Yoshikoの『リビング』へようこそ

16年間脳梗塞後遺症の夫と101日間世界一周クルーズをした。その記録を「リビングを船に乗せて」として著す。

ある別れ

2013-02-28 | 日記
"別れ”なんて大げさなこと・・・・。

でもこれも確かに別れなのである・・・。

携帯電話の番号を整理してメールと携帯番号のある人には変更のメールを
出した。BCCにして出すときは4件しか送れない。4件づつ何度も何度も
送信する。だが2回に一件くらいの割合で
「このアドレスは使われておりません。」という知らせがはいる。

「あ~だめだ・・。番号が変わってしまった・・」
携帯に入っている番号だけが頼りでいつか必要ならこの番号にかければ
良い・・・と安心していた物がここでプツリと途切れてしまう。

また会う機会がある人はその時に聞けばよいが・・・もう二度と会うことが
ない人とはそこで関係が断ち切れてしまう。

私の番号が変わったので電話をかけてくれた人が同じ気持ちを持ち
不便に感じないようにと必死で変更を伝えたが何人かはそこでピリオドが
うたれてしまった。
所詮、人生は最後は別れるのだから仕方がないかとも思うけれど・・・
メールがなく電話だけの方にはわざわざかけてお知らせしないので
失礼が生じるかもしれません。

わたくしの新しい電話番号は

070 5014 ××××

この×のところは以前の番号と変わっていません。
もし、メールがなく私の電話番号を持っていてくださる方は
前の方を変えてくださいませ。


トランプ

2013-02-27 | 日記
お正月ころだったか、セブンブリッジを家でするようになって
少し家の中が和んだ・・・と友人にメールをしたところ、
「そう、なつかしい・・・。毎日が日曜日になったのだからたまには
セブンブリッジをしたいですね・・」ということになった。

時々、音楽会にいったり、お食事会をしたりしているがお一人が家を提供して
くださることになり、それでは負担をかけないようにお弁当を買って
集まろう・・・と言うことになった。


お昼ころ集まっておしゃべりをしたり点数をつけながらのトランプゲームが
始まった。昼間からトランプ?と言われてしまうかもしれないが世の中には
麻雀教室やらコントラクトブリッジなど朝からお教室が開かれているという。
 

何年振りかでゲームをするわ・・・覚えているかしら?なんて
言っていた人も夢中になり、きゃあきゃあ童心に帰って楽しいときを
過ごしたのであります・・。
 

 


こんなお集まり・・・お勧めです。


鬼のいぬ間・・・その2

2013-02-26 | 介護生活
先日「鬼のいぬ間」と言う記事を書いたところ、
会う人ごとにいろいろな感想を言われる。

実際、介護をしている人は
「全く家を空けられないから・・・」と言う人や
「とにかく”バンザ~イ”だから好きなことをする」
「とにかく寝ちゃうの」などなど・・。

”鬼”は何も病人様でなくてもご主人さまでもいいわけで・・。

一番好きなことをしたら?
ふだん銀行や買物はすませておいて特別なおでかけをしたら?」と
智恵を授けてくださる方がいらした。

確かにそうなのだけれど、不思議に解放されるとのんびりしてしまって
急に力が抜けて何か特別なことをしたいとは思わない。

やはり私も「寝たい」

ジムに行ってマシンに乗ったり、お風呂に入ったりするのは家に
「鬼」君の留守番がいてもできるのだがいれば気になって早く帰らなければ
と思い、今度気にならないときに来ようと思う。
だが自由な日になると何もこんな日にわざわざ来ることはないと
思ってしまう。

ないものねだり・・・かしら?

百人一首のイベント

2013-02-25 | 日記
座間市生涯学習フエスティバルの一環として百人一首のフェスティバルが
あった。最近では学校でも指導しているところもあるそうで主に小学生、
中学生が集まった。
生涯学習と言うと文字通り年齢には関係ないから老若男女シニア層ももちろん
多く見られた。

特別に全日本かるた協会A級読手である講師が見え分かりやすい百人一首の
覚え方のお話があった。
その後は元準クイーンとA級選手との対戦を見ることができた。

上の句の一字、二字が読まれるや、あっと言う速さで札はどちらかにとられる。、
一枚取るのに、押さえて一枚だけを取る場合もあるがせっかく並べてあるのにと
思うほど、並んでいる札全部を飛ばしてしまうときもある。
どちらが勝ったのかよく見ていてもわからない。

全員かたずをのんで見守っているうちにその模範競技は50分で終わった。

休憩の後、参加者はそれぞれ対戦相手を選び競技の実践に入った。
所狭しと沢山の対戦カップルが並ぶ。


中には1年生と4年生の坊やカップルも頑張っていた。頼もしい!!


だんだん普及されるといいと思いつつ、一日カメラマンに徹していたのだった。

韓流ドラマ

2013-02-24 | 日記
韓流ドラマに詳しい人がいる。
韓流ドラマにはまっている人がいる。
韓流ドラマを見て韓国語を勉強している人もいる。
とても楽しそうだ。・・・と思っていても一体
何チャンネルの何時かも知らなかった・・。

かの有名な「冬のソナタ」もあまり周りが騒ぐので
見ようと思ったら最終回の2,3回前だった。
後日友人がDVDを貸してくれたので全部まとめて見た。

何か決めてしまうと日々忙しくなるような気がして
シリーズものはあまり見ない。連続テレビ小説を
見たのは”おはなはん””おしん”以来最近では
”ひまわり”と”梅ちゃん先生”だ。

一月の終わりころ、さかんに新しい韓流ドラマが始まると
NHKが宣伝していた。
たまには初めから見ようじゃないか!と発奮した。

「太陽を抱く月」と「トンイ」と言うものだ。だが何と
両方とも日曜日の夜でBS21時からとNHK23時からと言う。
一晩に二つも!

両方とも録画をしてたいてい他の日に見るようにしているが
主役が同じ人。周りの人々が同じ俳優が多いので戸惑ってしまう。
シッカリ初めから見ているつもりでもなかなか人間関係が分からない。

しかも最近分かったことだが「トンイ」は2012年にNHKBSプレミアムで
放映されたのだそうだ。それが今回NHK総合で放映されると言うのだった。
おそらく韓流ドラマの先輩たちはもうとっくに御覧になっているのだろう。
60回放送というので先が長い・・。



母、退院

2013-02-23 | 介護生活
先日肺炎で入院をした母が10日経ち、退院した。
入院してくれて周りの介護もらくになり、病院では手厚く
看護をしてくれて点滴も何時間も出来てよかった!と思っていたのに
もう、出なくてはいけないのかしら?

弟から知らせが来た時に
「もう、出なきゃ、いけないの?もっとおいてくれないの?」と
私は言った。

「こちらから退院をお願いしたんだよ。あのままだと退歩して
しまうからね」と弟の返事だった。

なるほど、病院は寝たきり、定期的におむつの取り換え・・・
楽だけれど自分で歩かないから足はまず弱くなる。

101歳になろうとしている老人なのだからねていたほうが楽だろうと
私は思ってしまったのだが、弟の考えは違った。
その代りまた大変な介護が始まるのだ。

施設に入っているときは食堂までは歩いていくのが日課。
(リハビリのために母は車椅子を拒否するのだ)
トイレも自分で行かなければならない。
病院では食事もベッドに運んでくれる。
健常者から見てもそれが”らく”と思うのだが・・。

私は夫が嫌がって施設を出てきてしまい、多大な迷惑をかけられて
いるので出来るなら施設に入ってほしいと切に願っている。
施設の生活より自分の家の生活がなんと幸せなことよ!と言うことが
分かってくれるならいいけれど、次々と不満のみを言い続けられると
もうやっていられないのだ。

母と子供(弟)の関係は私のものとは違うと言うものの、
母のために、わざわざ“「不便な」生活を選び母に尽くしてくれる
弟はえらいなあ~と身内ながら感心している。

バイリンガル校歌

2013-02-22 | 日記
日曜日の朝テレビのチャンネルを回したら
「題名のない音楽会」をしていた。

出演は佐渡裕、青島広志などいつもの顔ぶれだが
いつもの音楽会場からではなくこたつ?を囲んでの
感じだった。

いろいろな校歌が歌われていた。
数人の合唱隊なのにとてもしっかり上手に校歌を歌っている。
いつも甲子園の勝者の校歌が聞こえるとき、あれはどうやって
だれが歌っているのかな?と疑問に思っていた。きっとこのような
合唱隊のベテランが歌っているのだろう・・・・と思った。

生き生き力を与えられると言う谷川俊太郎作詞の釜石小学校の校歌、
立川市の幸い小学校の校歌・・・そして難しくて歌えない校歌?など
紹介され、次に
「バイリンガルで歌える校歌があります」とのことだった。

「へぇ~珍しい・・・。どこだろう?」と見ていたら
「国際基督教大学の校歌です」とのこと。

えっ!そういえば50年前大学在学中は良くグリークラブで英語で歌っていた。
そんなこと、すっかり忘れていた。いつもは英語で歌っていたが作詞をされた
元ICU学長鵜飼信成氏がのちに日本語も作詞されたと聞いていた。

校歌は小学校、中学校のものだと思っていたのでいきなり大学が出てきて
おかしかった。

急に頼まれて歌ったのかな?グリークラブの人数は少なく私服で
アカペラであまりよくなかった。昔グリーではハモって素敵に歌ったのだが。





万能ハサミ

2013-02-21 | 日記
布団やじゅうたんは粗大ゴミとして市役所に電話で依頼すると
一件500円で収集に来てくれる。

タオルケットなどは布として出せばよい。

先日小さいカーペット、ラグを捨てることになった
粗大ゴミでもいいのだがこれを切り刻んだら燃えるゴミとして
出せるのではないか。

その時この万能ハサミが活躍した。
細かく切って何十回にもわけて燃えるごみとして捨てたのだ。


またほんの少し綿が入っている夏掛け布団も布としては綿が入っているから
受け付けてくれないと言うので根気よく小さく小さく切り刻んで
毎回燃えるごみに入れてしまった。

その他ステンレス板、鉄板、厚手の段ボール、ホース、コード、
枝切りなどに使える。

本当に万能である。

メールって

2013-02-20 | 日記
呼び出し電話の時代もあったと言うのに、携帯電話の普及で
便利な世の中になった。

恋人同士の連絡に一番朗報になったと思われる。

声が聞きたいとき、家の電話にする場合、今家にいるかな?
と心配したものだがどこにいても繋がるのだからありがたい。

それでも電話のできない状態にあるかもしれないし、一応、邪魔をせず
用件を伝えようとメールを打つことがある。

また、お礼などはとにかくその気持ちを伝えておこうと忘れないうちに
メールをする。

相手からメールが来て「ふ~ん、わかった」と納得して終わって
しまうことがある。悪気はないのだが用事はすんだと自分では思ったり
後で返事をゆっくり書こうと思いつつそのままになってしまうことがある。

相手は返事を待っている。(時もある)

その反対もあり、返事が来ないと
「忙しいのかな?」
「後で来るだろう・・・」と
思っているのだが何日も返事がないと
「何か失礼なことを書いてしまったのかしら?」と
自分の送信文を読み返したりする。

「あなたへのメールは一方通行だからな~」と
言われた時はっとした。

直ぐ了解!と言う返事をくれる人がいて私は助かっているのに、
人に対しては読みっぱなしが多かったのか・・・。

上手に利用しなければと思う。

呼び出し電話

2013-02-19 | 日記
携帯電話は本当に便利だ・・。

昔は名簿に(呼)と言う字があったね・・・と先日友達が言った。
ほんと、電話は各家にはなく、珍しい存在だったから、お隣に電話があると
呼び出しをしてもらったものだ。
「良く引き受けてくれたものだね」と言う話しになった。
古き良き時代の話だろうか・・。
「向こう三軒両隣」の今では考えられないほどの時代だ。
「なになにさん、電話よ~」と隣の人がとりついでくれた。
「あ~すいませ~ん」と駈け出して隣家の電話にでる。
居間に電話を置くと隣人を電話の度に食事中でも入って貰わなければ
ならないし、電話の内容は聞こえてしまうし…気まずいので玄関先に
電話を設置することが多かった。

だが、いちいち玄関まで走っていくのは大変だし、長電話になるときは
寒いし・・・・ソファに座って優雅に電話で話したいと夢にまで思ったものだった。

私の育った家では地域では早く電話が入ったので友達がよく珍しいものを見る
ために遊びに来ていた。(そうだ)
私はあまり覚えていないのだが小学校の男の子たちが面白くてよく家に
きていたと同窓会で話していた。

それが今では固定電話は入らないほど携帯電話の世界になっている。

恋人同士も便利でうらやましい。

相手の家に電話をすれば誰が出てとりついでくれるかわからないからひやひや
したものだ。
良くお父さんが出て「何者だ~」と言って電話を切ってしまう・・・なんて
言う場面は映画でよく見られたものだった。

JA宮崎中央・せんぎり大根

2013-02-18 | 日記
きりぼし大根は大好きで一週間に一度くらいの割合で箸休め用に
作っている。いつ食べてもおいしくて飽きない。

自分で大根を切って天日干しにすることもあるけれどこのごろ
沢山作るのでスーパーで切ってある大根の袋入りを買った。

しゃきしゃき感があってとてもおいしい・・・とあるときから気がついた。
スーパーで前回と同じものを探した。

何種類かせん切り大根はあるのだがおいしいのはそれだけと
気がついたのはいろいろ試した後だった。
先日お弁当屋さんのお弁当に入っていた大根も
ぐにゃぐにゃで期待に反したものだった。
(私の方がずっとおいしい・・・)と思った。


とにかく、たかがせんぎり大根、されどせんぎり大根・・・どれも同じではないのだ。
そして私のこだわりは決定した。
改めて生産地を見たら「JR宮崎中央」だったのだ。

スーパーに行くと必ずその棚を探す。たいてい一袋か二袋しか残っていなくて
私は残り全部を買ってくる。そこだけいつもなくなっている。
主婦はみんな利口だ。おいしいものをちゃんと選んでいると感心した。

あまりおいしかったので生産地当てに葉書を書いた。
「おいしいものをありがとう。生産者のみなさんによろしくお伝えください」
と書いたのだった。

今日、ゆうパックが届き二袋のせんぎり大根とキムチのお漬物が入っていた。



一瞬何の事だかすっかり忘れていたのだがたった一枚のはがきにわざわざ
お礼を送って下さったのだ。
「心温まるお手紙へのお礼」という挨拶文が入っていた。

JA宮崎中央農業協同組合の皆さま、ありがとうございました。
今後の御発展を祈ります。

母の入院

2013-02-17 | 介護生活
私はあまり寒い寒いと言わないことで有名なのだが
この一二週間さすがに寒いなあ~と思うことがある。

こんなに気温が急激に下がるとお年よりや体調不安定な人は
肺炎になりやすいとテレビでも言っている。

そんな時母を点滴に連れて行ったと弟からの連絡が入った。
「この寒いのに、入院できないの?」と心配する。

現在母はなるべく自宅にいたいと言うので自宅と介護施設を
行ったり来たりしている。
「ショートステイ」なので介護制度を使っている。

しかし、一旦入院となると医療制度を利用することになる。
一日にして切り替えなければならないのだ。

二日間、車で病院へ連れて行き点滴を5時間くらいしてまた施設に
送りかえしていた。
しかし、やっと先日入院ができた。手遅れにならなくてよかった。

寒いのでとても心配したが見舞いに行くととても喜んで一時間も
おしゃべりしてくれた。
メガネをかけ書類にも目を通してくれた。

「お食事は大変おいしいです」と職員の人をねぎらっていた。

肌は100歳と言うのにはりがあり表情も豊かで声も元気である。
一日でも長く元気でいてほしい。

4月には101歳のパーテイを子供一同で計画している。

今日の御馳走は?

2013-02-16 | 日記
毎月一回の集まり・・・仲良しグルメの会。
先月は日影茶屋で和食。六人全員がそろった。
今月は江の島近くの「三笠会館」でフレンチ。

また六人がそろったのが何よりうれしい。
本人の健康状態はもちろんのこと、配偶者、親、子供、孫のことなど
いろいろ用事があるのでこの日を死守するのは大変なことで
揃うことが貴いことと思う。

お料理が次々と運ばれてくる。
写真を撮るのを忘れないようにと思うだけで精いっぱい。

料理名、説明も覚えられない。
その場でメモをするとタダでさえ写真を遠慮しながら撮るので
白けて申し訳ない。今日のお料理は写真だけの御披露とすることにした。

 






  

干し野菜

2013-02-15 | 日記
寒~い日もあれば翌日10度以上も温度が上がる日もあり・・
あまりの激しさに「三寒四温」なんてのんびり言っていられない。

野菜の値段は毎日高騰していて台所を預かる者として頭を悩ませている。

その野菜の保存方法というか、食べ方に
「野菜を干す」と言うことが生協のカタログに紹介されていた。


お天気が良いと何でも干したくなるから以前から白菜など一度日に
当てていたのだが・・。

日光を浴びせると「プロビタミンD」が出て栄養価が高くなると中学の
家庭科で習って以来、干しシイタケは栄養がある・・・と思ってきた。

干しシイタケと言えば、友人が家で干して作っていた。
私も真似して作ったがふつうのしいたけ、4センチくらいのものが
10円玉くらいに小さくなってしまう。水で戻すとまた大きくなるのだが。
市販のシイタケは始めもっと大きかったのだなと思う。

いろいろな葉物も、大根も、ニンジンも皆干してから料理すると栄養価が
高くなるそうだ。

えのきだけを干したら糸のようになってしまったけれど、味が深い
気がした。




真夜中の奮闘

2013-02-14 | 介護生活
夜中のトイレは寒いから出来れば行きたくない。
だが、行かなければ大変なことになる・・・。
年老いてそれが分からなくなったり、思っていても身体が
ついていかないとまた大変なことになる。

船の中では毎晩のようにトラブルがあった・・・。

最近は我が家の「介老君」は自分でトイレに行ってくれるから
”御”の字である。

トイレに行った気配はするものの、なかなか部屋に帰ってこない。
うすらうすら眠いままそれを感じていたが・・
なかなか帰ってこない。

また”やっちゃったな!”と私は飛び起きる。

トイレに行くと失敗を何とか隠そうと”努力”している「介老君」がいる。

仕方がないのだけれど、寒くて眠いのに・・・「っ~ん、また!」と
腹が立つ。

それから30分の格闘が始まる。

下着からパジャマまで全部新しいものに変えて
あたたかいタオルを使って・・・拭くと・・・
もう目が覚め、あたりは白々と明るくなり・・・

時間にもよるけれど早々と朝を迎えるか、もう眠れない状態になる。

こんなこと誰に伝えるでもないのでいちいち記録していないが
介護には日常茶飯事。珍しいことではない。