を信じないのを見て、預言者エレミヤが郷里の人に受け入れられなかったことを思いおこされたであろう。古い写本にはイエスの言葉は、「預言者は、自分の郷里では受け入れられないし、医舎は彼を知る者をいやさない」であったと記している。いずれにしても、この言葉は、当時、一般に流布していたことわざであった。