花粉症
2012-04-30 | 日記
天気予報で最後に翌日の花粉情報を伝えていた。
最近はどうだろう?
昔はそんなことなかった。どうも我が家では流行になる前に
その”病気”(流行)を取り入れて孤軍奮闘してきた気がする。
花粉症と夫の鬱病である。両方とも今では社会で認められ薬も
たくさん出回っている。
私の花粉症は相模原に住んでいるとき、今から30年以上前だった。
周りにあと二人重傷の奥さんがいて三人で目から涙、鼻は真っ赤、
ひっきりなしに鼻水を垂らしていた。
鼻から息ができず口で息をして寝るのでのどは真っ赤で痛かゆい。たわしで
がりがり引っ掻きたいほどだった。
電車に乗って暖房が利いていると息ができず、席があっても座らずドアのそばに立ち
駅でドアが開くと深呼吸していた。学校で教えていても教室は暖房で息ができず
教えながら教室のドアを開け息をしたら、40人の生徒は私の行動を見ているので
「先生、どうしたんですか?」と言われてしまった。
アメリカのヘイフイーバーの薬が少し眠くなるが効くようだと友人が帰国するたびに
買ってきてもらったり、日比谷のアメリカンファーマシーまで買いに行ったりしたものだ。
花粉症のメッカは相模原とお茶ノ水(夫の勤務先)と聞いた。北海道に疎開
すればよいともいわれたが・・。
引越しをしたら治る・・・と言われ丁度相模原を離れたのが3月。引っ越しで忙しく
しているうちにその年は胡麻化し、だんだん花粉症から離れた気がする。
「うちの母は年を取ったらだんだん治ったわ・・・」という声に喜び、「うちの母は
年を取ってから花粉症が始まったの・・」と聞くとがっかりしていた。
その後花粉症が世間で認められるようになり、テイッシュの箱を持って
歩いている勇敢な若い人も見かけるようになった。
今では眠くならない薬もあるようで眼鏡やマスクも発達している。
今年は家にいることが多いせいか全く花粉症にかからない。
最近はどうだろう?
昔はそんなことなかった。どうも我が家では流行になる前に
その”病気”(流行)を取り入れて孤軍奮闘してきた気がする。
花粉症と夫の鬱病である。両方とも今では社会で認められ薬も
たくさん出回っている。
私の花粉症は相模原に住んでいるとき、今から30年以上前だった。
周りにあと二人重傷の奥さんがいて三人で目から涙、鼻は真っ赤、
ひっきりなしに鼻水を垂らしていた。
鼻から息ができず口で息をして寝るのでのどは真っ赤で痛かゆい。たわしで
がりがり引っ掻きたいほどだった。
電車に乗って暖房が利いていると息ができず、席があっても座らずドアのそばに立ち
駅でドアが開くと深呼吸していた。学校で教えていても教室は暖房で息ができず
教えながら教室のドアを開け息をしたら、40人の生徒は私の行動を見ているので
「先生、どうしたんですか?」と言われてしまった。
アメリカのヘイフイーバーの薬が少し眠くなるが効くようだと友人が帰国するたびに
買ってきてもらったり、日比谷のアメリカンファーマシーまで買いに行ったりしたものだ。
花粉症のメッカは相模原とお茶ノ水(夫の勤務先)と聞いた。北海道に疎開
すればよいともいわれたが・・。
引越しをしたら治る・・・と言われ丁度相模原を離れたのが3月。引っ越しで忙しく
しているうちにその年は胡麻化し、だんだん花粉症から離れた気がする。
「うちの母は年を取ったらだんだん治ったわ・・・」という声に喜び、「うちの母は
年を取ってから花粉症が始まったの・・」と聞くとがっかりしていた。
その後花粉症が世間で認められるようになり、テイッシュの箱を持って
歩いている勇敢な若い人も見かけるようになった。
今では眠くならない薬もあるようで眼鏡やマスクも発達している。
今年は家にいることが多いせいか全く花粉症にかからない。