Yoshikoの『リビング』へようこそ

16年間脳梗塞後遺症の夫と101日間世界一周クルーズをした。その記録を「リビングを船に乗せて」として著す。

暑気払いパーテイ

2011-07-23 | ダンス
 先日、暑い中、近くのダンススタジオ主催のダンスパーテイに参加した。
昼間のパーティだから行くまでが真夏の太陽に負けそうになる。
しかし、スタジオに入れば冷房がきいているので汗がひいてから
更衣室でダンスのドレスに着替える。

ダンスの相手をしてくれるリボンちゃんは大学ダンス部の学生。
皆上手に踊ってくれる。
順番に次々踊った後は有志のデモンストレーション。
  


若いリボンちゃんカップルのラテン。
 



余興で順番に踊ったり楽しい午後、まさに暑気払いのひと時であった。
いろいろこの世の悩み、憂鬱なことがあっても別天地では暑さもなにもかも
忘れてしまうからダンスは不思議なマジックかもしれない。

5時前、お開きになっても外はまだ暑く日傘が必要であった。

VHS と DVD

2011-02-02 | ダンス
 VHSで録画した物がたくたまり、段ボールがいくつか
押し入れの奥から出てきた。捨てなくてはならない。

どうしても記念にとっておきたい、もう一度ゆっくり見たいと
映画、オペラ、ダンス競技会など沢山録画していたがまず、もう一度見た
物は1パーセントあるかないか・・。

私は見る時間がないからあまり録画に興味はないのだが夫が好きなのだ。
細かい字で沢山書いてある。このまま「断捨離」してしまうと夫が怒るだろう。
 
一本のテープにちょっとしか入っていないものもある。
近頃はVHSははやらなくてDVDで記録しておくのだそうだ。

どれを残そうかとチェックしたいが家の機械が壊れてあせった。
あまりVHSだけの機械は売っていないという。

出来ればVHSをチェックして必要なものをDVDに保存したい。

その願いがかなった。
先日息子が買ってくれたDVDレコーダーだ。初めは必要なもの捨てるものを
チェックするつもりだったが見られるんだからこのままでもいいのでは?とのんきになってしまった。

懐かしい競技会の風景が出てくる。その場面が映るとその時の会場の様子、
控室の様子まで思いだされる。
あ~この後、落ちたんだ・・。さすが点数は覚えていないが踊っていたあの瞬間の
気持ちも甦ってくる。
クラスの上の人の競技も勉強するために撮っていたが最低限のものだけ整理しようと
思う。


(戸田スポーツセンターでの関東大会。手前が私)

見ていて気がついた。腰が痛い。
じっと見ていて身体も心ものめりこんでしまい、一生懸命見ていたので
腰が痛くなってしまった。今後、競技会のビデオを見るのは厳しいかもしれない。

新年会

2011-01-17 | ダンス
 早いもので一月ももう半分過ぎた。世の中、だんだん、始動してきたが
相模ダンススポーツ連盟の理事会があった。毎月一回夜の会合だが
新年会を一緒にすると言うことで土曜日の午後になった。

第一部は神妙に毎月の伝達事項、行事の相談をする。


そして第二部は部屋を変えて中華料理の座卓を囲んだ。


年に一度の親睦会。

アルコールも入り、だんだん賑やかに、和やかに輪が広がる。

さすが、ダンス連盟の理事、会員だけあってカラオケが始まるとダンス談義に
花が咲き、踊りだす人たちも・・。


相模ダンススポーツ連盟は会員が350名以上、サークルは15.6で
代表としての理事も通常は30名ほどであるが、今日は一般の会員も参加なので
50名以上のにぎやかな宴会となった。

お酒を飲むためにほとんどの人が車ではなくお店が出してくれるマイクロバスを最寄り駅まで
利用していた。

幸か不幸かアルコールを飲めない私は車で伊勢原の中華料理店まで行ったのだった。
(酒を飲めないなんて不幸だねぇ~。かわいそうに・・・)とさんざん言われた。

お土産に可愛いおまんじゅうが出た。


昼下がりのダンス

2011-01-13 | ダンス
 競技選手は朝から練習場に行くのは珍しくないが、勤めている
年齢であったら休みの日以外は練習は夜になる。
平日の昼下がり、近くのダンススタジオに踊りに行く。

曜日が決まっていると顔ぶれは同じだが私たち、仲良し3人組は
月一回と決めている。明るいスタジオは毎日通っている元気印の
人を始め、みな元気で明るい人ばかりだ。

マスターが順番に踊ってくれるが私たちは男性一人、女性二人なので
バランスがちょうどよく楽しめる。数年前100人以上集まって練習するところで
私たちは出会ったのだった。もう一人の女性と私は仲良しで一緒の行動をして
いた。

順番に男性が踊ってくれる練習会で、たいていの男性は
「私はうまいでしょう?」と言うムードをひけらかす。
うまく合わないと女性のせいにする。黙っていてもそのような
満足度、不満足度はお互いによくわかる。そして「教え魔」と
なる人もいるのだ。

もちろん
「あなたは相当月謝を払ったでしょう」とか
「素晴らしい、お上手ですね」と声をかけてくれる人もいる。

その駆け引き、社交は難しいのであるがそんな中私たち二人は
身体がしっかりした、静かな紳士を見つけ出した。

なんとなく、踊る回数が増えてとうとう1年ほど前から
一カ月に一度の集まりを約束するようになった。

かわいい”仲良しグループ”である。

踊っているところは写真を撮れないのでほんのちょっとだけ・・。
 
今日はアメリカの友人が作ってくれたネクレスをして行った。

ダンスパーテイ(3)

2010-12-25 | ダンス
またダンスの話で恐縮。

19日の7時間のパーテイは場所が近かったので車で往復時間を入れても
8時間で済んだが23日のパーテイは東京新高輪パミールであったので
またも7時間以上の長丁場。帰宅はシンデレラもアウト!12時を過ぎて
しまった。

嶋崎千吉・恵理子夫妻のシマザキダンススクールの20周年記念舞踏晩さん会
である。

友人がデモンストレーションをするので招待してくれたパーテイであるが、
今まで出た中で一番大規模であった。時間は7時間であったが抽選会もなく
出演者のコメントもほとんどなく、どんどんフロアーで踊りが始まる。
 

アマチュアのデモンストレーションは1部、29組、2部、30組、
そして3部はプロフェッショナルの方々のデモンストレーショが、なんと25組
である。 その前にプログラムに名前が載っていないトライアルが10組以上あった。

お客は500人くらい。

専門的になって申しわけないがダンスをする方は興味持って下さるだろう、プロの
お名前を紹介する。
1)嶋崎組 2~6ダンススクールスタッフプロ、7)角掛・穂坂組、8)結城・増田組
9)菅谷・尾崎組、10)深川・伊原組、11)井崎・塩田組、12)増田・塚田組
13新鞍・中田組 14)市川久・大内組、15)鈴木・古川組、16)市川学・大島組
17)三輪組、18)加藤・宮田組 19)三橋組、20)中島・鈴木組 21)大竹・四本組
22)藤本・佐藤組、23)峰岸・三輪組、24)桧山組、25)遠田組。

19日にお目にかかったプロもおられ、ダンスパーテイだけは掛け持ちができない長丁場
でお気の毒だ。外デモと言ってお教室から一人生徒さんを連れてきて踊られる方もある。
御自分の出番は3分だがヘアーセットをしてメイクをしてドアレスを着て踊った後も
一番最後のグランドフイナーレまで待っていなくてはならない。
プロにとっては12月の土日、祝日はお仕事とはいえ一番過酷な日々だろう。

最後に大御所が踊られるから、観客としても途中で帰ることができない。 
こんなチャンスまたとない。生で演技が見られるのである。

友人のデモンストレーション。(クイック)



最後のグランドフイナーレの一部。


最後の嶋崎組のワルツ
    

ダンスパーテイで(2)

2010-12-22 | ダンス
 昨日のダンスパーテイの続きである。

7時間の長丁場が嫌だ・・早く家に帰りたいと思ってしまうかもしれない・・・
どうやって時間をつぶしたらよいのだろう・・・
最後のプロのデモンストレーション、スペシャルゲストの素晴らしい踊りはぜひ見たい・・
いろいろ考えていた。
 

Sダンス連盟の総元締めの事務をしているので競技選手はほとんどお顔が
わかるし、20年くらいダンス界にいれば大体古い方はわかるのだが
自分があまり”ハイ”になっていないのでうつむき加減に会場に入った。

その前に駐車場はまさかの満車。
それでも地下に入りかけてしまったので向きを変えることもできず、20分ほど
地下にいたことになる。

ある方と目があった。
戸惑いながら会釈をする。どこの方だったか?
思い出せない。でも目と目ではしっかり微笑みあったのだ。


会場に入り、自分の名前の札の前に座る。こういうところは
一人で来るものではなくパートナーと来る場所なのだ。
パートナー亡きあと、堂々と一人で処世を泳ぎ回っているものの、
15人用テーブルは全部カップルで私だけが独り者である。
まわりも知人ではなくぽつんと取り残されパーテイの賑やかさは
自分を越えたどこか遠いい国の出来事のように感じられた・・・その時

「あの~ブログ書かれていますよね」と近寄ってくる方がいた。
「はい!でもどうして?」
信じられない偶然だが、彼女がどうしてかわからないけれど私のブログに
到達し、毎日読んでいてくださるとのこと。

名札で私の名前を確認しに来て下さったのだ。


そしてその彼女こそ、さっき挨拶を交わした方だったのだ。

ずっと以前、ダンスの練習場で一緒だったことがあった。お互いカップルで
練習なのでほとんど挨拶だけで話しはしたことがない。そんな仲だった。

「どこでお会いしていましたかしら?」
「お名前は?」やっと10年以上前の糸を手繰り寄せた。

ダンスの上手な彼女は昔とちっとも変っていないがボールルームダンス協会の
役員をされているとのこと。活躍されているようだ。

「あ~、今日来てよかったわ」と彼女の出現に感謝した。


     (10年ぶり、Sさんと)

ダンスパーティ(1)

2010-12-21 | ダンス

                                     スペシャル・ゲスト
                                     アンジェロ・マドーニア&
                                     アレッシア・ベッティ(イタリア



年末のダンスパーティの季節になった。いつも自分が通っているダンススクールの
パーティは今年、もうひとつのスクールと合同の大々的なパーティとなる。

普通は午後4時ころがドアオープンで9時ころまで、5時間程度の長丁場だが、
なんと今回は2時オープン、9時終わりで7時間の長丁場となる。
聞いただけで気が遠くなるようで、見るだけでお尻が痛くなってしまうのでは
ないか、と参加するのが憂鬱であった。

しかし、美しい、大きなシャンデリアの下、ダンス音楽につつまれて
あっと言う間に7時間が過ぎてしまった。退屈することもなく楽しめた。
デモンストレーションが多かったのでデイナーが始まるまでが待ち遠しかったが。

なにしろ、66組のデモンストレーションには驚く。

そのほかにミニコンペ。



子供たちの余興。



プロの先生方が8組。


そしてスペシャルゲストがイタリアのアンジェロ・マドーニアとアレッシア・ベティの
新進気鋭のカップルだった。

その昔、パートナーが存命中は私も必ず、パーテイでデモをしたのに・・。

その頃習っていた日本で1,2の有名なプロの先生にお会いして
懐かしいレッスン風景が思い出されて涙が出た。
彼が存命であったなら、このようなパーティも常に守られていて
気を使うこともなく幸せであったのに。

友人のF子さんの踊りが素晴らしく、ひときわその気持ちをよみがえらせてくれた。
       
彼女は淡いピンクの衣装でサラサライトマンが歌う「アメージング・グレース」の
ゆっくりな曲に合わせて一歩一歩を大切にワルツを踊った。
ダンスの写真はむずかしくてなかなかその瞬間を捕らえることができないのだが
私の心のカメラがシャッターを何枚も切ってしまった。
しっかり撮れていないが眺めているとその感じが伝わってくる。


プロの写真は撮れないので困ったな~と思っていたらたまたま
ダンス雑誌の広告で出ていた。

ぱしびのダンス (ぱしび16)

2010-10-06 | ダンス
クルーズはただ船に乗っていれば次々と新しい土地に連れて行ってくれる素晴らしいものだ。
しかも飛行機の旅行に出たとすればその間は我慢しなければならないダンスを
毎晩出来るのだから本当に嬉しい幸せなものである。

ダンスは外国船は知らないが…いつの日か経験したいもの・・・??(まあ、これは叶いそうもないが)
ぱしびのダンスは熱が入っている。ほんの数日だから先生やスタッフと親しくなれなかったが
言葉に出さなくてもダンスは組んだ瞬間相手が分かる。
初めて会う人間関係でも数分で相手が自分をどう思っているだろうかその人柄がわかるというけれど、
ダンスも組んでほんの数歩でその人がどの程度かと言うこともわかる・・
面白い出会いである。

男性のリードに女性はただ従わなければならないから、ここであのルーテンを入れてくれたら
良いのにと思っても、まったく許されない世界なのだ。男性の頭の中のコンピューターは
大忙し。次は何を組み込もうか・・とあわてている。それを女性が何なくマスターすると
次は何を入れよう・・・あせっている男性の焦りが伝わってくる。
ダンスは勝負だった。そのガチンコ勝負ができると真剣勝負、最高!!である。
  


船のダンスの先生やスタッフ、船長、機関長、そのほか船の一般の方と
沢山踊って休む暇がなかった。

昼間はレッスンがあり、盛況なのだがメインショーの後の時間なので
カジノに行く人もいれば、遅いからお風呂に入ってもうお休み・・・という方が多かったようだ。

バンドがいなくなり、最後の最後まで踊った後はさすがの私もお夜食に付き合った。
 

そこではダンスのスタッフと親しくお話ができた。
だんだん親しくなり、お茶の時間にも記念撮影ができるようになったが
詳しいことは話さなかった。だが写真を先生にお送りしたら
ご丁寧なお礼の電話が来て先生ご夫妻と30分以上もお話することが
出来た。いつの日かまた乗ってみたい・・ぱしふっくびーなすである。

相模ダンススポーツ大会

2010-10-05 | ダンス
年に二回ある相模ダンススポーツ連盟主催の競技会が開催された。
現役選手の時も連盟主催の大会は競技をあきらめて役員に徹していた。

近頃は役員としての裏方の仕事を頼まれているだけなので
正直言って期待もスリルも興奮も喜びもなくただ自分が歯車の
一部になっている気がする。

それでも遅刻は許されないので7時前に家を出て会場に向かう。

正面玄関の前には選手の行列。
裏玄関にはおそろいのジャンパー姿の役員が集合。
  


8時20分、役員が会場に入る。
8時30分、選手が会場へ。
選手時代はいつも前の方に並んでいて会場で条件のよい着替え場所を確保したものだった。

開会式、競技とどんどん始まるが私は会計など細かい仕事を別室でする。


午前中はラテン競技。
次々と結果が発表され決勝へと絞られる。


この紙が張り出されるとみな集中するのでひどい混雑になる。だが、この一瞬が
スリルであり、このドキドキ感は息が止まりそうになるくらいカップルにとって
生死の境目なのだ。

相模カップの優勝者が決まるとアナウンスされ、オナーダンスがされるが
その名前を聞いた途端にカップにつけるリボンに名前を入れるのも私の役目で
ある。今回は第12回、最初の時から名前は私が書いているので少なくとも
お手伝い12年目ということになる。

午後はモダンの競技が行われたが仕事でなかなかゆっくり観戦はできない。

最後の表彰式の後、集合写真を撮っていた。
この6組の中に親しい人が3組いる。もう少しすると
時代が変わって知っている人はいなくなるだろう。



最後は張り巡らしたダンス用の敷物を全部はがし、なめるように掃除をして
体育館に会場を返す。役員は前夜の準備から当日までなかなか大変だ。


真っ暗な駐車場で「あ~とうとう一日が終わった」と言う安堵感を
感じ、一呼吸。毎回、淡々と役目をこなすだけだが無事に終わってほっとする。

シニアのダンス(アメ通7)

2010-07-18 | ダンス
(私のブログは字が小さく色が薄くて読みにくいと私自身思っていました。友人の
ブログは読みやすい。goo事務局に質問してやっと改善策を教えてもらいました。
少しは読みやすくなったでしょうか?)




神奈川県ダンススポーツ連盟の広報部員の一人としてはせっかくよその国へ来たのだから
ダンス事情を調べなくてはならないとインターネットで調べて出かけて行った。

Allegro Ballroomと書かれた倉庫のような建物がダンススタジオであった。
外見はおよそ、ダンスなど想像できないほど殺風景である。

恐る恐るドアを開けると広いダンス練習場ではプロのレッスン中であった。
聞けば個人練習はたくさんのインストラクターの中から自分で先生を選び
電話をして練習時間を決めてレッスンをするのだ。

大きなホールが三つもあり個人のラテンのレッスン用の部屋は見えただけで三つあった。

大きなダンススタジオだが日曜日の午後だけ、65歳以上のシニアにフリーで解放しているのである。

時間になるとどんどんシニアが集まってくる。7月4日の独立記念日の前だったので
デコレーションも華やかであった。
一時間ほど、コーチに合わせて合同練習をした後、フリータイムのダンスが始まる。

次の音楽がテレビに予告される以外は日本でのシニアの練習風景と変わらなかった。
もちろん、ここは競技会に出る人々ではないので思い思いのリズムで動いている。
リズムをはずす人、パートナーを必死に探すのだが「あの人に捕まったら大変!」と
敬遠される人など、どこかの日本のダンス練習会風景とまったく同じであった。

踊ってさえいれば私はどこから来た誰かと気にもされなかった。
ダンスは世界共通のコミュニケーションである。

競技を目指している人達の日常を観察したいと思ったが、日本でも私的な生活ぶりは
知人でもいなければ覗くことができないから仕方がないかと思った。
       

栄光へのステップ

2010-07-11 | ダンス
昨日午後二時から三時半まで教育テレビで六月に武道館で行われた
31回日本インターナショナルダンス選手権大会が放送された。
前から放送時間を知っていたのだが朝になって思いつきブログに
加えた。教えてもらってよかったとか、忘れていた!とかいろいろな
反応があったが、夜ブログを見た人は
「なんでもっと早く言ってくれないの」「録画したかったのに」
とも言われてしまった。

でも、BS2で7月19日午前10時から再放送するそうである。

プロの世界の最高峰である真剣勝負の世界であるがなかなか日本選手が
活躍できない。それにしても、今年は中国、韓国のアジア勢が多く
イギリス、イタリアなど昔台頭していた人たちがいなくてさびしい気がした。

放送されたのは準決勝と決勝の一部であるがそこにくるまでに選手たちは
朝の7時から12時間くらい戦ってきているのだ。

男性の燕尾服の中のワイシャツはおそらく何度も代えられているだろう。
汗でびっしょりになるからだ。
女性のドレスも準決勝、決勝では代えられていた。昔のドレスは
オストリッチの羽根がついていたが今ではシンプルになり、羽根はついていない。
髪型も今年は上にまとめている人と下にまとめている人が半々くらいだ。一時代
前は三角錐の髪の毛を頭につけてみなの頭がとんがっていた。

近頃はダンス専門のヘアーメイクをするパーマ屋があり、アマチュアの人も
前日からわざわざ行く人もある。自分で結いあげる技術もダンスの上手な人ほど
上手でおどろく。

このようにプロが示す髪型、ドレスが下に浸透していき、いつの間にか
ダンスショップで売られている。

昔からの人でアメリカのヴイクター・ファンが好きだったけれど、あれっ?
またお相手が変わったのかと思ったら組んで7カ月と言っていた。
昔国際部のパーテイで話したことがある。彼のこの素晴らしいフレームの
中で何人の女性が舞ったことか。パートナーが変わっても全英で3位、今回2位
で実力がある。

ラテンの優勝はコッキ組、スタンダードはビゾーカス組優勝。日本の橋本、恩田組が
3位で表彰台に上がった。


ダンスパーテイ

2010-06-14 | ダンス
梅雨に突入するという日曜日、午前中は地域の美化デー。
朝から家の外回りの掃除をしてマンション玄関の花壇の花の
入れ替えを有志の人たちとする。



湿度の高い日なので汗ばんだがシャワーをあびて
午後からダンスパーテイへでかける。

私がいつも習っているスタジオの先生が近くのダンスホールの
10周年記念にデモンストレーションをされることになり、
生徒が先生を応援と言うことになった。

ホテルのパーテイでなく公共施設を借りてのパーテイなので
フルバンドの演奏があったが割に地味な雰囲気であった。

スタジオで先生に習っている友のうち4名が応援デモをした。

友人と二人で行ったのだがダンスの道は深く広く?昔の友達がたくさんいた。
どこに行っても知っている顔がたくさんある。

競技をしていた時のライバルの顔もなつかしい。
お互いに年をとった。

老若男女と言いたいが老老男女でダンス愛好家の年齢は高い。

アマチュアの人のデモもよかったが、やはりプロのデモンストレーションは
見ごたえがあった。

先日は私の先生だけの写真を掲載したのでその先生のパートナー、
美しい奥様の写真である。

ラテンの先生と一緒に最後のあいさつ。

渡米準備

2010-06-06 | ダンス
大げさな話で恐縮。
あと2週間ほどでちょっとだけ日本を留守にする。
ただ行って帰ってくるのなら楽なのだが
身辺整理をしなければならないことがある。

前にも書いたが相模ダンススポーツ連盟の競技会申し込み担当の
仕事である。私が処理をしなければ相模のサークルに属している人は
誰も競技会にエントリーが出来なくなってしまうのだ。

各大会主催者は開催日の一カ月以上前までに申し込みを受け付ける。
その締め切りの10日前に私は各サークルからの申込書を受け取り
主催者に送るのだ。

競技に出場したいと思う選手は2か月前くらいに決定しなければならない。
その締め切りが留守中になってはいけないので競技会の申込日を調べ
締切日を早めるよう各サークル責任者へ連絡をする。

メールアドレスを登録してもらっているのでパソコンと携帯に送ったが
しっかり届いていないことが判明。

メールのない人もいるのですべてに印刷して郵送することにした。

たったそれだけのことであるが午前中を全部使ってしまった
私の事務処理の遅いことが理由だがこの仕事、本当に早く返上したい。

・・・と言ってもこのブログを見ている関係者はすくないのだが・・。

仮面舞踏会@熱海

2010-05-31 | ダンス
5月29日、神奈川県ダンススポーツ連盟主催ダンスツアーが
熱海ニューフジヤホテルで開かれた。
相模連盟から私も参加した。集合は自由なので友人と待ち合わせて
出かける。

13時、ドアーオープンでフリーダンスタイム、練習会などと続き、
夕食後はメインイベントの仮面大舞踏会が開かれた。

主催者から仮面を渡され、それをつけないと入場できない。
初めて仮面をつけて見たが視野が狭まって踊りにくいこと。
特に、競技会では常に人とぶつかりそうになるから真正面だけでなく
右後ろも左横もすべて見ていないようでどこかの眼で見ていることが
よくわかった。目の開いている部分が一部だと全く横が見えない。

それで感覚がおかしくなり思い切って踊れない。
他方、顔が見えないので男女とも誘うのが楽だと言う声があった。
女性の場合、いつもイケメンを求めていた。仮面をかぶっていると
誰かわからないから誰でも満足する?と。

また、仮面のため顔がわからないから誰にでも誘ってもらえる
との声も。(私も誘われてA級のアテンダントに踊っていただいた。)



その後、ミキシングパーティとなり、男一列、女一列と並び誰と
当たるかわからず、不特定の人と公平に踊るゲームが続いた。

神奈川県下の各連盟の交流が出来た、楽しい、有意義な企画であった。

広報部会

2010-05-17 | ダンス
神奈川県ダンススポーツ連盟の中にある広報部に属している。
相模ダンス連盟からの派遣役員である。現在は副部長として
「広報かながわ」を年二回発行している。

昨夜はその会議の日であった。
今回は会場が初めてのところなので少し前に他の三人の部員と
横浜で集合し、お食事をしてからでかけることになった。
いつもは会議のみで駅までの帰りの道でしか話す時間がない。

思いがけず親睦の時を持つことができて広報部、安泰と言う感じがした。

正直、会議は固い話が多く退屈することが多いのだが
チームワークが固まると、参加するのが楽しくてならなくなる。
これは、このごろの私の知恵であるが、何事もむずかしいこと,
あまり気がすすまないことがあるとそれと色々な方法で“なかよし”
になり征服してしまうのだ。

むかし、ダンス競技に出ていたころは一番苦手なクイックステップを
私は“だいすき”と言っていた。

たいていの人はワルツとかタンゴが好きと言う中で一番難しくて
敬遠されているクイックを好きと言うのでリーダーさえ驚いていた。
本当は辛かった。だがそういっているうちに本当に好きになった。

広報部の会議が嫌いというのではないが、参加するのを楽しみとするように
自分をもっていくのだ。

その広報誌の中で私は一ページを任され毎回短文を担当している。

過去11回のうちはじめの7回は匿名で書いていた。
その後、世界一周クルーズに行くならその報告を書いてと言われ、
名前を出すことになった。

広報誌の内容はダンス連盟の活動報告や、サークル紹介など固いものが多いので
“さし絵”のような感じで柔らかい読み物をと言うのが始まりであった。

しかも、題材がダンスのみと言うと範囲が狭くなるので「プロムナード」(散歩道)と
私が命名し、ダンス以外のことも書いてよいページにしたのだ。

今までのバックナンバーは「競技会のお弁当」「競技会の忘れ物」「カップル事情」
「世界一周クルーズ」などで面白いと言っていただいている。

機会があれば御披露したい。

次回は7月の終わりに9月発行に向けての会議がある

昨夜帰宅してから事務局に連絡をいれ、7月の会議場所を確保した。