Yoshikoの『リビング』へようこそ

16年間脳梗塞後遺症の夫と101日間世界一周クルーズをした。その記録を「リビングを船に乗せて」として著す。

病気3日目

2015-02-19 | 介護生活
昨日は夕方から元気になったので病いは
良い方に向かっているとおもっていた。

たいてい1日か
2日で、私は元気になる。

今日はもっと苦しい。

ベッドの上にこしかけてから起きるのだがそれが出来ない。腕がいたくて
折れそうになる。

やっと起き上がってもまっすぐに歩けない。それが夕方6時頃までつづいた。

それでも何もわからずに口をあけてまっ
ているひとがいる。

皮肉なことにピンポーンがなんどなったことか!

宅配便 生協 ダスキンなど奥の部屋から必死に応対に出た
一応家の事をするので夫は私がさぼって
いるかのように思ってかもしれない。

薬を飲まなくてはとパンをちぎって
やっとの思いで飲み込む。
それを二回したけれど一枚のパンはまだ残っている。

夫とは一言も話さない。

夕方ご飯を解凍して卵をわり
卵かけ御飯にして食べてと準備して
又私は寝てしまう。

冷凍庫には何日分かの食材はあるが
卵ごはんだって生きていける。

私が大変な事をわかってほしい。

8時過ぎに出て行って
もうねるでしょ?といったら
まだ夕食食べてないと言われてしまった。

病気2日目

2015-02-18 | 介護生活
夜中3時頃目がさめる。体がバリバリで痛くて目がさめたのだ。寝返りも打てない。

どうして良いかわからないので
水を飲んでみる。水が体の中に入って
いくと少し楽になるような気がする。

どうししようと眠れないでいると向こうの部屋で音がする。まだ4時というのに
夫は起きてリビングに出てきたのだ。

まだまだ7時頃まで寝ていてほしい。

夜はなかなか寝ないのに毎日早起きで
電気も暖房も不経済だ。
それに起きなければというプレッシャー
が辛い。

急に悪くなりあっという間に私は
死ぬのかと思ってしまう。


8時頃やっと起きて行く。

夫は食事用のエプロンをして待っている。どんなに辛くでも兎に角食事を用意するので当たり前と思っているのだろう。

ふらふらになりながら用意をすると
いやもう朝食は食べたと言う。
昨日の事を言っている。

見事な認知症。

それならお昼に食べてねとラップをして
おいておく。

血圧を測れ、大丈夫かというけれど
あなたが新聞を捨ててくれたら
ストレスが減ってこの病気は治ると
言いたい。

仮面鬱病の症状なので午後からクリニックに薬を貰いに行く。

病気1日目

2015-02-17 | 介護生活
悲しいかな病いには勝てない。
起きようとしても身体中が痛くて
起きられない。身体がガラスで
出来ていてバリバリ音がするような
痛さである。

夫は4時過ぎに起きて朝食をまって
いる。私の起床は7時過ぎ。

私の起きるまで待っているのだが
流石に私が起きていかないものだから
死んでいるのかと思ったらしく
えっちらおっちら私の部屋を覗きに
来たのだ。初めてだ。

車椅子が通れないように物を置いて
いたのに。


仕方なくパンとジャムだけ出して
また引っ込んだ。

突然の病いで二年前救急車で入院した時に気分は似ている。

昼は適当に冷凍庫の中の物を食べさせ
夜はお蕎麦やから天せいろを取った。


店屋物はこういう時のために
取ってある。

老老介護の一番こわいところにさしかかっている。

バレンタインデー

2015-02-15 | 介護生活

2月14日バレンタインデーだ。
孫が一緒に暮らしていた頃はキッチン
テーブルをチョコレートだらけにして
て手作りをしていた。

今年はジジババの静かな日を迎えた。

先日チョコレート大好きな夫に六花亭の
チョコレートを買っておいたので
"今日は何の日でしょうか"と言って
渡した。

何の日かとうとう最後までわからな
かったが
"そうかvalentine's dayか'と
正しい発音で喜んでくれた。

わざわざ買いに行ったのではないの
だが、目をつぶって昔の王子様への
ギリチョコ?である。

世間が騒いでいるからかわいそうと思い
あげたのに知らないでいたのだから
知らん顔してスルーすれば良かった。


丸23年

2014-06-13 | 介護生活
一口に10年20年と言うけれど人に寄ってそれは長くも感じるし、
短くも感じる。

子供の成長はそのよい例で小さく可愛い赤ちゃんを「這えば立て、立てば歩け」と
育てていたのに幼稚園、小学校、中学高校大学とどんどん大きくなり・・・ここまで
約20年。。
気がつけば人の親になっている。



23年前の6月12日、いつもより少し早く帰宅した夫はご機嫌でビールを飲み
食事をして立ちあがった途端、ぐしゃりと床に倒れそのまま起き上がれなくなった。

それが聞いたこともない脳梗塞だったとは・・・・・!



「次に脳の血管が破裂したら覚悟してください」と言われたのはつい昨日のようだ。


それから何と丸23年経ってしまい今日から24年目を歩きだす。


生れたばかりの子供が大学を卒業し社会人になるまでの間ずっと左半身不随で
生きている夫である。

他人の看病の5年、10年と聞いても大変と思うのに、何と自分が23年間も看病を
してきてしまった。まだまだ続くだろう。
はじめの10年間は2,3年おきに転んで骨折をし入退院を繰り返していたが
骨折のための保険をかけた途端?それから転ばなくなっている。

ある占い師に
「あなたの一生はずっとご主人の世話をする」と言われた通りになってしまった。


病気は本人なりたくてなったわけではないから
100歩譲って看病をするのはやぶさかではないが
せめて認知症だか老人生頑固だかしらないが
気難しいのはやめてほしい。

もうすこし、可愛い病人になってほしい・・。

車椅子で外食

2014-04-02 | 介護生活
車椅子で外食なんて店の前がバリアフリーのスロープになって
いればよいと一般には思われるだろう。

先日、デイケアーの帰りにたまには大サービスをして和食レストランに
連れて行こうと思った。

「施設を出るときしっかりトイレを済ませておいてね。
もしかしたら食事に出ましょう、」

と言っておいた。

さてデイケアで送られて帰ってきた夫を普段はそのまま家に入るのだが
我が家の車へ移動する。

助手席に座らせるのは一苦労、
その後、車椅子を畳んで後部座席に入れる。
これはいくら軽量の車椅子といえども私には重くて大変だ。

車椅子専用の駐車場に停めて店内に入る。
「ベルを押してくださればお迎えに出ます」と書いてあったが
夕方忙しそうで誰も出てこない。ドアを開けたり押さえるのが大変。

メニューから好きなものを注文する。
夫は桜そばににぎりずし、茶碗蒸しなどがついているものを注文。


たべ始めるといつも人より食べるのが遅い私なのに夫よりはやく
さっと終わってしまう。
さあ、それからが大変長い時間がかかった・・・・。

何と一時間半ほどかかってしまった。
家を出てから2時間。施設でトイレに行ってから3時間。

身障者用のトイレに連れて行く。
作ってあるのはありがたいが狭い。
やっと入って座らせたのに緊張していて出ないという。

空振りで車に乗せ帰ってくると
「トイレ、トイレ・・・」とうるさい。

「さっき行ったのに出なかったでしょう?」と言っても
トイレに行かせないのが意地悪とばかり機嫌が悪い。

もう、行かない!!

何でもないことのようで食事の用意から解放され嬉しいと思ったのだが
こんなに大変だと家にいたほうがよかったとつくづく思った。

フレンチトースト

2014-02-21 | 介護生活
朝昼晩、食事しか楽しみがない病人だから
毎回メニューに頭をひねる。

特に朝などは一度気に入ったものがあると続けると楽なのだが
やはり和食、洋食代わりばんこに目先を変える。

パンとトースト・・という一見、簡単そうに見えるものが、わりに
面倒である。まずトーストしたパンは四つに切り、バターを塗って
一枚づつブルーベリージャム、ピーナツバター、はちみつなど
日替わりでのせる。そこまでしないと片手しか使えないので
上手に食べられない。

そこで先日からフレンチトーストにした。
これは柔らかいのでフォークで自分で切って食べられるのだ。

しかも良い方法を思いついた。

夕食の洗いものが終わった時に牛乳、卵、砂糖をといた
中にパンをつけておくのだ。


一晩でしっとりとパンが汁を吸いこんでくれるから
柔らかいおいしいフレンチトーストができる。

私の体調が悪くてもその用意がしてあると卵料理をつくらなくて
済むので気が楽である。

本来ならフォークとナイフを両側に置き、朝食のセットの写真を
載せるべきなのだが・
・・

又も大雪

2014-02-17 | 介護生活
又も大雪に見舞われた。神奈川県では14日が県立高校の入学試験だったので
15日の大雪はその点では前の日でなくてよかった、土曜日でよかった・・と
は思った。


あまり晴れていなくてこれから雨になるかと思われたが10時ころ再び自治会から
「雪かきをしましょう」との放送があり、住民の有志が働いた。前回ほどひどくないと
言われていたのでたかをくくっていたが、さにあらず・・・重い雪で雪かきは大変だった。

外の道路は車の轍(輪立ち)が上下二本ずつついているが、バスは運休。
乗用車の幅なのでトラックは苦労して反対車線にはみ出したりしているが
とにかくどの車もそろそろ恐る恐る走っている。


何となく都会人は・・・雪を知らない人達は・・・お天気がよくなれば雪はすぐ溶けると
思っている。(らしい)だから近くの一戸建ての家の人達は全く雪かきをしない。
その細い道はいつまでも真っ白に固まっている。一週間前の雪がやっと溶けたと
思っているところにどっさり降ったのに、又知らん顔をしている。

まだ当分外に出られない。

雪国から来た友人に、
「こんな雪、雪に入らないでしょう?」と言ったら
「いえいえ、札幌ではもっともっと降るけれど設備が整っているからなんでもないのよ。
 除雪車はでるし、歩道は雪がないし・・・・」と言っていた。
すべての雪国ではないだろうが、設備のあるところはその意味では”都会”なのだ。

東名高速や他の道路で動けなくなった車がたくさんあるとのこと。
そんな場に居合わせたらどうなってしまうか・・・ぞっとする。

スコップはあるが長靴、滑らない靴がないので
そのうちに買わなくてはと思っている



101歳の乙女心

2014-02-14 | 介護生活
いつもは母の見舞いにお客様を同道するのだが今日は一人で出かけた。
何となく今まで何も親孝行できなかったことが気になって今日こそは懺悔を
しようと出掛けた。
目を閉じていても眠っていないからちょんちょんとつついてね言われていたので
ちょんちょんとするとすぐ目を開けて「あら?」と喜んでくれた。

「今日はゆっくりずっとそばにいるわよ)と言うと
「嬉しいわ~」『うれしい・・・』と何度も言う。

「お母様と私、一度も喧嘩したことないわねぇ~」なんて昔話しをするものの
照れ臭くて(何もできなくてごめんなさいね)との言葉は出なかった。

今日は何を着て行こうかと考えて昔、母がくれたロングカーディガンを着て行った。
「あなた、いいの着てるじゃないの・・」
「これ、覚えてる?お母様が下さったのよ?」と言うと
「覚えていない」と言う。

それもそのはず上等なものをいただいたのだが裏がしっかりついているので重くて
とても着られない、あなたきてちょうだい・・・と言ってくれたので自分には親しみが
ないものだったのだ。
だから覚えていなくても仕方がない。母がくれた指輪やネクレスをしていくと
喜んで「覚えてるわ~」と言ってくれるのだから。

ここまでで話しは終わりになっていいのだが・・・・

101歳の乙女心はまだ出てこない。

「ホント、良く似合って温かそうでいいわ。あなたそれが古くなって飽きたら
 わたしにちょうだい・・・」と言うではないか!!!!????

「いいわよ、いつでも・・・』と言ったのだがびっくりしてしまった。

まだまだ着るものまで気にしている。
昨日は病院に入っている美容師さんにヘアーカットをしてもらったと言う。

病院にいて病人であるのにしっかり化粧道具のポーチは引き出しにはいっている。

夜、「一人娘がずっとそばにいてくれたのが特にうれしそうだったよ」と弟からメールが来た。


白地に青い小さい花柄のロングカーディガンは確かに重いがとても温かい。
写真を載せようと思ったが何方が下さったかわからないし、もしその方に
知られたら(母が着なかったということを)申しわけないのでやめました。
ロングなので前には金ボタンが10個もついています。


「明日の記憶」

2014-02-12 | 介護生活
「明日の記憶」

これは10年ほど前、渡辺謙と樋口可南子が夫婦役で演じた映画の名前である。

何という名前だったか
その「過去の記憶」がなく苦労してしまった。
『遠い記憶」?「昨日の記憶」?・・・とにかく記憶がなくなってしまったのだ。

それは夫が認知症になるのか、痴呆になるのか、躁鬱病か忘れてしまったが
夫が物忘れをして妻が困ったり、大暴れしたり、テーブルをひっくり返したり、
徘徊をしたかな?

大変だなぁ~と思って見ていたが私は何とも思わなかった。
なんだ、まだ序の口じゃない・・・うちよりいいわ・・・
もっとひどくならないの?と思って見ているうちに夫婦はいたわりあって
終わってしまった。涙なんか一つもこぼれなかった。

友人の家でその話が出て
「気の毒で泣いちゃった・・・」と言う人がいた。
「あら、あんなの序の口。うちなんかもっともっとひどいもの・・」と言ったら
「ごめんなさい。本当に大変なのね~」と彼女が泣いてしまった。

毎晩東京からタクシーでお客を連れて帰り、寝ているのを起こして酒の肴を作らせられた。
翌日は授業参観が3時間もあった・・。
夫のお客を御馳走もてなし、夜になり免許とカギだけを持って車で駅までお客を送って
帰ってきたら家にはカギとチェーンがされていて一日家から追い出されたことも・・。
こんなこと100分の1、否1000分の1,

私は針のむしろに座っていたぶられている日々が何十年も続いているからもう
出す涙も残っていない冷血人間になってしまったらしい。

ユニマチュード

2014-02-09 | 介護生活
ユニマチュード

私は初めて耳にした言葉だがインターネットで見るとだいぶ前から流行っていること
らしい。なんでも
「フランス発”魔法”のような認知症ケア」というものだ。

認知症ケアで魔法のように治る方法があるとNHKの「クローズアップ現代」で
とり上げていた。勿論、筆記用具片手に飛びついた私・・。
少しでも改善されるなら・・・お知恵をいただきたい・・。

これはフランス人のイヴ・ジネストさんとロゼット・マレスコッティさんが30年余りかけて作り上げた
ケアの手法だそうだ。

認知症患者に対して「人」として接すると暴言を吐いたり拒否していたりした人が素直になり
魔法にかかったように穏やかになるという。

あちこちの病院で研究されていると発表されていた。

まず4つの大切なことがある。

1) 見る    相手を正面から見る

2) 話す    穏やかに話してあげる

3) 立つ    なるべく自分で立たせる

4) 触れる   手首をつかまず手を下から支えて持つ

なるほど・・・。で、それが?と私。

病院の実験では優しく介護士さんが声をかけると拒否していたご飯も食べ、おとなしくなったと言う。

相手を(人間)として認め絆を感じそれでも(赤ちゃん)のように接している毎日なのに
何の参考にもならなくてがっかり。

うちが認知症と言うより他の気難しい病名がついているのかもしれないけれど、私にとっては
もっともっときめ細やかな対応をしているというのに・・・・とがっかりしてしまった。

立派な研究らしいのでインターネットでしっかり勉強すればもっと深いものがあるのだろうが
それを転載したらいけないと思い、テレビを30分見ただけのメモから書いてみた。

すさまじい不死鳥語録

2014-02-08 | 介護生活


12月15日に誤嚥からの肺炎で介護施設から病院へ救急搬送された母。
入院の手続きを終えて弟が帰ろうとした時

まだ私、危篤じゃないの?」と言ったそうだ。

弟と私が行った時二人のことはわからず
お父さん」「お母さん」と言っていてもうがっかりした。
もう駄目だと思った。

いつかしら?」
「何が?」
「死ぬの・・・」
「誰が?
「私が・・・」
と自分をさす。

時々昔の関係ないことをしゃべる・・。
やっぱりもう駄目だ・・。

家族以外は面会謝絶。その代わり家族は入れ替わり立ち替わり「お別れ」に行った。

今日で入院50日となるが点滴だけで過ごしていたがゼリー食をひと匙ふた匙口に入れても
誤嚥になってしまい抜き取る作業が痛いという。そしてまたはじめからからやりなおし・・。

そんなことが何回か続いてやっとゼリー食を一回小さじに5杯くらい食べられるように
なったら元気になり、目の力もしっかりしてきた。

今日は尊敬する俳句の先生にきていただいた。
乙女のように顔を赤らめ恐縮し、「何とお礼を申し上げてよいやら・・・」と涙して喜んでいた。

「わたくし、もう死ぬかと思いましたの。私も、周りも・・。ですから生まれたばかりのひ孫まで連れて
珍しい人がみんな来てくれましたの。いつも来ないから・・良い機会でしたわ・・」
と話していた。

自分が危篤だと分かっていたのだ。

すさまじいでしょう?顔つきもすっかり変わって元気になりました。


[12/30,1/4.1/24.1/26.2/7]

深雪さん

2014-02-07 | 介護生活


母は東京女高師(現お茶の水大学)を卒業後約80年間国語、書道を学校で
教えていたから教え子は何千人、何万人いる。家に来るお弟子さん、「ペン時代社」、
日本書写検定協会の審査員、スクーリングの講師など全国区で「先生」と呼ばれている。
書道の号は「高田香雪」であるが本名は深雪(みゆき)という。

世の中で
「深雪さん」と呼んで下さる方はただ一人なのだ。
それは母が病床でも指折り数えて作っている俳句の先生だ。

病状が悪かった時
「あ・ん・ど・う・せ・ん・せ・い」と小さな声で呟いた。
ほとんど聞こえないくらいの声だった。
俳句の安藤辰彦先生のことだなとすぐ分かったので
「安藤先生にお会いしたいの?」と聞くと
「も・う・し・わ・け・な・い・か・ら・・・・・」と恥ずかしそうに言った。
弟に言うと
「もう家族以外の面会はダメだ」と言う。
あきらめていたが驚くほど回復したので先生にお願いして雪の寒い日だったが
同道していただいた。

母はとても喜び、恐縮した。

自分で作った俳句を先日直していただいていた。また作りたいと言っていた。

素敵なお花をいただき記念撮影。

先生からもメールで
「深雪さんが思ったより元気でうれしかったです」と言うお言葉をいただいた。
また

百歳と握手の別れ春の雪        辰彦
手を振れば手を振る媼春立つ日  

(これは挨拶句です。俳句としてよりご挨拶です。)


と言う素敵な俳句をいただいた。弟に早速メールで伝える。

22kcal

2014-02-05 | 介護生活
成人は普通どのくらいカロリーをとればよいのだろう?
わざわざカロリー計算をしてダイエットをしていると言う人もいるらしいが
そんな面倒なこと、したことない。

ただ、先日おいしいおいしいチョコレートをコストコで見つけてしまった時は
一日に一つ・・・と決めていてもついもう一つ。
悲しいと慰めに一つ。
辛いと勇気づけに一つ・・・と食べてしまったら本当に太ってしまった。
せっかく自然に体重が減っていたのに…目の前でガラガラ崩れてしまって後悔している。

そんなことより22kカロリーって何だと思いますか?

これ、ペロペロキャンデイ一つのカロリーなのです。

母が40日ほど点滴のみで生きてきてやっとキャンデーをなめてよいと言うお許しが出たので
持って行った。おいしそうになめている。はじめはちょっとなめさせるだけと思って残りを
とっておくためにとラップまで持っていった。
だが一度に2つ舐めると言う。
はじめは危ないからと棒を持ってなめさせていたが「大丈夫よ」ととりあげ、自分で
なめているのだ。

伊藤園の充実野菜と言うジュースを不二家がぺろぺろキャンデーにしたもので
普通の飴よりは栄養がある気がする。
みたら22キロカロリーだった。
それでもありがたいエネルギーになるのだ。

母は散々心配をかけながら急に元気になりしっかりしゃべり注意をし、怒り、わがままを言う。
不死鳥語録はいずれまた・・。

不死鳥・母

2014-01-26 | 介護生活


母の見舞いに久しぶりに行った。一時間かけて出かけてもすっと眠っていることが
あるので弟が毎日来なくてよいと言ってくれていた。毎日電話でその日の様子を
ドキドキしながら聞くのだが機嫌が良かった、元気だったと聞くとそのあとうれしくなって
ほっとする。

痛がって何も言わず苦しそうだ・・・と聞くととにかく痛みだけは取り除いてほしいと
祈るのだった。

点滴だけで一カ月以上経つがゼリー食を始めるとたったひと匙でも喉に入らない。
はいると誤嚥になる。すると痛い作業でとりだし一からやり直しとなる。
それでも母は耐えている。
「もう痛いから死なせて・・・」と言った日が続いたが、少しゼリー食が食べられた後
元気になっている。

今日もどうしてもと言ってきてくださったお二人を案内したがいつもと変わらず元気に応対し
話も合わせる。びっくりした。

今日はお許しが出てぺろぺろキャンデーならなめさせてよいとのこと。
不二家と伊藤園のコラボでできた充実野菜のぺろぺろキャンデーを持っていったら
おいしいと喜んでなめた.


水も誤嚥になってしまうのだ。
考えられない砂漠での生活のようだ。

それでも明治。大正。昭和。平成と母は気丈に頑張っている。

毎日落ち着かないが今日はちょっとほっとした。
最後は元気に手を振ってくれた。

心配してくださった方々にご報告です。