Yoshikoの『リビング』へようこそ

16年間脳梗塞後遺症の夫と101日間世界一周クルーズをした。その記録を「リビングを船に乗せて」として著す。

ハロウィン

2018-10-31 | 日記


お店のショーウインドウも橙色のデコレーション
が賑やかである。
日本ですっかり定着したハロウィン。渋谷では若
者が羽目を外して騒ぎを起こしているとか!!

その昔、60年くらい前は日本ではハロウィンは
騒がれていなかった。
子供を持つアメリカの友達から情報を得てハロウ
ウインのデコレーションを送ってもらい、私は
英語の授業に取り入れた。

青山学院で教えていた頃から生徒たちに仮装させ
たり、絵を描かせた。
「この先生はハロウィンに子供達をパレードさせ
たのをよく覚えている」と旧教職員の集まりで
紹介されてびっくりした。

その10年後、森村学園に奉職してからも
「こんな楽しいお祭りがある!!」という
アメリカの文化を教えたくて授業に取り入れ、
学校中をパレードした。

生徒たちは大喜びで家で仮装を作ってきた。
市販の衣装はいけないと言っておいたので、みな
いろいろ工夫していた。

「情報」は自然に子供時代に入ったと思われるが
その生徒たちが今は親になり当たり前のように
子供を仮装させているようだ。

駅、プラットホームで小さな妖精、お化けたちが
ママに手を引かれて歩いている。

大学の同窓会

2018-10-30 | 日記


伊豆長岡温泉での大学の同窓会。
伊豆長岡は新幹線で三島まで行きスーパー踊り子
に乗り換え、修善寺方面に行く。

ほとんどの人が踊り子号に乗ってきた。

ホームに降りると懐かしい顔に皆笑顔。
友達のAこさんはニコニコしている友に挨拶して
いるうち、同じような年代の人に挨拶。
名前を聞いてみたら他のグループの人だとわかり
まず、大笑い!!

宴会迄時間があるので、ホテルから散策に行く人
足湯に行く人、お風呂に入る人様々である。

私はくじ引きで同室になった友達とお風呂に行
く。このホテルは絶対、以前来たところと思って
いたが、お風呂に行ってすべて思いだした。
10年前だったのだ。
素晴らしいお風呂は昔と変わらない。

宴会も男女混ぜてくじ引きで席が決まる。

遠くから来た人が順にスピーチをさせられる。

ニューヨーク、ニュージャージー、シアトル、
バークレーからわざわざ帰ってきた人達である。

最後はトランプ政権の話になった。

二次会も10時頃まで三々五々集まっておしゃべり
が尽きなかった。気がついたらメリーウィドー
(未亡人)は私ともう一人10年前ご主人を亡くした
友達の二人だった。

翌朝は有志でパノラマパークのロープウエーに
乗り、美しい富士山を眺める。
展望台からの富士山も綺麗だったが、足湯をしな
がら富士山を眺めるのは贅沢だった。


ホテル5階からの富士山。






(伊豆長岡駅前からの富士山。)

多忙な十月

2018-10-29 | 日記


暑かった日々、台風に怯えた日々、不安定な天候
の日々が終わり突入した十月はあれよあれよと
いうままに目まぐるしい絵巻が繰り広げられた。

第1週はじっと大人しくしていたのだが、第2週
4回の外出。
第3週が、岐阜、京都の旅、、、帰宅して翌日、
グルメの会。1日おいてお食事会。教会。

そして二、三日おいて月末まで一直線!!

ダンス、麻雀、ブリッジ、高校の同窓会、大学の
泊りがけ同窓会、、、、。

「忙しい、忙しい、、」と言うと息子に
「遊びでしよ?それは忙しいと言わないんだよ」
と怒られる。

今までは週1のダンスを中心に細々と体調をつない
できたのだった。たまたま同窓会は二年に一度と
いう年が重なってしまった。

来年の十月は京都の旅行も二つの同窓会もない。

あと365回後のブログでは何を語るだろう?
(それまで元気に生きながらえていたら、、、)


中高の同窓会

2018-10-28 | 日記


二年に一度の同窓会。朝から雨が降っていたので
心配したが、晴れ間が出てきた。
寒いのだか暑いのだか判断が難しく着る洋服を
何回も変えた。

皆同じように年をとっているが懐かしい顔、顔、
顔。40名近くの出席だったが、はじめにすべての
人と挨拶を交わした。

席に着いてしまうと自分が動き回らないと
話をする事ができないので、近頃の私は最初に
勇気を出して明るく挨拶をしてしまうのだ。

特に細かい事情を話さなければならない人もいな
いので、ちょうど良かった。

15年ほど前、幹事をした時は、私が司会をして
60名以上をすべて紹介した。今回はそういう事は
なかったので、座りっぱなしだったら何のために
出席したかわからない事になっていたかもしれな
い。

幹事さんの知り合いの中華料理店だったが専ら
運ばれて来るお料理をたいらげてテーブルの
人達との談笑が適度で楽しかった。

翌日泊りがけの大学の同窓会なので体力を温存し
たとも言える。

キャッシュレス

2018-10-27 | 日記


従来、クレジットカードは大きな買い物をする
時と、通販で買い物をした時に使ってきた。

アメリカはキャッシュレスかと思っていたら
ある統計で韓国は98パーセント、アメリカ、
46パーセント、日本19.8パーセントの普及率だ
そうだ。

カードがあるとなんでも買えてしまい魔法の
カードのような気がする。
まあ、手持ちに現金がない時は心強い存在である
のだが、、、。

銀行から幾らかの現金を下ろして、、、それは毎
日のスーパーの買い物や、外食などに使っている。通販で購入した物がコンビニ払いとなって
いると、現金がドッと減る。

それにしてもそれらの現金は私のお財布の中で
大きなものから細かい物に形を変えていくので
時々ジャラジャラと小銭がたまってしまう。

それは随時小銭だけの入れ物に移すのだが、、

この間から、いつものスーパーでカードが使える
ようになった。

毎回の支払いをカードでするようになったら
お財布の中のお金が動かなくなった。

現金にしろ、カードにしろ我が家の経済には
変わりがないのだからと思っているが、これから
現金の引き出しを押さえてカード決済をしっかり
見なければと思っている。

さるボボ

2018-10-26 | 日記


このストラップは岐阜のホテルの売店で見つけた
物である。余計な物は買わない!
食べ物だけ!、、と思っていたのだが、
あまりにも可愛くて手に取ってしまった。

さるボボとは岐阜県飛騨地方で昔から作られてい
る人形。飛騨地方で赤ちゃんのことを「ボボ」と
言うのて、さるの赤ん坊と言う意味であると言う。
1)金運
2)財運
3)勝負運
のお守りだそうだ。

いろいろな色があるのだが、「金」は一番よく売
れていてあと二つしかなかった。
他の色は家内安全、無病息災、学業、恋愛、結婚
などなど楽しい項目がついている。

私は百人一首のストラップをつけていたのだが
この頃麻雀を始めたので、「勝負」という言葉に
ひっかかる。

よし!このストラップに代えて「勝負」に
かけよう!と一大決心をしてこれを購入した。

今月は誕生月。誕生日の記念にもなる。

551の豚まん

2018-10-25 | 日記


551の豚まんは大阪名物である。何十年も前、
大阪から帰る時、大阪在住だった義妹が
豚まんのお土産をくれた。

この時、初めて大阪名物の「豚まん」を知った。
関東では肉まんと言うけれど、関西では「豚ま
ん」と言うのだろうか?

先日京都に行った時、西の方に帰る友と離れ
一人になった。京都駅はごった返している。
ちょっと座ってお茶を飲みたいと思っても
目に入るお店はどこも満員!

ちょっと座るベンチもない。

一日中観光で1万歩以上歩いてきてさらにスーツ
ケースを持ったのに駅の構内、新幹線乗り場にも
ホームにも座るところがなかった。

駅の中を新幹線出発まで、4、50分あるので
ふらふらしていた。
荷物を増やしたくないのでお土産はいらない。

と、見るとデズニーランドのような行列の一角が
あった。近づいてみると551Horaiの豚まんの
お店だった。

時間がたっぷりあったので、長い列に加わった。

狭い店舗の中では威勢よく豚まん、シウマイを
作っていた。売れる!売れる!一人が沢山買って
いる。

私は荷物を増やしたくなかったので豚まんと
シウマイを買った。
「今日中にお召し上がり下さい」と言われ
「ドキ!」
今日中の時間が少ないではないか!!

翌朝蒸して美味しく食した。

次回も、大阪、京都へ行ったら買ってこよう!

チャーハン

2018-10-24 | 日記


これは昔、むかしの思い出である。

小学校1年から2年迄、鎌倉に引っ越す前
相模原に住んでいた。その頃の相模原駅は
周りには何もなく線路があり、踏切があり
その横にぽつんと井戸があった。(今は大都会に
なっている。)

足を踏み入れてはいけない米軍基地があり
塀で囲まれ、鉄線が張り巡らせてあった。

駅を降り踏切を渡ると一面広野で畑の向こうに
引き揚げ者用の二階建の宿舎が、5、6棟あっ
た。

確か、一寮、二寮、、、と呼ばれていた。
我が家は五両だった。右隣は「安藤さん」
左隣は「山田さん」だった。
それ以上6歳くらいの記憶、はっきりしない。
母にしっかり聞いておけば良かった、、、。

確か、一寮から「千田さんのおばちゃま」という
方がよく家に見えていた。
ある時おばちゃまが、
「よしこちゃん、チャーハンはそのまま食べても
美味しいけれど、お皿の土手に押し付けておいて
それをはがすようにして食べると美味しいのよ」
と言われた。

それだけを不思議に覚えていてチャーハンの時は
いつもお皿に押し付けて食べていた。

何故、そんな場面があったのか?
何故そんな事だけ覚えているのか?

不思議な思い出である。

ダンスのレッスン

2018-10-23 | 日記


30年以上になるダンス歴も最近では密度の低い
ものになっている。

20年以上前の競技選手時代は若かったからプロの
レッスンを三箇所も習いに行き、練習は夜11:30迄
毎日していた。

よく体とお金が続いていたと思う。

今はしたくてもまず、体が続かない。

ちょっとしたパーティくらいなら休み休み踊れる
けれど、レッスンで激しく踊る事は出来ないばか
りか、体ががたがたになり、翌日マッサージに
飛んでいかなければならない。

「80歳になったらデモをするわ!」なんて言って
いたこともあるが、ただ、ただ可愛いおばあちゃ
んだけではすまないことがわかった。

今は週に一度だけ、本当に首の皮一枚でつながっ
ている。ダンスの日を中心に1週間を過ごして
いる。

来月の飛鳥ll 船上のダンスと2020年のクイーン
エリザベスでのダンスを踊りたくて必死で
レッスンを続けている。

教会出席

2018-10-22 | 日記


今日は、第三日曜日。
教会のお説教は特別に、「家族の日」なので
信者の方が奨励をされた。
いつも熱心にご家族で出席されているので
お話を聞きたかった。

Kさんは素朴にご自分の半生、入信に至るまでの
話をされ、感動的だった。

礼拝後、愛餐会があり、婦人会の有志が用意して
下さった昼食を共にいただく。


普段礼拝だけでさっさと帰ってしまう私は
あまり教会員のことを知らない。今日は今まで
知らなかった横の関係、縦の関係を知ることが
できた。

たまたま何か誕生日の発言があり司会者が
「今月誕生日の方?」と呼びかけ、私は5、6人
の人たちと一緒に前に立たされ皆にお祝いされて
しまった。

めでたし、めでたし!で終わるところだった、、
、、のだが、

司会者が「これで終わります」と言ったので
立ち上がったときに
牧師先生が「ちょっと待ってください!」と
声を上げ、マイクを持たれた。

皆、坐り直す。

わたくしも、、、と こ ろ が、、、

ステーン!!!
椅子がなくもんどりうって尻もちをついてしまっ
た。

「終わり」の宣言を聞いた途端、気を利かせて
折りたたみ椅子を片付けて下さった方がいらし
たのだ。ステーンと尾骶骨を打ち、
「あー来週の旅行に行かれるかしら?」と
まず思った。

皆んなが見ているので我慢して立ち上がった。
立ち上がれたから大丈夫だろう。

先日友達がベッドから滑り落ち圧迫骨折で二カ月
も入院した。
大事を取ってバスを利用して帰宅したが
明日になったらどうなっていることか!??

雪舟庭園

2018-10-21 | 日記


臨済宗東福寺派、ぶん陀院の中にある「雪舟
庭園」へ寄った。

「画聖」雪舟が石で描いた枯山水の名庭、雪舟
庭園「鶴亀の庭」が有名である。



水墨画家である雪舟(1420-1506)が一條良公
(1402-1481)の所望により作庭したと言われる
「鶴亀の庭」は京都で最古の枯山水庭園の一つと
言われるそうだ。

雪舟と言えば、禅僧になるため修行時代、備中
宝福寺で修行をせず絵ばかり描いていたので
住職が戒めのため本堂の柱に縛り付けた。
夕方、雪舟の足元に鼠がいると思ったら、それは
雪舟が涙で描いた鼠の絵だったと言う話がある。

それを聞いて一條良公が雪舟に亀を描くように
所望したが、雪舟はなかなか筆を取らず、数日後
庭に出て石を並べこの庭を作ったと言われる。

向かって左は折鶴を右は亀の姿を現している。


伏見稲荷と東福寺

2018-10-20 | 日記


観光バスに乗らずどこかポイントを決めて自由に
歩くことを決めた。

朱色の何千本もの鳥居で有名な伏見稲荷神社は
外国人に人気の場所で混み合っていると聞いて
いた。
混んでいるから行かなくて「いいね」と私が
言ったのを、同道のA子さんは
「伏見稲荷良いね」と勘違い!!

私が行ってみたいと言った東福寺が京都の南東に
あり、伏見稲荷も近いとわかったのでその辺りに
行くことにした。

東福寺は電車で二駅、すぐなのだが、景色を見な
ながら遠回りしてバスで行くことにした。

ます伏見稲荷神社へ。
聞きしに勝る「ここは外国!!」
9割以上が外国人で、聞こえてくる声は中国が
多く英語ではない言葉が聞こえてくる。


テレビでは鳥居ばかりを写すけれどその鳥居の
トンネルに行き着くまでに朱色の祈祷殿などが
あり、広い庭園も美しい。

鳥居はどこまでも続いていて40分歩くと聞き
途中で引き返したが、とても楽しいハッピーな
ところで、お稲荷様に深く守られているような
ほっこりした場所だった。

電車に乗って「東福寺」へ。

こちらは重要文化財であるが、広くて厳かな空間
であった。一日中いても良い、癒される境内は
美しい。不便なところだからか、外国人の「おの
ぼり」さんはいない。(ただ、聞くところによると
紅葉の季節は混雑するそうだ。)

お食事処が見つからず交番で聞いた割烹にやっと
着いたら定休日。足を棒にしてハモ専門の小さな
店に入る。女優の中田喜子や三田村邦彦のサインがあった。

京都の宿、京都センチュリー

2018-10-19 | 日記

(正面玄関は改修中で建物の横が入り口)


そんなに度々京都に行くわけではないけれど
私の京都の定宿である、京都センチュリーホテ
ル。

京都には数えきれないほどのホテルがある中で
ここが好きなのは京都駅から1分、駅の隣だから
である。

ホテル迄タクシーに乗らずすぐチェックインし
荷物を預けて観光に行くことも出来る。

30年ほど前、勤め先のK子さんに誘われて京都旅
行をした時に初めて利用したのだった。

その後、母と珍しく大阪から京都に入り母の姉を
訪問した時。友達と二回。従姉妹達とも利用し
た。

正面玄関が工事中で残念であったが、ホテルの中
は、全体的に薄暗い。真ん中に一階から十一階
迄吹き抜けになっていてガラスの回廊になってい
る。客室はその周りにあるのだ。
客室は二年前リニューアルしたそうで、木目調に
統一してある調度に全てが収納してあった。
フロントマンが
「お探しになるのに苦労されたでしょう」と
笑っていたが、、、。

一階はロビーとオープンレストランになって
いるので上の階から見下ろすとおとぎの国のよう
に見えて楽しい。



京都駅は年々様変わりして吹き抜けになりてっぺ
んまでエスカレーターがついている、子供でなく
ても大人でもまるで遊園地のようにだんだんと
上がっていくのは楽しい。
これは何回か経験しているからずいぶん昔からあ
るエスカレーターだと思う。

今回、でてくる前にテレビで京都特集を見た。
それを参考に自由に京都散策を決めた。


ひつまぶし

2018-10-18 | 日記


岐阜で朝を迎えたが、せっかくはるばるやって
来たのにこのままさよならでは味気ない。

という事で、午前中は名古屋にでて
名古屋の本丸を見学。



お昼は何と言っても「ひつまぶし!」

名古屋城の隣のひつまぶし屋さんへ。混んでいた
が、予約を入れていたのでスムーズに入店でき
た。


数年前に名古屋に来た時以来の久しぶりなので
とても嬉しかった!

特別に美味しい!お値段も見事だったが大満足
した。

一杯目は普通に食べ、二杯目はネギやわさびを
加え、三杯目はお茶漬けで、、、。


鵜飼

2018-10-17 | 日記


初めて見る岐阜の鵜飼。

松尾芭蕉が
「おもしろうて やがて悲しき 鵜飼かな」と詠んだ
伝承のぎふ長良川の鵜飼。

鵜を操る鵜匠は宮内庁式部職であるという。
現在、鵜匠は六人いて、代々世襲であるとのこと。

鵜飼開催期間は5月11日から10月15日までという。

なかなか思っていても一人では出かけないもの。
お誘いを受けて嬉しかった!

早めの夕食を済ませ、夜の帳が下りる頃
ホテルの前の長良川の船着場へ歩く。

一艘に20名くらいの客を乗せた船が十数艘。
整列をして待っていると開始の合図の花火!

鵜匠は順番をクジ引きで決めてくるとか。

六艘が篝火を焚き鵜匠が鵜を操って登場。

朝から何も食べさせてもらっていない鵜達は必死に水に首を突っ込み羽根をパタパタしている。
その間、一瞬だが、鵜の必死さが、可愛くて
愛おしくて、少し可哀想にみえる。

何か愛おしい、素晴らしい瞬間を見せられた。

30分ほどの絵巻物。
言葉に表せない素晴らしい感動を覚えた。

今年最後の日だったので終わりの花火は200発
以上だった。