Yoshikoの『リビング』へようこそ

16年間脳梗塞後遺症の夫と101日間世界一周クルーズをした。その記録を「リビングを船に乗せて」として著す。

朝の確認

2015-02-28 | 日記

お友達と会う時必ずその日の朝確認の電話をする。

久々のデイトだと日にちを間違えていることがあるからだ。

相手が携帯を持っていないと待ち合わせ場所でハラハラする。

お互い様に年を取り日にちを間違えることがある。
携帯を持たない友人に待ち合わせ場所から電話したらまだ家にいたことが
あった。だからお互いのために
朝電話するのだ。

先日朝電話したが携帯も家電話にも
繋がらない。何度かけても繋がらないので
不安になった。
たまたまシャワーだったりごみ捨て
だったりお散歩だったり運が悪かった
ようだ。

これからは前日の夜確認しようと思った。


開店事故

2015-02-27 | 日記

こんな言葉は聞いた事がなかった。
文字通りお店が開店出来ない事故
である。

携帯ショップは混み合うから開店一番に
飛び込むつもりだった。

駐車場はたった一つだけ端っこが空いていた。なんどもなんども切り返して
やっと入れた。

ほっとしてお店にむかうと外にぞろぞろの行列。
すると店員が
すみません。鍵を持っている者が遅延
してまして鍵があかないのです
と言う。

それなら番号ふだでもだしてよ
と言う人。

携帯の会社なのに連絡がつかないの?

などざわついてきたところに一人の
男性が駆け出してきた。

そして黙って鍵をあけた。

ほっとはしたものの一言も謝らないとは
どういうことだと客は怒り出した。

開店して仕舞えば平常通りで後から来た人は何も感じない。
私も各お店がどうやって開店するのか
考えたことはなかったが、当番が
鍵をあづかり早めに来て
開けるのだろう。

その鍵を開けた人に応対して貰ったが
酒気がプンプンだつた。
きっと寝坊したんだろう。


父母を偲ぶ兄弟会

2015-02-26 | 日記
私の兄弟は私が一番上で弟が四人いる。 一人妹がいてくれたらどんなに 良かったなといつも思う。 兄弟がいない方もおられるから 贅沢は言えないけれど妹がいたら 人生が変わっていただろう。 一番下の弟が生まれるときは 女の子を期待していた。 9歳違いだが私はおしんのように 井戸端でオムツの洗濯をしたものだ。 晩年母も あなたに1人妹がいたら良かったわねーと言っていた。 女1人男4人の兄弟だが仲良しだ。 父母がそれを一番喜んでくれていた。 父母が元気だったころは、それぞれの誕生日に集まっていたが、最近は 年に2回会うことを決めている。 2月は両親の命日なので、先日展覧会の最終日に集まった。 次は父の誕生日月の9月に会う事が 決まっている。私以外は配偶者を連れてくると全部で9人になる。 いつまでも元気で集まりたいものだ。

母の隠れ作品

2015-02-25 | 日記

母の展覧会にはお別れ式の時と同じくらいの方が

見にきてくださって感謝だった。

こじんまりした素敵なギャラリーに
作品は並べてあり初めて見るものも
たくさんあった。

驚いたことに母は子供の時からの
習字の作品はもちろん、日記、作文
など虫除けを入れて風呂敷で保管して
あったのだ。また絵画も素晴らしい物が
残っていて、みんなをうならせた。

母の子供の頃の作品など一度も見せて
貰ったことはない。話にも出なかった。
我々子供たちが一番驚いた。

今頃どこかで
うふふ、本当はこうだったのよ~えへへ
とお茶目に首をすくめているだろう。



あまりの驚きにこれが本当の最後の
展覧会とおセンチになっていたのは
払拭され爽やかな気分になり
力をもらった気がした。母は不思議な
ひとである。


ダン-百-源氏

2015-02-24 | 日記
土曜日はダンス、百人一首そして源氏
物語の日であった。
三つも重なってしまってどうしようと思ったのだが無事に公平に終えることが出来た。

それは三つともおやすみしたのだ。

いつもは水曜日にある百人一首が
公民館祭りでオープン行事として一般解放されたからである。

どうしてもダンスを休みたくなかったので、ダンスを途中でぬけて同じ会館で
している百人一首に参加する予定だった。

だがそれも相当切羽詰まった行動に
なる。

そのあと源氏物語の講義に飛んでいか
なければならない。また車の中でおに
ぎりの昼食になるか?

でも今日は体がそれどころではなかっ
た。一週間寝ていると
どれも自信がない。

早く元気になって全てをこなしていきたいがやはりあまり混雑しないように
予定を整理しなくてはいけないなと
思っている。

さようなら坂東三津五郎さん

2015-02-23 | 日記

人気のある歌舞伎俳優がまた一人
いなくなってしまった。

坂東三津五郎さん。21日すい臓ガン
のため59歳で亡くなられた。

踊りには定評があり舞踊の名手として
皆から愛されて人気のある歌舞伎界の大きな星だった。

お病気らしいと噂を聞いていたので
毎月気にしていた。

五年前大山歌舞伎を見るバスツアーに
行って楽屋を訪問し写真を撮った。

私には三津五郎さんというより
八十助ちゃんのほうが親しみがある。

彼が小学二年生の時私は青山学院で
英語を教えた。
二年桜組に行くといつも守田壽君は
欠席だった。
あらまたお休みなんですねと私が言うと
他の生徒は当たり前の顔をしていた。

歌舞伎のために休んでいたのが
壽君だったのだ。

ほっぺがほんのり赤い色白な可愛い
坊やだった。その印象があるので
立派になったすがたを見ても密かに
身内の気分だった。

50年後に再会した時は僕は英語が2009 9 17
苦手だった、、、と笑って、、、。

平成12年に勘三郎さん、13年に団十郎
さんが亡くなり
歌舞伎界の大切な人がまた一人いなくなって本当に悲しい。

ご冥福を祈ります。


母の遺作展

2015-02-22 | 日記

母が亡くなったのはちょうど1年前
だった。日付が22日に変わってすぐだった。2月は1日が父の命日。
22という日も父、私、弟の誕生日でもある不思議な日だ。

あの時は夢中でまだしッカリ泣いたことがない。
実家に向かうと家の前で悲しくなる。
教会へ行くと隣の席に母がいなくて
寂しい。

まだしっかり別れを実感していないのだが弟が知り合いのギャラリーの方と
相談して遺作展を鎌倉で開いている。

たくさんある作品を展示し購入していただいたら寄付の大好きだった母の
遺言に従って全国の教会や施設に
寄付する事になっている。

母のお弟子さんは全国区だが
なんと初日一番に来られた方は長崎県の諫早市からの方だった。日帰りで
早く行って好きなものを選びたいとの
ことで、恐縮した。

18日から23日迄の開催だが、私は
最終日に行かれるかどうか。

母の空気まんまんな所、今まで何度も 展覧会はあったがいよいよこれが最後と 思うとたまらない。 多くの作品があちこちのおうちにもらわれていきかわいがられることだろう。 作品との最後のお別れをしに行かなくて はならない。

病気の反省

2015-02-21 | 日記
今回突然の病いに襲われたが、
不幸中の幸い脳梗塞や心臓発作
でなくてよかった。

テレビでは毎日のように介護について
報じられているがどれもきちんとした
結論がでていない。息子が親の介護をすることを息子介護というそうだ。

私の老老介護は妻介護というらしい。

私の悪い癖で頼られるのは好きだが
たよることができない。

子供達も母親は何とか一人で出来て
しまうと思っているらしい。

ヘルパーさんにきてもらったら
とか宅配を頼めばとか助言をいただいた。

どうしても体が言うことを聞いてくれないほど辛かったので
わざと究極の卵ご飯をだしたのに
全く理解して貰えず効果はなかった。

いつも夫の喜びそうなものを考えて作っ
ているがそんなことあまり気にしなくて
良かったんだと再認識した。

あとネットスーパーに朝頼むと適当な時
間に配達してくれる。

食事の宅配などお金をもらっても
私は遠慮したいがテーブルについている
人にはなんだっていいんだ。

体も心も辛がっている私に向かって
無理難題を言い、新聞は1枚も捨てて
くれない。

早速今日はシャワーの介助をした。

私は元気になって本当に嬉しい。

進歩はないが今回のことでまたいろいろ
心がまえが必要と感じた。

病気4日目

2015-02-20 | 日記
夜中に夢を見たのかもしれないが背中
の真ん中でピーという音がして
病気はなおったという気がした。

そして寝返りをしてみると痛くない。

それまでは足が冷えて痛くて今度は足にきたか憂鬱だったのに。

そこで実際に寝返りをしたのが不思議
だけれど。

ベッドから楽に起きられるようになった。

だが気がつくと昨日は何も食べていない。くず湯をそっとお腹にいれた。

他人の病気の話などつまらないだろうと思いつつ、明日は我が身ですよと
思っていただきたかった。

幸いiPad、iPhoneのおかげで発信が
出来た。布団から手を出すのは寒いし手が疲れるけれど少しずつかいてきた。

パソコンをあけられないので字の大きさ太さが変えられないものになっている。

なおったなおったと自分に言い聞かせ
ているけれど、新しい薬も処方してもらっているけれどまだ身体の芯の痛みが
ある。

ラッキーな事に四日間は予定が入って
いなかった。それに朝から晩まで
眠り続けていたので1日日にちを間違えていた。もう1日休養出来る

病気3日目

2015-02-19 | 介護生活
昨日は夕方から元気になったので病いは
良い方に向かっているとおもっていた。

たいてい1日か
2日で、私は元気になる。

今日はもっと苦しい。

ベッドの上にこしかけてから起きるのだがそれが出来ない。腕がいたくて
折れそうになる。

やっと起き上がってもまっすぐに歩けない。それが夕方6時頃までつづいた。

それでも何もわからずに口をあけてまっ
ているひとがいる。

皮肉なことにピンポーンがなんどなったことか!

宅配便 生協 ダスキンなど奥の部屋から必死に応対に出た
一応家の事をするので夫は私がさぼって
いるかのように思ってかもしれない。

薬を飲まなくてはとパンをちぎって
やっとの思いで飲み込む。
それを二回したけれど一枚のパンはまだ残っている。

夫とは一言も話さない。

夕方ご飯を解凍して卵をわり
卵かけ御飯にして食べてと準備して
又私は寝てしまう。

冷凍庫には何日分かの食材はあるが
卵ごはんだって生きていける。

私が大変な事をわかってほしい。

8時過ぎに出て行って
もうねるでしょ?といったら
まだ夕食食べてないと言われてしまった。

病気2日目

2015-02-18 | 介護生活
夜中3時頃目がさめる。体がバリバリで痛くて目がさめたのだ。寝返りも打てない。

どうして良いかわからないので
水を飲んでみる。水が体の中に入って
いくと少し楽になるような気がする。

どうししようと眠れないでいると向こうの部屋で音がする。まだ4時というのに
夫は起きてリビングに出てきたのだ。

まだまだ7時頃まで寝ていてほしい。

夜はなかなか寝ないのに毎日早起きで
電気も暖房も不経済だ。
それに起きなければというプレッシャー
が辛い。

急に悪くなりあっという間に私は
死ぬのかと思ってしまう。


8時頃やっと起きて行く。

夫は食事用のエプロンをして待っている。どんなに辛くでも兎に角食事を用意するので当たり前と思っているのだろう。

ふらふらになりながら用意をすると
いやもう朝食は食べたと言う。
昨日の事を言っている。

見事な認知症。

それならお昼に食べてねとラップをして
おいておく。

血圧を測れ、大丈夫かというけれど
あなたが新聞を捨ててくれたら
ストレスが減ってこの病気は治ると
言いたい。

仮面鬱病の症状なので午後からクリニックに薬を貰いに行く。

病気1日目

2015-02-17 | 介護生活
悲しいかな病いには勝てない。
起きようとしても身体中が痛くて
起きられない。身体がガラスで
出来ていてバリバリ音がするような
痛さである。

夫は4時過ぎに起きて朝食をまって
いる。私の起床は7時過ぎ。

私の起きるまで待っているのだが
流石に私が起きていかないものだから
死んでいるのかと思ったらしく
えっちらおっちら私の部屋を覗きに
来たのだ。初めてだ。

車椅子が通れないように物を置いて
いたのに。


仕方なくパンとジャムだけ出して
また引っ込んだ。

突然の病いで二年前救急車で入院した時に気分は似ている。

昼は適当に冷凍庫の中の物を食べさせ
夜はお蕎麦やから天せいろを取った。


店屋物はこういう時のために
取ってある。

老老介護の一番こわいところにさしかかっている。

保険の見直し

2015-02-16 | 日記
気がつけば横文字の保険会社の名前が多
い。アから始まる保険会社が多いので
間違えてしまう。

セールスはインターホンで大抵断ってい
るが何かの拍子に一本入ってしまう事
がある。

電話の勧誘にも二度負けてしまった。

ダメねえ~電話で会話をはじめては
いけないのに、
「それは終身ですか?」
なんて聞かれると終身の方が良いかな
なんて思って乗り換えたりしてしまう。

同じ条件のものに入っているのに
自分は車を運転するから傷害保険に
入らなければ、、、、と真面目に考えたり、、、。

整理しなくてはと数年前から思っていた
ところ保険の見直しをしてくれる人に
出会った。この人も玄関口まで「セールス」にきたのだが何回か接しているうち
に頼んでみる気になったのだ。

全部見てもらったら私の保険の傾向と
して死亡した時の保険にたくさん入って
いる。それを指摘された。

さらに全ての保険がとは言わないが
保険やさんは全く損をしないように
なっている。

あるものは、満期の金額が書いていな
い。
積み立てている中から毎年保険金が引か
れていて本当に満期になったときの満期金はほんの少しになることがわかった。

それなら今解約した方がお得?と教えら
れ面倒な解約手続きをする決心をした。
まあ、保険会社に電話一本かけ解約の
手続きをすればよかったのだが。

気が重かった保険を整理して少し
ほっとしている。

バレンタインデー

2015-02-15 | 介護生活

2月14日バレンタインデーだ。
孫が一緒に暮らしていた頃はキッチン
テーブルをチョコレートだらけにして
て手作りをしていた。

今年はジジババの静かな日を迎えた。

先日チョコレート大好きな夫に六花亭の
チョコレートを買っておいたので
"今日は何の日でしょうか"と言って
渡した。

何の日かとうとう最後までわからな
かったが
"そうかvalentine's dayか'と
正しい発音で喜んでくれた。

わざわざ買いに行ったのではないの
だが、目をつぶって昔の王子様への
ギリチョコ?である。

世間が騒いでいるからかわいそうと思い
あげたのに知らないでいたのだから
知らん顔してスルーすれば良かった。


嫁と姑

2015-02-14 | 日記

 

私の周りではあまり嫁姑問題の話題は
でない。でも仲良しの友達はさんざん
苦労してかわいそうだった。

だったというのはもう終わったというこ
とである。彼女はお姑さんの苦労。
私は夫の苦労を同じ次元でお互いに
こぼしあっていたのだ。

しかし気がつけば彼女の苦労は、

いつの間にか終わってスッキリしている。

その中で一つだけ私も身につまされる
ことがある。

そのお姑さまはいつもながしを
乾かしておかなければならないと
言われたそうだ。

流しは食器を洗うところ。
いつも乾かしておけとは無理な話。

あとで洗おうと置いた湯呑み
もあっと言う間にお姑様が洗って
しまう。

毎日ビクビクしていたという。

そんな苦労は氷山の一角で辛い辛い、別れたいと

ずっと言ってきたのだが一昨年お姑様は亡くなられたのだった。

今でも流しはなるべく乾かしていると彼女は苦笑していたが

、さんざん聞かされていたわたくし、他人のお姑様のお言葉
をしっかり守って流しを綺麗にする努力を日夜しております。