Yoshikoの『リビング』へようこそ

16年間脳梗塞後遺症の夫と101日間世界一周クルーズをした。その記録を「リビングを船に乗せて」として著す。

イチゴ

2016-02-29 | 日記


「ちゃんと食べてる?」と言ってO子さんがイチゴのパックを送って下さった。

近くのいちご園からの直送でこんな大きなイチゴ、見たことがないと思うほど大きく、味もよい。

ひとパックに7個か8個しかはいっていない。

思わず、
「わたしは真っ赤なイチゴです、、」
と、歌ってしまった。
だがこの歌は
「わたしは真っ赤なりんごです。
お国は寒い北の国、、、」という
ものだった。

4パックあったので近くの方におすそ分けしたけれど、不在票には10日間も
預かると書いてあったので、まだまだ一週間位ゆっくりとたべられる。

毎日すこしずつ、バッチリ、ビタミンCの補給が出来て感謝である。

お年玉年賀はがきの賞品

2016-02-28 | 日記


お年玉年賀はがきの当選を調べると、全く関係のない数字ばかり。数百枚あるのだからたまには何か当たってもいいではないか!
いったい、誰が当たるのだろう?と
思っていた。

今年も三等の切手が八枚当たっていた。

これでおしまいと思ったとき、書き損じたハガキがあった。期待もせずしらべたら、あら、あら、あら?4桁の数字は
まさに二等賞の物だった!!

賞品は年々簡素化して、昔はテレビ、自転車などあったのに、一等は十万円。
二等はふるさと小包として38種類の景品のカタログだった。

体重計などもありだいたい2千円から3千円位の物だ。トマトジュース30缶でも良いかなと思ったがちょうど壊れた電波歯ブラシにしようと選んだ。

郵便局でも、まだ珍しいらしく、手続きに時間がかかった。
それから一カ月して、忘れたころ日本郵便からの宅配便がこれだった。

20年くらい前、沖縄のグラスセットが
見事当たったことがあった。

FB に載せたら、本当にあたる人がいるのねと珍しがられた。

二カ月

2016-02-27 | 日記


夫がいなくなってから今日で二ヶ月になる。初めの一カ月は何をしていたか、何を食べていたか全く覚えていない。

その後の一カ月も同じようだから、私は何と弱虫なのかと思う。

こんなに早く逝ってしまうなら、毎晩ビールやお酒を心ゆくまで飲ませればよかったとも思ってしまう。
品切れになるのを極力恐れる私は常に1ケース予備を買っていた。私は全く飲めないので先日息子に引き取ってもらったが、、、。

脳梗塞の後遺症で療養していたのだから
お酒は控えるべきだっただろう。
本人は自覚していたので、私はデイケアに出かけた日だけ、ビールを出した。

それはそれは嬉しそうにちびりちびりと楽しんでいた。
だが、認知症と関係があるのか?飲むと乱れ、目が座り、荒れることが多く、アルコールを与えたことを後悔したものだった。

何人かのお友達が御線香をくださった。
御線香をたく道具がないので使っていないが、お香をいただいたのでたいてみた。

厳かな、静かなひとときが生まれる。

お香の匂いの中でじっと目を瞑ると
懐かしい、でも、厳しかった夫を思い出す。

二カ月の間、一度だけ、夜遅く帰ってきて、気兼ねしなくていいんだ!と気が付いたが、まだまだこれでよかったのだとは思えない。

あすから三ヶ月目に入る。
少しは成長しなくては、、、と思いながら、だらしない私である。

朝のデパ地下

2016-02-26 | 日記


用事があって珍しく朝早く、デバートに出かけた。自分ではずいぶん早く出たつもりで出かけたが、世の中の主婦様たちのバワーに驚いた。

用事を終え、せっかく来たのだからと11時頃何気なく地下にいったらそこにも、ここにも行列ができている。
あちこちに
「最後部はこちら」という看板がある。

最前列になると、遠くから
「4名さまどうぞ~」と声がかかり
その4名様が買い物ができる。

お店は空いて見えるのに、遠くで客が
並んでいるのだ。それが、一つや二つではない。デズニーランドのように向かい合って並んでいる所もある。

物産展も整理券を持った人々が並んでいた。

並んだとて、独り身にはおせんべいも漬け魚も多すぎる。今川焼きのお店まで並んでいる。

主婦バワーは凄すぎる。

さすがにシニアは少なかった。

ランチタイムはどのレストランも女性でいっばいになるが、もう一つの主婦の
実態?を垣間見た気がした。


胃カメラ

2016-02-25 | 日記
先日、超音波の検査の後、胃カメラの検査もした。

ちょうど一年ぶりである。

この検査は「検査をしてください」と
願い出ると検査料は一万円ほどになると聞いたが、病気繋がりの検査だと保険が効いてお安いと聞いた。

去年も今年もほとんど同じ時期に
「お腹が痛い」「胃が痛い」と言って
病院に行ったことになる。

二度と受けたくない検査だと思っていたのに
「一年経っているから見ておきますか」と言われ「はい」と言ってしまった。

一緒の待合室にいた人は
「私は鼻からだから検査中、先生とお話できますのよ」と言っていた。

私は口からだから、ゲェ~ゲェーとなってしまった。涙がでる。ゲェーゲェーしてもそれは流しぱなしにして飲み込んではいけない!!まさに戦場のような数分間だった。

やっ張りもう二度としたくない。

でも胃の入り口に炎症があるので検査をしますと言われた以上、今後もお世話になるのかもしれない。

鼻からの処置は前もって願い出ればできるのだろうか?次回聞いてみるつもりである。

肺炎球菌ワクチン

2016-02-24 | 日記
ずっと以前からテレビでは西田敏行さんが宣伝していた。市からも知らせがあったようだが私は気がつかなかった。

先日、友達に言われ、近くの病院に電話して依頼したのだった。

その病院は待っている人が少なく、空いている、、、なかなかいいじやないか、すぐ終わるだろうと思っていた。
が、後から現れた多くの人がどんどん診察室に呼ばれ、なかなか番がこない。

どうもまえもって、順番を予約しているらしかった。家にいて何があるというのではないが、待たされるのは閉口だ。

やっと呼ばれたら、口が悪くて有名なS先生は、いきなり、
「何でこんな時期に来るんですか?
インフルエンザでばい菌がうようよし
ているときに、、、」と言われてしまった。
「インフルエンザの予防接種はしてる の?」
「いいえ、かかったことありません。」
「みんな、かかったことない、という」
「でも、注意しなさいよ」と言われてしまった。

肺炎になったことないのに予防接種するんだから、、、。よくわからないのだが、高齢者用肺炎球菌ワクチン予防接種は、市が実施しているもので、一度接種したら五年間は接種できないという。

まあ、三月いっぱい、定期接種対象者と
なっているので、終わってほっとした。

副反応などが出ず、無事だといいのだが、、、。

それより、インフルエンザ万延している
病院に一時間以上いたので、うつっていないことを祈っている。

母の命日

2016-02-23 | 日記


2月1日は父の命日、2月22日は母の命日である。
丸二年経ったが、母はこの世のどこかの大学病院の中に身体は保存されている。

献体をしたからだ。

40年程前、献体する人が少なくて困っているという話を聞いた父母は率先して
名乗り出た。

近親者の2名以上の賛成が必要となり
母は一番に私にサインを頼んだ。

「いや、絶対にいや」と言って私は拒否した。親に逆らったのはこれが初めで最後だった。

母はがっかりしたようだが、弟達誰かに頼んだのだろう。

私は心ゆくまで母の亡骸とお別れをしたかったのに、案の定、翌朝母は葬儀社の車で何処かへ運ばれていってしまった。

近頃は献体する人が多くなり、なかなか
ご用にたつ日がこないとか!
あと二年したら解剖が終わった亡骸が戻ってくるので、そこからは普通のお葬式のように火葬場へ行くのだ。

この世の何処かにいると思うと複雑で悲しい。

いろいろ悲しい辛いことがあるとすぐ母に電話して聞いてもらっていたので、まだその習慣が治らず、母と娘の絆はいまだにしっかり結ばれている。

精神科の薬

2016-02-22 | 日記
壮絶な介護が続いていた時、私は体調を崩した。朝、体中が痛くて起き上がる事が出来ない。
何時間もかかってやっと起き上がり、朝食を作った。食バンをトースターに入れるのさえ、パンが重くかんじた。

あちこち、病気を回り、行き着いた所は
精神科だった。
安定剤など数種類の薬が出た。

藁を掴む思いで毎日飲んでいたが
天敵の夫がいなくなり、症状がでなくなった。
身体も痛くない。

薬はなるべく飲みたくないので、病院にも行かず、(先日、腹痛では内科に行ったが)薬はやめてしまった。

だが、介護うつのなごりか、重大事故に遭遇したためか、現実をうけとめられず、いまだに何も出来ず、めそめそして
外に出られない。

このままどうかなりそうだ。

とうとう、又精神科へ行った。

薬局の先生も
「これは軽い薬ですから大丈夫。
飲んだ方がいいですよ。」と言われる。

薬で、きっと元気になれる!!と信じて
毎食後服用している。

朝食

2016-02-21 | 日記


朝、一人には広すぎるリビングは暖房をつけても寒い。
テーブルの一角で一人の朝食はわびしい。

昨日、お友達が立派な苺を送ってくださった。ひとパックに8個しか入っていない程粒が大きい。

朝の果物のりんごに苺を一粒加えた。
新谷博士の酵素をのんでいるのでまず果物から食べはじめ、酵素を飲む。

パンは生協のこだわり酵母食パンを一斤半買って自分でスライスする。

今日のジャムは教会のバザーで買った柚子ジャムである。

夫は、ブルーベリージャムが大好きで
べったり塗ってそれを四つに切り分けた。手がベタベタになり面倒だったが、それも懐かしい思い出だ。

夫には水、牛乳、飲むヨーグルトを並べた。

目玉焼きは黄身が柔らかすぎても硬すぎても何か言われるので茹で卵がおおかった。これも剥いて半分に切った。

結構、面倒なことがあったけれど、
望むことができるならもう一度あの朝食の用意をしたい。

だいぶ割り切って元気になったはずなのに、涙がとまらない。

超音波騒動記

2016-02-20 | 日記


お腹の超音波の検査に行く。

ピンクのカーテンの中に入りお腹を出して横たわる。グリースを塗り検査がはじまる。だが途中まできて、膀胱にさしかかると検査医師は首をかしげ
「できない。無理だなぁ」と言う。

膀胱に尿が溜まっていないと検査ができないのだ。

それは知っていたが、私はトイレの間隔が近いので、家を出る前にトイレに入ってしまったのだ。

待っている間に我慢できなくなっても困る。タイミングが難しい。いつもは長く待たされるから、、、と思っていたら、
今日に限って時間がはやまった。

検査は中止になる。

沢山水を飲んで待っているように言われる。

下のロビーに行きスボーツドリンクを買う。着いてすぐにも500cc飲んだのだが。

私は一度にたくさん水を飲めない人なのにがんばった。その場で、ごくごく飲み干して、もう一本ヴォルビックの水をかう。

検査室前に戻り、またその水をのみほした。30分ほどしてやっとトイレに行きたくなり、ナースに告げると再検査をしてくれた。一度に1リットル以上飲んだのは初めてだった。

レスリング選手の体重増量のような気分だった。

藤沢 幸庵

2016-02-19 | 日記

藤沢の高級料亭、幸庵に何年ぶりかで出かける。
今年のグルメの会は一月はトゥーランドットの中華だったが、二月も豪華な和食である。
まず、お福茶と言って可愛いお茶碗での昆布茶。


あん肝の豆腐。


牡蠣と神馬草


鰯の刺身


菱形重の焼き物


鯛の椀もの


とびっ子の湯葉のお粥


道明寺


お薄

焼き林檎


と、以上のご馳走だった。
今迄で一番お値段もた高かったが
たまには豊かな気持ちになってしばし時を過ごした。

スマホで原稿をつくり、出来上がりを
チエックできないので、ご馳走の写真が順にならんでいるか、説明を受けたがいちいち書いていられないので、不十分な
説明をお許しください。

散歩道

2016-02-18 | 日記


家の中でくすぶっていると、身体はコチコチになるし頭は重くなり、よいことがない。

いただいたお手紙の返事を書き
それを投函するため、遠回りをして郵便局へ行くのは日課になっている。日によって道を変えるのは楽しい。

事務手続きの書類も、出しても出しても
次々とでてくる。

民家の庭先に梅の花が咲いている。

寒いけれど、もう春がやってきている。

朝から綺麗に身支度をしてきちんとメークして出かければ良いのだが、誰もしっている人にあわないからと、スッピンで
その辺のコートを羽織ってでかけていた。遠回りをしたり、歩道橋をのぼって
コンビニに寄り、お昼のサンドイッチを
買うこともある。

今日、郵便局に払い込みに行ったら
普通は読めない我が名前を局員が
ただしく呼んでくれるではないか!!

嬉しく、感激したけれど、名前を知られてしまった以上、これからは
きちんとしていかなければと
深~く反省した次第である。

車には雪が、、、

2016-02-17 | 日記


三寒四温というのか、温度差が急激で
びっくりする。
日曜日の春の嵐の日は気温が高かったし
翌日もあたたかかった。

今朝は家の中は寒くなかったが、
外に出たらあちこちの屋根がきらきらと
光っていてきれいだった。
昨夜、雪が降っていたのだ。

停めてある車はみんな薄く雪に包まれていた。

私もエンジンをかけるも雪を溶かさなければ、発進できなかった。数十メートル
走ると雪が溶けてくれたけれど、、。

久しぶりに隣町のデバートまで車をとばす。
何十年もの間、当たり前のように走っている道。確かに中距離の慣れた場所にいくには車は楽で便利である。

約四十年走っている。夫の送迎用に免許を取った。朝は勿論、真夜中の迎えに役立った。

そのうち、北里大学病院に入退院を繰り返し、その見舞いにも役立った。

もう送迎する人もいない。車をやめようとまず駐車場を解約したのだった。
もう取り返しはつかないのだが、複雑な気持ちでいっばいだ。

今朝の雪をかぶった発進が、何かを
象徴しているようで、不思議なドライブだった。

駐車場解約

2016-02-16 | 日記
長年お世話になってきた貴重な駐車場に
別れを告げることにした。

今日、マンションの管理事務所に行き
用紙をもらい、解約届を提出した。

ということは、車を卒業する決心をしたということだ。

当たり前のように一年365日車を動かしていたのだが、夫を病院へ連れて行くこともなくなり、そろそろこの辺でやめようと思ったのだ。

バス停は家の前なので、時間はたっぷりあるから上手に利用しようと思う。
タクシーも使えるし、、、。

そう思って一大決心をしたのだが、
寂しい、、、。

夫の追悼礼拝

2016-02-15 | 日記


春一番、春の大嵐の中、朝早く家を出る。

仏教で言ったらちょうど四十九日にあたる頃、夫の追悼礼拝を日本基督教団鎌倉教会でしていただくためた。

夫は洗礼を受けていたが、身体が不自由であったのでほとんど教会に行くことが
出来なかった。

だから、ほとんど教会の方々を存じ上げないのだが、優しい教会員の皆さまが
通常の礼拝後、残ってお付き合い下さった。

讃美歌、祈祷、聖書朗読の後、お説教では夫の略歴も披露していただいた。

最後に遺族代表として、私が挨拶をした。

結婚式をした礼拝堂、洗礼を受けた礼拝堂、聖餐式に預かった懐かしい礼拝堂で、多くの方々が夫を神の御元に送って下さった事を感謝し、お礼を涙ながらに
述べたのだった。