私たちが祈っても祈っても
神の国の素晴らしさを現成しえない理由は
この世は「神の国」であり、
人間は皆「神の子」であると
理屈でわかっていても
本気で信じていないからである。
ここがポイントであるので、
このことが可能になってくると、
現象は素晴らしく良くなるはずである。
(参考 真理第十巻実相篇 谷口雅春著 日本教文社)
<実相を観ずれば諸々の悪は消える>
神のみが実在であり、神は善であり、愛であり、智慧であり、生命であり、無限の豊かさであり、無限の調和であり平和であるから、不調和とか争いとかいうものは、実在の世界には存在しないのである。換言すれば不調和とか闘争とかいうものはアルかのように見えても、実際は存在しないのである。而も、その存在しない不調和や争闘が実在するが如くあらわれて見えるのは、「神のみが実在である」という真理を知ろうとしないからであり、「人間はお互いに神の子であり、京大姉妹である」という真理を悟らないからである。「真理」を悟るということは別に難しい事ではないのである。「あるがまま」の事実を知るということである。五官という眼鏡を外して、心を素通しにして、素直に存在の実の相を見ることである。五官の眼を瞑じ、心を澄まして実相を観よ! これが神想観である。
神の国の素晴らしさを現成しえない理由は
この世は「神の国」であり、
人間は皆「神の子」であると
理屈でわかっていても
本気で信じていないからである。
ここがポイントであるので、
このことが可能になってくると、
現象は素晴らしく良くなるはずである。
(参考 真理第十巻実相篇 谷口雅春著 日本教文社)
<実相を観ずれば諸々の悪は消える>
神のみが実在であり、神は善であり、愛であり、智慧であり、生命であり、無限の豊かさであり、無限の調和であり平和であるから、不調和とか争いとかいうものは、実在の世界には存在しないのである。換言すれば不調和とか闘争とかいうものはアルかのように見えても、実際は存在しないのである。而も、その存在しない不調和や争闘が実在するが如くあらわれて見えるのは、「神のみが実在である」という真理を知ろうとしないからであり、「人間はお互いに神の子であり、京大姉妹である」という真理を悟らないからである。「真理」を悟るということは別に難しい事ではないのである。「あるがまま」の事実を知るということである。五官という眼鏡を外して、心を素通しにして、素直に存在の実の相を見ることである。五官の眼を瞑じ、心を澄まして実相を観よ! これが神想観である。