Yoshikoの『リビング』へようこそ

16年間脳梗塞後遺症の夫と101日間世界一周クルーズをした。その記録を「リビングを船に乗せて」として著す。

消費税値上げ前に

2014-02-28 | 日記
二月が終わって三月になり
「来月から消費税があがります・・・」というと
その前に買いものをする人々が増えるだろう。

私が外出しないから電気大型販店の事情を知らないだけで
冷蔵庫や洗濯機など大きなものを買い替えている人たちが多いらしい。

もっと大きいものは不動産、マンションなど飛ぶように売れているらしい。

我が家の電化製品を見回しても先日プリンターを買ったが
テレビもまだ大丈夫、冷蔵庫も洗濯機もだいぶ古くなっているけれどまだ使えそう
である。余裕がないから使えるまで使うことにしようか・・・。

それでも主婦。
なんとなく日常生活の買い物で
腐らないもの。
たくさん消費するもの
などは買いだめしておこうかな・・・という気持ちになる。

先日から洗剤、芳香剤、テイッシュ、トイレットペーパーなど
ついついたくさん買ってしまう。すっきりした納戸がまたいっぱいに
なりそうだ。
昨日車のトランクを開けたらテイッシュ五箱のものが二つも入っていた。
無意識に買ってしまっていたと苦笑する。

小さなちいさな主婦の防衛、抵抗、節約?である。

お悔やみありがとうございました。

2014-02-27 | 日記

母が亡くなってまだ5日しか経っていないのに
あっという間に広がってしまって毎日お電話をいただく。
またブログでも見ていただき、たくさんメールをありがとうござい
ました。
コメントも「これは公開しないでね」とのお断りと共に
数通頂いた。

有難うございます。

お一人一人にお礼を書かなければいけないのですがまずは
皆様にお礼を申し上げます。

悲しみに暮れるのは私一人ではなく、むしろ多くの方々が同じような
経験をされていると思うので甘えてはいられない。
母離れをしなければと他の題を書いていたが今現在の消息となると
母関係のことが多くなってしまう。

ブログをお休みしようと思ったが母に笑われそうでこんなこと、
やっつけなければ・・・と駄文を綴ります。

数件予約投稿で作ってあるものもあるのでとんでもない話題も
出てくると思いますがお許しください。

3月の「お別れの会」にご挨拶をしなければならずもっぱら
文章作りに追われています。

あわや、火事?

2014-02-26 | 日記
あわや火事になっていたかもしれない。

先日の転倒だって一瞬打ち所が悪かったら今頃病院にいたかもしれない。

そんな偶然と隣り合って生きていくのが人生なのだろう。

ピーポー、ピーポーと言う救急車や消防車のサイレンはしょっちゅう聞くから
マンネリになっていてあまり気にしない・・。もっと野次馬になって気にしな
ければいけないのだが・・・。

あるとき来客を送って玄関を開けたらちょっと前が火事だった。
大きな炎が立ちあがってびっくりしたが何をして良いか文字通り
「高みの見物」をしてしまった。

昨日もサイレンが鳴ってちらりと窓の下を見ると消防車だった。
「あら、救急車かと思ったのに・・消防車だわ・・・」とそのくらいしか
関心を持たなかった。

救急車が「左に曲がります」などと言っているとマンションに入ってくるのか
覗いてしまう。
(自分が救急車を頼んだ時は近くに来たらサイレンを消してください・・なんて
 頼んだっけ・・・)

昨日は何と消防車が駐車場に停まっていた。
別に大騒ぎしているようでもなく人も出ていなかったのでそのまま部屋に入って
しまった。

夕方また消防車が来ていた。うちの駐車場の隣に停まっていたので
ちょっと聞いてみた。
「まあ、火事と言うか・・・火事寸前だったですね」と
教えてくれた。

他人事ではない・・。私は独りで怖くて天ぷらなど揚げものは出来ない。

我が家の下の方だったらしいから本当に火事になっていたら類焼はまぬがれたとしても
大水を浴びていただろうし車椅子の夫はどこに逃げればよかったのかと
ぞっとした。


母への讃歌

2014-02-25 | 日記
母への讃歌


讃美歌510番
     
1  まぼろしの影を追いて
   うき世にさまよい
   うつろう花にさそわれゆく
   汝が身のはかなさ

(くりかえし)
   春は軒の雨、秋は庭の露
   母はなみだ乾くまなく
   祈ると知らずや

2  おさなくて罪を知らず
   むねにまくらして
   むずかりては手にゆられし
   むかしわすれしか

3  汝が母のたのむかみの
   みもとにはこずや
   小鳥の巣にかえるごとく
   こころやすらかに

4  汝がためにいのる母の
   いつまで世にあらん
   とわに悔ゆる日のこぬまに
   とく神にかえれ

子供のころから何百回も歌ってきた讃美歌。
母の愛唱歌の一つで先日歌いました。
特に2番の歌詞、4番の歌詞,たまりませんでした。 

母は旅立ちました

2014-02-24 | 日記
母は旅立ちました。

2014年2月22日午前1時55分弟夫婦に見守られながら
101歳10カ月と5日の生涯を終え、父のもとへ旅立って
しまいました。

その7時間前まで私は母の手を握りながら耳元で讃美歌を歌って
いました。酸素吸入をしていたので呼吸が苦しそうでいつもは
一緒に口を動かして歌うのにもう口をうごかすことはありません
でした。ただ手をしっかり握り返してくれるので嬉しかったです。

又明日来るから・・と言ってベッドサイドをはなれました。

たくさん甘えることができました。たくさん話すことができました。
でももうできないと思うと悲しいものですね。何も手につきません。

親族が集まってお別れの式をした後、夕方母は献体のため病院へ連れて
行かれてしまいました。
「行かないで|~」とすがりたい気持ちでした。

3月に東京で告別式(お別れの会)を予定しています。

度々ブログに登場し最期ははらはら皆様にご心配をおかけして申し訳
ありませんでした。

母は勇敢な明治の女性でした。
もう少し落ち着いたらお話ししたいと思います。



俳句の先生からいただいたお花と

本当にに辛い時は

2014-02-23 | 日記
人は本当にに辛い時はどうして解決しているのだろう?
誰だって悲しい時、苦しい時、辛い時があると思う。
一番の薬は”時”だと言うことは知っているけれど・・・・。

食べることもできない。どこかに出かけることもできない。
嫌なことを忘れて楽しいことを考えたらいいと思うのだけれど
その勇気もない。お酒を飲める人は羨ましい。酔って自分を忘れたい。
睡眠薬を飲んで深く眠ってしまえばよいのだろうが遠くの部屋に寝ている
病人を思うと深く眠ることは危ない・・。

誰かに電話で聞いてもらうと少しは気分が軽くなる。
話しているうちに何か良いヒントをもらったり、気付くことが出てくる。
「聞くだけだったらいつでもどうそ!」と言ってくれる友達はたくさんいるけれど
どうしてもこの頃は話せなくなった。

そこで”あるお荷物”、”悩み”を投げかけたら、しばらくの間その友達にそのことを考えさせて
迷惑をかける。自分もいろいろ詳しく話したいが話すのは疲れる、

メールもしたくない。手紙も書きたくない・・。
何もできない。

じいっと考える。

一番の救いは?今自分が病気でないことだ。
自分が病気になると何もできない。健康であることを先ず感謝して他は我慢しようか・・。

やはり”時”が解決してくれるのだろうか?

もし、自殺したら
「なぜ一言相談してくれなかったの?」と皆言うだろう。
相談できる力があったら自殺などしなかっただろう・・・と私はいつも思っている。、

凄い!真央ちゃん

2014-02-22 | 日記

昨夜はやはりライブで真央ちゃんの演技をみた。
前の夜はまさかの16位。真央ちゃんが6位だってびっくりするし10位だってうそ!と
思うのに、16位なんて信じられない、目を疑った、耳を疑った・・・そして頭が
真っ白になった。日本中の人達がため息をついたと思う。

本人も何が起こったかわからないと言っているし、コーチの佐藤氏もキツネにつままれて
いたような感じだった。

あの後インタビューを終えてどんな気持ちで何をしたんだろう。

私だったら泣きに泣いてもうできない・・・自信がない・・死んでしまいたいと
落ち込むだろう。

どんな一夜を明かしたのか、けろりとしたすっきりした顔でリンクの練習をしていた。

もういい、どんな形でも好きなことを楽しんで滑ってと祈らずにいられなかった。

立派な滑りをして目的としていたジャンプを全部成功させ堂々と終わった。

偉かった!真央ちゃん!
お母様に喜んでほしかったでしょう。お母様は天から見ていらしたわよ・・・と
思うだけで涙が出てきてしまう。

朝からテレビはフイギャースケートのことばかり。

他の今まで聞いたこともないような種目があっていろいろ教えられる。人それぞれに
苦しい期間、大変な歴史があるのだなと思う。
エネルギーと生きる力をもらったような一日だった。

フレンチトースト

2014-02-21 | 介護生活
朝昼晩、食事しか楽しみがない病人だから
毎回メニューに頭をひねる。

特に朝などは一度気に入ったものがあると続けると楽なのだが
やはり和食、洋食代わりばんこに目先を変える。

パンとトースト・・という一見、簡単そうに見えるものが、わりに
面倒である。まずトーストしたパンは四つに切り、バターを塗って
一枚づつブルーベリージャム、ピーナツバター、はちみつなど
日替わりでのせる。そこまでしないと片手しか使えないので
上手に食べられない。

そこで先日からフレンチトーストにした。
これは柔らかいのでフォークで自分で切って食べられるのだ。

しかも良い方法を思いついた。

夕食の洗いものが終わった時に牛乳、卵、砂糖をといた
中にパンをつけておくのだ。


一晩でしっとりとパンが汁を吸いこんでくれるから
柔らかいおいしいフレンチトーストができる。

私の体調が悪くてもその用意がしてあると卵料理をつくらなくて
済むので気が楽である。

本来ならフォークとナイフを両側に置き、朝食のセットの写真を
載せるべきなのだが・
・・

確定申告

2014-02-20 | 日記

一昨年までは税務署に出かけ一日がかりで気が重かったけれど、去年から郵送することにしたので気が楽になった。
この種の用事は本当は嫌いだけれど、好き、である。

勤務時代も年末調整の紙をもらうと翌日に提出するのが大好きだったし、夫がもらって
きた用紙も翌日提出するように万事備えておくのが好きだったのだ。

それはこのような事務的なことが大嫌いだからキライと逃げ回らないように日頃から
郵便物の貴重な書類を集めていざという時すぐそろえられるようにしたのだった。

と、偉そうなことを言っているけれどやはり面倒だ。

生命保険も新旧と二種類になり計算が複雑になった。説明に従えば何でもないのだが
はたしてこれでよいのかどうか?そう思っていつも税務署に行っていたが、駐車場は混雑し、書類を作るところもむんむんとして税務署員が得意そうに回ってくるあの雰囲気がきらいだ。
親切に見てくれたらうれしいのに、この時とばかり優越感に浸って威張っているように感じる。

今日は珍しく目もしょぼしょぼせず体調が良かったので早目に昼食を用意し、部屋にこもってやっつけてしまった。これですっきりした。明日どうなるかもわからないから早く終わっておこうと気になっていたので・・・。

こんなことも健康でないと進まないことがよく分かった。


虫の知らせ

2014-02-19 | 日記


虫の知らせ・・・と言っても母のことではありません。

このところ題をつけるのに神経質になってしまう。
「世界一幸せな・・・」と書くとそのあとに「母の人生」とか
「母の最期・」・・などと想像されてしまう。それだけ心配してくださっている
方が多いのだが・・・。

いつも一人で生活しているN子さんに
「お元気~?」と電話をする。たいてい夜、夕食後で彼女は携帯を
持っているのに使わないからわざわざ携帯にかける。

「元気よ~」「じゃあまたそのうちね~」と一週間の近況を話して終わる。

今日はまだ日が沈まないうちだった・・・。

夕方買い物に出る彼女だからお留守かな?携帯は持って歩かないし・・・と思って
何気なくかけたのだ。

「はい。、○○の携帯ですが・・・」と若い女性の声。
びっくりして聞いてみると
「今、母はこれから入院するんです。今、荷物をとりに家に来たところです」と言う。
「ちょっと待って!今顔を出します。」と彼女の家の前まで飛んで行った。

不思議。まさに虫の知らせ・・。とはいえ何か感じたわけではない。
でも一人暮らしのN子さんの情報を知らなかったら何も役立たないまま
彼女は退院してきたかもしれない。

明日早速お見舞いに行ってみる。

スッテ~ン! 転倒

2014-02-18 | 日記


雪かきをするのは何よりも滑るのが怖いから・・・。
一番怖がっているのは私に前科があるから・・・。

公道は雪いっぱいだけれどマンションの敷地はすっきり、真っ黒な地面だと
嬉しくなって夕方郵便物をとりにいく。

上から眺めていると屋根から落ちていない雪が多く、これ以上降ったら
屋根が壊れてしまうんではないか、早く溶けて落ちたらいいのに・・・と
眺めていた。

数メートルで家のドアになると言う一軒お隣の前でつるりと滑り
あれよあれよという間に気がつけば真上を向いた状態になっていた。
「きゃあ~」と声を出してしまってもそう聞こえるものではない。
家には夫はいるが聞こえないし、助けに出てくれない、
どんな時もいつも私は一人で対処しなければならない。

雪かきをしてあったのだが溶けだしてほんの少しシャーベット状の雪が
あった・・・それを踏んでしまった・・・と言うことしか考えられない。

何もない乾いた場所がたくさんあったのに・・。

まさに兼好法師の「高名の木登りの話である。

体中が痛いけれど幸い頭は打っていないし、全体的に痛いだけなので
骨折など大事には至っていないようだ。昨日の雪かきの痛さは二、三日
遅れて出てくるだろうに明日から体中痛くなるだろう。

救急車騒ぎだったら全国で1650人が雪で怪我をしたそうだから一名増えただろう

又も大雪

2014-02-17 | 介護生活
又も大雪に見舞われた。神奈川県では14日が県立高校の入学試験だったので
15日の大雪はその点では前の日でなくてよかった、土曜日でよかった・・と
は思った。


あまり晴れていなくてこれから雨になるかと思われたが10時ころ再び自治会から
「雪かきをしましょう」との放送があり、住民の有志が働いた。前回ほどひどくないと
言われていたのでたかをくくっていたが、さにあらず・・・重い雪で雪かきは大変だった。

外の道路は車の轍(輪立ち)が上下二本ずつついているが、バスは運休。
乗用車の幅なのでトラックは苦労して反対車線にはみ出したりしているが
とにかくどの車もそろそろ恐る恐る走っている。


何となく都会人は・・・雪を知らない人達は・・・お天気がよくなれば雪はすぐ溶けると
思っている。(らしい)だから近くの一戸建ての家の人達は全く雪かきをしない。
その細い道はいつまでも真っ白に固まっている。一週間前の雪がやっと溶けたと
思っているところにどっさり降ったのに、又知らん顔をしている。

まだ当分外に出られない。

雪国から来た友人に、
「こんな雪、雪に入らないでしょう?」と言ったら
「いえいえ、札幌ではもっともっと降るけれど設備が整っているからなんでもないのよ。
 除雪車はでるし、歩道は雪がないし・・・・」と言っていた。
すべての雪国ではないだろうが、設備のあるところはその意味では”都会”なのだ。

東名高速や他の道路で動けなくなった車がたくさんあるとのこと。
そんな場に居合わせたらどうなってしまうか・・・ぞっとする。

スコップはあるが長靴、滑らない靴がないので
そのうちに買わなくてはと思っている



TV受信不可

2014-02-16 | 日記
羽生結弦選手、金メダルおめでとう!
本当にうれしいニュースである。

ショートの演技で101点も出した後のフリーで金が決まると聞いて
夜中にぜひライブで見たいと頑張って起きていた。実際は3時ころだったの
だろうか。

第3グループに入りその最後に町田樹選手の番がやっと来るだろうと
楽しみにしていた。外はしんしんと雪が降っている。風の音もビュービュー
吹き付けて嵐のようだ。

2時28分、テレビがパット消えた。

台風の時もそんなことはなかったのだがマンションの屋上にある集合アンテナに
異常があったようだ。

      只今放送されていません。
      「決定」ボタンを押しアンテナの状態をチェックしてください。
      雪や雨等の影響により受信出来ない場合があります。

とかいてある。「決定」ボタンを押すと受信強度は34とでる。60以上にしないと
テレビは映らないんだそうだ。

せっかく起きていたのに、日本選手の演技が見られない。

パソコンを開くと演技ごとにランクは出る。ラジオをつけたら実況をしているので
見ることは出来ないが順位や点数は分かる。しばらく聞いていたがフイギュアスケートの
ラジオの実況・・・って難しい。つまらない。分からない。
眠くなって寝てしまった。

羽生が金メダルをとったという結果は一言5時のニュースで聞いたが
映像はBSだけが見られたので7時のニュースでやっと見られた。
その瞬間をライブで見たかったのに、とんでもないことが起こってしまった。


昼間は一日中何度もフリーの演技をみた。インタビューもはきはきと答えていて
感じのよい青年だなと思った。


名乗れなかった”再会”

2014-02-15 | 日記

出発直前の快速急行に飛び乗った。車内はほぼ満席で2,3端の席が空いていたので
座った。ラッキー!待ち時間のロスもなく電車に乗れ、座れた。

座るとき隣に座っている婦人をみて「あれ?」と
思った。20年前から10年間ダンス競技をしていた時一緒に練習していたM子さんだと
思ったのだ。だが隣同士になってしまったので見つめ合うこともなくその人の持っている
荷物を見たり何かプリントを見始めたから名前がないかな?とチラ見していた。

どうしよう?声をかけて違ったら恥ずかしい。ここは仕方がない黙っていよう・・。
そのうちその人が携帯をチェックし始めた、すぐしまったが
「そうだ!」メールしてみよう。
それがすぐ鳴って出てくれたら私と分かる。電車の中だから電話は遠慮した。

簡単なメールを書いて送った途端、車掌さんが回ってきて
「こちらの席は携帯ご遠慮ください」と言われてしまった。
慌てて座ったので吊皮が黄色とは気がつかなかったのだった・・。

翌日彼女からメールが来たので、すぐ電話した、
「あなた昨日○○駅から電車乗らなかった?そして××駅で降りたでしょ?
紫色のコートを着ていらした?・・・・」

「そうそう、それ私だったわ。
隣の人に車掌さんが携帯注意していたからここはダメな席だな・・・と思っていたの。」

やっぱり・・・・。

10年ぶりに隣同士に座ったのに結局名乗らずに別れてしまった。

こんなこと たくさんあるのでしょうけれど・・・。

101歳の乙女心

2014-02-14 | 介護生活
いつもは母の見舞いにお客様を同道するのだが今日は一人で出かけた。
何となく今まで何も親孝行できなかったことが気になって今日こそは懺悔を
しようと出掛けた。
目を閉じていても眠っていないからちょんちょんとつついてね言われていたので
ちょんちょんとするとすぐ目を開けて「あら?」と喜んでくれた。

「今日はゆっくりずっとそばにいるわよ)と言うと
「嬉しいわ~」『うれしい・・・』と何度も言う。

「お母様と私、一度も喧嘩したことないわねぇ~」なんて昔話しをするものの
照れ臭くて(何もできなくてごめんなさいね)との言葉は出なかった。

今日は何を着て行こうかと考えて昔、母がくれたロングカーディガンを着て行った。
「あなた、いいの着てるじゃないの・・」
「これ、覚えてる?お母様が下さったのよ?」と言うと
「覚えていない」と言う。

それもそのはず上等なものをいただいたのだが裏がしっかりついているので重くて
とても着られない、あなたきてちょうだい・・・と言ってくれたので自分には親しみが
ないものだったのだ。
だから覚えていなくても仕方がない。母がくれた指輪やネクレスをしていくと
喜んで「覚えてるわ~」と言ってくれるのだから。

ここまでで話しは終わりになっていいのだが・・・・

101歳の乙女心はまだ出てこない。

「ホント、良く似合って温かそうでいいわ。あなたそれが古くなって飽きたら
 わたしにちょうだい・・・」と言うではないか!!!!????

「いいわよ、いつでも・・・』と言ったのだがびっくりしてしまった。

まだまだ着るものまで気にしている。
昨日は病院に入っている美容師さんにヘアーカットをしてもらったと言う。

病院にいて病人であるのにしっかり化粧道具のポーチは引き出しにはいっている。

夜、「一人娘がずっとそばにいてくれたのが特にうれしそうだったよ」と弟からメールが来た。


白地に青い小さい花柄のロングカーディガンは確かに重いがとても温かい。
写真を載せようと思ったが何方が下さったかわからないし、もしその方に
知られたら(母が着なかったということを)申しわけないのでやめました。
ロングなので前には金ボタンが10個もついています。