Yoshikoの『リビング』へようこそ

16年間脳梗塞後遺症の夫と101日間世界一周クルーズをした。その記録を「リビングを船に乗せて」として著す。

やっと新聞が捨てられる?

2014-08-31 | 日記
新聞回収の日に我が家が出せるのは
広告の紙と新聞紙の裏表が広告の物だけ
なのでトイレットペーパー一個もらうには
少なくて悪いのでたいてい二ヶ月に一度出す。

夫の趣味だからと我慢しているが新聞屋敷になり
誰も家に迎えられない。
新聞の話題が出ると喧嘩になる。

いくら重ねて束にしておいても見るわけではないのに
捨ててはいけないのだ。
しかもそれは必要なページを切り取った後の物である。

現在折ったり切ったりしている物は
ふわふわ家じゅうに飛んでいる
私はそれを踏んでしまい滑って骨折した指を又痛めた

おととい「お願いだから今度の回収日に少し出させて」
と頼むと
「日々の動静をつかむためにその日のトップニュースが
出ている一面だけとっておき後は捨てて良い」と言ってくれた。

嬉しくなって過去の新聞の山を崩し
一面だけ切って後はまとめた。
まだまだたくさんある。

ペーパーナイフを使ってビリビリ破いていると
その音に反応して「やはりやめようかな?」と言う。

新聞の折れているヘリをふきんで濡らすと柔らかく
破けることが分かった。

明日続きをしようと置いておいたら今朝
急に険しい顔をして
「やはり新聞は図書館で閲覧用においてある閉じ方で全部保存する」
と言う。

新聞は朝刊で32ページ、16枚だから
一日一枚の保存なら1ヶ月分は2日分の厚さになるのだ。

ホッとしたのもつかの間、また気が変わって
全部戻せと言われたらとビクビクしている。


追伸 やはり奇跡は起こらなかった。
捨てさせてもらえない。

耳うどん

2014-08-30 | 日記
「耳うどん」と聞いたことがないうどんを食した。

東北道上り線、羽生PAより少し手前の
佐野サービスエリアに立ち寄った。

混雑していて駐車のスペースみつけるのが大変だった。
やっと車を止めると次は食堂が混み合う。
奥のレストランは比較的空いていた。

名前を記入してしばらく待ったが
良い席に案内された。

そこで選んだものが「耳うどん」

うどんが耳の形をしてけんちん汁のようなスープの中に
浮かんでいる。


昔のスイトンのような感じ

とても美味しかった。
お汁粉にも耳のうどんが入っていて
これも美味しい。


次もう一度リピートしよう!

訓練の練習

2014-08-29 | 日記
夏休みの間は静かだった近くの小学校の校庭が
突如賑やかになった。

消防車が4、5台入っていく。

何やら家のような箱のようなものを並べている

はしご車を校舎にたてかけ消防団員が
登ったり降りたりしている

2、3日後に行われる災害時の訓練の練習をしているらしい

「いっとき(一時)集合場所」に集合してから
避難場所である校庭に行くと言う回覧板が来ていたが
私はどうしたものかと悩んでいる

八階なので電気が止まったら車椅子では降りられない。
火事になったら特別な梯子車が活躍してくれない限り
焼け死ぬといつも言っているのだが、、、、。

訓練の練習間に火事もなかったようで
サイレンや放送は3時間ほどで終わり
また静かな校庭になっていた。

日光へ

2014-08-28 | 日記
日光の中華料理を一昨日紹介したと言うことは
日光に行ってきたと言うことだ。

半年ぶりの日光と数日前ロングドライブをした慣れから
気分的には楽である。


往きの東北道では前回、上りパーキングエリアで
下車した羽生PAの下り線を利用してみる。

上りは鬼平犯科帳の世界であったが下り線は普通のPAだった。


懐かしい別荘までの道。緑が美しい。

日光市が経営している日光温泉に立ち寄る。

日光市民でなくても二倍の料金を払うと
利用できる温泉である。

豊かな水が流れる川では釣り人たちが
糸をたれていた。



ブリッジ合宿なので時間を惜しんで楽しい挑戦に励んだが、
丁度帰る頃に大雨となる。

ニッコーはケッコー雨が降るんだと
友人が言っていたが大雨の中日光市を後にした。

高速に入る頃は雨は嘘のように止んでいた。

涼しい一日

2014-08-27 | 日記
今日はちょっと涼しい。

広島の土砂災害の現場では朝から3000人以上の人々が
まだ見つからない方々を捜索されている。
土砂はトラック八万台分もあると聞き
想像すら出来ないお気の毒な現場に
雨は無情にも降って捜索がはかどらないと言う

何か心は晴れないのだが最近にない涼しさなので
せめて働こうと腰を上げる

夫を介護施設の迎えの車に送ってすぐ車で近くのスーパーへ。

近いのだが一週間分の買い物は重くて持って歩けない

年をとってしまったものだ。

一旦帰宅して買ったものを冷蔵庫にしまいすぐにまた車を出す。

カーブス、体操教室へ行く。

驚いたことに未だ嘗てないほどの混雑だ。

順番の札を渡されるが
20人以上待たねばならない。

夏の間午前中は炎天下を歩いたり自転車
に乗ってくる人達も今日は涼しいから
出足が良かったのだろう。

無心になって体操をすると後がスッキリする。
あちこち痛かったところはもう無くなっているのだ。

カーブスマジック!

だが帰宅して見たらエレベーターの定期点検中!
さっきの大荷物の時でなくてよかったけれど、
久しぶりに8階までの階段はきつかった。

カーブスマジックがまだ効いていなかった?

日光の中華料理

2014-08-26 | 日記
五月に行った中華料理店「山泉楼」へ
再び出かけた。
予約をすると予約はコース料理のみで部屋は二階の
座敷ですと言われる。

五月の時も一階の飾り物、置物に目を
見張ったが二階も趣がある。
 

大きな円卓を囲み五人でおしゃべりをしながら
ゆっくりした時を過ごした

オードブル



海老チリ



チンジャオロース


鶏の変わり唐揚げ


酢豚



炒飯


スープ



杏仁豆腐



いつも私の愚痴で皆様のお腹をいっぱいにしてしまうので
今日は写真でお腹をいっぱいにしていただきたい。
どれもポピュラーな料理だがとても
美味しかった。

円卓と中国茶


二階の特別な個室なので税の他に5%の
サービス料も取られたが驚いたことに
この大きめの土瓶のお茶も630円と言う値段がついていた。
お茶の代金を取られたのは私は初めての経験だった。

ナビと不仲?

2014-08-25 | 日記
車のナビは滅多に使わない。わかるところしか行かないので。

どこどこ迄まっすぐに行って川を渡ればすぐよ、、、、と
簡単な指示をもらって車を走らせる。
だいたいわかるけれど初めての場所なので念のためナビを入れた。

私の好きな道を走ったので毎回ナビに逆らって
「次を右です。右!」と言われながら
「ごめん 左に行くわね。」
何て言いながら走っていた.
同じ方向なのでナビはその都度慌てて
訂正し新しい道を勧めてくる。

もう次の信号が過ぎれば川だなとわかった時、ここからは細かいからナビに
従がおうと思った

するとナビはどんどん右へ右への道を
勧める。ついて行ってどうしよう!これは違うところに来たと思った時はもう遅かった。

最初に私はナビに住所ではなく携帯に入っていた自宅の電話番号を入れたのだった。
それが間違いだったのだ。

彼女は同じ市内で引越しをしていた。電話は変えなかったのだった。

ナビは彼女の元の家に私を導こうとしていたのだ。

たまに慣れないことをして失敗した。

幸い昔の土地勘で多分この道だろう 今に駅への方向がわかるだろうと
走っていて一件落着した。

最後にナビに頼らなければすぐわかった
所だったのに30分のロスをしてしまった。

2日目 月山と羽黒山

2014-08-24 | 日記
二日目は出発が7時45分と早いので朝食も6時からである。
私は動作がノロノロ鈍いので早目に朝食に行った。

旅行代金をなるべく安くするために団体客をビジネスホテルに
泊まらせるグッドアイデア。
夫婦での参加者も多かったが一人一部屋なので分かれてしまう。
食事もバイキングだが無駄がなく美味しかった。

バスは鶴岡市から月山に向かう。
八合目迄は細い山道を30分以上
登る。八合目の駐車場が狭く停められないと困るので
早くに出発したのだった。
朝早いから下山してくる車はいないが
対向車を見つけるとどちらかがバックして
待避所のあるところに行く。
とても運転が大変だ。
上に上がって行くと霧が濃くなって来て視界が悪い。

やっと八合目迄つき御花畑を散策しようとバスを降りたが
霧で何も見えない。

八合目の石碑を撮ろうとしても風雨がひどくて飛ばされそうだ。
勇敢な人は何も見えない霧の中に消えてびっしょりになって
帰ってきた。私は八合目バスの中で待つ。


下りは下から上がってくるバスや乗用車と
道を譲り合いながら降りたので時間がかかった。

1800m以上ある月山だが羽黒山は400m
位である。

修行者は羽黒山から登り月山を経て最後に湯殿山の奥の院迄行き
お祓いをしてもらったのだそうだ。

羽黒山は日本で一番大きな茅葺屋根の神殿がある。

その他杉並木が有名だ。
今回は特別に本邦初の蜂の子皇子のご尊像を見ることができた。


2500段の杉並木の階段をおりて行くと有名な五重塔に着くのだが
時間がかかりすぎるのでいったんバスに乗り随神門
と言うところから250段の石段をおりて
五重塔に辿り着く。
雨の後のぬかるみの階段を杖を借りてもくもくと歩く。
千年以上経つ爺杉と五重塔がそびえていた。


聞くところによると松尾芭蕉も羽黒神社から月山に登ったそうだ。
芭蕉の碑もあった。

帰途は首都高を使ったが割りに空いていて
2人のバス運転手が交代で運転してくれたので安心した。

往復約1500キロ走ったが全く疲れを感じない楽しい旅行だった。

バスツアー1日目 湯殿神社

2014-08-23 | 日記
出羽三山とは山形県にある月山 羽黒山
湯殿山の三つの山を言う。修験道の山として有名だそうだ。
今年は12年に一度の午歳御縁年であり羽黒山の
ご尊像特別拝観ができると言うので旅行会社も
いろいろなプランのツアーを売り出している。

6月28日に開通した海老名から県央道に入り
東北道 山形道を走ること677キロ

湯殿山に着く。

下の駐車場から神社までは道が狭く
黄色い公共のバスで御神域のある
赤い鳥居の下まで登る。


御神域は撮影禁止。
ちようど滝に打たれて修行をする白装束の
男女を見たが残念 写真は撮れなかった。

御神体は大きな富士山をつぶしたような茶色の石である。
靴 靴下を小屋の中のベンチで並んで脱ぎ
みんな裸足でお祓いを受ける。
その後ぞろぞろついて行くと上から温泉のお湯が流れてくる岩場を登る。
お湯は足の裏が火傷しそうに熱く、岩場はぬるぬるで滑りそうだ。
口で説明しても伝わらないと思うので
写真が禁止なので絵を描いて見た。


(もっとわかりにくくなってしまったかしら?)
死に物狂いで柵に捕まりながら登り、同じ道を降りた。

どこの世の中に脱がせて参拝させるところがあるだろうか?

友人とはバスの中でずっとおしゃべりをしていたので
食事入浴の後は一人一室のホテルの部屋に八時過ぎに入った。

久しぶりに一人の部屋 でのんびりした。

カルトナージュ

2014-08-22 | 日記



世の中には器用な人がいるものでH子
さんはカルトナージュの名人である。
カルトナージュとは厚紙で作った箱など
に紙や布を貼りつけて仕上げるフランス
の伝統的な手芸のことを言う。

誰でも目にしたことはあるが名前は
あまり聞いたことがないのではないか?

紙の箱に布を貼って綺麗な箱に仕上げる。
蓋には綿を入れて膨らみをもたせることもできる。

この材料は100円ショップで買った箱だ。
そのままでも可愛い箱なのに布をしっかり貼ると
丈夫だし雰囲気がすばらしい。


私も一ついただいて宝石箱にして使っている。

暑い夏楽しいから作りませんかと誘われたが
これ以上何かにのめり込まないようにしよう
それに作品がふえたらおく場所がないから
やめておこうと丁重にお断りした。

出羽三山への旅

2014-08-21 | 日記

昨日からバスツアーで山形県の鶴岡に来ています。
第一日目はひたすらバスで
走り日本海側の山形県まで来ました。

本日二日目の行程は

月山 弥陀ケ原八合目(散策60分)

羽黒山(三神合祭殿) 参拝60分

羽黒山(五重塔見物)見物40分

軽い散策 をし、なだらかな坂 、石段を
歩きます。
今夜遅くに帰宅します。



村岡花子氏と母の接点

2014-08-20 | 日記

朝のNHK連続テレビ小説をご覧になっていない方には
申し訳ないが 8月19日の放送で
花子がJOAK東京放送局でお話おばさんになるため
声の特訓を受けている

これからお話おばさんとしてラジオで活躍されるのだろう。
可愛いお子さんを亡くされ翻訳に没頭されていたようだが
近所の子供達だけでなく日本中の子供達にお話をされるのだ。

(私がお目にかかった時の優しい低いお声を思い出す)

花子氏が放送されていたのはNHKが開設された愛宕の局だったと思われる。

その当時19歳位の母は合唱隊に入っていたが
ある年末の特別番組に少年放送局長として低い男の子の声で出演していたと言う

それから20年後我が家の応接間に村岡花子氏が見えて
その昔話に花が咲いていた

私はご挨拶しただけだったが優しいおばさまの
印象は今もはっきり覚えている。

ドラマが実在のことなので母のことを思い出し不思議な思いになる。
母が生きていたら、放送室や施設 マイクのことなど懐かしがって
説明してくれただろう。

ネクレスの修理

2014-08-19 | 日記
母の形見のネクレスの糸が切れた。
綺麗な水晶や石なのでこのままにはしたくない。


お形見分けをした方からも糸が切れてし
まったとの報告を受けた。
それこそ申し訳ないので何とか治す
技術を身につけようと思った

一度手芸屋へ一人で出向いたが
人手不足か店員がまばらで教えて貰える
雰囲気ではなかった。

昨日は手芸万能なH子さん宅に相談に
行った。
彼女はすぐに私の希望を聞いてくれて
ネクレスの治し方を伝授してくれた。

とても細かく目が疲れ、肩も凝ってしまったが
特別な拡大鏡を使いクタクタになりながら二本の
ネクレスを生き返らせた。


工具材料など細かい道具を揃えて他の
ビーズの作品も作ろうと思っている。


今日の写真は携帯から。

喜寿の祝い

2014-08-18 | 日記



夫の七十七歳の喜寿の祝いの会
を子供達孫達が開いてくれた。


どこが会場なのか全く知らされず
ミステリーツアーである。

車に乗せられ高速道路を走り30分
緑いっぱいの高尾方面に走り着いた
ところは昔懐かしい囲炉裏焼きの
大きなお店、「ごん助」だった。

40年前から家族四人で結婚記念日やら
誕生日などに時々車を走らせて行っていたところだった。
その頃はカーブで有名な大垂水峠を走ったのだが
今は高速道路ができていて便利になった。

まさか二度と行くことはないと思ってい
た所にタイムスリップできたのだった。

ごん助は囲炉裏焼きなので小さい家が敷地に点在している。


まさか車椅子利用者は無理だろうと思っていたが
息子が前もって調べてくれたら最近車椅子でも
利用出来る部屋が出来たばかりと言うことがわかったのだそうだ。


祝われる当人が一番びっくりしていたが
鮎、海老、帆立貝など色々なものを
たっぷりとした炭火で焼くのは昔の囲炉裏を思い出し
たのしくそして美味しいひととときだった。


捨てられない洋服

2014-08-17 | 日記
毎日暑いので洗濯ばかりしているが
流石に日差しが強く風があるのですぐ
乾く。ということはすくなくとも
普段着は数枚あれば十分だ。

ところがどうしてこんなにたくさんの服があるのだろう。

なにに比べて多い少ないというのかわからないが
とにかく体が一つなのにあるはあるは、、、、
たいしたこともない洋服がたくさんある。

シーズンが来ると衣替えと称して入れ替えをする。
同じような洋服がクローゼットにずらりと並ぶ。

断捨離の大家が来たら
[ときめかないものは捨てなさい ] と言われるだろう。

これは高かった、これはいつか着るだろうと思って
とっておくのが一番いけないのだそうだ。

なるべく新しい物は買わないようにしているけれど
人に会うとき去年もこれだったかもしれないと思うと
新しい物が欲しくなる。
実際相手はそんなに覚えていないだろうに、、、、、気になってしまう。

普段着はもう一回着て捨てようと思うのに洗濯してしまうと
又着たくなってしまう。

[明日があると思うな]と自分に言い聞かせているのだが
この分だとあと何十年も元気で生きていなければならない。

心を鬼にして断捨離をしなくては、、、、、。