Yoshikoの『リビング』へようこそ

16年間脳梗塞後遺症の夫と101日間世界一周クルーズをした。その記録を「リビングを船に乗せて」として著す。

母との晩餐会

2011-12-31 | 日記
 12月29日は両親の72回目の結婚記念日。
残念ながら去年から母だけになってしまったが私たち5人兄弟は
必ず鎌倉に集合することに決めている。

鎌倉は新年は道路規制があり電車も混むので新年集合は難しいので
暮の集合になったともいえる。

5人の兄弟会議を一時間過ごした後、誰でも来られる忘年会を鎌倉駅隣接の
銀座アスターで開く。

母との今年最後の晩さん会だ。

御馳走が次々出て勘定すると16皿運ばれた。
全部写真を撮ったがあまり多いのでオードブルはまとめた写真一枚にした。
 

フランス料理のようにゆっくり一皿ずつ運ばれてくるのでこんなにたくさんと思いながら
すべてお腹に入れてしまった。至福のひととき・・。
   

  

  

 
(またまた食べてばかりのブログですね、太るよ~・・・と言われそう)

白菜と大根

2011-12-30 | 日記
 暮になってお野菜の値段が急に高くなって野菜を食べなくてはと思いつつ
あおられるような気がしていた。

そこに、家庭菜園をしている方から太い大根と大きな白菜をいただいた。
当分、助かる・・・と思っていたら、夕方、また他の方が白菜、大根、小松菜をくださる。
夜、他からまた大根と白菜が届き、嬉しい悲鳴を上げてしまった。

小松菜は直ぐゆでると、甘くて新鮮で驚くほどのおいしさ。
大根もふろ吹き大根、おみそ汁の具などでいただく、

白菜はお天気が良いので割って干してみた。


大きな桶がないのであり合わせの大きな鍋と
昔、相模川で漬物用に拾ってきた石を使って白菜漬けを
している。

毎食、美味しい自家製の白菜漬けが食べられてうれしい。

アフリカの人

2011-12-29 | お出かけ
 お寿司やのカウンターに座ると隣に外国人カップルがいた。


お箸を上手に使って注文した小鉢のお料理を食べている。
どんなものをどうやって注文しているのか興味があったがもう、
ほとんど食事は終わりのようだった。

男性が女性にお箸の使い方を説明している。
男性は白人、女性は黒人である。美しい目をしていた。

隣に興味を持たないわけではなかったがそれをあらわにしてはいけないと
控えめにしていたが、ふっと袖が触れ合ったか・・・
「Excuse me]という場面に一瞬なった。

「お箸、上手に使えるのですね。」と
声をかけると彼女は喜んで「ありがとう」といった。
「おいしく堪能されましたか?」と話し始める。
直ぐ近くに住んでいるからそのお寿司やさんは初めてでないと言う。

ここはおいしくて値段もリーゾナブルね。と彼女は言う。

話していたら板前のお兄さんが
「すいません。通訳してくれませんか。さっき何か言われたんですけど
分からなくて・・・」と言ってきた。

聞いてみると初め、テイクアウトを出来るかどうか聞いたそうだ。
だが、通じなかったのでその場でシッカリ食べたからもう大丈夫とのことだった。

店の板前はみんな体中を耳と目にして知らん顔を装いながらその成り行きを
見守っていた。解決してみなが一斉にホッとしたようだった。

外国人だとたいていアメリカ人かと思ってしまうがアフリカの人と聞き
びっくりした。通常語はフランス語だそうだ。

2008年、世界一周クルーズでスエズ運河を通りエジプトのポートサイドを
通ったのでアフリカ大陸の北端をかすったことになる。あんな遠いいところ
から東京に何のお仕事で来ているのか・・もっともっと話したかったが
帰る時間なので引きとめることは出来なかった。

Before After

2011-12-28 | 日記
 真綿色したまっしろなシクラメンがクリスマスまで元気でさらに
衰えを知らず、お正月に向かっている。

だが、途中で面白いことに気がついた。

水をやりすぎては根ぐされになるとなるべく控えているが
鉢の下の水がなくなるとみるみる花の力がなくなってへなへなに
なってしまう。


水をどのくらい入れたら何日持つかと研究することにした。

花がみんな寝てしまって再起不能のようになったときに200ccの水を
下にいれると12時間で半分元気になり、


24時間でまっすぐに元気になる。

しかし、その時はもう水はなくなっていて・・・それから2日後またへなへなに
なるのだ。

忙しくて忘れているとあれよあれよという間に変化が起こるのでまるで生き物と
一緒に生活しているみたいな気がする。

指の怪我

2011-12-27 | 日記
先日、新しい包丁を使っていたら右手の人差し指の先を切ってしまった。
「痛い!」と思って、どくどく血が出るだろうなと覚悟したのだが痛いけど
ほとんど血が出ていない。

右利きだから包丁を使っているときの怪我ではなく一瞬刃を洗おうと右手で触ったのだった。
よく切れる包丁なのでほんの皮の部分をそぎ取るように切ったのだ。
血が出なくても痛い。

皮が切れているのだがその下の肉の部分まできれているのでそのあたりが
しみるようだ。

指の怪我なんかすぐ直るとたかをくくっていたがその夜寝ていたらドキドキ鼓動を
感じるように痛んだ。まだ治っていない・・・と夜中に起き上がり傷口用の薬を塗り、
バンドエイドでくるんだ。

日中はこんなにおいの薬をつけたらお料理ができない。
ほんの小さい3ミリくらいの切り傷なのにまあ、日常生活に支障をきたすこと、
驚きだった。

何でもないことがこんなに幸せ・・・・と改めて思った。

小さな傷でもお米はとげない、紙をめくることができない、パソコンも打てない、
携帯メールも不便、出来ることは本当に人をさすことだけ・・・だ。

こんなちいさな故障でも不便なのだから病気を持っている方はどんなにか辛く大変かと
あらてめて思った。

一病息災・・なんてあきらめて言うがみなさんいろいろ我慢して生活されていることが
多いのだろう。健常者は外に出てももっと思いやりの心を持っていなければと思ったことである。

歩数計(2)

2011-12-26 | 日記
歩数計を可愛い赤いものに買いかえてから約2カ月。

以前買ったものは1500円くらいのもので洋服のポケットなどにくっつけるもの
であったが、調子が悪く、店に修理に持って行ったらお金を返してくれた。

歩数計のある生活を一カ月くらい経験したので大体様子が分かるからもう買わなくてよいと
思っていたが生協のカタログに可愛い写真が紹介されていたので4000円くらいのものだけれど
思い切って注文した。(近頃は携帯に歩数計がついているようだが、私のにはついていない)

それが私の大好きなワインレッドの赤い色で可愛くて大好きになった。

毎日午前3時にデータがゼロになる。
そして首に下げていると毎日歩数を刻んでくれる。

データーとしては一日前、二日前・・・と七日前まで数字が出てくるので
まとめてノートに記録している。
歩幅を登録してあるのでその大きさでしっかり歩くと記録されるが、
家の中でちょろちょろ歩いていると全く記録されない。

だからデーターとして残っている数字よりもっと歩いていると思う。

この小さな”友達”が来てとてもよかったことがある。
私がまめに歩くようになったこと、何か買い忘れたとしても直ぐ出かけるし
ポストするものがあるとはがき一枚持って直ぐ出かける。、
とても動きがスムースに積極的になったのだ。

エレベーターをなるべく使わず、階段を上る。わざわざ遠回りをする。
心なしか私は歩くと体重が減るような気がするのだ。

どうしても肩を丸めて悪い姿勢になってしまうのだが必死に足幅を大きく歩くように
なった。特別な運動をしていないのでこんなことでも少し健康に役立つだろうか?

コピペルナー

2011-12-25 | 日記



近頃、パソコンでレポートを書く学生が多いと聞く。
教師もきれいに印刷されたレポートの方が個性的な手書きの字よりよい
と思うのだろうか。
レポートが仕上がった時、内容はわからないが見かけは素敵な論文を書いた!
やった!という満足感、完成感、征服感がうまれるだろう。

パソコンにはなんでもかいてあるから便利な世の中である。

学生だったころは図書館で本から必要なものを書き写し、苦労したものだった。
その後、コピーが発達し、本を借りてコンビニに行けばコピー出来た時代があり、
図書館でもコピーができるようになった。
ずいぶん便利でうらやましいと思ったころ、私の学生時代は終わっていた。

今は何でもインターネットを開けば知識の宝庫。
学校でぽかんとしていても家に帰ってパソコンを開けばわかる。

したがってレポートを書くときも
本のコピーをし、それをペイスト(貼り付ける)作業で立派なレポートが出来上がってしまう。

手書きの時もずいぶん本を書き写したものだが機械的にペイストすると全く同じ文が
多くの学生の論文に現れることもあるだろう。
また、プリントアウトしたものは何部でも作ることができる。

学生時代、タイプライターで論文を書いた時は原本のみ有効・・・コピーは許されなかったが。

その学生さんの前に現れたのが
「コピペルナー」 コピー 、ペイント、するな!という意味の名前らしい。

論文をどうしてチェックするか具体的には知らないが何か機械をあてるとどの本の写しか、
字の色が変わって見えるそうだ。
貼り付けた論文だと言うことが「ばれて」しまうという。


しかし実際は学生に考える力、表現する力を養ってほしいとの願いのもと
金沢工業大学の教授が発明されたものと言う。

年賀状

2011-12-24 | 日記
 昨年は父が亡くなったので寒中見舞いとして年明けにお便りを出した。

二年ぶりに年賀状の用意をした。

今までは夫のもの、連名のもの、自分のもの、勤務中は生徒からの年賀状への
お返事を作っていた。
今年は規模を縮小して夫と連名の簡単なものを作った。
その代り、母の分も作ったので昨日今日で600枚の印刷が終わった。

だんだん交際を縮小しようとなるべく少なくしようと何度も何度も名簿を
見なおした。メールで繋がっている人とは元旦にメールをしたらよいと
思うのだがその方から必ず丁寧な年賀状が来るのは分かっているので
やはり出すことになる。

去年この方にお出ししたけれどお返事をいただいたのだから今年から
出すのをやめようか・・・と思って出さないと相手から来る。
翌年当たり前のように出すと遅くなってお返事が来る。やはり迷惑だったのかと
次の年控えると・・・・という関係が続く。

それで今年は年賀状をいただいた方へのみお返事を出したのだ。
ほんの少し、名簿の整理できた気がする。

それでもこのごろは年賀状に消印が入らないので大晦日までに投函したか
(返事ではなく)元旦以降返事の形での投函かが分からない。少し、便利?
だが不便な点もあるのだ。

学校に勤めていたころは元旦は午後からずっと生徒への返事書きで大体6時過ぎに
和服を着ていても初運転して郵便局に投函に行ったものだった。

我が子が○○先生からお返事来た。○○先生からはお返事ない・・・と言っているのを
聞いていたので、なるべく早くお返事を書いていた。その150枚位がなくなったので
だいぶ楽になった。(嬉しい悲鳴・・・・だった)

嘘のような話だが?・・(今でもしておられる方はいるが)昔は一枚一枚毛筆で書いていた。
その後毛筆で書いたものをわざわざ渋谷の印刷所に持って行った。今では自分で作れるのだから
世の中も変わったものだ。昔が懐かしいが・・もう体力、気力がない。



37日ぶりの入浴

2011-12-23 | 介護生活
一昨日、我が家で最後の四者担当会議なるものが開かれ正式にデイケアー利用が
決まった。時間もかかり健康診断書(15650円)もかかり、晴れて審査に合格
したのだ。


利用者は体の不自由なお年寄りの方が多いようだが需要があり、なかなか空きがでないと
いう。リハビリと入浴をさせてもらい、昼食、おやつをいただき4時過ぎに送られて
帰ってくる。

さあ、この、”鬼の居ぬ間”何をしよう!

昨夜からいろいろ考えていた。たまにはどこかへゆっくり買い物に行こうか。
ひさしぶりのウオーキングに行こうか?はたまた映画を見に行こうかな?・・・・

だが、一番にしたことは放心状態になり、横になってしまった。
たとえ”鬼”がいても昼寝は出来ないことはないがいつ何時起こされるか・・・
気が気でなくて休まらない。
ご主人をデイケアーに送っている友人はその日はいろいろしなくてはならないことが
山積みなのに、ごろごろしてしまうと言っていた。無理もない・・。
どうしてだろう?不思議な空間である。

朝は5時前からごそごそ起き上がり、朝刊を取り込み、大きくラジオをつけ・・
自分中心に動かれるので申し訳ないけれど、もう少し考えて行動してほしいと
思ってしまう。
せめて6時まではラジオをつけないで静かにしておいて・・・寝かして・・と
頼むのだがその時は一応「分かった」と言うが翌朝はもうすっかり忘れている。

家で足湯、清拭、下着変えなどはしていたが今日はゆっくりお風呂に入って
満足して帰ってくるだろう。

30日以上も風呂に入れないとぶうぶう言っていたが
「何言っているの、船では100日入れなかったでしょう?それに比べれば三分の一よ」
な~んて鬼嫁は言っていたのでした。

とにかく一段落。ばんざい!

(昔利用していたセンターだったので知っている人が多く、とても親切にされたと
御機嫌できれいになって帰ってきた夫であった。)



英会話の忘年会

2011-12-22 | 日記
 3月の地震でアメリカ軍の基地の婦人たちが皆アメリカに帰国してしまったので
英会話の先生がいなくなってしまった。長年続いてきた英会話教室の灯を消しては
ならないと有志が毎月集まっている。

今年最後だから「忘年会」と称してイタリアンのお店に行く。

「またごちそうを食べているのね・・・」と言われそうだが今回はごく簡単な
ランチを選んだ。

パン             前菜盛り合わせ



小松菜とベーコンのトマトソースパスタ      デザート

     
珍しい形のデザートスプーン  レモンティ     


それより、やっと先生が見つかりそうな話が出て、来春から何とかなるのでは・・・。
細々と続けてきて本当によかったと喜びあう瞬間があった。

「私はもう、英語すっかりサビついてしまった・・・」と言うと
「私なんかもうすっかり忘れてますよ」とY氏。

お互いに何十歳からの手習い・・・・なのだけれどやはり強制され必要にせまられないと
何事の勉強、稽古事も進歩しないものである。

お弁当

2011-12-21 | 日記
22日で2学期が終わるので、ばあばのお弁当屋は今日が最後。
しばらく休業になるだろう。

その代り冬休みは「昼間食堂」を開かなくてはならない。
早朝のお弁当屋がなく、朝食の「食堂」から始まるから朝が30分楽になるだろうと
思われる。
         
あり合わせのお弁当箱に・・・。    何回も使える区分けのカップ。

毎日2つ、3つ5つ最大6つのお弁当を作ってきた。
くたくたに疲れた時は「買い弁」をしてもらおうかなと思ったが
朝からコンビニに孫が入っていく姿を思うと、やはり、とにかく作るわ~と
いうことになる。

朝食を用意し食べさせている間にお弁当を包んでおくと
「ばあば、お弁当ありがとう」と言ってかばんに詰めていく。

帰宅すると必ず
「ばあば、お弁当、今日もおいしかった。ありがとう」と言って
お弁当箱を洗う。

この繰り返しだけは可愛く、また頑張って作ろうと思う。

だが、反抗期で憎たらしい口を聞くので、もう、お弁当は作ってやらない!と
思うときもあるのだが、今では私が元気なうちは私の役目にしようと考えている。

先日、サプライズで昔懐かしい海苔段弁当にしたら
「ばあば、海苔はやめて。歯に海苔がついたら、男子がいるから恥ずかしいの」

赤い梅干しを白いご飯の上にのせたら、
一人は「私、全部飲み込んじゃった。種出すの恥ずかしいんだもの」
「私、種をはずしてたべたのよ。男子の前で種を口からなんて出せないわ」

と私がびっくりするようなことを言う。お年頃?の現代っ子だ。

今後はゲーム感覚でいつまで「買弁」をさせないでいられるかと頑張っていこうと
思っている。孫たちが「買弁」を希望するまでは・・・・。

サッカー観戦

2011-12-20 | 日記
 忙中閑あり・・・ではなく忙中閑なしなのであるが
「明日、サッカーの観戦にいかない?」と孫娘に誘われ
とても良い席と聞き、彼女のお友達が都合が悪いと言うので
穴埋めに人生初の体験をしたのだった。

横浜国際総合競技場、FIFA Club World Cup Japan 2011 カードは柏レイソルと
カタールの3位決定戦とサントスとバルセロナの決勝戦である。

初めての競技場の大きさにまずびっくり!
ゲートが決まっているが東西南北分かれているので間違えるとぐるりと
歩かなくてはならない。


競技がすでに始まっている時間に着いたのだが思ったより歓声、応援は聞こえず静かだった。
新横浜の駅は初詣のような混み合いだったが。

入り口では協賛のコカコーラ以外のドリンクはラベルをはがし、キャップまではずして
持ち込まなければならない。しっかり荷物をチェックされる。
キャップまではずしラベルを・というのは主婦感覚で気付いたが7万人の人が一本づつ
持って入場した場合、後のごみ整理が楽になるようにかとも思われる。
毎日、ラベルをはがしキャップを別にしてゴミを分別しているので。
 

緑の広い芝生の上で白と黄色のお人形たちが動いている・・・という感じの競技場。

周りには何万人の観客がいる。明るい照明だ。
11人と11人の選手以外、控え選手、監督、救護員、カメラマン、テレビ取材者など
多くの人がグラウンドにいる。自動式の宙づりのカメラが活躍していた。

柏レイソルは惜しくもPK戦で負けてしまったがJ1に復帰後即世界の4位とは素晴らしい成績である。



チケットは3位決定戦と決勝戦の両方がみられるものだったので(応援団以外みなそうだったのかもしれない)
いよいよ決勝戦が始まりオープニングセレモニー(とよぶのかどうか?)は素晴らしく
華やかだった。


その試合はテレビの方が説明が入り分かりやすいが全体を眺め、スピード感と
チームワークのよいパス送りなどはまさに神業、感動ものだった。夜の外出、混雑を
考え消極的だったが、素晴らしい世界に出会い、今後やみつきになりそうだ。
一番人気のメッシは2点も入れたが、どこにでも現れると言う素早さで
いつもボールに絡んでいた印象がある。


周りにいたブラジルの応援団たちが大声をあげていたが4対0で圧倒的に
バルセロナが優勝し、301000クラブの頂点になった。


入場者は68160人と発表された。

こんなに沢山の人の中で友人ファミリーに出会い、同じ階段の向こう側に元同僚がいて
驚いた。

帰りは7万人が外に出たら最寄駅は入場制限が出る。するとそのまま電車が来るまで
何時間も待っていなければならない。5分前に出たが外はマラソン会場?でみんなどんどん走って
駅に向かう異様な光景であった。

連絡がうまく行き1時間もかからず帰宅でき、興奮のるつぼ、華麗な、光り輝いた夜は幕を閉じた。

大山の夕日

2011-12-19 | 日記
 師走とは思えない暖かい日が続いている。
毎日、テレビでは今年一番の厳しい寒さと言っているが我が家は
日当たりが良いので南の部屋にいれば暑いくらいである。

もちろん、北側の部屋はそれなりの温度で寒いけれど。

アメリカの友人宅では一年中家の温度がコントロールされているので
外は雪で雪かきが必要な時でも家の中は暖かく半そでで過ごせることも
あった。
そんなことをしたら今節電の時代・・・時代に逆行していると顰蹙をかうであろう。

幸いなことに家の中はコントロールしなくても自然のままで暖かいので
嬉しいことである。一日中、夫も日向ぼっこの状態で読書をしたり、テレビを
みている。今までいた介護施設では太陽には縁がなかったのでこんなラッキーなことは
ないと私は喜んでいるが本人はそれほど感じていないようだ。

2,3日前我が家から見える大山の左手に真っ赤な太陽が見事に沈んでいく、
ソファに座っている夫に
「きれいよ。夕日が~」と言ってみる。
『ふ~ん』という返事だけを期待していたが
「どれっ!」と言ってよいしょと立ちあがってきた。


真っ赤な太陽は見事に山の稜線の陰に隠れてしまった。
「こんな夕日、にっぽん丸でも何回も遭遇したのよ。
あなたは起き上がれなくてみられなかったわね~」

冬至まで日の入りはどんどん早くなっていく。
もちろん、日の出、日の入りを記録している夫はそれ以来、気がつくと
夕日を眺めているようだ。

介護の難しさ

2011-12-18 | 介護生活
介護をしているのは私だけでなく、世の中にはもっと大変な介護をしておられる
方がたくさんおられると思う。

どんなケースであれ、人間と人間のかかわりあいには違いなく、介護される側の
マナーと言うか鉄則というか・・・態度が問題だとつくづく思う。

少なくとも「介護される」側はいつもそれなりの「介護されているんだ」という気持ちを
持っていてもらいたい。それが分かれば病人ではなく、苦労しないよ・・・と言われれば
それまでだが・・・。

認知症で寝たきりで意思を表す方法もない人はまたそれで気の毒で何とか聞きだそうと
する介護側の努力が必要だが、一番厄介なのは頭がはっきりしていること・・口が達者で
あること・・・それでいて体が不自由なこと・・。
本人も思うように行かないからいらいらすることもあるだろうが生身の相手に
向かって何さまよ~と言いたいところだが本当に「何さま」であり、自分中心の
態度には腹が立つ。

まさに我が家はその典型で、家の中心で自分勝手な好きなことを繰り広げられては周りで
普通の生活をしている者にとっては悲しいのだ。


夫はメモ魔なのでトイレに行く回数をメモし、・・・それは素晴らしい記録なのだが・・・食べたもの、
飲んだもの、すべて一つ一つメモし、(食事をチェックされているようで献立に気を使う)
そのノートも何冊になっても捨てることは許されない。薬を飲むからと朝食が遅くなると
怒られる。ブランチなんてゆるしてくれない。

音楽を聞き、曲名、指揮者をメモ。ラジオでおかしい言い回しが出ると投書。
これらは煩わしいことではなく、むしろ老化予防にはよいことなのだが、その他が
それに比例して鋭く細かいのでついて行くのがそれはそれは疲れる。

その他訴えたい、言いたいことは山ほどあるがそれは百歩譲ってやめておく。

介護施設でそれを仕事としている人、利害関係のない人は簡単にその場だけ優しい言葉を
かけ、優しく対処することができるだろうが、すべて受け止めなくてはいけない家族は
言い知れぬ苦痛を持っているものだ。何事もその身にならないとわからないだろうが・・。


介護の面接

2011-12-17 | 介護生活
 夫が介護施設から家に帰り、実際は在宅介護が始まったとはいえ、家人では
どうしてもできない部分を介護保険を使い助けを求めることになる。

その前3年以上、施設に入っていた時は一年たち、二年経ち・・三か月ごとのカウンセラーとの
面接以外はスムースに時が流れて行った。

だが、いったん帰宅してから何回「面接」なるものが行われ何回電話連絡をしたことか!
近頃、来客が多く落ち着かない。

本当に一人住まいで介護が必要な老人だったらどうやって一人で対処するのだろう?

健常者が一緒に暮らしていてもその時間をしっかりあけなければ面接は出来ない。

まず、施設を動くときはそれまでの施設のケアーマネージャーと医師、本人、家族、地域のケアマネとの会議。

その後、ケアーマネージャーが生活を見に現れる。
介護用品のリースの会社の人が現れる。

健康診断に出かける。(健康診断書がないと入所申し込みができない)

次にデイサービスとしてリハビリと入浴サービスを受ける施設との連絡。
ケアーマネージャーの間で連絡をとってくれているのだがその都度、電話での確認が
必要である。

今日は新しい施設の人が二人、面接に見えた。
本人の様子を見ること、入所にふさわしいかどうか・・・そのチェックである。
この後、関係者が集まって担当者会議で決定され、うまく行けば年内にデイサービスが
始まると言う。

高齢者の送迎バスはよく見かけるがみなさんそんなに面倒な手続きを通ってこられたのか
不思議な気がする。
晴れてデイサービスが使えるようになるとまた次の問題が起こるのだが・・。