Yoshikoの『リビング』へようこそ

16年間脳梗塞後遺症の夫と101日間世界一周クルーズをした。その記録を「リビングを船に乗せて」として著す。

ドレスコード

2012-07-13 | クルーズ
短いクルーズはカジュアルが多いけれど、長い航海になると
毎日ドレスコードが決まっている。

毎日夕方に発行される船の新聞に明日のドレスコード・・・と書かれている。

カジュアルは普通の格好でいいのだがある程度の常識が求められる。
プール遊びの時は短パンでもいいだろうけれど。食堂に行く時はきちんとしていく。

またお食事に合わせて「セミフォーマル」となると、少し改まってよそのお宅に遊びに行く程度のワンピース、ブラウススカート、男性ならノーネクタイでも背広を着用
となる。

フォーマルは100日間でも6回ほどしかなかったように記憶しているが
女性はカクテルドレスからきらびやかなドレス、和服と終わりがない
おしゃれが繰り広げられる。もちろん、地味にして着まわしをして・・と言う人も
いるがたいていはせっかくの豪華な旅だから…普段できない特別なおしゃれを楽しんでいる人が多い。私はダンスのドレスをたくさん持って行った。デモンストレーションを
踊るドレスではなく、ダンスパーテイに招かれた時に着るようなドレスである。

男性は普通は慶弔共通の黒い式服を持っておられるからそれでよいのだろうが
正式にタキシードをあつらえてきた方が多かった。

船と言うとそれが面倒で・・・と言う方もおられるが,ものは考えようでそれを楽しむ
世界だと思って積極的に参加すると面白いと思う。
それにしても女性の和服は日本人独特のものだから外国船では一番の正式になる。
私はだめだが、上手に着られたらきれいですばらしい。

毎回、フォーマルの日はお風呂が早く混みだしてパーマやさんも満員で賑やかな
絢爛豪華ないつもと違った雰囲気になるのだった。またその中に船員の方々の
制服が何とスマートに似合うことか。

単調な日々を退屈させないように、船のスタッフは考えていてくれるのだ。

豪華客船座礁

2012-01-17 | クルーズ
 イタリアのジリオ島近くでコスタコンコルデイlという豪華客船が座礁したという
ニュースが入ってきた。100年前のタイタニック号のようだとテレビでは時々
報道されるが遠いい国の話だからか、詳しいことが報道されない。

もしこれが日本の船だったり、日本の近くで起こったなら、報道はもっと過熱しただろう。
新聞を見てもほんのちょっとしか出ていない。日本人乗客42名は無事だったと2~3行
書いてあるだけだ。

食堂が4つ、プールが4つ、カジノ、劇場、ジム、サウナ、テニスコートなどなど
17階建てのビルに入っていた・・・そしてそれがそのまま海の上を動いていたのだ。
”洋上の神殿”と呼ばれ、4200名の定員だったと言うが毎週7泊8日で地中海を
めぐっていたと言う。

いつか船の見学をした時と同じ黄色の煙突だ。その船はそこまで大きくなかったが
一日では歩けないほど広く、あまりの豪華さに驚いたものだ。

日本でもいろいろな大きい船がある。私が乗ったにっぽん丸、パシフックビーナスは
それほど大きくはないが100日も一緒の旅をすれば運命共同体、ほとんどが顔見知りに
なれる程度の人数だった。

だが、従業員をぬかして3000人以上の人々がたった7日間過ごすとなるとそのまま、
町そのままが移動している感じでとても友達になる余裕はないだろう。
日常、隣の人は何をしているか知らないで過ごすそのままの形なのだ。

日本国内のクルーズでも一カ月以上のものはだんだん親しくなるが一週間程度の旅は
一緒に行った友達、家族だけと行動を共にしてそのまま別れてしまう。

メキシコで遭遇したカリビアンクルーズも3000人以上の乗客を乗せ毎週運航していた
観光船だったことを思い出す。

夢のクルーズに出発した途端、まだ避難訓練もしていないうちに座礁してさぞ乗客は怖かった
だろうと思う。

船は必ず水先案内人を乗せ、その人に従ってなれないところは運行する。
いつまでも船が動かないと思っていたら水先案内人の到着が遅れているという
事もあった。
操舵室は自動で、舵を持っている人は通常はいない。(ようだった)
案内人はいなかったのか?、レーダーが壊れていたのか?、”慣れ”があったのか?、
何があったのか?、本当に恐ろしいことである。

何事もなければ3000人の乗客は一週間の”神殿”の旅をゆったり楽しめたのだろうに。

フェアウェルディナー

2011-08-21 | クルーズ
  初めはウエルカムデイナーがあり、最後はフェアウェルデイナーがあった。

どちらも御馳走で紹介したいが、フェアウェルパーティの写真の方がよく撮れたので
こちらを紹介しよう。

オードヴル
ヒラメのカルパッチョ・陸奥湾産雲丹添え
  

スープ
オニオングラタンスープ
  

魚料理
アカザ海老のグリル・バジルソース(にっぽん丸特製パン)


お口直しの氷菓
洋ナシのグラニテ


肉料理
牛ほほ肉の赤ワイン煮込み 温度玉子添え

サラダ
カマンベールチーズと林檎のサラダ


デザート
アップルマンゴのウッフドココストローベリーアイスクリーム添え


コーヒー他

   

ねぶた祭り

2011-08-20 | クルーズ
 東北三大祭りのうち、秋田竿灯祭りと青森ねぶた祭りにでかけ、報告を
沢山書くつもりで張り切っていたが、軽井沢に行き、高校野球があり・・・と
寄り道をしていたら、クルーズの話はもう、過去のこと、面倒になってしまった。

先日会った友人に、ねぶたまつりはまた報告があるのでしょう?と言われ、興味を持っている
と言われたので最後にねぶた祭りをまとめてみようと思う。


ただただ、青森県民の熱の入れようが半端でなく、沿道に見物している人たちはすべて他県の
人々で黄色いボランテイアのベストを着ている人以外は沿道で踊っているのでは?と思うほどだった。

出陣ねぶた絵図にはそれぞれにねぶた師がいて下絵を描き、実行委員会がそれを支える。
昨年はヤマト運輸ねぶた実行委員会の北村隆作「海幸彦 山幸彦」が「ねぶた大賞」に
選ばれていた。それぞれのねぶたには過去に獲得した賞を大きく書きだしているが、
13年と書いてあるものは13年間ねぶたを出し続けていると言う意味だと言う。
今年のヤマト運輸は北村隆作「滝不動」であった。

 
帰宅したら何人かの友人からねぶたについてのメールをいただく。
素晴らしい、写真がついている。
見物した人の数だけ写真の力作があっただろうし、感想もあると思う。

私が一番驚いたのは”とびっこ”として沿道を埋め尽くす人々の圧倒される迫力であった。
あまりの凄さに何度も何度もカメラのシャッターを押し、どうしても地の底から
湧き出てるような迫力を家人に知らせたくて後半はムービーを撮った。

帰宅してそれを再現するとあまりの賑やかな音と迫力に
「うるさい!」「怖い!」と顰蹙をかってしまい、私の興奮は伝わらなかったと
がっかりした。
もう、この写真を見ていただくしかない!!
 

 

ねぶたの里

2011-08-19 | クルーズ
 夜中に秋田港を出港した船は朝青森港に入港した。

ここも同じように歓迎行事をしてくれる。ねぶたのとびっこの格好をした人達。

可愛い幼稚園児の楽隊も演奏してくれて船長に記念品を渡してくれた。
とてもかわいかった。
 

午前中は青森市内観光に出かけた。棟方志功の記念館に寄る。
大作が集められていて彼のビデオが流されている。



次はねぶたの里見学に行った。
山間の緑豊かなひばの林の奥にねぶたの館はあった。


観光客は少ない。


今までの優勝したねぶたをいくつか飾ってあり、時間が来ると説明があり
実際のねぶたを動かす体験もさせてくれる。
 
ラッセラ~ラッセラ~ラッセ、ラッセ、ラッセラ~と言うかけ声を練習する。
ねぶたの下にもぐりこみ、動かしてみるのだ。


お土産屋さんの前には小川が流れている。
奥入瀬渓谷を思わせる自然であった。


竿灯祭りの夜

2011-08-11 | クルーズ
 早夕飯の後、バスに乗って30分ほど、港から竿灯大通り近くのホテル前に到着。

4~5分歩いて桟敷席のある会場に向かう。年寄りが多いのでにっぽん丸スタッフは
気を使ってくれて赤い法被をきて道の角々に標識を持って会場へと誘ってくれる。

7時10分に市長の挨拶が会場すべての拡声器からはっきり聞こえる。
花火の合図とともに道を埋め尽くした竿灯軍団が妙技を始めそれはそれは
賑やかな祭りが始まる。

感動!!

道を埋め尽くした提灯は一万個。
今年は震災を受けた方々を400名を秋田市が招待をしたとのことだった。

いろいろなメーカー、スポンサー、学校、保育園、自衛隊など255組が参加
しているそうだ。
チョウチンは一個8000円ほどでひとつに50個くらいついている。
演技の途中で倒れたり火が消えたりして燃えている提灯があるかと思うと、
煌々とついていた提灯の光が一つ消え、二つ消え、だんだん暗くなって
しまっているものもあった。

秋田市民の半分・・・つまり男の人だけが演技を出来る。
女子はお囃子を担当しているが女に生れて残念がっている人もいるのでは
ないかと思った。


なでしこジャパンもあるのだから女性も操ることが許される時が来るかもしれない。

男なら小さいときから予備軍だ。

火を入れない小さい提灯で演技をする保育園児。

小学校上級くらいになると小さい本物に挑戦。頑張ってもがんばっても
倒してしまうのを観衆が応援していた。

稲穂に見立てた竿灯が夏の夜空を埋め尽くし、五穀豊穣が祈願された。
夏の夜空の一大スペクタクルであった。


竿灯祭りの準備

2011-08-10 | クルーズ
一晩のうちに太平洋から津軽海峡を通り、日本海へでた。

朝早く、秋田の港に着く。どの寄港地でもそうだが町の人が
お祭りの衣装を着て太鼓を鳴らし、踊ってくれて歓迎をしてくれる。

丁度船室の真下によく見えた。

午前中は秋田駅までのシャトルバスで自由に散策をする。町のほんの一部しかみることができ
ないが、町は竿灯祭り一色になっている。

あきたこまちの稲穂がすくすくと育っている。
町の風景、大手スーパー、コンビニ、カラオケなど日本はどこに行っても同じに
なってしまったのか。数か月前の熊本にもそっくりな景色である。稲穂以外は・・。

有名な千秋公園に行くと、昼竿灯妙技会会場があり、多くの見物客が並んで見ている。


審査員がずらりと並び、個人の妙技の採点をしてそれをボードに発表していた。
夜は提灯に火がともり、光のパレードになるらしいが昼間は一人で逆手の上に
竿灯をたて、支えの棒をどんどん長くして交代で腰に立て、額に立て、竹がしなって
いるのをうまく調節して操っている。
 

そばには平野政吉美術館があり藤田嗣治の作品が沢山展示してあった。


また赤松の林の道を登ると市立佐竹資料館がある。中には秋田の殿様であった
佐竹一族の歴史が紹介されていた。ゆっくり見たいものであった。



この一角だけでも何時間もほしいのだが街全体は静かに落ち着いていて少しづつ
夜の竿灯祭りの準備をしているように感じられた。
駅の構内は出店でにぎわっているし、竿灯が通る竿灯大通りはすでに桟敷席の
準備ができていた。
パイプ椅子を並べているところ、ござを敷いているところ…すべて見物席なのだ。

夕食を早めにとって夕方、いざ 竿灯祭り見物に繰り出すのだ。

Hide & Hide コンサート

2011-08-09 | クルーズ
和楽器デュオ Hide & HIde.

名前は知っていたが実際に聞くのは初めてだった。
尺八の石垣秀基と中棹三味線の尾上秀樹のデュオで2010年、サンクトぺてスブルグで
開催されたアコーステイック楽器による国際音楽コンクールで優勝し活躍しているそうだ。

国内では坂本冬実のサポートミュージシャンとして抜擢され、各地公演に参加しているとか。


今回のメインショーであった。三本の尺八を音の高さにより使い分け、幽玄な世界に誘われる。
それに三味線がよくあっている。不思議な”和”であり、伝統を重んじながら新分野へ羽ばたいている
ような不思議な世界であった。

近々、「題名のない音楽会」に出演するとか・・・・?

もちろん、写真撮影、ビデオなど禁止なのだが、今回のコンダクターを知っていたので
普段の写真を撮ることができた。


ねぶた祭り見学もすぐ近くだったのでポーズをとってくれた。


両方とも名前がヒデさんなのでとにかく「ヒデさん」と呼べばよい。

秋田の竿灯祭り会場の帰りには缶ビール片手に散歩しているヒデさんがいた。

クルーズ

2011-08-08 | クルーズ
 旅行は日常生活の中で”一服の清涼剤”と言う人があるが、たった五泊六日ではあったが、別世界での生活は人生の
サプリメントであったか! 特に心を病んでいた私にとってあれよあれよという間に竜宮城に誘われての生活が
始まった。これが初体験だったらもっときょろきょろ戸惑ったと思うけれど、4度目の航海で慣れていることも多く
楽であった。


順を追って紀行文形式もいいだろうが、一度もメモをしなかった・・・できなかったので思いつくままの
駄文報告でごめんなさい。
つたない携帯からのアップはお粗末でした。

まず、技術的な問題。もっと前から慣れておけばよかったのに、急に思いつき、一二回、パソコンに送信して
テストしていただけだったので、まず、想定外は携帯の「圏外」だった。
写真を画像編集してからメールに張り付けるのでついまとまった時間が取れず、また、夜の光の連続の写真は
全部ぶれてしまってよく撮れない。カメラとブログ用の携帯写真をとるのが大変だった。

また、シッカリ船内のイベントに出席すると夜中になってしまい、お風呂も1時までだが行くのをあきらめ
部屋のシャワーにする。
それでも朝風呂にいったり、昼間、時間を見てカラスの行水程度に大風呂を楽しんだ。。

懐かしい出会いがありおしゃべりも時間が足りず、読書も、昼寝もままならない。
運動のためにダンスのレッスンに全部出たので時間がなくなったともいえる。
船の売店は前回まで毎日のように見に行っていたのに今回は最後の日に行っただけ。
それでももう、魅力のあるものはない。
{今まで、記念だ・・・お土産だと買っていたのだがみんな高い}

皮肉なことに船はいつも揺れている。陸にいた時一番恐怖を感じた地震の細かい揺れが続いていて
どきっ!としながらも、「今は船上だ・・」と自分に言い聞かせる。
揺れがひどく酔い止めを二回服用。4~5時間はふらふらして眠くて食事時など目をあいているのが
やっとだった。
女性にとって一番の嬉しいことは食事が豪華で上げ膳据え膳、毎回デザートからからコーヒーまで
フイリピンスタッフがサーブしてくれることだ。
このごちそうは詳しく報告するが、いつも腹八分どころか腹六分にして船内を歩きまわっていたので
体重は現状維持か少し減ったのでほっとした。

初体験、出会った人々、寄港地の行事などなど、思いつくまま綴っていきます。

帰宅してなれた風景をみるのだがまだ自分が対応できない。
緊張が溶けて急に疲れが出てきた。
船は暑さを忘れていた。やはり、船旅は夏に限ると思う。

行ってまいります

2011-08-02 | クルーズ
                                      (横浜港でH氏撮影)

2008年に世界一周をした後、2009年に宮古函館のクルーズに行った。
その時までにっぽん丸は古かった。2010年、半年の期間を改修にあてて
新生にっぽん丸は生まれた。
船の底と言うかサイドの部分が群青色の袴をはいたかのようで凛々しくなっている。
部屋数も多くなったと聞いている。
まだ新しい船は送迎で外から見ただけ。

           
            旧にっぽん丸。サイドが白い。(ボルドーでF子さん撮影)

遅ればせながら、今回、東北夏祭りクルーズに乗ってねぶた祭り、竿灯祭りを
見に行こうと重い腰を上げた。

2010年はパシフックヴーナスに乗船したので記憶がオーバーラップしている。


友人はやはりねぶた祭りを見に行くと言っていたが新幹線、バスなどを使って
行くと言う。そういう方法もあったなと後から思った。

ただ、船の良いところは荷物を全く持たなくてよいこと。
そしていくら持って行ってもよいことである。
洋服も靴も不足ないように用意するのだが多すぎて着ないものもあるし
丁度相応しいものがなくて困ることもある。

しかし、一人部屋は130%から150%値段がかかるので一人では勿体ない。
それは新幹線を使った旅行でも一人部屋は同じ条件だろうが。

パソコンは写真を取り込むために持って行くがインターネットが(高額で)使えないので
随時、携帯から報告を入れる予定である。
去年のアメリカ旅行、パシフック乗船時は予定投稿を日数分作って行ったが今回は
留守番の家人への報告も兼ねて携帯を使ってみようと思う。

ところがこれが誰にも聞くことができず、暗中模索。
うまく写真を取り入れられるかどうか・・・・。写真が横向きだったり、
変なレイアウトは帰宅してから治しますのでお許しください。

 では、行ってまいります。


宮古の方々

2011-03-22 | クルーズ
 一昨年、にっぽん丸のポイントがあったので三陸を通り、函館に行くクルーズに乗った。

今日、途中寄港した岩手県宮古のことが思い出された。

美しい海岸線の漁港で大きな船が寄港するというので町をあげて朝から大歓迎をして下さった。
朝、歓迎式典の用意がされているところに出てきて下さった方々・・。どうされただろう?

式典では市長さんのご挨拶があった。


町の青年団の方々がおいしいホタテガイを焼いてくれた。
みんな優しく、心からもてなして下さったのだ。
はっぴを着て一生懸命にホタテを焼いてくださった方々・・・きっと
海岸の近くだったと思う。
大丈夫、逃げて下さっただろうか?
 

この式典の数日後に市長さんが変わったとか聞いたので今はこの方ではないだろうが
周りにおられる方々、大丈夫だっただろうか?

あの港もなくなってしまったのだろう。

夜、港を離れるときはキャンドルで見送って下さった・・。


ありがとう!宮古の方々。
あのときの平和な、和やかなひとときは素晴らしいものでした。

お元気に、おからだをお大切にお過ごしください。
おうちを亡くされた方、お身内を亡くされた方、心から
お悔み、お見舞いを申し上げます。


クルーズ

2011-02-13 | クルーズ
 春の声が待たれるが、クルーズは季節に関係なくいろいろなものが
紹介される。寒い日本を脱出して暖かいところに出かける人もいる。

去年、暑い暑い夏にクルーズに行ったら、国内であったけれど、船は一定の
温度なので涼しく過ごすことができた。

沢山のクルーズのお誘いが来る。


私がまだ乗船したことのない船がたくさんある。

一度クルーズを経験してしまうと、次はどの船に乗ろうか・・次は
どこを旅しようかと夢が膨らんでくる。

私も一人身で自由だったらすべてをゆだねてあちこち船旅をしたいなぁ~と
思う。

お一人で自由なお金がたくさんある人はある分だけすべて船会社にあずけるのだそうだ。
荷物を船に積んでおいてお金が続く限り船が行くところへついていくとか。

行く先をあなた任せにするのはもったいない気がするけれど、同じ場所を再び訪れる懐かしさ、
嬉しさもあるだろう。

今、船で知り合った一人の方はピースボートで横浜から東周りで世界一周に出かけている。
ピースボートは99万円で世界一周とうたっているが値段はピンからキリまであり
お安いのは4人部屋、二段ベッド、窓のない部屋という。
一人部屋、二人部屋、窓がある部屋、スイートなど高い値段の部屋もあり、中の活動も
陸に着いたらボランテイァ活動をしたり、地域の人たちと交流を持ったり特徴があるようだ。
1月23日に横浜をでて1月25日にタヒチに着き、その後はまだ海の上が続いている。
2月17日にペルーに着き2月18日にパナマ運河を通過するようだ。


もうひと組はご夫婦で飛鳥llでオセアニアのクルーズに出発された。
横浜出発後、神戸を通りサイパン、ケアンズシドニー、グアムへ。


時々ブログで報告があり、楽しそうな船の生活を垣間見ることができる

お帰りなさいPV

2010-12-17 | クルーズ
お帰りなさい。ぱしふっくびーなす!

私がぱしふっくびーなすに乗ったのは猛暑がまだ続いていた9月だった。
船はその後あちこちクルーズに行ったようだが40日間、ニュージーランド方面へ
行って今日、横浜大桟橋に戻ってきた。

にっぽん丸の時の友達は総勢20名近くいたそうだ。
近頃は上手に船を使って途中の寄港地から飛行機で帰ってくる人もいるそうだ。
港より、飛行場が近い人はその方が効率がよいかもしれない。

また、反対に区間利用と言って後から飛行機で船を追いかけてある区間だけ利用する人も
いるそうだ。

朝8時入港と聞いていたので遠くから港に入ってくる船を見たいと思って早く出かけたが
すでに着港は終わっていた。
それに驚いたこと桟橋の両サイドに懐かしいにっぽん丸とぱしふいいくびーなすが
停泊していた。


また、この日はにっぽん丸のNHK生中継があると聞いていたが本当に
NHKの車が止まり、スタッフが寒そうにたむろしていた。


ここが寄港地で観光客が街に繰り出してくれるなら港は歓迎ムードで大騒ぎに
あるはずである。しかし、ここは終点。電車の車庫のようだ。
迎えもほとんどなく、私一人でお迎えをしたような感じであった。

出港風景は賑やかであったのに・・。

神戸まで乗っていく友人たちとは携帯で連絡しておいて送迎デッキで風に吹かれながら
顔を見ながら携帯で会話をした。

荷物はスタッフにより船から降ろされ、陸では税関がしっかりチェックするらしい。
ワインは720ml一本につき150円の税金を払わなくてはいけないとか。
ワインの入った荷物を全部開いて申告した本数と合っているかチェックされたそうだ。


税関を終わるとスタッフが荷物を運んでくれて宅急便の列に並ぶので長い列が
出来る。

身軽になった乗客はシャトルバスで桜木町駅へ向かう。

簡単なのでほとんど迎えがないわけである。

丁度、反対側のにっぽん丸でも昼食会があり、懐かしい友達に会うことができた。
私は旧交を温めた懐かしい場所であったけれど。


最終章 (ぱしび17)

2010-10-08 | クルーズ
船の一番気持ちの良い場所。それは風に吹かれて海を見るデッキ。
甲板である。
朝はウォーキングをする人が多い。昼間はだいぶ静かになる。
甲板に置いてある椅子に座って風に吹かれながら海を眺めるのは
至福の時である。


プールがある11階のデッキにはプールを囲んでデッキチェアーが
おいてある。タオルも備えてあるので昼寝をしてもゆっくり空を
見上げるひと時を持つことができる。
そこに横たわって昼寝をしてもよい。この幸せな時を写真では
お伝えできない。横になったところを写してもらったらクジラか
トドの昼寝のようで、思わず、起きあがっての撮影となった。


だが、横になって眺めた、見上げた空を写したら、なんの変哲もないものになってしまったが
私にとってはこれを見上げた時の解放されたしあわせなひとときを思い出すよすがとなる一枚となった。


船尾に行くと船は真っ白なしぶきを残し前へ前へとまっしぐらに進んでいく。


ぱしふいっくびーなす、ありがとう!

昨日、クルーズ優待券が送られてきたが、いつの日かまた乗船できるだろうか?

大桟橋に入港した時はまた会いに行きます。これからの多くの人に癒しを与え続けて
下さい。

              

カードキー (ぱしび15)

2010-10-04 | クルーズ
船が揺れないときは船室にいてもただ、ホテルのベッドの部屋にいるという
感覚で、窓から外を見て初めて海の上に浮かんでいるのだと気がつく。

もちろん、大揺れの時は天井からまっさかさまに奈落の底に落ちていくような
ジェットコースターのようなスリルを味わわなくてはならない。これはいくら
酔い止めを飲んでも胃の中がひっくり返されるからもうどうにも止まらない・・。

船室はホテルのようだが部屋が狭い分だけドアの間隔が近い。
沢山ドアが並んでいるから『アリババと40人の盗賊」の話では
ないが自分の部屋に目印が必要だ。もちろん番号は書いてあるけれども。



限られた空間だから迷うと言っても限りはあるが、お年寄りは
まず、階数と部屋番号を確認するのが大変のようだ。
エレベーターを降りてどちらに向かえばよいかわからなくなる。
第一、外の海原の様子を見ないと、いったいどちらに向かって走っているのか
船首、船尾がわからなくなるのだろう。

お風呂帰りに『何号室はどこでしょう?」と何度も迷子さんに出会った。

また面白いことに
乗船時、二枚のカードを渡され、一枚は乗船カード。これはキャッシュレスで
サイン一つで船内で買い物ができるし、船外へ出るときはコンピューターを
通す大事なもの。

もう一枚はドアのキーでこれも大事なもの。

最近ではドアにかざすだけで開くという最新のものが出ているようだが
普通のキーを持ち歩くよりはカードはスマートである。

ホテルと同じでカードを差し込み小さいランプがみどりになったら、
ドアを開ける。そのタイミングが悪いとランプは赤になり、ドアはあかない。

一人で開けることができないと部屋に入れない。

はじめのころ、あちこちで声が聞こえた。
一人・・大ていご主人が背後で腕組みをしている。
奥さんがカードを入れてドアを開けようとして悪戦苦闘。

「一人で開けられないと入れないよ!」
「はい、もう一度!」と訓練している。
奥さんは一生懸命やればやるほど出来なくなり泣きべそ・・。

そんな光景があちこち見られた。

私は主人ではないがルームメートに練習してもらった。
毎回、一緒に部屋に帰ってきて練習するが9割できない。
最後の日になって少しできるようになっていたけれど。

高齢者が多くなるとお船ももう少し考えないと迷子、締め出されが
多くなるのでは???