Yoshikoの『リビング』へようこそ

16年間脳梗塞後遺症の夫と101日間世界一周クルーズをした。その記録を「リビングを船に乗せて」として著す。

年賀状

2011-12-24 | 日記
 昨年は父が亡くなったので寒中見舞いとして年明けにお便りを出した。

二年ぶりに年賀状の用意をした。

今までは夫のもの、連名のもの、自分のもの、勤務中は生徒からの年賀状への
お返事を作っていた。
今年は規模を縮小して夫と連名の簡単なものを作った。
その代り、母の分も作ったので昨日今日で600枚の印刷が終わった。

だんだん交際を縮小しようとなるべく少なくしようと何度も何度も名簿を
見なおした。メールで繋がっている人とは元旦にメールをしたらよいと
思うのだがその方から必ず丁寧な年賀状が来るのは分かっているので
やはり出すことになる。

去年この方にお出ししたけれどお返事をいただいたのだから今年から
出すのをやめようか・・・と思って出さないと相手から来る。
翌年当たり前のように出すと遅くなってお返事が来る。やはり迷惑だったのかと
次の年控えると・・・・という関係が続く。

それで今年は年賀状をいただいた方へのみお返事を出したのだ。
ほんの少し、名簿の整理できた気がする。

それでもこのごろは年賀状に消印が入らないので大晦日までに投函したか
(返事ではなく)元旦以降返事の形での投函かが分からない。少し、便利?
だが不便な点もあるのだ。

学校に勤めていたころは元旦は午後からずっと生徒への返事書きで大体6時過ぎに
和服を着ていても初運転して郵便局に投函に行ったものだった。

我が子が○○先生からお返事来た。○○先生からはお返事ない・・・と言っているのを
聞いていたので、なるべく早くお返事を書いていた。その150枚位がなくなったので
だいぶ楽になった。(嬉しい悲鳴・・・・だった)

嘘のような話だが?・・(今でもしておられる方はいるが)昔は一枚一枚毛筆で書いていた。
その後毛筆で書いたものをわざわざ渋谷の印刷所に持って行った。今では自分で作れるのだから
世の中も変わったものだ。昔が懐かしいが・・もう体力、気力がない。